南トルコ・アンタルヤの12ヶ月*** 地中海は今日も青し

南トルコ・アンタルヤの12ヶ月*** 地中海は今日も青し

始まりはいつも突然


《第一話 始まりはいつも突然》

夫は地中海東部、アダナの出身である。正確にいうとアダナ郊外の小さい町の生まれだが、海の近くで育ったということで、「そのうちトルコに住むことになったら、海の近くがいいな」とつぶやいていたことがあった。

私はといえば、トルコで生活なんて、まだ漠然としか考えられなかった。なにしろ妊娠が発覚したことで既に入っていたツアーをキャンセルせざるをえなくなり、後ろ髪を引かれながら添乗からリタイア。そしてあれよあれよという間に母となり、とにかく毎日子供と過ごすだけで精一杯だったのだ。

「アンタルヤなんてどう?」と思いついたように夫が口にした時、ああ、アンタルヤならいいかもね、と答えたことはあった。アンタルヤに行ったのは過去2度きりで、大した知識は持ち合わせていなかったのだが。
トルコのツアーは10本ほど経験があったが、トルコツアーの主流は8日間、10日間。アンタルヤに立ち寄るツアーは最低でも13日間で、なかなか催行しないのだった。

しかし、アンタルヤと聞けば、私の脳裏にはほのかに甘い記憶が蘇える。初めてのトルコ。素晴らしい天候に恵まれ、日本語ガイドも申し分なかった。アンタルヤでは、メンバー全員で夜のカレイチを散策し、夜のミニクルーズを楽しんだ。まだ5月の末だというのにすでに観光客で溢れかえっていたマリーナ沿いのカフェは、地中海リゾートならではの開放感に満ちていた。
アンタルヤには、仕事の緊張を柔らかく溶かすような甘く熱っぽい風が吹いていた。

2000年の春のことだったろうか。仕事でイスタンブールに出張した夫は、合間をぬってアンタルヤにも足を延ばした。
友達となった(どこでもすぐに友達を作るのだが)不動産屋に案内され、夕暮れも迫った頃、まだ壁すらできていない建築中のマンションを検分に行き、10階まで上ってそこからの眺めを目にした途端、心は決まった、のだった。その場で即決即断。翌日には手付金も払って、早々に土地の権利証書まで手に入れてしまったのだった。

国際電話で「僕たちの家を見つけたよ」と聞いた時、さすがの私も「私に聞く前に勝手に決めて!」と一応怒ってみせたのだが、夫が大きな買い物をする時には、不思議と「これだ!」「ここだ!」という第六感が働くのを見ていた私には、夫が選んだのだからきっと大丈夫、悪いようにはならないという奇妙な安心感だけはあったのだった。
「日本に帰ったらきちんと説明するから」そういって夫は電話を切った。


 つづく 

《第二話 海さえあれば》




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