おばはんの体育な日々

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第22回山口100萩往還マラニック140km(10)

第22回 山口100萩往還マラニック大会


 <日時> 平成22年5月3・4日(祝) 晴れ、かなり暑い

 コース図および高低図

hagiokan140course.jpg

------------------ 大会概要(大会HPより) ---------------

 毎年5月の大型連休中2日から4日にかけて、山口県山口市の瑠璃光寺庭園を中心会場(一部種目を除く)として開催しており、競技は走ることを基本とした「マラニックの部」が250km・140km・70km・35kmの4種目、そして歩くことを主体とした「歩け歩けの部」が60km・35kmの2種目と、各人の体力・脚力に合わせて参加できるよう全6種目に分かれています。

 マラニックの部競技内容は、山口市を振り出しに地図を頼りに決められたポイントを廻る、言わばスケールの大きなオリエンテーリングのようなものですが、中でも超長距離種目である250km・140kmの選手は非常食や着替えを詰めたリュックを背負い、ほぼ夜を徹して走ります。
 風光明媚な山口の自然をふんだんに盛り込んだコース設定は、アップダウンを極め、肉体的にも精神的にも厳しく過酷なレースです。最後は精神力との勝負と言えるかもしれません。

 歴史の道「萩往還」は、全種目に共通したコースです。峠越えの険しい山中でも、ここですれ違う選手達は声を掛け合い励まし合いながら共にゴールを目指します。記録や順位を競うだけでなく、選手同士、またエイドのスタッフやボランティア達とふれ合い親睦を深めることも、この大会ならではの楽しみです。

hagiokan140koteizu.jpg 新緑のすがすがしい木立の中、歴史の道「萩往還」の往時の姿に想いをめぐらし、また山口県の自然や人情にふれながらのラン&ウォークを是非体験してみられてはいかがでしょうか。
 参加されるにあたっては、決して無理をせず自分の体力に合わせて種目をお選びいただきますようお願いいたします。

-------------  萩往還 -----------------


 「萩往還」とは、慶長9年(1604)毛利輝元が萩城築城後に山陰と山陽を結ぶ参勤交代道として開いた道です。城下町萩(萩市)と瀬戸内の港三田尻(防府市)をほぼ直線で結ぶ全長約53kmのこの街道は、庶民にとっても重要な交通路となり、また幕末には維新の志士達が江戸や京へと往来し歴史的にも重要な役割を果たしました。
 かつての道沿いには、藩主一行の宿泊所や休憩所となった御茶屋や駕籠建場など様々な施設が置かれ、また一里塚・往還松のような旅人のための道標も設けられており、今でもその面影を一部にとどめています。

 こうして重要な交通路として明治中頃まで300年にわたり栄えていた萩往還ですが、山越えの険しい道であるが故いつしか姿を消してゆき、一部は廃道となっていました。
 しかし、この貴重な古道や史跡を後世へ伝えようと、昭和56年から63年にかけ沿線の市町村が中心となって保存整備を行い、歴史の道「萩往還」として復元されました。
 平成元年には国の史跡に指定、さらに平成8年には文化庁から「歴史の道百選」に選定されました。




 <結果> ゴールタイム 20時間43分58秒 

 マラニック大会ゆえ、順位はありません。


 100kmを超える距離のウルトラマラソンははじめての挑戦だ。夜を徹して走る大会もはじめて。
 事前に送られてきた地図は何回見ても頭に入らない。暗い夜道で道を間違わないだろうか、これが一番の心配の種である。
 歴史の道を走る期待と超長距離ランの不安が交錯したまま、ゴールデンウィークに突入した。

 制限時間は24時間、後泊の宿はとっておらず、午後6時過ぎに山口を出る電車に乗らないと、その日のうちに家に帰り着けないことになるので、遅くとも23時間以内に帰って来なければならない。
 昨年140kmに出場した ハリーさん のタイムが20時間台、これを第一目標に走ろうと思う。ハリーさんはスパルタスロンを完走されて、もうずっと先に行ってしまわれてはいるけれど。 

