このブログで、何度か書かせていただいた、僕の叔父。
数日前に亡くなりました。
49歳、胃ガン。
胃ガンになる前は、統合神経失調症、心臓病を患い、それらを克服してきました。だから、今回も胃ガンを克服し元気になって、バリバリ働いて、以前のように歳の離れた兄貴的な存在として、再度いろんな事を一緒にしたかった。
でもガン細胞は、叔父の体を日を追う度に序々に蝕んでいった。
食欲はまったくなく、3日~4日に1度の食事のみ。そんな状態なのに、僕が叔父のところに行った時は、僕の好きなものを買いに行ってくれたりした。お金もそんな持ってないのに、地元産の割と高めの牛肉を買ってくれたこともあった。僕が食べている横で、叔父は食欲がない為、そっと僕が食べているのをみていた。僕が一緒に食べようと言うと、無理して一口だけ食べてくれた。僕は食するという当たり前の事ができる事に、おいしいと当たり前に感じることができることに、感謝した。 同居している叔父の高齢の母は食欲が無くなっていく叔父の横では、「辛くてご飯を食べることができない」と別室で一人食事をしていた日々が続いていた。
だけど、8月末位から激しく痩せ始め、単独歩行もままならぬ状態へ。叔父が一人でも歩けるように、叔父の母はスロープを家の至るところに設置した。僕も仕事が休みの日には、できる限り船に乗って(福岡⇔離島)、元気になるように励ましに帰った。
叔父は松山千春の曲が好きなので、CDを送った。その曲を聴いて元気になってくれたらと願った。本当に願った。歩行困難な状態でも、介護ベッドを使用しないといけない状態になっても、飲み物をガーゼ等に含ませて口に流し込みをしないと水分補給ができない状態になっても、体は骨と皮だけの状態なのにお腹だけがパンパンに張って膨れている状態なっても、ベット上で目線は天井ばかり見つめる日々が増えても、あきらめたくなかった。絶対いつか元気になるって祈った。
でも、叔父は僕の母(叔父の姉)と僕の妹2人と、その妹の子供達が見舞いに訪れている間に、瞳を開けたまま静かに息をしなくなった。5分経っても、10分経っても、僕が妹から連絡を受けて船にとびのって叔父の家に着いた時も・・・息を再びすることはなかった。
僕が叔父に再会した時は、顔に白い布が覆われていた。その布をとり、痩せこけた叔父の顔を見ると涙が止まらなかった。涙を抑えようとしてもできなかった。大人になって親や妹の前で泣くのは初めてだった。でも涙を止めようとすると、逆にあふれ出てきた。
最後、息をひきとる時、何を思いながら意識が薄れていったのか。
それを思うと、いたたまれなくなる。
火葬場で、棺の中の動かない叔父を最後に見た時、そして、その棺が扉の向こうに移動し、扉が閉まった時、僕は号泣した。家族も泣いた。
僕は叔父の分も強く生きる。叔父の分も家族や友達に優しくする。そして、食べることが思うようにできなかった、働きたくても働くことができなかった叔父から感じた事、学んだ事を忘れないようにしたい。
癌や、いろんな病気で戦ってる方、どうか気持ち的に強くあってほしい。このブログを読んでくださっている方すべてに、「当たり前の事への感謝、働ける事への感謝」を忘れないで欲しい。そう僕は思います。