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2006年08月04日
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2006年01月27日
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やっと、だ。特許申請。 ウチの塾で開発した、革命的な学習具。ここは宣伝する場じゃないから内容は言わないけれど、代わりに流れを話してみよう。同時に、どうやったら特許を申請できるかも分かるはず。 古くはドス・カラスが二つの顔、ミル・マスカラスが千の顔を持つといわれていたが、バルドゥビーダ人は地球上では、発明家の顔も持っている。もともと右脳人間なため、新しいことを思いつくのは大の得意だ。ただ、アイディアは山ほど生まれるのにそれを形にするやり方が分からなくて、いつもいいアイディアが生まれては空気に混じって消えた。 もう4年も前になるが、たまたま「特許」についての記事か何かを読んだ。続いて「特許の申請は主婦でもでき、中学生程度の国語力があれば30分で申請書を書ける」という本を読んだ。発明学会という、市民発明を後押しする団体があることもそのあと知った。「これは、俺が求めていたものなのか」 それから間髪入れず、一ヵ月半後には第一作目の特許出願をした。それはPCのキーボードに関するものだった(「ホームページ・バルドゥビーダ 発明特許局」を参照)。 一作目は小手調べのつもりだったが、2作目はいよいよ力を入れてやってみようという情熱がみなぎった。ところが、ここに大きな問題があった。それは電気回路が必要なものだったが、俺は電気関係に全く詳しくないのだった。最初は「こうなったら、一から勉強するか」とまで思った。でも、もっといい方法があることに気が付く。「電気の詳しい人と組む」 しかし、誰?そんな人は俺の周りにはいない。 ところが、世の中とは不思議なもの。そういう人を求めていたら、そういう人がたまたま現れたのだった。某大企業で超LSIの開発をやっている人だったので、これ以上ないパートナーと組むという、幸運に恵まれた。 それから毎週、新宿の工学院大でミーティング。ああでもない、こうでもない・・・・とやっていくうちに、だんだんと形になってくるではないか! そして、発見。そして発見。最初は複雑だった構造体が、徐々にシンプルになり、機能は向上していった。 約3ヵ月後、第二回目の工業特許作品「電動書見台」が完成した。それは、特にOLを助ける発明だった(詳しくは「ホームページ・バルドゥビーダ 発明特許局」を参照)。 それから、いろいろな会社に提案して周った。とくに書見台は絶対の自信作で、市場は日本のみならず、コンピューター社会であれば、世界中の多くの人の役に立てるものという自負がある。 ところが、たまにいいところまでは行くのだが、契約にまでは届かない。そうして、月日だけすぎていった。 自営の教育ビジネスを立ち上げてからは、特許のことは忘れていた。ただ、俺は相変わらず右脳人間のままだった。 すると、教育関連という軸ができ、アイディアが自由に生まれるという形になり、今回の申請へとつながった。今回は工業製品というよりは、ソフト的なものである。 これで、2歩目の前進。がんばるぞ。
2005年07月14日
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昨年、シンガポールにてロバート・キヨサキのセミナーに参加した。その中で「トレンド」について学んだ。 話は「コントロール」と関係していた。 自分自身はコントロールできる。収入や出費のコントロール。感情のコントロール。用事や予定のコントロール。友達選びなど人間関係のコントロール。所有するビジネスは、自身の意思というコントロールが利く。 株価はどうだろう?株価は一個人がコントロールできないものだ。ここに、トレンドがある。優秀なトレーダーは、トレンドに逆らわない。上手なサーファーは、波のトレンドに逆らわない。 最近出会った言葉に、こういうものがある。 どうでもよいことは流行に従い、重大なことは道徳に従い、芸術のことは自分に従う。 ところで、トレンドは自分から創りだすことができるってことを、今体験している。 5月末に生徒数は若干減り、講師のコマ数も若干減り、でも俺には強い自信があった。 教科研究会が定例化し、講師の研究熱が高い。 新しいアイディアから、新しいシステムが次から次へと開発されている。 一年間試運転したシステムが、現在、次の段階へと動き始めている。 この塾が将来目指すものがはっきりしている。そして、そのためのミーティングがすでに始まっている。 講習設営のシステムが、毎季ごとに改良に改良が加えられている。 そうして、夏期講習のコマ数が大量に増えている・・・。 というわけで、押し切りという人生の技術を学ぶ、貴重な経験をしている。(今、仮に「押し切り」と名づけたけれど、「トレンド返し」と名づけてもいい) やっぱり、経営者になるべきだな・・・・こういう体験は従業員だと味わえないからね・・・。
2005年06月15日
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ここ最近は、いろいろなことが重なった。 先月末のある日、突然一人の生徒が退会した。その生徒の姉も、コマを一つ減らすことにした。すると、これまで「お宅の塾は最高」と言っていたあるお母様が、いきなり態度を変えて他の塾への移籍を考え始めた。そこへ来て、ある高校3年生が大学受験を早くも断念し、それゆえ塾も辞めるという。せっかく4月から雇い、一年間一人の大学受験生国語を見てもらおうと思っていた講師が、他塾から「月給」で給料をもらえるから、という理由で、夏期講習は出れないという。大学生の一人のアルバイトは、サークルで幹事長を務めている関係から、夏休みには多くの合宿が入ってしまうという。 一方で、講師への研修は「教科研究会」として、月例になりはじめた。我が塾独自の教育システムも、開発の手を止めることなく続けている。今回は、そのシステムのうち第一弾が、いよいよ公に姿を見せる手前まで来ている。 数日前急に、携帯にある大物(ここで名前を書くと驚く人もいよう)から連絡が入ったときは、急だったこともあり少々驚いた。でも彼は、4月に我が塾(つまりは我が家でもある)にいきなり訪れたので、まあこういうこともあるだろう。そして作日朝、その大物と、彼の片腕の待つ品川の喫茶店で落ち合った。 彼らはビジネス関係で、俺に相談したいことがあった。 「私はあなた達の力になりたいという気持ちはある。でも、今はちょっと時期が悪い。今は所有する小さなビジネスの方に集中したいのです」 彼らに協力したいとは思うが、例えば日本での代表を務めることになれば、やはり今手がけていることへの代償が大きいだろう。俺には計画がある。しかし、自分にできる範囲内のことであれば、逆によろこんでリーダーとなろう。 彼らは日本でたくさんの候補者と会っている。彼らが席を立ったあとも、喫茶店に残り、昼まで抱えている文芸作品の添削をした。 午後は都内西北のとある所で、今度はビジネス界で名を馳せる別な大物を訪問した。俺が開発している我が塾のシステム第一弾の商品化に対して、彼の人生が、何かヒントをもたらしてくれるのではないかと思っての行動だった。氏の一言には経験という裏打ちがあり、一言も無駄がない。じっと耳を傾けた。 それから、その人に我が塾開発のシステム第一弾を見せた。 「やはり全てを私一人でやるより、その分野分野で力ある企業と提携して進めたほうが、スピードも速いと思うんですよ」と言った。 そうこうしているうちに、なんと、その氏の企業と俺のビジネスが、業務提携するという話になったのだった。 うーん、これは非常に面白い展開になってきたぞ。
2005年06月03日
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だとしたら、あなたにとって幸せとはなんだろう? ありふれた例えだが、大金持ちでも 病気のため 親友がいないため 愛されていないため 嫌いな仕事に振り回されているため 嫌いな上司や同僚と一緒に働いているため 幸せではない人がいる。 これもありふれた例だが、貧乏でも幸せな人がいる。 病気でも、幸せな人がいる。 中にはこういう人もいる。 大金持ちで、健康で、親友がいて、愛されてて、好きな仕事をやってて、理解のある上司の下で楽しい仲間に囲まれて働いていて、幸せな人が。 じゃあ、幸せってなんだ? あなたはどんなとき幸せか? 愛する人と心が通じ合ったとき? 親兄弟が健康でいるとき? お客が感謝してくれたとき? 収入が入ったとき? ギターを弾いているとき? イスタンブールのボスポラス海峡をユスキュダル側から眺めて、沈む夕日にシルエットになるモスクを見ているとき? TOEICで目標の850点を取ったとき? がんばって書いてきた著作の、晴れて出版が決まったとき? 昔を懐かしむとき? 夢見るとき? 将来の希望を語るとき? 友情を感じたとき? 朝早く起きれたとき? おいしい料理を食べるとき? 眠っているとき? 人にほめられたとき? アイディアが生まれ発展したとき? 何かを発見したり、閃いたとき? これって、つまりは心が幸せと感じたときだよね?! 例えばTOEICで850点も取ったって、いつも900点を取る人にとっては、喜びにはならないよね。 昔を懐かしむにしても、幸せを感じるのは幸せを感じる思い出を思ってるときで、忘れてしまいたい忌々しい過去を思い出してるときは、不幸だよね。 おいしい料理を食べてても、心が何か心配事で一杯になってたら、それどこじゃないよね。 人にほめられたって、自分がそれを認めなきゃ、嬉しくないよね。例えば薄っぺらなおべっか言われて幸せな人は、それこそ幸せな人だよね? ってことは、幸せってつまり 心の状態で、 単にお金を持っているとか、健康とか、美人だとか、いい服着てるとか、いい大学出てるとか、有名だとか、豪華料理を食べてるとかでは、幸せとは言えず それらを心が「幸せだ」と感じたときだけ、幸せになる。 つまり、何か外的条件に対して ありがたいという感謝の気持ちがあったり、嬉しいと感じたり、快適だと感じたり思えたりしたときが、幸せだとすると、 それって、かなりの程度自分自身で創り出せるものだと気づく。 つまり、 待ち合わせに相手が遅れてきても、その間にとっても面白い本が読めたなら、 そしてそれがその相手と会うことよりも楽しく充実してて幸せな心の経験だったらあなたは幸せだし 貧乏で新しいGパン一つ買えなくても、 いい絵が描けて、心が充実してて達成感に満ちていれば、 そしてその嬉しさが、Gパン一枚買えない気分よりも心を大きく生きてる実感へと導くならば、 きっとその人は幸せだろう。 ウチの祖母は、友達がいない。テレビ見てては出演者の悪口ばかり言ってる。年も取ってる。耳も遠い。あまり歩けない。なのにある日一言、私は幸せだと言ってたのを耳にして、考えた。 ああ、幸せって 心の状態で 世の中に対する自分の解釈で 一つの出来事や、世の中に対する解釈は実は無限で、 その中で自分にとってどういう解釈を選ぶかは、実は自由で その解釈によっては心を素晴らしい状態に置くことができて、 つまり、幸せって、かなりの部分 自分しだいなんだなってことを、悟りました。
