国際でき婚!”どうにかなるさ”育児日記

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生い立ち 短大編



本命の大学を落ち、滑り止めの短大と大学2校受かりどこへ進学するか悩みました。

受かった短大は4年制大学の短大でしたので3回生から編入可能だったのと

早く働いてお金を貯めて海外に行きたい気持ちもあり

偏差値だけで選んだ大学に4年も通うのは時間とお金の無駄ではないかと

とりあえず短大に行ってその後どうするか決めようってことで

某外国語短期大学の3回生編入コース教職課程を専攻することにしました。

大学進学に関して両親は大学で遊ばないためにも学費は貸しで生活費は自分で稼げという

スパルタ教育(?)のせいでバイトにも精を出していました。

住まいは学校の寮で築50年はたってるような周辺では亡霊が出るとかいううわさの

超汚い○○荘。

4.5畳一間で炊事場、トイレは共同。お風呂はないので銭湯通い。

門限は夜の11時、外泊は申請して許可が必要。

もちろん連れ込みは不可。入り口で寮母さん家族が見張ってます。(笑)

電話の取次ぎは夜10時まで。

電話がかかってくると放送で呼び出されるので1階の寮母さんの部屋まで猛ダッシュ。

2回呼び出して来なければ「いません。」って電話を切られてしまうので

4階に住んでた私は電話口に出るときにはいつも息切れてました。

45人ほどの女子学生の寮ながら取次ぎ電話は一回線。

こちらからかけるにはピンクの公衆電話(10円のみ)と緑の公衆電話の2台。

午後7時を回るとどの電話も延々0時を回ってもずっと使用中。

その当時携帯電話は誰もが持てるようなものではなくポケベルですらまだ流行ってませんでした。

炊事場と言ってもトイレの手を洗うとこがキッチンって感じで

そこに2層式の洗濯機もおいてありました。

バイトは4つかけもちしてましたので(職歴編で詳しく書きます。)

門限までに銭湯に行くのが難しいときは寮の洗濯機のホースを抜いて

洗濯機の中で頭を洗ってました。

水のみで給湯、暖房設備はありませんでした。

冬はやかんでお湯を沸かして洗顔したり

寮生の間では刑務所の方が待遇がいいんじゃないかと言われてたほどで

花の短大生の生活とは思えないものでした(笑)

でも毎晩誰かの部屋でわいわい話し込み寮生活自体はとても楽しかったです。


学校の方は外国語短期大学と言えども

生徒50人ほどに対し教授や外国人講師一人で高校の英語の授業の延長のような感じでがっかり。

確かにLL教室などの設備は充実してましたがこの短大を卒業したからと言って

英語が話せるようになるとは到底思えませんでした。

注意)私は教職専攻でしたので講義系の授業が多かったのですが

   専攻によっては会話メインの授業ばかりっていうのもあったみたいです。

こんな感じの授業を4年続けるなら早くお金貯めて海外で勉強したいという気持ちの方が強くなり

3回生に上がるのを断念することにしました。

クラスメートは3回生に上がり私は一足先に卒業しましたが

ちょうどその頃はバブルがはじけ女子大生の就職が困難になりつつあり

2年の差は大きいと実感しました。

私が卒業した頃はまだ就職先を選べたし一人でいくつも就職内定なんてこともありましたが

2年後に就職活動となった友人達は英語を生かすも何も就職先がなく

結果的には短大で終えて良かったです。



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