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2024/09/08
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カテゴリ: 義父
義父ビルが他界した。

あまりに突然だし、この一週間の記憶が曖昧になっている。
一週間前の土曜日、義母リンダからのTELで起こされる。ビルが危篤状態になったと。
哀しいのは危篤と聞いてもすぐに駆けつけられないこと。出かける前に夫、私それぞれのオフィスに行って夫は休みの手続き、私はクライアントへの対応をしてからでないと出かけられなかった。

NCへ向けて出発したのが12時。夫にビルの死に目に合わせてあげたい一心で私が運転した。義両親宅まで残り2時間の時点でリンダにTEL。私は何をおいてもビルがいる病院へ駆けつけるつもりだったが、夫はリンダの指示を仰ぎたいとさ。するとリンダはすでに帰宅していた。ということはビルはまだ逝ってない。こりゃぁ駆けつける先は病院一択でしょ。が、義両親宅を譲らない夫。

私「ビルが今どこにいるか聞けよ」と何度も言うが夫がリンダに問うことはなかった

この辺りから、こいつらおかしいぞと思い始める。これが日米のカルチャーの差?それとも仏教徒とクリスチャンの違い?

結局、夫に従い義両親宅へ。中から弱々しくウォーカー(歩行補助機)に捕まってヨロヨロ歩いてくるリンダ。それを支える夫。
3人でダイニングテーブルを囲んで状況を聞くが、ビルの様子よりリンダはいかに自分が辛いか、担当ドクターの名字や肌の色、それから人種の話とかはっきり言ってどーでもいい話ばかり。とにかくまだ生きているビルに夫を会わせたかったんで、リンダの話を遮りとにかく病院へ行こうと夫を連れ出そうとする。危篤状態の今は一刻一刻が大切なんだから。すると看護師に連絡をとるから待てとリンダ。

夫に囁く、
私「リンダが私達がビルに会うのを邪魔する可能性がある。リンダのTELの結果を待っている時間がもったいない。結果、今はダメって言われたらアンタ、ビルに会えないよ。とにかく病院へ行ってみよう」リンダという人間は、自分が注目を浴びたい一心でどんなことでもする。例えビルが危篤の状態でも。つまり私は彼女の自己承認欲求欲?見て見て私を見て欲?を信頼していない

リンダを振り切り急いで私達の車に乗り込み出ようとすると、家の中からウォーカーを放って走って私達を追いかけてくるリンダ。2~3言かわし出発する。

夫「アレ...見た?」そうリンダは走っていた

私「アンタのおかん、昔からやで。今頃気がついたん?」イヤ、気がついていたけど見て見ぬふりしてたんだよね

24/7(24時間、7日間 つまりいつでも)面会ができる重篤な患者がいる病棟(ICUの一歩手前)へ。

そこにいたビルはバイタルと点滴をつけられモルヒネを投与され意識のない状態で横たわって苦しそうに息をしていた。前日までは意識があって普通に会話していたが土曜日早朝に容体が急変したようである。腕を撫で、足を擦り、耳元に話しかける。私はこの人が夫の父親だったから夫と結婚をした。夫一家の唯一の良識だったから。ありがとう、そしてまだ逝かないで。まだまだビルが必要だから。いつものように復活して。夫もビルの耳元で話しかける。そう、アンタにはたくさん話すことがあるでしょ。今までの親不孝も詫びなよ。

ビルが家で倒れたのは7月の終わりくらいでなかったっけ。入院で順調に回復してリハビリ病棟に移った。そこで新型コロナに感染し、また元の病棟に戻された。2週間ほど経過して回復も順調だったが肺炎を発症した。これが致命となった。感染がなければリハビリからケアホームのコースだった。それより病院でコロナに感染ってどーなん?まぁ今から言っても遅いけど。

病室で見つめ続けたバイタルのモニター。正直なところこの状態が1~2週間ほどは続いてやがてゆっくり回復していくのではないかと思っていた。いつも何があっても復活していたから。89歳という年ではあったが、タックスリターンを自分でファイルするくらいまだまだ頭もしっかりしていたから。

1時間半くらいビルの病室で過ごして病室を後にする時、また明日ねとあいさつをした。が、明日は来なかった。まるで夫が到着するのを待っていたかのように翌朝7時40分頃息を引き取った。きっとずっと夫に会いたくて待っていたんだよ。

