日が昇らないあした ~デトックスver.1

2006


大部分の人はせいぜい3つぐらいの顔しか持ってないって思い込んでる。そして、常に自分以外の人は一つしか人格(顔?)を持っていないと思い込んでる、らしい。

人を評価するのに大概の人は減点法を使うらしい。自分の知ってる「その人」の好い所を最初に100として、マイナス要因を探し出す。今年はそんな人ばかりに振り回されてしまった。
愚痴を言うたび、反省するたび、いちいち何だか引っかかる人がいて、その波紋は同心円を描いて広がっていく。

そんなに相手を見下して楽しいかい?
あんたら、自分の見方でしか見てないんじゃない?

最初、マイナスイメージからスタートした方がどれだけ良いかわかりゃしない。

半年勤めた派遣先で同じ意見のおっさんがいた。
彼は社内につるむ相手はいない。それぞれに対して一定の距離を保って仕事をしている。
彼いわく
「足算で評価した方がいいじゃん」

人を受け入れるのにはエネルギーが要る。
相手の悪いところも良いところも、冷たくされようが批判されようが、ひっくるめて見なきゃならないからだ。
半年同居してた人に言われた。アタシの鬱の根源には父がいる。
「お父さんを理解しちゃだめだよ、戦って、勝たなきゃ」
でもね、理解できるんだよ。感情は拒否してても、理解できるんだよ。どんなに辛くても、存在が許せなくても、理解できちゃうのはしょうがない。

アタシは我侭。自分を相手に合わせられない。

まぁ、孤立というか、誰とも距離はできちゃうね。
楽しいけど疲れる。
正直にそう言ったら激怒した人がいた。
でも。
しょうがないよ。「楽しい」と「疲れる」って同居出来るんだもん。
それを嫌だって言うのは勝手だけどね。まぁ、その人の心も判るけれどさ。

自分が「強い」と思った事はあまり無いけれど、


物理的に独りでいることが出来るぐらいはできる。


本当は独りじゃない。雇ってくれる人がいて、仕事を任してくれる人がいて、その他信頼してくれる人達がいて。
で、まあ、周囲を支えきれなくて鬱になったわけだけれども。


物凄く引っかきまわった一年だったなぁ、今思うと。
周囲も医者も、結構頑固で片寄っていて、以前友人たちと職場の人たちがいなければどうなってたかわかりゃしない。
くーとびーがいたから。
母の「あんたが生きててくれてありがとう」この言葉があったから。


カップにコーヒーを注いで、ミルクを入れる。
マーブル模様に渦巻いて、カフェオレ色になっていく。
アタシはコーヒーだったかミルクだったか。おそらくどっちでもあったのだ。
人が何人かいて、それぞれコーヒーとミルクを持っている。
思いは渦巻いて、でも、誰一人として満足な味にはならないんだろう。
それを不服と言うか、最低、自分だけでも満足な味にするのか。
10人がそれぞれの不満を持つか、9人満足せずたった一人満足するのを、そのどちらを是とすればいいのだろう?



いつもの疑問が残って、また今年も終わる。

良くも、悪くも無い2006年。











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