南トルコ・アンタルヤの12ヶ月*** 地中海は今日も青し

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 (5)待ち受けていたもの


《10月―天国と地獄のあいだには》 ~2002年10月の記録

 ∬第5話 待ち受けていたもの

アンタルヤを出発して5時間半。夜7時半をまわって、私たちはようやくカルカンに到着した。

腰を下ろす間もなく、私と妹たちは食事の支度に取り掛かった。
普段自分のキッチンでのびのびと好きなものを作っていればいい私も、いったん家族の中に入れば嫁の立場。初めての台所でまごまごしていることは許されない。
畳1畳分ほどしかない小さい台所で、身の回りが私の2倍はありそうな妹たちと一緒に、溜まった汚れ物と流しを洗い、妹が遠路はるばる作って持って来たイチリキョフテの形を直して茹で、トマトとトゥルプ(赤かぶ)をスライスしただけの簡単な夕食を用意した。

兄の経営する土産物屋は夜10時11時まで開けていた。アンタルヤではとうに観光客の波も過ぎつつあるのに、ここカルカンではまだまだ外国人観光客の波が絶えないらしいのだ。
夕食後、兄の店に出掛ける夫と子供たちを尻目に、私たち女性陣にはまだまだ仕事が残されていた。

チャイで一休みした後、仕事開始。
2番目の妹は足を骨折してギブス姿なので、座ってできるアイロン掛け。私と3番目の妹はまずソファーのカバーを引き剥がし、洗濯機に放り込んだ。スイッチを押すと、次に今使っているシーツや枕カバーを引き剥がし、タンスの中から汚れや臭いの付着したものを引っ張り出し、汚れたまま放ってあった衣類も一箇所に集めると、床の上に2回目、3回目の分までうず高い洗濯物の山が出来上がった。
毛布には汚れ防止にシーツが縫い付けてあるので、オシャベリをしながら座って仕付け糸を外していく。
こんな時の話題は決まって日本製品との比較。我が家で使った夏用肌掛け布団が薄くて軽い割りに暖かいので、妹たちは随分と気に入ったようだった。

これら洗濯のための下準備が終わると、今度は布団の用意。ソファベッドを開け布団を運び、シーツと枕カバーをかけ、掛け布団や毛布を取り出す。
朝から働き続けた嫁としての1日がようやく終わろうとしていた。
散歩から帰ってきてベッドに倒れ込むなり、夫はイビキを掻きはじめた。
上の娘も間もなく健やかな寝顔を見せ始め、下の娘を寝かしつけながら私も先に休ませてもらうことにした。

洗濯機の回る音が聞こえる。
疲れも手伝い、このまま心地良い眠りにつけそうな安らかな休息の時だった。
少なくともこの時点では。


プ~ンという嫌な音をさせて、顔の周りに蚊がまとわり付いてきた。
闇雲に手を振り回し追い払ってはみるものの、間を置いては繰り返し襲ってくる。
その繰り返しだった。
やがてそれにも疲れ、私は再び眠りに陥ってしまった。

しばらくして首の後ろや背中が猛烈に痒くなってきたのを、朦朧とした意識の中で感じた。やがて痒みは背中といわず腕といわず全身を襲い始めた。
ポリポリと掻けば掻くほどに痒みは強まり、居ても発ってもいられない。
そのうち、同じソファベッドに寝ていた上の娘まで身悶えしながらうなされはじめた。

蚊の仕業か、どうやらソファベッドにダニでも居たようだった。
自分だけでも痒くて痒くてたまらないのに、娘のうなされる声で同じサロン兼居間で寝ている家族全員が起こされることにならないか、気が気ではなかった。娘がうめき声を出すたびに背中をさすったり痒いところを掻いてやったり、その間は娘も静かに寝入っている様子なのだが、眠気に負けて手が止まると、再びうめき声。
娘の方も可哀相なくらいあちらこちらが膨れ上がっていた。
しかし虫に食われたくらいで大騒ぎしては、今度は、私以上に疲れているだろう家族に申し訳ない。

こうして結局一晩中、痒みと娘の声とに悩まされ、困惑と心配と遠慮とで私はロクロク眠ることも出来なかった。

 つづく

∬第6話 嫁の立場




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