国際でき婚!”どうにかなるさ”育児日記

国際でき婚!”どうにかなるさ”育児日記

関係に亀裂



一緒に暮らしてると言っても実際に顔を合わすのは一日数時間程度。

休みも私は土曜・日曜、パパは水曜・土曜。

私が朝出勤した後パパが帰ってくるのでいつ帰って来てるか

日中何をしてるのか分からない状態でした。


それが私が仕事を辞め終日家にいるようになったことで関係に絆が深まるどころか

亀裂が生じ出しました。

パパにとっては終日監視、束縛されてるような気分だったようで

今までの状態の方が良かったと。

パパの収入は裁判費用に費やしていたので生活費は私が出していましたが

家事を一切手伝うこともなかったし朝食、昼食は出勤前に私が用意し

夕食も私が仕事から帰宅後用意。

それでいて日中は何をしようが全くの自由。

そりゃそんな生活の方が気楽でいいんでしょうが私は臨月に突入し

もういつ子供が産まれてもおかしくない状態にもかかわらず

全く父親、夫になるっていう自覚のないパパに情けなさと、呆れ、

それにマタニティブルーが加わって私の精神状態はもうボロボロでした。

裁判に負けた頃からパパのストレスも最高潮に達し、

パパの機嫌が悪いと(って言うか常に機嫌が悪かったのですが)

何かにつけ当たられ身重の私を邪魔者扱いし

その時受けた言葉の暴力、完全無視の態度は今もトラウマとなって私の心に深く残っています。

両親の反対を押し切り勘当状態までなり、

後に両親も認めてくれ私達のために色々手を尽くしてくれてましたので

両親に対しては幸せ一杯という風に装い私達の不仲のことは言えず

自殺を考えたこともありましたしもし子供が死産ならそれを契機にパパと別れられると

考えることはそればかり。

これ以上両親には甘えられないと出産前は実家に帰らず出産後1週間実家でお世話になる予定でした。

が、パパからうっとおしいから実家に帰れと言われ

予定を変更したら両親に私達の不仲を気付かれるんじゃないかと実家へも帰れず

自分の居場所はどこにもなくとにかく毎日毎日泣いて過ごしました。

私が泣くとパパはぶちギレるしほんと悪循環の毎日。

子供への愛情なんて感じれる余裕もありませんでした。


予定日3日前に無断外泊











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