祝祭男の恋人

祝祭男の恋人

Apr 14, 2005
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カテゴリ: 小説をめぐる冒険




 実家には、正月でもないのに姉夫婦が遊びに来ていた。久しぶりに実家に帰ってきたのに懐かしくもなんともなく、むしろ訳もなく腹立たしかった。騒々しく引き戸を開ける音が聞こえた。

「寒いねえ、ほんと」姉の声がした。喉につっかえる癖のあるかすれた声だった。商売のつけが回ったのだ。酒を飲み、客としゃべる、それがついこの間までの姉の仕事だった。「どうもお」間の抜けたような姉の夫の声がする。母が玄関まで立って行く音がした。「シゲル帰って来とるの?」母がそれに答えるまもなくばたばたと足音が近づいたかと思うと荒々しく襖が動いた。
「まだ寝とる」茶色く染めた髪を結びもしない頭が、わずかに開いた隙間から現れた。「あんた、いつ帰ってきたの?」姉に顔には数え切れないほど、にきびや吹き出物ができあがっていた。ぼくは顔をそむけるように寝返りを打ちながら「昨日」、とわざと眠そうに答え毛布に顔を埋めた。「学校わあ?」ひどく高圧的な口調で姉は話す。「春休みよお、もういい加減起こしたってえ」と母の声がした。母が言うのが聞こえたのか聞こえなかったのか、どのみち姉は僕を叩き起こす。
「人がなんも言わんかったら、いつまでも寝とる」乱暴に掛け布団を剥ぎ取られたぼくは膝を小さく折り曲げ布団に残された温もりにしがみつこうとした。自分でも呆れ返るほどみじめな姿だった。「おら、はよ起きて」姉はぼくの頭を引っぱたいた。ぼくは必要以上に大きな動作で跳ね起き、化粧臭い姉を押し退けるようにして居間へ出た。寒かった。

「おはようさん」姉の夫が、居間のテレビでつまらない天気予報を見ながら目だけを少しぼくに向け、言った。母が台所で赤ん坊を抱いて立っていた。ぼくは、赤ん坊にはほとんど目もくれず流し台で顔を洗うと「飯は」と聞いた。
「何見とる、ここにあるがねえ」布団を片付け終え、奥から出てきた姉が怒るように言った。一膳のご飯と、魚の煮たようなものが居間のこたつに置かれていた。「味噌汁わあ?」そんなもの飲みたくないのにぼくは聞く。しかし、もう姉はぼくを相手にせずに、「ちょっとお、煙草はいかんてえ赤ちゃんおるのに、外で外で」と今度は自分の夫を追い立てていた。同じように頭を引っぱたかれた夫は、「寒いだろおがあ」と声だけ凄んでみせ、よれよれになったハイライトの箱に煙草を入れ直し、ぼくに気味の悪い苦笑いを見せながら玄関の方へ歩いていった。しょうもない。ぼくはくさくさした。こんなものはみんな茶番だ。昨晩と同じおかずで飯をかき込みながら、姉たちが気の毒な人間に映るほど冷たい視線であたりを眺めていた。

 ガラス窓は結露を起こし、だらだらと水滴が流れていた。それなのに、赤ん坊がいるために加湿器がつけられしゅうしゅうと水蒸気を噴出している。ぼくは長々と欠伸をし、目の端に盛り上がった涙の玉を指で弾き飛ばした。母が赤ん坊を抱いたままぼくの隣に座った。
「ああ、ユキちゃんもそろそろご飯にちまちょうねえ」と姉が猫撫で声を出し、母から赤ん坊を奪い取ると寒い寒いと言ってぼくの正面に座り、こたつに足を潜り込ませた。姉は赤いカーディガンのボタンを外し、下に着ていたシャツをまくり上げると更に下着を押し上げ乳房を出して赤ん坊の口に含ませた。


「だいたいあんた何しに帰ってきたの?少しは自分で金稼ぐこと覚えないかんわあ、さっさと東京帰りゃあ」姉はぼくの目を見ることなしにそう罵ったかと思うと赤ん坊の頭を引き寄せ乳房を顔に押しつけるように抱きしめた。息が詰まった。飯など食いたくなくなった。このまま母と姉と同じようにこたつに仲良く足を突っ込み空腹にせかされて飯を詰め込むのは馬鹿げている、どうしてかは解からないが何をそこまでして飯を食わねばならないのか。
「もう、いらん」とぼくは立ち上がり、一人どしどし奥の座敷に歩いていく背中に邪魔もの扱いにするような視線を感じ、勢い良く襖を閉めた。小さなボストンバックから着替えを取り出し、何のためにこんな場所に洗いざらしの下着をぎゅうぎゅう詰め込んで帰ってくるような真似をしたのかと自分を責めた。襖がそっと開かれ母が入ってくる。ぼくは構わず、すでに伸び切った綿シャツを乱暴に引き伸ばしながら脱ぎかかると、「あんた、タカさんにあとでちゃんとお礼言わないかんよ」と母が諭すように言った。姉の夫がパチンコ屋の息子で羽振りが良いから、妻の弟の生活費学費を全部出してくれる。随分景気のいい結構な話だ。ぼくは運がいい。だが、そのせいで母が姉の夫に頭が上がらず、ごく希に日曜の朝に孫の顔を拝ませてもらうだけの一人きりの生活に耐えなければならないのなら、そんな糞大学今すぐ辞めてやる。いや、あなたはぼくのことなど必要としてはいない。そうだ、ぼくはもう子供ではない。酒の味も、女の味も知っている。ぼくもどこにでもいる人間だ。シャツを脱ぎ裸になった上半身一面に細かい鳥肌が立っていた。その価値をもたない無数のぷつぷつ一つたりとも本当は自分のものではないような感情がぼくを捕えた。寝間着のズボンに手を掛けると母は部屋を出ていった。寒かった。体を動かす度にもうもうと埃が立ち昇るのがよく見えた。何だこんな生活。無茶苦茶だ。ぼくには何もなかった。愛情も希望もなかった。どこにでもいる当たり前の二十歳の青年のように早々と服を着て部屋を出た。赤ん坊を寝かしつけようとしていた姉が「どっか行くんか?」と聞いた。ぼくはそれには答えず、台所で洗い物をしていた母の背中に「病院、行く」と声を掛けた。
「しょうもない」姉が吐き捨てた。







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Last updated  Apr 14, 2005 02:00:45 PM
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