※ 自宅出発からスタートまで 

100503hagiokanmamakarisusi 自宅を早くない朝に出て、新幹線で一路山口へ。
 GWの真っ只中ではあるが、自由席はよく空いていた。乗換の岡山駅で駅弁を買って昼ごはんとする。「ままかり寿司」1,100円。
 新幹線に乗ったのは30年ぶりくらいでしょうか。「のぞみ」乗車は初体験。今夜は徹夜で走るんだから少しでも寝ておこうと思うのだが、興奮しているのか寝られない。まだ見ぬ萩往還への不安か、夢の超特急新幹線に乗ったうれしさか。

 新山口から在来線で山口へ。接続している電車が特急だったがしかたなくこれに乗って、特急料金を追加で支払う(700円ばかしでした)。

 山口駅に着き、同じ電車から降り立ったランナーと思しき人たちのあとについて会場の香山公園までテクテク歩く。約2kmを大きな荷物を担いで歩いて汗だく、暑いのなんの。250kmコースの方はこの中を走っているんだと思うと、頭が下がる。

100503hagiokansetumeikai.jpg 選手受付は公園の中の趣のある庵「松籟亭」。
 参加賞のタオルと折りたたみ式エコマイカップ、夜間走行用の赤い点滅ランプ、チェックシート、名札バッジなどを受け取る。
 3時からの説明会までに屋外ではできないだいたいの更衣をと、女子更衣室へ。門前のおみやげ物屋さんの離れをお借りして、タイツと長袖シャツに着替える。このおうちの方のご好意で荷物を置いていてもいいと聞き、お言葉に甘えることにする(洞春寺の荷物置き場は男の人ばかりでごった返していたので)。

 会場近くの教育会館で午後3時から行われる説明会に向かう。
 広い会場はランナーでほとんど満席になっていた。

 説明会で聞いたこと。
 今年からコースが伸びてきっちり140kmになったこと(今までの21回は7km足らずで、看板に偽りがあったのだと)、そのために河川敷の3.4km往復が増えたこと。
 脚力に自信があっても、超長距離の走りは全然別ものなこと、胃腸障害などが起きると走れないこと。
 チェックポイントの写真などを見せてもらい、道を間違わないように。距離の短くなるような故意のコースアウトは絶対しないこと。道を間違って距離が伸びる分にはお咎めなしのようだった。
 真っ暗な山道を走るので、夜間走行用のライトの準備は怠りなく行うように、予備の乾電池を忘れずに。
 その他いろいろ聞いたけど、ほとんど送られてきたパンフレットに書かれていることと同じだった。

 会場から出るとき、同じく140kmに参戦の アッキー8989さん に遭遇、健闘を誓い合った。
 「人生はトライアスロンであり、マラソンである。走るあなたに贈る応援歌【夢を求めて・時空を超えて】」というCDをくださった。

 説明会会場を出て、近くのコンビニまでライトの予備の乾電池を買いに行く。
 途中のパン屋さんでスタートまでの腹ごしらえと携帯非常食用のパンを購入した。
 これだけ歩くだけで、めっちゃ暑い。この時点の予報では明日は曇りということだったけど、どうなるんだろうか。

 香山公園に戻り、木陰の石段に座って、レースの最終準備を行う。

 スタート時の装束…下はCW-Xのロングタイツ、上はCW-Xの長袖シャツに半袖Tシャツの重ね着(温度調節ができるように)。足元は5本指ソックス、シューズはニューバランスのウルトラ用、穴の開きかかった古い方に決定。メッシュのキャップ。

100503hagiokanlight.jpg 携行リュック…防寒着1枚、ベルトに装着するLEDライトとハンドライト、塩飴と塩キャラメル数個ずつ、パワージェル1個、パン2個、ドリンク入りペットボトル500ml1本、デジカメ、小銭、コース地図、タオル。受付でいただいたエコカップも入れた。赤い点滅ライトは、背中のリュックと、肩ベルトの前部にそれぞれ装着した。
 左の写真は携行したライトたち。ベルト装着タイプは犬の首輪につける用です。

 もしものときのために替えのシューズを携行しようと思ったが、小さなリュックに入らないのであきらめて、萩城址の着替えポイントに送る荷物に入れることにした。

 着替えポイントに送る荷物、50kmの山口福祉センター行きには置かず。
 85km萩城址行き…着替え上下、長袖半袖1枚ずつ、ロングタイツ1枚、ソックス。替えシューズ。暑くなったときのために、スポンジも。