2005年05月26日
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この世には、成功している人と失敗している人がいる。これは、現実だ。 ところで、成功している人を「うぬぼれてて」「ケチで」「偉そうで」「貧乏人を食い物にしてて」などなどという風説があるが、おそらくその90%は嘘だ。というより、それは実は失敗している人の嫉妬心の裏返しだというのが、真実に近いだろう。だんだん分かってきた。 今日、こういうことがあった。 ある大立者にメールを送った。その方が創業した会社の製品を知らない人は、今の10代は別としてもそれ以上の年代の日本人ならいないだろう。その方とは、遥か2年前に、知人を通して会わせてもらったことがある。 今、バルドゥビーダ人はあるものを開発していて、それについて何か導火線の火のようなヒントを探している。そこで、その方の人生経験をもう一度聴かせてもらいたいと思い立ち、すぐメールを送った。 断っておくが、その方とは2年も前に一度だけ会っただけだ。 ところが・・・・その大立者は素早く返事をくれた。そして、今日まで俺がその方の話を感銘深く心に留めていることについて、感謝までしてくれたのである。 こうして物事は爆発的に、しかし一つずつ進んでいくのだった。
2005年05月25日
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専門家。例えば、医者。弁護士。靴屋。野球選手。大学教授。学校教師。通訳人。格闘家。音楽家。デザイナー。警備員。プログラマー。新聞記者。警察官。自衛隊員。パイロット。タクシー運転手。窓拭き掃除夫。エレベーターガール。ウグイス嬢。ある特定の、決められた範囲の仕事をこなす人は、ある意味全て専門家だ。 総合家(聞きなれない言葉だけど)。社長。総理大臣。大統領。監督。 人はこだわれば専門家になるし、人を巻き込む大きなビジョンがあれば総合家になるだろう。どちらの仕事もそれなりに魅力があるし、夢もある。 ただ、考えてみればその求められる資質がまるで違う。 例えば清原は、性格は悪くてもホームランを打てばいい。逆に言えば、清原は性格がよくてもホームランを打たなければ、専門家としての役を果たしていない。 例えば通訳家は、極端に言えば性格は悪くても正確な通訳を手際よくできればいい。逆に言えば、性格はいくても外国語の話せない通訳家は、専門家としての役を果たしていない。 でも堀内監督はそうはいかない。人がついていきたくなるような人間としての魅力、選手時代の実績や力量、頭の良さや心配り、業界でのネットワークの広さなどなど、総合的な力が求められるだろう。 小泉総理もそうはいかない。 意志と夢、断固とした決意、人間の器の広さ、説得力、人のよさ、理解力、計画性、言葉遣い、バランス感覚などなどが求められるだろう。 総合家は夢を持って、専門家の知識を集めて利用して、まとめて力にしていく。一対一ではたった一人の専門家にもかなわない総合家が、多くの専門家の上に立って、専門家の束がかなわない力を自在に操る。 他にも面白い違いがある。 専門家の求人はあるけど、総合家の求人は(あまり)ない。 専門家の資格試験はあるけど、総合家の資格試験はない。 専門家になるためのテキストは売ってるけど、総合家になるためのテキストは少ない。仮にあったとしても(「思考は現実化する」などがそうだ)、一部の人だけ大絶賛する。 自分も、小さな組織ながら、その違いを毎日感じている。例えば俺は絵を書くことやデザインは大好きだけど、今取り掛かってるある作業について、デザイナーを雇っている。なぜなら、それを自分でやっててはスピードが遅くなるから。他にも自分の得意分野を人に任せていく毎日のなかで、総合家の究極の仕事は夢を追うことだと、改めてふと思った。
2005年05月11日
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昨年一緒に仕事をさせてもらった旅行会社のF氏とは、10歳程年が離れているにもかかわらず、今では親友同然だ。昨年末以来会ってないので、久しぶりに会いましょうということになった。この機会に、他の仲間も呼んでみましょうか、というところで電話を切った。 T氏は、F氏の旅行会社と提携して企画を起こしたシンガポール企画に参加した人で、年齢は30代前半、独身。その企画には日本中から参加者がきたというのに、偶然俺と同じ駅をつかっているので、当時驚いた。 T氏にFさんと会う話をしたところ、ならおもしろいことしたいですね、ってことになって、 俺が「何でもありですよ。遠くでもいいし、近場でもいいし 。山に登ってもいいし、海でビーチバレーしてもいいし」と自由な発想を即すと、結局、調布の深大寺にある露天の風水温泉に行きましょうか、というあたりで意見がまとまった。 ただ温泉に入るだけでもおもしろいけど、もっと面白くしましょうってことで、なら温泉を出たあと、「深大寺そば」を食って、それから「マインド・マップ」で未来を創りましょう、って話になっていった。 マインドマップというのは、円と線、短い単語で作る、新しいノート術だ。マッピングともいう。 そばを食ったあと、これの使い方を短く講習し、これで「未来を創る」なんて、エキサイティングだしロマンがある、と俺とTさんは勝手に判断した。 その話を20代のK夫婦の奥さんに話すと、彼女は「なら、その作業をkick back cafeでやりません?」ときた。そのカフェは多面体的創造集団を目指すところで、目指すというより、実際に本当にそうなっている素晴らしいところだ。 ということで、メンバーを募ったら結局9名集まって、今日は素晴らしい日を過ごした。 まず、空がとっても晴れていた。太陽を浴びながらの露天風呂。 次に、春風がよかった。山の中腹のオープンエアの茶屋でそばを食べる。ついでに深大寺ビール。木々の葉が太陽を適度に遮る。笑い声が絶えない。いつもここへ深大寺ビールと深大寺そばを食べにくるという、なまりのある地元のおっさんが、同じテーブルにいた。 そしてセンスのいいカフェで、それぞれの夢を語る。白熱した。夢とロマンだ。 メンバーの中には新婚のAki夫妻もいた。夫妻の仲人はキャッシュフロー・ゲームか、それとも普通の人間か。 結局、朝11時にあつまって、解散は夜8時。 これも青春のひとときか。
2005年05月03日
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昨日、仕事を終えると急いで荷物をまとめ、新宿駅へ向かった。 丸の内線のホームからJR7番線までは、かなり距離がある。人波をかきわけて上流へ向かって泳ぎ、ようやくホームに上陸すると、ブザーの鳴ってる特急あずさに飛び乗った。 闇に沈んだ八ヶ岳。冷え込む新鮮な空気。西部劇そのままの、木材組の建物。馬小屋の2階で、一晩を過ごす。 翌日の八ヶ岳は、明るい春だった。遠くに見える、雪を被った山脈。 テンガロン・ハットにロング・ブーツ、大きな銀のバックル。ここで働く人達は、それが日常だった。馬の水汲み、藁敷きなどを手伝う。腰にくる。腕が軋む。かなりな肉体労働だ。 ブーツを履く。牧場へ向かう。柵を越える。 栗色の馬の中に、一頭だけ白馬がいる。それが、俺が乗る馬だった。 手綱とたてがみを左手で掴む。右手で鞍を掴む。左足を乗せ、右足でまたぐ。 午前中は、他人が乗るのを見ていた。身体の重心がどこへくるかは、そのとき大体つかんでおいた。 両足で腹を蹴る。馬が歩き出した。 手綱を右へ。右へ曲がる。 手綱を左へ。左へ曲がる。 手綱を引く。止まる、はず。 でも、なかなかうまく曲がらないし、止まらない。 チキショウ、なんて言うことを聞かない馬だ そう思っていたら、真実は違ったところにあった。 馬の顔が右を向いているのは、俺の手綱が右が短かかったから、馬が右を向くものだと思ってたのだったし、 まっすぐ歩かなかったのは、歩けと腹を蹴っといて、手綱の引きがやや強かったために、ブレーキをしろというメッセージを受け取り、混乱してたからだった。 実は、馬は人間からのメッセージの鏡だったのだ。 どうだろう? あいつは言ったことをきちんとやらないヤツだ、と決め付ける前に、 自分の指示出しは、果たして明瞭だっただろうか? 言ってることとやってることに矛盾はなかっただろうか? あいつは気に食わないヤツだ、というならば、 実は自分が気に食わないヤツだという可能性が充分にあるはず 塾へやってくる生徒の親 「ウチの子は、勉強しない」は、実は「勉強させる環境を、親がつくろうとしない」だし、 「ウチの子は怠ける」は、実は「手綱をいつも強く引きすぎてるから、疲れて力が抜ける」だし、 「ウチの子はやる気がない」は、実は「やる気をそぐことを、親がやってる」だし、 この経験を通して、自分のことも他人のことも見えてくる、不思議な万華鏡を手に入れた。
2005年04月03日
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今、ウチの塾では面談をやっている。いろいろなお母様達と会う。確かに気を使うことはあるけど、おおむね楽しくやっている。 ところが、失敗もある。例えば、ちょっとした行き違いがもとで、以来あるお母さんの俺に対する態度は変わった。お菓子を持ってきて「ぜひともウチの娘をよろしく・・・」という態度から「言いたいこと、いうわよ」てな感じで。 ところが、ビジネスをやってて面白いと思うことの一つは、こうした経験が次に生きてくることだ。 確かに失敗は、そのときは痛い。そのときだけじゃない。痛みがしばらく続くことも、よくある。 しかし、大切なのは、次回は改良することだ。 そして、その機会もある。 痛みは、改良を促してくれる。 改良すると、前よりうまくいくようになる。 うまくいくようになると、楽しくなる。 つまりは、改良するたびに楽しくなる。 俺のことを古くから知る友は、知っているだろう。バルドゥビーダ人が、どれだけ「ビジネス」を嫌ってきたか。まるで反対世界を生きてきたから(笑)。。。でも、今はそれが面白く思う。 まるで、子供の頃、大嫌いだった酒の味が好きになるように。
