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魂の還る場所
もっと、近くに。
「『愛してる』って、ペラペラの言葉よね」
あまりに唐突すぎる言葉に、口から飛び出したのは
「…はぁ?」
という、何ともマヌケなものだった。
後ろからついて来ているはずの彼女を振り返ると、ひらひらと手を振りながら
「薄っぺらいよね」
と繰り返す。
そんなこと考えたこともなかったし、何より自然に、特別な、大きな意味を持つ言葉だとインプットされていたのだから、ちょっとどころか、すごく意外だった。
「…そうかな」
だから、彼は反論の意を唱えたのだ。
その時には、彼女の目は、新緑の鮮やかさを眩しそうに見上げていた。
「俺は別に思わないけど」
彼自身使ったことのないそれは、余りに照れくさくて重い気がして、気持ちを表す言葉として姿を現したことはない。
けれど付き合って年月を積み上げていけば、恋だと思っていたものは成長して名前を変えていき、やがては相手の耳に心に届くものだろう。
(…うわっ俺らしくねぇっ)と思わず自分で突っ込みを入れる側で、彼女はどこか遠くを見ているような目をしている。
「思ってなくても、言われたほうは嬉しいし信じちゃうし、縋っちゃうのよ」
たとえ言葉だけでもね」
「え?」
彼女のそんな部分は前々からのことだった。けれど、さらに拍車が掛かった気がする。突然の言葉や行動に戸惑い、振り回されたのは、もう何度目のことだろう?普段誰も口にしないようなことでも、彼女は正直にぶつけてくるところがあった。
「嘘つかれても判んない。…恋愛の定義って何?」
「…定義…?」
いよいよ難解さを増し始めた疑問に、彼は言葉に詰まってしまう。
改めて考えることはなくても、そうなった時に自ずと溢れてくるものなのではないのか、その言葉は。
「『愛してる』っていうけど、どんなのが『愛』なの?」
「はあぁ?」
見上げてくる大きな瞳は真剣で、からかっている訳ではないらしい。
「…」
咄嗟には何の言葉も浮かばなくて、困惑に笑ったような表情になってしまう。実際のところ、笑うつもりも笑いたい訳でもないのだが。
「…」
正直、答えが欲しいのは彼の方だ。
ここにきて、今までのことが一度に蘇ってきた。
はっきりとした名前の付けられないこの関係が始まって、一年近くが経とうとしていた。 時間が合えば、会って、出掛ける。
彼のほうは自分の感情を明確にしている。解らないのは彼女の気持ちだ。「私も好きだよ」と屈託ない笑顔を向けられ、眩暈がしたのを覚えている。
一番長い時間、一番一緒に居て、どれだけ振り回されていても、肝心なことが通じ合っていない。
手を繋ぐことも腕を組むこともないし。いきなり後ろから抱きつかれて動揺して転びそうになることが多々あって、何事かと思うばかりだった。…反対に自分が行動を起こして拒絶されようものなら立ち直れなくなりそうなほど、彼はナイーブだというのに。
「ねぇねぇ。私より物知りだもん。わかるよね?」
たたみかけられたところで、答える術(すべ)を持たない。
『本当に誰か助けてくれ』。
そんな心境である。
「…あー…」
答えなんて、どう返せば良いのか。
辞書には何て書いてある?
「…そう思うから、そう言うんだろ。言葉が浮かばなきゃ、言うことも出来ないんだから」 自分で言いながら訳が分からなくなっていくが、思うまま言うしかなかった。
「どうして『愛してる』って言葉に出来るの?」
「えぇぇ?」
止(とど)まるを知らない『どうして攻撃」への対抗策が見つからない。
自分に解らないものをどう答えろというのか。
数学だって物理だって、星座の位置だって教えられるし、いろんな場所への近道でも抜け道でも示すことが出来るけど、そんなことは解らない。目の前に居る、たった一人の本音さえも解らなくて悩むほどだというのに。
「私には言えないもの。わからなくて胸の中がマーブル模様になる」
『…俺はブルーだよ…』。
そう思った。
彼の中の「期待」の文字が薄れて、どれくらいが経つだろう。彼女の言葉は、誰か特定の相手がいるように聞こえないだろうか?それが「自分かもしれない」なんて思えたのは、随分前までのことのような気がする。
それでもやっぱり自分は好きだし、何とか出来ることならやりましょう、と思ってしまうのだ。
「…あー…」
彼の目は宙を彷徨い、適当な言葉を探す。
彼女はと言えば、変わらず彼を見つめていた。
「言葉に出来るのが本物なの?そうじゃないのは違うの?」
「…うー…」
ますます返答に詰まる。
その時、突然。
「…はっ!?」
彼女が抱きつき、見上げた。
当然、彼に並々ならぬ動揺と、当惑が走る。
「私は言葉に出来ないし、身体の方が動くもの」
真っ直ぐ見上げてくる目はいつも通りだけれど。
…何となく…解った気がする。
「…あー…」
『愛情の定義』じゃなくて、もっと難解だったもの。
「行動と一緒に言葉も付けたほうが安心するだろ。
嘘かどうか疑う前に、自分の「見る目」を信じれば?」
行き場に悩む腕を、意を決した方が良いのかな、と視線を落とす。
大丈夫だよ、と呟いたら、彼女の笑顔が、もっと近付いた気がした。
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