 スタート時間が迫ってきた。荷物を預けてスタート地点へ。
 気持ちだけストレッチしたかしらん、忘れてしまった…ってことは準備運動らしいことはしなかったのでしょう。スタートライン近くで アッキー8989さん に会ったのでお話しているうちに、時間になった。

 スタートは20人くらいずつ約5分毎のウェーブスタート。前の組が直線の角を曲がって見えなくなったら次がスタートするらしい。
 3組目だったかな、エイエイオーの雄叫びを上げて、午後6時10分くらいにスタート。
 長い旅の始まりだ。

★スタート~英雲荘チェックポイント<29.3km> 到着時間 21:24

100503hagiokanstmae.jpg 夕暮れの街並を、ゆっくりと防府市へ南下する。アッキーさんと並んでのんびり走ります。
 コース沿いの山口福祉センターに荷物を置く人は、自分で持って行く。
 これまで140kmに足りていなかった走行距離をきちんと帳尻を合わせるために増やした、矢原河川敷公園コースを往復する。交通ルールを遵守、歩道を走り、赤信号ではきちんと止まって待つ。
 次第に暗くなってくるが、町中でもあり、行き交う車のヘッドライトが明るいので、ライトの点灯はギリギリまで我慢して電池の節約に努める。

 21.5km・鯖山エイド「しゃもじ」到着。「しゃもじ」は峠の茶屋の名前でありました。ここでは食券でうどんが食べられる。食事は往路でも復路でも可ということで、かなり混んでいたので、帰りにいただくことにして、給水のみで通過した。
 リュックに入れた折りたたみ式カップは出すのが面倒で、紙コップを使わせてもらった。マイカップを携行するときは、取り出しやすいように腰にでもぶら下げないといかん。

100503hagiokanshamojiaid.jpg お腹が空いたとおっしゃるアッキーさんとはここで別れた。

 しゃもじを出ると、車道から離れて旧道、鯖山峠越えに入る。上り坂は無理せず歩く。街灯がなく真っ暗なので自前のライトを点ける。周りにランナーはいても、やはり自分の前方を照らさないと危ない。
 ベルトにつけたLEDライトは首輪に付ける犬用だが、足元は結構明るい。
 キャップにはさむLEDライトをリュックの肩に2個付けているランナーもいた、これも結構明るかった。

 峠を越えてしばらくして、車道に戻る。

 防府市に入り、地下道を抜けて、大きな川(佐波川)を渡ってすぐあたりだったかしら、歩道のかすかな段差につまづいたか、転倒。タイツは破けず、擦りむきも軽度。何より、このときだけ周囲にランナーがいなかったのは幸いだったけど、まだ始まったばかりなのに足が上がっていないのかと、かなり不安にはなった。

100503hagiokanchecklist.jpg
 街中の曲がり角ごとにスタッフの方の誘導があり、第1チェックポイント「英雲荘」に到着。
 シートにパンチで穴を開けてもらう。給水、バナナなど給食も軽くいただいた。

★~山口福祉センター<49.6km> 到着時間 0:13

 もと来た道を北上する。
 往路でコケたあたりも無事通過。
 鯖山峠をまた越えて「しゃもじ」着。かわいい少女が注文を聞いてくれて、卵うどんをいただいた。塩分補給のため、おつゆもすべて完食した。
 しゃもじを出たところでトイレ休憩。

 夜中になって交通量が減った道路を、はるか前方の赤いピカピカ点滅を頼りに黙々と走る。往路には信号待ちがかなりあったのだが、夜はほとんど青なので止まることなく通過できる。信号になっても休めないのが、残念に思えてくる。まだまだ残りの方が多いのに、こんなことで大丈夫かなぁ。

 曲がり角の赤い指示棒を持ったスタッフの方に誘導されて、山口福祉センター着。
 荷物は預けていないが、建物内に入って、給水、おにぎりをいただいた。
 センターを出るとき、「ここから先は山道で暗く車道も通るので、必ずピカピカ点滅を前と後両方に点けてください」と念を押された。