2005年03月10日
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クレア・アカデミーは、タイトルの通りのピアノコースを開設します。生徒募集は3月1日から。 概要は以下の通り。 1.コースは1コースのみ 「初心者ブギウギ・ジャズピアノコース」 2.期間は週1回・3ヶ月~6ヶ月程度 個人差あり。宇宙初の「クレア・ピアノ」の魔力に取り付かれた人は、より早くなる 3. このコースを取ることによって、何が得られるか ピアノを全く触ったことがなく、譜面も読めない初心者が、コース終了後には、一つのキー(調)で「アドリブ演奏]できるようになる * ジャンルはブギウギ/ブルースのジャズ ご関心のある方は、こちらまでメール valdubieda@kagi.com をどうぞ。ご質問もこのメールで受けつけます。 ・・・・このコースを取ったあとの、生徒の驚きようが目に浮かぶ。。。。楽しみだぜ。。。
2005年02月23日
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今日が祝日なのを忘れてた。 入会面接、体験授業・・・口コミが利いてきて、広告をしていないのに入会希望者がやってきてくれるのは嬉しい限りだ。 さて、今のクレアの貧弱なキャパでは、近々収容しきれなくなるのは見えてきた。 こうして、一歩一歩歩くことの、なんと嬉しいことか。
2005年02月11日
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塾を始めた2003年6月1日、「今週までに3人見つけるぞ!」と心に決めた。週末になった。一人も見つけられなかった。 体験生もあわせて生徒が3人ほどになった7月末、「今年中に20人集めるぞ!」と心に決めた。2003年の年末、生徒はようやく10人を超えたところだった。 2004年の元旦、「4月までに20人集めるぞ」と心に決めた。4月になってみると、まだやっと12,3人だった。それでも、講師を二人に増員した。 そして「20人」を「15人」に下方修正して、15人集まったらコピー機を導入しようと心に決めた。体験生を合わせてどうにか15人に達した2005年の年末、コピー機をようやく導入した。 そして次の目標であり「長年」の目標となってしまった20人だが、やっと手の届くまでのところまできた。20人になったら、「税金」つまり月謝の徴収方法を変える予定である。 塾を始めたばかりの頃、資金がゼロだったこともあり、備品は中古机3台だけだった。 昨夏、照明器具が装備されたブース型教室になり(個別指導塾なので)、収容できる人数も増やした。 先日、長く暖めていたアイディアが、それこそあっという間(30秒ほど)に実現し、さらにインスピレーションによって荷物スペースのシステムなども完成し、システムの特許取得に動いている。 そして今日、この小さな塾は初めて、今の設備で収容できるフルハウスの生徒が学習した。いよいよ設備拡張を強いられてきた。
2005年02月04日
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おかげさまで、近いうちに塾の座席数が足りなくなる様相が見えてきた。今月も早速、今日の入面、明日の体験と続いている。 「まあ、一番オーソドックスなやり方は、隣の部屋を使うことだな」 授業が終わった後だった。一人の高校生と一人の講師が、その場にいた。俺は続けた。 「でも、例えば」 おっ、また何か言い出しそうだなと、女性講師はうっすらと笑みを漏らしているように見えた。高校生はいつも通り真面目な顔をしてる。 「このブースの上に、さらにブースを載せてみるってのは、面白くないか?どうだ?!」 「ええ、面白いです」と、高校生は笑いながら答えた。そうですねと、講師も笑ってる。でも、俺は話を続けた。 「ここに階段か梯子をつけて、二階へ上がる。そして・・・」 そのうち、生徒も講師もノッてきた。 2階建てバスや、今では2階建て新幹線まである時代だ。2階建て塾があったって、悪くないだろう。
2005年02月03日
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インスピレーションからあるアイディアが浮かんでいた。それは塾の教育システム&備品に関するもので、ブース(個別指導なので)に、あるものを設置するアイディアだった。 もちろん正確には覚えてないが、アイディアが浮かんでから今日まで、おそらく1年以上経つ。いつの間にか「長年のアイディア」になってしまっていた。 いつかやろう・・・・と考えながら、他の優先事項に先を越されつつ、時間だけが過ぎていった。 もちろん、過ぎ行く時間をただボーゼンとしていたわけじゃない。たまに思いついたときに、「どーやって設置しようか」とか「どの方向に設置しようか」などと、考えてはいた。 そしてつい数日前、ダメ元で知り合いの大工と連絡を取った。「これこれこういうことをしたいんだけど、そのためにどうしたらいいのかのアイディアがほしい」だから、近くまで来たときでいいので、立ち寄ってもらえないか、と。 そして彼は、今日我が職場に登場した。 俺は、どんなイメージでどうしたいのかを話した。そのための具体的な設置具の例なども話した。設置角度も2通りで迷っていたが、迷いながら2通りを話した。 その、話しながら不思議なインスピレーションが起こり、答えが全て出たのだった。 「・・・てことは、この角度なら、ここに一個ビスを打ち込めばいいな・・・・じゃ、そうしよう」俺は独り言のように言った。 すると大工は、じゃすぐやろう、といって、持っていたドリルで木ねじを埋め込んだ。それを、それぞれのブースで行い、あっという間にアイディアは現実化された。 その間、なんと30秒にも満たない。 ある瞬間から、思考が現実化するまでのスピードって、こんなに速いものか・・・・そして、こんなに簡単なものなのか・・・・。
2005年01月26日
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ロバート・キヨサキの「金持ち父さんのビジネス・スクール」という本に出てくる話に、こういうものがある。自然界では直線で上昇するものはない。放物線を描いて上昇する。例えば鳥が木の枝から飛ぶとき、一旦下がってから上へ飛ぶ。ビジネスをやっていると、この曲線を何度も体験する。最近のことを話そう。 一人の大学生を、ウチの塾にバイトで入れた。彼女は塾講師の経験もあったが、人気のある先生ではなかった。 まあ、覚悟はしていたんだが、仕事をさせると、ちょっと控えめ過ぎて(それは大いなる美徳でもあるのだが)、ちょっと大丈夫かなあと内心思った。Bクワドラントへ片足を突っ込む前の俺だったら、ばさっと切ってたかもしれない。ただしBは「忍耐のクワドラント」とも言われる。ここはじっと、こらえた。放物線が床につき、上昇を始めるのをじっと。研修を続けた。 しかし人を育てるとは、なんとせつないものだろう。人を思い通りに育てるとは、なんと難しいことだろう。研修。レポート。励まし。繰り返し。 ところが、最近ようやく、だんだんと戦力になってきているのを感じる。 人が見捨てる不動産を見つける。それに改良を加えて、市場価値を高めて売る。 人が気づかない、眠った長所を見つける。それに改良を加えて、市場に出て働いてもらう。 これが、Bにいる喜び。 まだBではないけど。
2005年01月20日
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今度はスーバーガールが我が塾に入ってきた。 日本一の女子中に通い、まだ中学2年生だというのに、英検3級を100点で合格。英語もしゃべれるし、聞ける。 印象的だったのは、入会面談に夫婦二人とも出席されてたことだ。これだけできる子の親は、どんな人達かというと・・・ 非常に協力的だ。子供ががんばるために。 強制ではない。子供ががんばるための、協力体制ができてる。だから、家庭が明るい。 このビジネスをやってると、いろいろな父母・親子と会う。 はっきり言おう。こういうパターンは最悪だ。 子供は、不機嫌で、無気力。 ママは教育ママで、カネさえ出せば同時に結果が出ると思ってる。 子供は塾へ通うのが、義務。親が勝手に入会させ、無理やり押し出す。 子供は当然、精彩がない。不機嫌で、無気力になる。性格だって、ひねくれる。 子を持つ親御さん、どうしたらいいのか、ヒントになりましたか? ちなみにうまくいってるその家庭は、妹も入塾を決めたかと思うと、さらに一番末の子も、入会するという。決断も早い。
2005年01月17日
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正月に友人達と、深大寺へ行った。 そしてそこで、おみくじを買った。 「凶」 人生で初めてのことだった(そもそも、おみくじを引くことはあまりなかったが)。 「やったぁ!」ガッツポーズを取る俺に、周りは不思議な顔をしていた。 実はグループのうち、数人も凶がでていた。 ある者はお守りを買い、 ある者は顔色に動揺を隠せず 「感情のコントロール」というものがある。それは、物事の解釈と強く結びついている。 人の批判を受け入れれば、その人は沈む だけど受け入れねば、その人は沈まない 所詮は紙に書かれたことに過ぎない文字をみて、 沈む人もいれば 沈まない人もいる その、感情のコントロールが試されているのだ、と思ったとき、 俺は嬉しくなった。
2005年01月13日