6月辺りから夫に言い続けていた、早くビルに会いに行きなと。
が、この変な母息子の話し合いの結果、結局意識のない状態になったビルに最期の別れをするしかなくなったのさ。アンタら本当におかしいよ。私にアンタの安っぽい涙なんか見せないでね。

9月1日 日曜日、ビルが他界した連絡を受けた辺りからの記憶が曖昧。
すぐにホテルから義両親宅へ駆けつけたと思う。ここが日本とアメリカの違いなのか、誰もビルが眠った病院に行かなかった。この後リンダはビルと対面することはなかった。
ひとしきり思い出話をした後、彼らはキッチンを片づけ始めた。冷蔵庫に残っていたビルの好きなドレッシングとかを捨て始める。まだ数時間しか経ってないのに。まぁ、残されたリンダが一人では難しいことをしてあげているんだろうけど、あまりにも早すぎない?

その後しなければならないことは、病院へ行ってビルの私物を受け取ること。これが当日だったのか翌日だったのかが記憶が曖昧。遺言状には遺していなかったが、ビルは火葬を希望し、新聞などの告知や葬儀は一切必要ないと決めていた。極めてシンプルで遺された者への負担がほとんどないビルらしい希望だった。というより、夫が遺言状の執行人を断ったため夫に負担をかけない方法を選んだんではないかと。それから2年前に他界したビルのお兄さんが同じ方法で家族の負担が少なかったんで選んだのかも。ただ元軍人だったため埋葬場所はアーリントン墓地を希望しているくらい。(これが後々言い争いの種になる)

義両親宅はとてもひっそりとして静かで訪れる人は私達以外誰もいなかった。ビルの兄弟は前の週にお見舞いに来ていたし。告知を一切しないんで誰も知る由がないわけではあるが。で、途中リンダのランチを買いに出た。(恐らくこの時病院へビルの私物を受け取りに行ったような気がするが曖昧)
午後しばらく義両親宅で過ごしてホテルに戻った。

翌日月曜日(9月2日)、義両親宅へ。
ご近所のデニスの奥さんがランチにサブウェイサンドを食べるのを助けてくれたらしい。
その日の午後、夫の妹のスーザン一家が訪れる。ここからイヤな雰囲気に。夫曰く、6月にビルとTELで話した時、アーリントン墓地への埋葬を直接伝えられたと。スーザンは病室でアーリントン墓地ではない場所へ希望されたと。どちらも証人のいない会話。ここで揉め始める。

アーリントン墓地に埋葬されるにはいくつかの条件があって、元軍人のビルは条件はクリアしていた。私は夫の話を信じるさ。というのもビルはいつもミリー時代の話を楽しそうにしていたから。とは言いながら最終的な決定権は嫁であるリンダが握っている。
今現在アーリントン墓地に埋葬を希望しても9~11ヶ月待ちの状態で、まずは必要書類で申し込んで待たなければならない。

義両親は彼らの遺言状で遺言執行人に指名したが、スーザンを信用していない。一重に今までの金使いの粗さ、お金がなくなれば無心にやって来るスーザン。特にルーのスーザンの夫ティムを心底嫌っている。今回も何度もリンダにサインを迫っているそうな。それが何のサインなのか全くわからないからサインはしたくないとリンダ。だんだん状況がカオスになってくる。ビルが逝ってからまだ1~2日しか経ってないのに。

私はNone of my businessと外へ出る。家の周りにもそこここにビルの思い出がある。秋、一緒にバックヤードの松ぼっくりを蹴ったり松葉をかき集めて掃除したこと。私が柿が好きだと知ると柿の木を植えてくれたっけ。ただ渋柿だったけど。ビルのピックアップトラックも主人の帰りを待って静かに停まっていた。

外で一時過ごし家に戻るが事態はあまり変わっていない。それよりなんか視線が痛い。
どうやらビルが遺言状に私を相続人の一人に加えたらしい。ここまでは以前に聞いていた。が、どーやらビルの遺言状にはスーザンの夫ティムの名前がないそうな。ぁぁ、それでか彼らの視線が痛かったのは。それより遺恨の残すようなことをしてくれたなと。できれば私の名前も加えなければこんな不穏な空気にはならなかっただろーに。

続きはまた次回で





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Last updated  2024/09/09 10:18:00 AM
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