★~萩城址石彫公園チェックポイント<85.8km> 

 センターを出てしばらく行くと上り坂になり、ほどなく「萩往還道」に入る。
 街灯などはなくて真っ暗、腰のライトだけでは石畳の凹凸がよく見えないので、ハンドライトも点けた。険しい上りなうえに、足元が平坦でないので、当然歩きになる。センターを出てからは前に何人かのランナーが見えていたのに、歩きになるとてきめんに点滅ピカピカが見えなくなって、不安がいっぱい。こんなくらいところで道に迷ったら取り返しがつかないじゃない。
 石畳から階段になり、一歩一歩息が苦しい。歩くのさえ苦痛で曲がり角で立ち止まって息を整えること数回、後からたくさんのランナーに追い抜かされ、すぐに見えなくなる。

 前方から走ってくる明かりが見えた、Aコース(250km)のランナーが帰って来たんだ!これだと暗いうちにゴールするのは確実だ、すごいなぁ。すれ違いざまに拍手と声援を送る。

 夜も更けてコースにスタッフはなく、道に直接書いた矢印を頼りにコースを進む。分岐点では矢印を探してキョロキョロすることも多くなる。

 やっと上りが終わって、アスファルトの国道に出た。夜中なので車の往来はほとんどない。
 車道に出たら、後から来た何人かのランナーと一緒になり、お話するとその中に地元山口の方でこのマラニックの実行委員会のメンバーでもあるというおじさんがいたので、コースアウトの危険をさけるにはこの方と離れないように走るのが得策と思い、以後できるだけそうなるように心がける。
 結構な下りが続き快調に走れるが、件の山口おじさんの「この延々と車道の下りが、復路にはすごく辛い上りになる」との言葉に納得する。

 途中、農機具小屋のようなエイドがあり、夜中なのにおばさんが一人いて麦茶をくださった。
 帰りの時間にはここで草もちがいただけるそうだ。そのとき草もちを食べる胃力が残っていればいいのだが、それを楽しみにしよう。

 この国道でAコースのランナー数人とすれ違った。上りなのにしっかりした足取りで走っておられる。
 多分ここいらでWalzさんともすれ違っているのだが、ヘッドランプの明かりしか見えないので、わからなかった。

 国道から旧道にそれたところぐらいで、今回2度目の転倒!道に断差は見当たらないのに。結構派手に転んだみたいで、胸に付けていたピカピカ点滅ライトが消え、CW-Xの膝が大きく破け、太腿に打ち身ができたもよう、突いた両手に擦りむき多数。しばらくしてから気が付いたのだけど、このとき勝手にボタンが押されたようで、ウォッチの計測が止まってしまっていた。
 なぜかコケタとき付近にランナーが一人もいなかったので、平静を装うこともせずに、痛いよぉ痛いよぉと唱えつつビッコを引きつつ、走り続けた。

 コケてすぐに佐々並のエイド(64.7km)に到着した。
 夜間のエイドには、若いおにぃさんたちが並んでいる、目の保養になるわ。給水とお菓子(チョコパイだったかな)をいただいた。
 トイレで擦りむいた手を洗浄、ついでに用も足した。

100504hagiokanmitinoeki.jpg エイドを出てしばらくでまた山道の上り。コケないように、慎重に。
 峠を越えて下りになると、さらにコケないように慎重に、慎重に。
 山の中でペットボトルの水が底をつき、町中に入ったところで自動販売機で買おうとしていると、前後して走っていたのでしょう、件の山口おじさんが現れ、もうすぐエイドだから買わなくていいよ、と教えてくれた。道を間違わないですむだけでなく、コースを知っているのは有利だ、このおじさんとは離れたくないわぁ。

 おじさんの言うとおり、自動販売機から角を曲がるとすぐ、明木市(あきらぎいち)のエイド74.5km。

 エイドを出て、またけもの道のごとき往還道へ、上り下り。
 白々と夜が明けてきた頃、道の駅「萩往還公園」に到着した。ここは復路はエイドになるようでテントの準備がしてあったが、往路は無人、よって1回目の自動販売機休憩でスポーツドリンク500mlを購入。
 ここでまた件の山口おじさんと再会、以後は萩城址まで離れずご一緒した。