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俺の2004年は今日、終わった。 今日は銀座で「ロバート・キヨサキを語る 忘年クリスマス会」というイベントを開催した。 先月、シンガポールにおいてロバート企画を担当してきたことは、11月の日記に詳しい。 そして、企画は大成功に終わった。 ただ、俺の心の中では、まだ最終ピリオドを打ってはいなかった。あくまで「本文」が終わったに過ぎず、 この「忘年クリスマス会」の開催・終了こそが、自分の中でのピリオド。チームのメンバーも、おそらく同じ気持ちをお持ちかもしれない。 メンバーは、某社のUさん、旅行主催会社のFさん、バルドゥビーダ人。 この同じチームで、「忘年クリスマス会」は開かれた。というより、「忘年クリスマス会」は、このチームによるシンガポール企画成功の「打ち上げ」という、隠れた意味もある。 この企画の趣旨はいくつかある。一つはロバート・シンガポールセミナー参加者の同窓会。一つはセミナーに出たかった人で出れなかった人へのシェア。一つは向上心ある人どうしの出逢いの場を作り。一つは、今年一年を振り返って得たことをシェアしあうこと。一つは、来年への希望を固めること。一つは、クリスマス・パーティ。 実は、昨夜はあまり眠れなかった。 銀座に着く。参加者総勢30名。受付をTさんに頼む。当日払いの人はここで払い、プログラムを受け取り席へ。 今回設けたドレス・コード「将来なりたい自分の服装」このコードはUさんのアイディアだった。この会場を使うという提案もUさんからで、予約もしてくれた。 司会進行はFさんに任せた。Fさんには、シンガポールで酒を飲んでいるときにお頼みした。 ワインが各テーブルに運ばれる。透明なグラスの交わる音の合図で、第一部 講演会が始まった。 セミナー業界で名を馳せ始めたTYさんがトップバッターだった。彼はロバートの「資産としての時間」の概念と、その厳しさについて語ってくれた。 次にCRSさんが、人間の成長について、体験者しか話せない質感を伴って、語ってくれた。 それから「他己紹介」に入った。自分のことを自分で紹介せず、他人が紹介するのだ。これを、出席者全員終わるまで行った。 それから、あらかじめ決めておいたテーブル・リーダーを中心に、この一年から学んだこと・来年の夢のシェア、シンガポール・セミナーのシェアなどを行う。参加者のうち2/3はセミナー未参加者だったので、これも有意義に進んだ。 それから、各テーブル・リーダーが、テーブルで話されたことを全体へシェアして、終了。 参加者は、西は関西・大阪から、 北は東北・青森から、 東はアメリカ・サンフランシスコから。 みんな笑顔だ。大成功。 2次会は、イタリアン・レストランで、飲み放題・食べ放題。ここで、新しい出逢いは深まったことだろう。明日会社を立ち上げるという一人を除いて、全ての女性参加者が残った。面白くなきゃ、男性よりも女性は素直に帰るものだ。 それから、残った6人と有楽町でお茶して、 最後は同じ方向のTさんと、丸ビルで4次会。 これで、4月から関わってきた「ロバート企画in シンガポール」は、ピリオドが打たれた。 つまり、それは俺の2004年が終わったことと、ほぼ同意語だった。 追伸: 今回の経験を通して学んだことの一つを、書いておきたい。 助けを求めること。別名「チーム・プレイ」 今回、経験をUさんに求め、司会をFさんにお願いし、講演会をTYさん・CRSさんに、受付・写真係をTさんにお願いし、参加者呼びかけも参加者に協力を求めた。 その結果、こんなに楽しくて意義ある企画が、成功に終わった。この経験から得た知識を、大切にしていきたいと思う。
2004年12月23日
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昨日、我が職場に、一台のコピー機がやってきた。 俺は、この新品のマシンを、特別に感慨深く見つめた。 一年半前の、ビジネスの立ち上げ期。近所に絵も扱っている雑貨屋さんがある。その絵は色彩やイメージ、感触に素晴らしいものがあり、俺は看板をぜひこの画家に書いてもらいたいと思った。 あいにく、画家はハワイ在住の方だった。 ところが、運命は突然、俺の味方をしたのだった。画家は近く来日するという・・・・・ ここまではよかった。 雑貨屋のお姉さんに注文したはいいが、俺のポケットには、一円たりともないことに気づいた。 2万までなら、来月のバイト代をどうにかしよう。そのあと少々苦しいかもしれないけど、どうにか乗り切ろう。 まてよ。3万までならどうにかしよう。 まてまて。男なら腹をくくれ。5万までなら、親類からお金を借りてでも、どうにかしよう。 そのときのショックを、忘れない。 「10万です」 えっ!・?・ 今回は、○十万円するコピー機を、何のショックも受けずに手に入れている。 窓辺の景色は変わらないけど、何かが少しずつ変わってる。
2004年12月18日
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今度23日に銀座で「忘年クリスマス会」というものを開催する。今日はその打合せで銀座へ出向いた。 この企画を終えると、今年が終わる。 他にバルドゥビーダ人主催の会が、あと2つある。 一つは自営の塾の子供達&お母様方&バイト講師をつれてボーリング大会。 一つは、主催してきたキャッシュフロー・ゲーム会が今年一杯で一旦休止するため、それも兼ねての忘年ゲーム会。 他に友人との忘年会やクリスマスを入れると、月末はかなり飲みな日々になりそうだ。 そして、来年1月からまた、禁酒に入る。
2004年12月15日
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5年前にサントリーニ島で出会った4人の仲間のうち、3人が滋賀県信楽に集まった。土曜から3日間かけて、たくさん楽しみ、たくさん飲み、たくさん語り合った。ただその、俺を抜かした二人は、この5年の間に結婚をしていたので、集まったメンツは5人へ膨れ上がっていた。 信楽は、山の中。「ミホ・ミュージアム」が現れる。そこは、「桃源郷」をイメージして造られたという。 窓からの、絶景に息を飲む。 信楽焼き、古代アメリカ、古代エジプト、古代ペルシャ、古代ローマなどのコレクションに息を飲む。 温泉にゆっくり浸かり、 自然食を食べ、 チーズにワインを傾ける。 芸術家どうしの話。知識人どうしの話。集まったメンバーから、無限の可能性が感じられる。 パリの芸術家・アズマさんと俺は右脳人間。F氏夫人も右より。 某放送局勤務のFさんとアズマ夫人は典型的な左脳人間。 そして、アズマさんも俺もF氏夫人も、左脳人間とも楽しく話せる。 いや、アズマ氏は、かなり左脳も鍛えていると見た。 「昔、ある人が桃源郷を見つけたという」昔々の中国の話。 それは、ここのことだったのかも知れない。
2004年12月14日
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将来の世界的石油メジャーになるだろうと言われている、ペトロチャイナが株価を下げた。 ペトロチャイナは最近まで持っていたけど、アメリカ大統領選挙直前に売り払った。選挙が終わると、嫌でも景気減速に入ると見ていたけれど、ブッシュ氏は減税策を緩めなかったので、香港では「低金利下の好景気」となってしまい、予想に反してペトロは値を上げ続けた。 「うーん、、、どうしようかなぁ」ペトロは一定のペースで、上昇を続けている「やっぱ、持ってた方がよかったな」 買戻しの誘惑が、ここ数週間続いていた。 そんな中での急下落。 「やっぱ、売っといてよかった」 ペトロチャイナは香港市場において、大きな位置を占めるから、他の株まで影響されて下がった。 そんな中で、上昇を続けている株があった。それはすごい上昇だった。 「欲を出してはいけない」 俺は、その株がそのあと最高値から見て10%下落したところで売り払った。 「これで、よかったんだ」これまでの人生経験を生かしたつもりだった。 ところが・・・・今日、その株は過激に上がっていた。 「どうしようかなぁ・・・・」下落まで待つか、それとも上昇に賭けるか。 どうも、トレンドは上昇だ。天上(最近の高値)も打ち破り始めたので、上昇にかけることにした。 ただ、一日の動きの激しい銘柄なので、安めに指値を出しておいた。 おとといは、金が暴落した。 俺は、試しに金貨を買った。 アメリカは今、いわゆる双子の赤字を抱えている。にもかかわらず、減税策を続けている。 これからアメリカのベビーブーマー達も、定年を迎え始める。アメリカの出費は増える。すると、国債を乱発するだろう。 市場も、早くもそのことに気づいたのか?ドル安が進んでいる。もし市場がそのことに気づいたのが理由なら、ドルの信用低下は一時的なものではなくなるはずだ。 すると、有事の金が上がることになるという予測がある。俺も、その予測は当たると思う。 アメリカ市場が暴落したら、世界はその被害を逃れないだろう。もちろん日本もだ。 ノアは、照りつける太陽の下、砂漠のど真ん中で箱舟を作った。馬鹿にされ、笑われた。 俺も、今のうちに箱舟を作り始めている。オプションのゲームを始める予定だ。初めは株の保険として考えていたけど、金のオプションがたまたま使える位置に入ってきた。 リスクヘッジという言葉は、今年の俺が学んだ言葉だ。 かつての俺は、全く前へ進むだけだった。 これからは、違う。
2004年12月11日
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「ウチの娘、よろしくお願いします」 今日体験入会したコの親は、そういった。 「えっ?何ですって?私は専業主婦じゃないんです。忙しいんです」 明日体験入会するコの母親は、電話口でそういった。 前者に対しては、俺のもっているシステムなりやり方で、どうにか力になってやりたいと思う。従って、入会してほしいと思う。 後者に対しては、正直、入っても入んなくても構わない。こういう親は、入ってからも細かいところに口出しばかりして、自分の思い通りにいかないとやけを起こして退会することが多い 今日はバイトのB君が休みなのを忘れてて、生徒がオーバーしていることに、昼前に突然気づいた。 や・ば・い・・・ 頭はいいが扱いづらいA君は、まず選択肢からはずした。仮に頼んでも、自分の予定を優先する性格なのが、分かってきたこともある。 まだ新入りのCさんには、ちょっと荷が重いだろう。でも彼女には、ここで経験を付けさせたい。電話を入れる。でも、ベルが鳴ってるだけ。 シンガポールに行ってるとき、ひとコマお願いした投資家Wさんのご自宅に電話。「残念ながら、Wは携帯もってないんですよ・・・」連絡とる手段なし。 ああ・・・答えなんてあるのかな・・・今日中に、いや、午後一にはどうにかしなきゃならない・・・・ 答えは・・ あると思えば、ある。 ないと思えば、ない。 うーん・・・ 中学の友人で、今は自分で法律事務所をもっているKがいる。夏前に、久しぶりに話したことがあった。電話を入れてみる。彼は司法書士の受験勉強時代、塾講師の経験があり、かつて俺にバイトを紹介してくれたことがあった。 「あ、いいよ」 やったー! 「あ、あれね。どうにかなったよ。ありがとう」Cさんからの電話に答える。 そこで切ってもよかったんだけど、一応聞いてみた。 「今日はどうにかなったからいいんだけどさ、もし授業見学とかして力つける気があるなら、来てもいいよ」そしたら、ちょっとした事務仕事も頼むし、と言った。 「じゃ、行きます」 こうして、今年もバタバタしながら暮れて行く。
2004年12月04日
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ちなみに、一日中家にいるのが嫌いで苦手だ。 ところが、自営をやっているから、わりと家から出ないことが多くなる。 朝、習慣にしているジョギングに出ようとしたけど、メールチェックが済まず、加えて23日に銀座で行う「忘年クリスマス会」企画の申込み受付などをしているうちに、昼になってしまった! 仕事でコピー機を入れる計画なので、午後はコピー機の営業マンが来訪。 今日来るはずのバイトが、突然風邪で休むと言い出した。代わりの人を探す。 19日に行う「ボーリング大会」の企画のため、ボーリング場に連絡。 年賀状のための住所整理を始めようとしたら、新しいソフトの使い方が分からず、友人に電話。 それから・・ そうこうしているうちに、陽が傾いてきた。昨日の先物営業マンが置いていったオプション取引の手引書を持って、ちょっと外へ出る。 そしたらもう夕方。 仕事が始まり、忙しさが増してくる。面白いことに、忙しいほうが楽しい!だとしても、手が離せないときになって、突然の来客が来たときは、初めは「こんな忙しいときに!」と思った。 インターフォン越しに聞くと、彼らはウチの塾の話を聞きたいという生徒とそのお母さんだった。 このビジネスを立ち上げたばかりの頃は、いくら努力しているつもりでも、生徒がなかなか集まらなかった。なのに、今は向こうからやってきてくれる。 「神よ、なぜなんだ」 すると、神はこう答えたように聴こえた。 「お前を最初から楽にさせなかったのは、こんなとき図に乗るからだ」 もし最初から何の苦労もなく人が集まってたなら、「人は向こうから集まって当然」と、鼻を上に向けていたに違いない(自分の性格から言って、それはかなりの確率、あったと思う)。 でも、今は心のなかでこう言う。「ありがとう!」 「では、よろしくお願いします」遠くからやってきた母娘が、帰り際に戸の所で頭を下げた。俺は彼らよりも一層深く、頭を下げた。
2004年12月03日
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4月から準備を続けてきたシンガポール・プロジェクトが昨月中旬、終了した。 何がなんだか分からない中を、とにかく手探りながらもがき続けた春。 一生の感情を僅か一ヶ月のうちに経験したような、夏。 ただ必死に走り続けたり、、意外なほど穏やかな日もあった秋。 そして、達成感と喜びの、企画の大成功。 しかし、夏から今に至るまで、ずっと考えててまとまらないことがあった。 意志ある男達なら、今回の経験を次へ繋げていくだろう。確かに俺も、何度もそう考えたし、長い距離では繋げていくことだろう。 でも、最近になってようやく、答えが閃くように出た。 決めた。最低来年の4月までは、この小さなビジネスに専念しよう、と。 今回の国際的プロジェクトと比べて、今の自分のビジネスは、あまりに小規模だ。それは、太陽と月ほどの差がある。 俺は、小さな世界に閉じ込められているのは、本当は大嫌いだ。 他人と組んで新しいプロジェクトを進めることは、俺自身を鍛え、さらなる成長を遂げることができることだろう。そして、自分はそういう大きなプロジェクトに向いている。 確かに、今すぐにでも、今回のような規模の企画を手がけることは可能かどうかと聞かれれば、可能だ。実際、ビジネス提携の話がないわけじゃない。 でも、もしそうすれば、手元にあるこの小さな教育ビジネスは、今のシステムのままとなり、これ以上育たない。 今回シンガポール・プロジェクトを中心になってまとめてこれたのは、今年頭から4月にかけて、当時一緒に働いていたM氏と俺が、じっくりと時間をかけて作り上げたシステムがあったからだ。そのため、昼時間をプロジェクトの準備へと投入できた。 このビジネスをもうワンランク上に持って行った先には、もっと大きな自由と、もっと大きなことができるようになるだろう。 だから、決めた。しばらくは地味に行こう。 地味でも、将来大きな花が咲く土壌を作るために、鍬をもって土地を鋤こう。
2004年12月02日
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今、時計の針は深夜12時を越えた。 仕事(?)は今さっき終わった。 今日はB君登板の日だった。彼には全幅の信頼を置くことができるので、普通に(つまりいい状態で)仕事を終えることができた。 今、冬期講習の準備に追われている。生徒のどこが弱いのか、情報集めを始めた。これを分析し、講習会に役立てるのが、我がビジネスシステムの目指すところだ。 ところで、明日はB君と中国株中級セミナーを受講することになっている。経営学部ではあっても、B君は株のことはまだ知らないから、業務終了後に俺が「ミニ講座」を開くことにした。そうすれば、明日(もう夜中過ぎたから、正確には今日)のセミナーを理解することができるだろう。 その話を、まだ入ったばかりのCさんにちらっとしたら、「私も行きたい~」ときた。株とか興味あるタイプには見えないけどなあ~。 「私、株とか全然わかんないんです」 へぇ~、それでも来たいというのか。その向上心は岡ひろみ張りだな。それなら、連れてってあげよう。 ということで、彼女も「ミニ講座」に参加した。 で、需要と供給、チャートや出来高の見方、中国経済と世界経済の話、A・B・H・レッドチップの別、外国為替の話、ペッグやPERなどのちょっとした専門用語、 それから、それから、 調子に乗って、その先まで行ってしまった。 空売り。ヘッジファンド。 20世紀末のタイ・バーツ暴落のしくみから、その先ロシア経済まで狂わせたアジア通貨危機。 それから、 と言ってたら、Cさんの最終電車まであと10分もないことが判明!さあ大変! B君と3人で、近道を通って駅へ。 間に合ったかなあ~。
2004年11月27日
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東京・神奈川に住んでる人に、おすすめの場所がある。 海芝浦。 東海道線の鶴見から、黄色い鶴見線にガタゴト乗って、20分くらいのところにあるこの駅は、JR駅の中で唯一、駅前が海の駅だ。 今日は天気がいい。自営のいいところで、今日は考える日・感じとる日に決めた。 鶴見駅で鶴見線に乗り込むと、*行き先が海芝浦ではなかった。時刻表を見ると、海芝浦行きは出たばっかりで、あと50分ほど来ない様子。 ま、いっか。とりあえず*浅野まで行ってみよう。 日差しがレモン色からやや赤みが加わった頃、浅野駅を降りる。 名案を思いついた。 「そうだ、歩いちまえ!」浅野から海芝浦までは、わずか2駅しかない。 人の色のない、広い直線道。行く手右には倉庫などが無機質に並ぶ。左手にはさびついた単線の線路、その向こうは、海まで続く運河が横たわっている。 やがて直線道にゲートと、標識が現れた。 「ここから先は、当社の敷地です」 「海芝浦へ向かってるんですけど」 そこには、20代中頃の警備服を着た管理人がいた。 「誠に申し訳ありませんが、海芝浦へ行くには、電車しかありません」 管理室の手前左には、新芝浦駅の小屋が建っていた。 「でも・・・電車はまだ当分来ません」 「そうなんです。一時間に一本ですから」 次に出そうな質問を、彼は微妙に察知した。 「でも、ここから先は当社の敷地なんで、通れないんですよ」 わかりました、と言って頭を下げ、今度は線路に入ろうとした。 「あ、線路もダメです」 あ~あ、釘打たれちゃった。 道は行き止まり。 線路内を歩くのはNG。 電車はまだまだ来ない。 駅はあと、たったの一駅。 何か他に、手はないか。 線路やホームに沿って、横たわる運河。河口まで、わずかあと300メートルに迫っている。T字にぶつかる河口の向こうに、石油コンビナートが見える。 あそこを曲がると、一気に景色が広がるんだ。 俺は、数段しかない新芝浦駅の階段を登らず、反対に、運河に飛び降りた。 コンクリートの上を、ひたすら歩く。時々波がやってきては、行く手を遮る。タイミングを計りながら、歩く。 コンクリートの幅は、わずか50センチほどしかない。ときより10センチほどのところもある。乾いているところはいいけど、波をよく受けるところや、排水溝周りには苔が蒸していて、滑りやすい。 歩く。進む。歩く。進む。 ときどき、フジツボが固まっている。 ついに河口まで辿りつく。そこには、どこまでも大きな風景が広がっていた。向こう岸のコンビナートのある埋立地を見ながら、右折する。すると、大きな夕日が、俺の目の中の水晶体を刺した。 手で赤い日差しをよけながら。 なんてすばらしい夕日だ・・・・・。 左手は、海。 右手は、コンクリートの壁。 下は苔でぬかるんでいる。滑ったら海に落ちる。 ついに、波にぶつかる。靴とジーンズのすそはびしょぬれ。こうなったら、もうぬれるのは怖くない。 歩く。進む。歩く。進む。 まさに、夕日に向かっている。 しかし、このまま歩いても、海芝浦駅へ「上陸」できる保証はない。 護岸の上に、駅が見えてきた。 コンクリートの「道」は、その先で終わった。 「どうしよう・・・」 170センチはありそうな、高い護岸を登らないと、上陸できない。陸はさらに、その上にある。 下はぬかるんでる。タイミングを誤れば、海に落ちる。 でも、やるしかない。 肩にかけていたカバンを、放り投げる。 それから、170センチのコンクリート・ブロックに飛びつく。こういうのは、少年時代に慣れてる。 腕がしびれる。身体が止まる。 うっわ~ 持ちこたえろ! 懸垂のように、腕の力で身体を引き上げて、自分自身を救った。そして柵を乗り越えると、無事上陸! 海芝浦の風景はいつだって心を洗ってくれたけれども、今日の風景は、さらにいつもと違っていた。それは、自力で手に入れた景色だった。 ふとベンチに放り出した黒いカバンを見ると、白いコンクリートの粉がくっきりついたままだった。 *支線だらけのこの線は、行き先によって、行き着く駅がまちまちになる。 *海芝浦駅へ行くには、この駅で乗り換える必要がある。ただし、この駅から発車してる電車はない。
2004年11月24日