 道の駅には幕末の志士達の像がたくさん立っています。薄暗くて映りが悪いですが、これは左から、高杉晋作、吉田松陰、久坂玄瑞。道の駅に沿った萩有料道路(今年春から無料化)の料金所も趣きがあります。

100504hagiokanmitinoekishado.jpg 山口おじさんといろいろお話しながら萩城址に向かう。250kmコースに何回も参戦されたそうだ。何回走っても道を間違うことがあって、他のランナーをたくさん引き連れて違う所に行ってしまった経験もあるそうな。あらら、どうりで、途中道路の矢印がなくて旧道に入らずコースアウトしたようだったが、故意じゃないし同じ交差点に出たしトータル距離は少なくはなっていないので、問題ないでしょう、ということで。

 萩に入ると道は平坦になって走り易い。
 萩有料道路入口を過ぎてすぐに左折、これまた趣きのあるJR萩駅舎前を通過、前方に萩城址が見えてきた。
 萩城址前で大きな橋なのに「常盤小橋」を渡る。橋の上からの朝日がきれいでした。


 ほどなく萩城址石彫公園の折返しチェックポイントに到着した。




100504hagiokanyoakeinhagi.jpg
萩の夜明け(常盤小橋上から)


★~虎ヶ崎・つばきの館<96.9km> 到着時間 7:49

 預けていた荷物を受け取って、コケて破れたタイツを穿き替え、コケて汚れたTシャツを脱いで長袖一枚だけにした。リュックに入れていた防寒着と夜間照明を出して携行荷物を軽くし、暑くなりそうなのでスポンジを持って走ることにした。シューズは予想通り、右は穴が大きくなり左も破れるのは時間の問題にまでになっていたが、あと60km弱、分裂せずに持つであろうと思われたため、履き替えは中止。穴が大きくなって広がったシューズになれた足を、新しいシューズに入れ替えることの方がより危険と思われたので。
 エイドでは給水とおにぎりをいただいた。おにぎりが普通サイズで、1個完食するのに苦労した。
 パンチがテントのそばの木にぶら下げてあるので、自分でカードに押してチェックを入れる。
 20分くらい休憩しただろうか、コースに戻ると山口おじさんの姿は見えなかった。

 萩からは250kmAコースと同じになるので、先行するAコースの方々に追いつきながらの道中になる。皆さん例外なく背中が寝ている。2晩寝ないで走るということがどんなのか、その背中が語っているようだ。

 左手に日本海を見ながら走る。日が照って暑くなって来た。復路のランナー達とすれ違う。

 海に突き出た笠山に入ると、上ったり下ったりになる。
 Aコースの方の中には半分以上寝ながら蛇行して走っている方もあり、追いついたらできる限り話かけることにする。
 何人か目に追いついたAコースの方の名札が「広島の新潟さん」だったので、話かける。膝が不調で痛み止めで麻痺させて走っているそうだ。新潟出身ではないそうな。追いついた途端にペースアップされたので、つばきの館までご一緒に走る。

 広島の新潟さんのおかげでいいペースで走れて、チェックポイント「虎ヶ崎・つばきの館」着。

★~東光時チェックポイント<105.2km>  

 つばきの館前で、カードにチェックを入れてもらう。
 館内に入って、食券でカレーをいただく。ずいぶん暑くなってきてたしでカレーが食べられるか心配だったが、たいそうおいしくいただけた。冷たいお水が超おいしくて生き帰るようだった。
 テーブルの前の方はジョッキで生ビールをおいしそうに飲んでいた…ここでビールが飲めたら死んでもいい…が、ビールは間違いなく脱水のもとである、あと40km以上を残していることを思うとビールを頼む勇気は出なかった。
 ここでのカレーは「ご飯少なめ」「半分」などとカスタマイズして注文している人もいた。ご飯を半分ほど残しちゃったので、次回からは私もそうしよう。

 つばきの館を出て、自然探索路をほとんど歩いて進む。普段は見ない日本海の眺めを楽しむ余裕はない。

 笠山入口から先は、往路のランナーとすれ違う。笠山を出てすぐ、天和さんとすれ違った。
 ますます日が照りつけてきて、暑い。タオルをキャップにはさんで被って日除けにする。
 アッキーさんとしゃもじで別れて以来の再会。「暑いね」と一言だけ交わした。
 萩焼会館前を左折して日本海とお別れ。