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そしてこのまえの日曜は、アズマさんと、彼の紹介のジェルミーという、年はまだ20代半ばながら会社を持っている、一人の芸術家と会った。そして丸ビルのハワイアンバーガーで、オニオンリングとフレンチフライをつまみながら、ハワイアン・ビッグサイズのビールを飲んでた。 アズマ氏が新幹線に乗ってから---ジェルミーとはこの日が初対面だったにもかかわらず---同じ芸術家として妙に気が合って、銀座の街へとふらふら出向いた。 ここでまたビアホールに入り、大ジョッキをぐびぐびと・・・。ジュースを飲んでるジェルミーを見てると、これが俺の、ちょっと前までの姿だったのかと思うと、隔世の気がする。。。。 お互い芸術家で、 実業家でもあるわけで、 しかし俺達、ここまで真剣になって芸術を、世界のために語るなんて、素晴らしくないか!この瞬間のために、今日まで生きていたんだ、そうも思えた。 俺達は、自分達がそうだから、芸術家の習性をよく知り尽くしている。 アーティストは普通、孤独だ。自分の作品に命を賭けているわけで、 だから自分の世界を持っていて、 だから他人と世界を分かち合うよりも、自分の世界に閉じこもりがちで、 それで、「自分は理解されない」と不満をいう。 芸術家は「現実」や「実際」から異様に隔絶できる特徴があって、 だから、 本当のアーティストは世界にばらばらに点在しがちで、ビジネスマンのように、なかなか一箇所に集まらない。 そうして、孤独で苦しい一生を歩む。 ところで、ビアホールでジュースを飲んでるこの男は、会社をもってる実業家でもあるわけで、イギリス、またはクロアチアの不動産情報を送ってくれることになった。 実業家も芸術家も、夢を持っているという点では一緒だけど、 一方は実利的なものになりがちで、他方はその正反対。 この「違った国の人たち」のカルチャーの隔たりときたら実際、火星人と冥王星人との違いがある。 実業家というのもまた、芸術家の側からみると困った人たちで、 何でもカネや数字にしてまいがちだ。 反対に、 芸術家というのもまた、実業家からみれば付き合いづらい人達で、 運転資金など現実問題を考えずに、理想や不満ばかりを言い、 何の実利もないことに、無駄に時間を過ごしているように見える。 その上、 理解されるように「プレゼン」しないでおいて、「理解されない。世界が違う」といって自分で扉を閉じてしまう、とっつきづらい民族だ。 ところがジェルミーも俺も、たまたま、その人生経験の中から、その両面について知っている。 カネは人体に例えれば血液だから、必要なものには違いないけれど、目的をしっかりさせなきゃ、単なるカネの亡者になる。それじゃあ、人生は薄っぺらになることを、よくわかってる。 これじゃ、どうりで酒が進むわけだ。
2004年11月23日
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「パリって、どんな街ですか」世界を旅してて、パリは最も印象に残った街の一つだった。俺も、できればあんな街に住んでみたいと思う一人だ。 「パリはね」来日中の芸術家・アズマさんは語った「自由なところ。何でも好きなことができる。そして、最後は狂い死にする」 お互い右脳人間なので、俺にはわかる話だけど、ちょっと言葉が足りないと思うので解説してみる 好きなことをやる →確かにそのときは満足する →ところが、多くはその場限りの享楽になりがちだ →長期的には身も心もボロボロになって、狂い死にする 最近の日本のような国では、世論として「好きなことをやる」ことがいいことだという、なんとなくの流れがある。(それは、裏を返せば、なかなか好きなことをできないことでもあるけど) なぜ「好きなことをやる」のがいいのかと理由を聞くと、たいていの人は「あとで後悔しないため」と答える。 実は、俺自身がその最たる人間だった。 アメリカに住む。 北米・南米へ飛ぶ。 東アジア・東南アジア・中東へ飛ぶ。 西ヨーロッパ・東ヨーロッパへ飛ぶ。 アフリカへ飛ぶ。 その結果、悔いがないかと言われれば、あまりないかもしれない。もっといろんな世界を見たいという好奇心を黙らせておけばの条件付きだけど。 もしも人生の答えとは、これだけで済む単純なものなら、俺は人生の成功者の類に入るだろう。 でも問題は、こうした体験から、もっと深いものが見えてきたのだった。 それは、好きなことをやって生きてるだけでは、大きな何かが足りなくなる、という、一見矛盾する真実だった。
2004年11月20日
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それは5年振りの再会だった。パリ在住の芸術家・アズマさんとサントリーニ島。 5年前の3月、アテネのピレウスから船に乗った。風はまだ肌寒かった。 エーゲ海の碧い海を南へ向かって。 島から島へ。 そして 目に染みる風景、 サントリーニ島。 あれから、いつでも心のどこかに共存している。 アズマさんは昨日東京にやってきて、初めて再会することができた。 素晴らしい経験は、時間が経つにつれて、頭の中で理想化されることがある。 ところが、サントリーニの場合は逆だった。こんな素晴らしい光を、都会の喧騒のなかでいつしかトーンを落とし、鮮度を落とし、透明度やカラーを知らず知らずのうちに落としていたことに、アズマさんの持ってきた写真を見ていて気づかされた。 サントリーニは、物理では説明できないことが多すぎる。 あの海の色は、宝石のような碧というだけじゃ伝わらないし、 あの太陽の光は、明るいというだけじゃ何も話したことにはならないし、 あの夕日の色あいは、この世のものとは思えない神秘だといっただけじゃ、おそらく何も語ったことにならないし、 あの白壁や路地、教会、崖に作られた町の光景は、なんど「すごい」と言ってはみても、伝わらない。 あの島には青春がある。 あの島には一瞬がある。 あの島は生きている。 あの島は神がいる。 あの島は真実に気づかせてくれる。 ギリシャから哲学者が出てきたことも、偶然ではないなと悟る。 あの島には、人が生まれてきた価値がある。 「とっても美しい若い女性がいる。その人は外見も心も美しい。そしてそのままずっと、若いまま年を取らない」 俺はじっと、耳をそばだてた。 「その人とは、サントリーニ島だよ」アズマさんは言った。 そして続けた。 「もちろん美しいだけじゃない。怖さも持っている。あの島は、女神だよ」 俺は、ただうなずいた。
2004年11月19日
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「飛行機は、まもなく新東京国際空港に到着します・・・」 窓の外を眺めると、雲の切れ目から利根川が、霞ヶ浦が、小高い丘や谷が、畑が、民家が、道路を走る自動車が見えた。 「ついに、ですね」隣に座る、N社のFさんに、独り言のように言った。これだけで、全てが通じるのだった。 ついに、一つの大仕事が終わった。 「通常ならここで解散ですが、今回は、ですからね」Fさんは、バゲッジ・クレイムから荷物を取り出してデパーチャーゲートを出てから、参加者に再集合をかけた。 Fさんの目は赤かった。 それは、男泣きだった。 Fさんの挨拶のあと、俺が引き受けた。 Uさんと目が合った。幸せそうな目をしていた。 ここまでいろいろあったけど、この企画、やってよかった。みんなの目が、輝いている。 それから、解散をかけても、なかなか散らばっていかない。停滞し続ける台風のように。 最後まで残った10人ほどの熱帯高気圧は、喫茶店へと向かった。俺はここで皆に手を振り、駅へ向かった。 すると後ろから、Yさんが、ほんとうにありがとう、と、階段を駅へ下りる俺に問いかける。 「こちらこそ、本当に・・・」俺は、心の中で何度もつぶやいた。 Yさんは、視野から消える最後の瞬間まで、手を延ばしていた。そこには、感謝と感動が込められていた。 言葉じゃないね。 窓口の人に、次のスカイライナーまでかなり時間があるときいて、普通の特急に乗り込んだ。すると、そこにスキンヘッドの参加者・Mさんがいた。ガタゴト揺れながら、走る電車。シンガポールでのことを、語りながら。 Mさんとがっちり握手をして、山手線を降りる。走り行く山手線に手を振ると、俺はついに一人になった。 今だから言える。ここまで不安がなかったわけじゃない。全てが新しいチャレンジで、大きな壁が何度も何度も俺の前に立ちはだかってきた。 でも、絶対勝てると信じてた。
2004年11月13日
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夜更かしし過ぎて、待ち合わせ時間に起きるという失態から、この日は始まった。取るものを取り合えず、パックに詰め込み、ホテルを駆け下り、バスに飛び乗る。みんなに頭がしばらく上がらない。 近代都市からジャングルへ、バスは疾走を続ける。 やがて海が見え、国境に来た。 橋の真ん中が国境だという。陸に辿りつくと、小さな税関があった。パスポートに印を押すお姉さんの顔が明るい。普通、この種の仕事の人は、しかめっ面しかしないものだが。ここはマレーシアだった。 木造の、傾いた家。ドーム寺院にはアラビア語。品物を売りつけにかかる人々。シルクを被る女性。中華系だった顔が、ここではマレー人ばかりだ。 海辺に建つモスクの周りを歩くと、海が見えた。そして、その向こうに彼国が見えた。 ここから見ると、シンガポールなんてただの島に過ぎない。なのに、この国よりも経済力があるなんて、直感的には理解できない。あの小さな国が、東南アジア一なんて、なおさら理解するのに時間がかかる。ここに、法の力の偉大さを見る。 マレーダンス。王の家の訪問。灼熱の真夏の太陽の下を、マレー人のガイドさんが案内してくれる。 橋を渡る。バスを降りる。 「バスの中に、荷物は残さないでくださいよ。テロがあってから、チェックが厳しくなってますから」ガイドはいつものタンさんに戻る。 近代的で大きな税関を通り抜けると、ここはシンガポールだった。橋一つで、20世紀から21世紀にやってきた感じがした。 「ビールをバスに置いてった人、いますか」いつも明るいタンさんの顔が、険しい。参加者はその様子から、一様に事態を察知した。 そういえば・・・・昨日のつまみとビールを、バスに持ち込んでみんなに回したっけ・・・・や・ば・い。 検問警察に付き添われ、税関の向こうへと渡る。それから、別室に連衡された。 酒には酒税がかかるという。シンガポールで買った酒ですよ、というと、即刻放免となった。 「テンダラー!テンダラー!」 バスに戻ると、みんなが合唱した。ロバートのセミナーでは、遅刻者は10シンガポールドル払う規則になっていた。 ホテルに到着すると、中華街へ出向いた。シンガポールの最後の瞬間まで楽しみたい。 チキンライスとフィッシュボールヌードルを食う。チキンライスはご飯によく味がしみてて、うまい!フィッシュボール・ヌードルにはドライタイプとスープタイプがあったが、両方取った。つまり、両方食い終わるまでに、腹いっぱい。 4時にシンガポール側からNさんがくるはずだった。出発が遅れただけでなく、ホテルを間違えたらしく、フラマホテルにたどり着いたときには、もう5時だった。 彼女はまだ見た感じ、20代中盤か、もしくは後半か。俺が仕事をしていた相手は、こんな華奢で若い女の子だったのか。この小柄な中華系マレーシア人が、あのロバート・キヨサキを日本に呼ぶ尽力をしたり、クリントン元大統領をシンガポールに呼ぶ段取りを整えたとは・・・。 6時。バスに乗ると、免税店に寄ったついでに街にでる。賑やかで、清潔で活気がある。 室内のレストランならあるけど、この街の雰囲気を味わえるところがいい。そうしているうちに、交差点にぶつかった。これ以上行くと、遠くなってしまう。 うーん、困った。どうしよう。 そうだ。俺は一体、何を求めているのか、考えてみよう。 オープンエアで、みんなが話せるところ。値段は安いところでいい。 すると不思議なことに、そういうところがいきなり現れた。 8時15分。バスが空港に向けて走りはじめる。 車内で一度だけ、マイクを持って、みなさんにお礼を言った。 11時半をまわる。飛行機に乗り込む。 やがて、滑走路を滑り出した。 今回の企画は、Fさん・Uさんの協力があって達成できた。 さまざまな思いを胸に、機体は宙に舞った。参加者全員の思い出と共に。 さようなら、シンガポール。さようなら、俺の2004年。
2004年11月12日
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外はやや太陽光線に赤みが帯び始めていた。会場前の広場には、多量の人がはきだされ、まき散らかっていた。 ざわめきの中から、ふと呼び声が聞こえた気がした。 「今回、こういう機会を作って頂いて、本当にありがとうございます」 沖縄から参加されたTさんだった。 「いえ、こちらこそ・・・・」あとに言葉があまり続かなかった、Tさんの真剣な眼差しを見ていると。 瞳が全てを語っていて、握力がそれを補っている。言葉は、単に付け足しに過ぎない。 「本当に、本当に・・・・・来てよかったですよ、バルドゥビーダ人さん・・・・本当に・・・」 言葉でこの感激を、何と言ったらいいのか分からない。俺の方からTさんに、感謝に感謝を伝えるものは、握手の力だけだった。 最後の晩餐会。それぞれ自己紹介を行い、会は楽しく進んだ。ここで生まれた友情を明日へと残すものだった。 今夜はよく眠れる。そう思ったら大間違い。ホテルに帰ってからも、おととい同様、俺の部屋に同ホテルの人たちほぼ全員が集まり、明け方近くまでタイガービールを飲み、語り明かしたシンガポールの最後の夜。
2004年11月11日
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ついにセミナー最終日を迎える。 N社のFさんと、現地ツアーガイドのタンさんと私の3者は、この日「ナイトサファリツアー + 食事会」を企画していた。それいいね、という参加者が、7日の時点ですでに4人いた(5人からツアー催行)。 ところが、昨日のホテルへ向かうバスの中で、タンさんが出席者を募ったところ、時間の都合で「ナイトサファリツアー」のみになったこともあるけど、なんと一人も手を挙げなかったのである! 代わって、参加者の中から「みんなで集まって食事会をしたい」という機運が生まれていた。そこで、オプショナルツアーを「食事会」へと変えた。すると、7割程の方が参加希望となった。 今日のロバートも熱が入っていた、イコール厳しかった。 私はプラチナ席で学ぶ幸運を得、旅行主催N社のFさんには全幅の信頼を置いている。素晴らしい。昔バンドをやってたころ、『練習で苦しみ、ステージで楽しむ』という方程式を経験から学んだが、その方程式はここにもあてはまった。これまでいろいろあったけど、シンガポールに来てからは、学べて、楽しめて、人のできない経験をして、会えない人たちと出会っている。 会場には、この企画を請け負ったばかりの頃にシンガポール側の担当者だったナナさんが、私に会いに来てくれた。 問題は、彼女はなかなかの美人だったことだった。一瞬、咳き込みそうになった。。。。。そういう想定はしてなかったぞ。 思えば、いろいろあった。 企画面での打合せ。 通訳人についての打合せ。 契約面での打合せ。 それらについての、細かい打合せ。 遅々として進まない、日本サイド。 繁忙で返事の遅い、シンガポールサイド。 急ぎの連絡では、国際電話を使った。それが、次第に特別な手段じゃなくなっていく。 繰り返す契約書のアメンド。両側の意志が一致するまで続く。それはそれは、気の遠くなる作業だった。 Uさん経由でようやく通訳グループが決まり、それに伴う条件面についても固まりかけ、 細かい契約面についても、ようやく大筋が見えてき始めたそんな6月下旬のある日のことだった。 「実は私、今月末でこの会社を辞めるのよ」 「えっ?!」それは、晴天の霹靂だ「よく聞こえなかったです。もう一度言ってくれますか」 「今月末で仕事やめるのよ」 「今月末って、もう今は月末じゃないですか」 「そうよ」 私は、青ざめ始めた「君にもいろいろ事情があると思うけど・・・・それ、非常に困りますよ」 「大丈夫。リチャードに引継ぎしとくから」 CEOが実務までできるはずがないことは、明白だ。 「それに、仕事を離れても、わからないことがあったら、私がフォローするわ」 そのあと、予想された事態が起きた。連絡はうまくつながらなくなり、ナナのフォローはあまりなかった。業務がベロニカ夫人に受け継がれたのは、それから2・3週間程たってからのことだった。 しばらくして席に戻ると、セミナーはフィナーレを迎えていた。参加者の目頭は熱くなり、会場は熱気に包まれていた。 私の心も、感無量だった。
2004年11月10日
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シンガポール。二日目のロバート・キヨサキのセミナーは、朝9時から始まった。内容はここで詳細には取り上げないけど、人生がひっくり返るくらいすごかった。 ところで、このセミナーにはVIP(普通の席)とプラチナ(前列の予約席)があって、プラチナシートの人にはラウンジがあり、食事もつく。東南アジア各国の人たちと、名刺交換したり、通訳の人たちと楽しく話したりしながら、昼食を取っていた。 そこに、今回のセミナー主催者であるリチャード・タン氏が通りがかった。 「リチャードさん、お忙しいでしょうけど、近いうち時間取れません?」 人間は「どうせダメだ」という言い訳をよく使う。会場は騒然としていて、リチャードさんは明らかに忙しい。 それに、向こうはアジア一の大手セミナー会社のCEOだ。それに引き換え、こっちは町中で小さな塾を経営している存在だ。 それに・・・・それに・・・・ 言い訳は、やめろ。 会社の規模?そんなの問題か? 俺は俺。リチャード氏はリチャード氏。一人の人間どうし。 それに、こうして日本側の代表として、4月からこの企画運営に必死で関わってきたのだ。 夜9時終了の予定が、オプショントレードの話が過熱し、ロバート氏と彼のチームが舞台を降りたのは、真夜中11時をまわっていた。 クリスマスのネオンを着始めたシンガポールの街中を、さわやかな疲れとともに走るバス。 「バルドゥビーダ人さん、ちょっと」U氏が手招きした。 「今夜、リチャードが来ます」 「わざわざ俺のために、このホテルへ向かえに来るっていうんですか?」2000人の熱気の、一日がかりのセミナーの映像が、まぶたに浮かんだ。 「ベロニカ夫人も一緒にきます」 実は、私の心の中は、静かな準備ができていた。 ふと腕時計を見ると、短針までも12を指していた。 緑色のベンツが、フラマホテルの玄関に到着した。リア・シートに滑り込むと、タン夫婦と一人ずつ握手する。 「私達、よくこの店に行くんですよ」ベンツが止まったのは、よくある庶民のレストランだった。 私は、こういう店に来たかった。ホテルの、おあつらえ向きのかしこまった食事でなく、現地の人が食べている味を知りたくて、その機会が今回意外な装いでやってきた。 食事は楽しく進んでいる。 でも、ちょっと待てよ。そういえば、なぜこんなに旧知の友達のようなんだろう? リチャードさんは、シンガポールの大立者だ。この人の人脈はロバート氏に限るものではない。目の前に座って鍋をつつくこの男は、驚くことだが、世界の著名人を人脈に持つ。 不動産王ドナルド・トランプ。 ソ連最後の大統領ゴルバチョフ。 前アメリカ大統領ビル・クリントン。 世界一のコーチ アンソニー・ロビンス。 彼らは、穏やかそうなこの小柄な男の誘いによって、皆シンガポールで講演をしている。 そんな大立者が、このどこの草むらから出てきたのかわからないバルドゥビーダ人に、上から見下すこともなく、指示するようでなく、横から水平に一人の人間として、友達のように接している。その態度は、ベロニカ夫人も同じことだった。(というか、バルドゥビーダ人も同じことだった) 彼らを私につないでくれたU氏は、どこにも恩着せがましいところがない。 ついこの前まで、お金がなくて5年間もジーパン一つ買えなかった男が、今上流階級の輪の中に同席している。俺は、タイタニックのジャックなのか。 いや、人間にとって大切なことは成長じゃないだろうか。こうやって、俺も変わっていく。 もう後戻りできないところへ向かって、山と谷のある道を。
2004年11月09日
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一日目のセミナーが終わったのは、午後11時。ホテルに向かうバスに揺られながら、ロバート・キヨサキの知恵を反芻していた。 そんなとき、参加者の一人が振り向いて「復習会やりましょう」との提案。フラマホテルの参加者は、全員俺の部屋に集まる。 なんて熱心なんだろう!この日記を読む人は思うかもしれない。なにしろ、夕方6時から夜11時のついさっきまで、みっちり投資について、ビジネスについて、人生について叩き込まれてきたばかりなのだ。 でも、ロバート氏の知恵を知りたくて、会社を休んで身銭を払ってここシンガポールまで来ている人たちだ。「1マイル先へ進む」ことはの大切さは、みんなよく分かってる。 全員で輪になって、一人ずつ今日のセミナーの感想や、分からなかったところの質疑応答をしていたが、どこからか脱線し、ライフ・ストーリーを語るようになった。 明日(11/8)のセミナーは朝9時から夜9時までの、ハードなものになる。
2004年11月08日
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半日市内観光に参加した。 ガイドのタンさんは、60代後半の中国系シンガポール人。笑い方に特徴があり、すぐにみんなの人気者になる。 マーライオン。高層ビル街。シーサイド。植物園。丘。近代国家シンガポールは、私達を待ってくれていた。 すでにこの時点で、「海外旅行」としては大いに楽しめたものだった。 シンガポール・エクスポの夕刻。ついに壇上には、あのロバート・キヨサキ氏が現れる。
2004年11月07日
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久しぶりの海外だ。今年から海外旅行に出るのをやめたばかりだが、こういうときに限って仕事で日本を出るのだった。 旅立ちの成田。30名の参加者と名刺を交換する。 夕刻に、シンガポールに着く。 実務一切を取り仕切ってもらう日旅F氏と、現地観光案内のタン氏の協力によって、参加者同士の親睦会を開く。 ホテルはヨークとフラマ。私のいるフラマでは、全員でコンコルドホテルへ出向き、バーに行って、シンガポール・スリリングを飲む。 この瞬間を、どれだけ待っていたことか。 シンガポールで、未来の仲間達と酒を飲む。 禁酒は、ようやく解けた。
2004年11月06日
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いよいよ、明日シンガポールへ旅立つ。 この半年間を振り返るのは、帰国の飛行機の中にする。 そして、この日記が初めて、現実と現在に追いついた。
2004年11月05日
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車を運転する人が車を運転するのは、当たり前だしすごいことじゃない。 じゃあ、車を運転したことのない人が車を運転することは? これはすっごいチャレンジだ。 経験のないことにトライすることは、いつでもどんなことでもすっごいことだ。 そして、経験するとそれはいずれ当たり前のことになる。考えてみれば、これもすごいことかも知れない。 シンガポール企画のために、日本側の売り上げを初めてシンガポールに送金した先月末。それは未経験のことだったから、前の日の朝起きたとき「ああ、ついに明日か」と独りごとを言った自分がいた。何しろ、9月末に日本側の売り上げをシンガポールへ送金することは、6月から決まっていたことだし、9月の目標でもあった。 外国為替送金の窓口にいけば、初めて見る書類が待っている。「あ、あのぉ、、、今回初めてなんで、分からないことだらけです。いろいろ教えてください」担当の中年女性を力なく見つめながら、力なく声にした。 言葉だけは丁寧で、心はぶすっとしている担当者。責任は一切自分で取りたくないらしい。「それはオタクの書類をご覧になってください」の一点張り。 無事送金が済んで、銀行を出たときの「やった!」という気持ち。 それからの、彼国とのやり取り。計算があってない、とのクレーム。明細書を改良しての説明。説明に対する疑問。その説明。 今日は4回目の外国為替送金。何も特別なことじゃない。もうやったことのある、経験内のことだ。 運転したことのない人が運転することは、チャレンジだ。 運転する人が運転することは、何も特別なことじゃない。 俺のような自営業者、しかも設立一年余りしか経っていない小さな青色申告者が、海外優良企業と共に仕事をすることは、初めはチャレンジだったかもしれない。しかし今は普通のことだ。自分より遥かに規模のでかい会社の社長を呼び出し、ミーティングを主催するのは、最初はチャレンジだったかもしれない。でも今は普通のことだ。大手旅行会社とタッグを組むことは、最初はチャレンジだったかもしれない。しかし今はお互い信頼するタッグパートナー。 11月6日から滞在するシンガポールでは、どんなチャレンジが待っているのか、今から楽しみだ。
2004年10月28日
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こんな穏やかな気持ちで、この日を迎えられるとは、思っても見なかった。 今日は、ウェブ上での申込み〆切り日。 ウェブ上では、というのは、旅行社さんとのパックツアー提携(実質〆切り)が10月5日だったわけで、しかしそれからも申込者が続き、30人を集めることができた。 30人という人数を多く見るか少なく見るか。 一ヶ月の告知期間である。 本当に、たくさんの方の協力心があって、達成した数である。 だから、心から思う。 参加者の方たちにとって、今年度最高の出来事であってくれ、と。
2004年10月20日
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情報というものは、行き渡るのに時間がかかるものなのだろうか。 〆切りを終えても、参加申込みが後をたたない。いや、〆切りを終えてからの方が、参加希望者の問い合わせが多いのである。 日旅さんはこの企画に、大きな貢献をしている。こういうこともあろうかと、〆切りの時点で余計にパックツアー枠を取っておいてくれていた。なので、その余地分では申込者の方々に対して、不義理することはないのである。
2004年10月09日
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10月5日をもって、ついに「ロバート・キヨサキ ビジネス・スクール in シンガポール」の受付〆切りを行うことになった。 たった1ヶ月の告知期間だった。この情報が必要な人のもとへ、充分に行き渡ったとは言い切れまい。しかし、多くの人の協力があって、ここまで来たことを忘れてはなるまい。 日旅さんの好意で数名の枠を作って頂いたものの、今後は飛行機・ホテルの空き状況をチェックしながら、可能ならば発給していくつもりである。
2004年10月05日
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クレア・アカデミーは教育ビジネスで、学習塾である。立ち上げたのは、昨年6月。立ち上げ期の生徒数ゼロ。資本金ゼロ。 今では本業の塾からキャッシュフローも生まれるまでになっているが、海外送金は初めての経験だ。 ロバート・キヨサキ企画の日本側売り上げを、シンガポールのS社へ、初めて送金した。 前日までに、慎重にブレーク・ダウンを作る。 そして銀行へ。 さらにS社へ報告。 全てが不慣れなことだが、シンガポールから「ありがとう」の一言がきたとき、緊張感は喜びへ変わった。 参加者の支払って頂いた日本円は、これでシンガポールへ飛び、シンガポール・ドルに換わった。 参加者にとって、今年最大のイベントになりますように、と願いを込めて。
2004年09月29日
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昨年に続いて、ジェームス・スキナー氏の「成功の9ステップ セミナー」に参加した。これで2回目となる。 今回は、前回学んだことに対して、どれくらい分かっているかの確認が主な目的だったが、やはり発見することは多かった。 中でも一番の発見はこれだ。 成功者が口を揃えていう「秘訣」として、「欲しいものが何かを明確にして、信じれば手に入る」というものがある。これを宇宙最大の秘訣という人さえいる。自分も試したところ、4回試して3回成功している。 ものは仕組みがわかると、より理解でき、よりその知識を利用できることがある。医者は人体の仕組みを知り、理解しているからより知識を利用している。 この「秘訣」の仕組みの片鱗が、分かり始めた。 「9ステップ」では「火渡り」といって、火の上を歩く実習がある。これは、物理的には説明できない現象だ。 ところが、これを「エネルギー的観点」から見たときに、説明が可能なようだ(というか、それしかないだろう:もし「火」が実際は低温でない限り)。 つまり、状態管理から、人体のエネルギーの方が火のエネルギーより強ければ、歩けるというものだ。 「思考」はエネルギーだ。エネルギーが世界を変えるとしたら? 哲学は続く。
2004年09月26日
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そして今月(9月)から、告知期間わずか一ヶ月余の「ロバート・キヨサキ in シンガポール」の申込み受付が行われているが、同時にこの情報を必要としている人のもとへ、早く、広く告知をしていかねばならない。なので、セミナー受付をする一方で、代理店との販売・告知網構築を同時進行で行っている。 ある参加者から「私はたまたまウェブをサーフィンしていたら、たまたまバルさんのページに来まして・・・・」という声があった。まずい。私のページは、あくまで個人のページに過ぎないのだから。 さあ、明日もがんばろう!
2004年09月20日
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正式告知はここまで遅れてしまったが、この位置からもきっと何かできるはずだ。 俺はどうしたいのか。 俺は、この素晴らしいチャンスの価値に気づくことのできる人に、出来うる限りこの話を知らせていきたいのだ。 告知以前から行っていることの、手を緩めてはいけない。多くの力ある組織や個人に対して、提携網を築くことが、俺の今やるべき仕事だ。 この企画に参加する方は、決断をしてシンガポールまで飛ぶのだ。きっと、参加費用以上の手みあげをもって帰ってきて欲しい。 また、そうした決断の出来る人を、多く動員していきたい。
2004年09月10日
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11月7・8・9日にシンガポールで行われる、ロバート・キヨサキのセミナー情報を、どこよりも早くお知らせしよう。 今回は3日間みっちりとかけて、投資について学習する。ロバート氏はこのセミナーにかなり気合が入っている。 日本旅行がバックアップするこのツアーは、セミナー前後にフリータイムがあり、セミナーで仲良くなった人達とラポートを築くこともできるし、もちろんオプショナル・ツアーに参加することもできる。 コースはプラチナとVIPに分かれており、通訳付きコースに申込めば、日本語で受講できる。 ロバキヨのセミナーは大変人気が高く、定員で締め切ってしまうので、一刻も早い申し込みをお勧めする。 詳しくはhttp://www.1crea.com をご参照下さい。(お断り)クレア・アカデミー、日本旅行・東京北支店、SUCCESS RESOURCESは、The Rich Dad Company、CASHFLOW Technologies, Inc.、筑摩書房とは一切無関係です。これらの企業との事業上の関係や提携は一切なく同企業各社から後援や支持を受けているものではありません。
2004年09月03日
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