 追いついてこられたのだったかな、また山口おじさんと再会した。「東光寺に10時までに着いたら、あとは何があっても大丈夫、歩いても関門には間に合う」とのお言葉に、これを目標に走る。
 この頃から同じ年代の埼玉県の女性ランナーと前後して走ることになった。ずっとこのコースを完走して知っていると言う若いおにぃさんと並走してきたが、おにぃさんがばててしまって遅れがちになり、道がわからなくて困っていたらしい。

 東光寺着は、9時14分。すごくほっとした。
 門前にぶら下げてあるパンチで、自分でカードにチェックを入れる。
 ここはエイドはなくて、チェックのみ。

★~ゴール香山公園<140km> 到着時間 14:51  

 東光寺で折返し、観光客で賑わう松陰神社の前を通り、ちょっと迷ってから維新ロード(走っているときはそんな道だとは知らなかったんですが)。

 こんなに暑いのに給水ポイントはしばらくないもよう、自動販売機でドリンクを購入しようとするが、コース沿いの自販機のめぼしいドリンクは売り切れになっている。前のランナーはコンビニに入った。買おうと思ってから3つ目の自販機で、やっとドリンクをゲットした。

 萩有料道路入口から旧道に入ると、70kmや35kmのランナーとたくさんすれ違うようになる。すれ違いざまに拍手してくれる人、声をかけてくれる人、拍手はちょっと気恥ずかしいけどとても力になる。
 JogNoteリンクのGBDさんもすれ違いざまに声をかけてくださった。
 山口おじさんとは、この頃から離れてしまったが、ここからは一度通ってきた道なので、多分大丈夫でしょう。

 道の駅・萩往還公園は、往路の静寂からは想像できないほど、ランナーや観光客でごった返していた。
 なので、給水のみで通過。

 ここからは70kmの上位ランナーに追い抜かれるようになる。エリートランナーはやっぱり速いなぁ、あっという間に抜き去って行く。
 往路で峠の坂のきつさは経験済みなので、あの坂をまた上って帰って行かねばならないのかとちょっとうんざりする気持ちを、気力で振り払って、走る。容赦なく日は照りつけ、もはや少しの勾配の上り坂も走れないので、上りは歩く。

 もうすぐ明木市のエイドというところで、道端に倒れているCコースのランナーがいた。両足のシューズとソックスを脱いで、文字通り大の字に倒れておられる。「両脚が攣って動けない、エイドの人に助けに来てくれるようお願いしてください」と頼まれた。
 明木市のエイドはランナーや歩け歩けの部の人でいっぱい、萩焼のイベントも行われていたようで、マラニックのエイドを探し当てて件のランナーの救出を頼むのに、少し時間を要した。あの方は無事保護されたかしらん。

 ひと峠越えて、佐々並のエイド。ここではお豆腐がいただける。
 今年はリタイアする人が続出で、毎年足りなくなるお豆腐がたくさん余っている、と言うおばさんのお勧めに従っておかわりしてふた皿もいただいた。ヒンヤリしておいしい。

 エイドを過ぎると、永遠に続くかと思われる車道のダラダラ上り。ますます日が照りつけて暑い、とても走っては上れないが、まだ早足で歩ける。
 Aコースの方々が杖をつきながら歩いておられるのを、声をかけつつ追い抜く。後から軽快な足音が聞こえてくると、Cコースのランナーが抜いて行く。
 確かこの車道の中ほどだったと思う、上長瀬の草もちエイドは。草もち草もちと唱えながら坂を上っていくと、車道が終わって山道になってしまった。あら、草もちエイドはどこへ行ってしまったん?
 これがこの萩往還マラニック最大の心残りとなりました。

 往路でその坂のきつさは経験済みなので、もちろん無理せず無理出来ず、しかしできるだけ早足で歩く。山の中に入って木陰になると少し暑さはましになる気もするが、また日向に戻ると暑い、暑い。腰にぶら下げたスポンジで、路肩の水路の水を浸して頭と脚を何回も冷やした。マイスポンジは大正解だった、これがなかったらきっと痙攣に見舞われていただろう。
 峠を越えると、あとは下りのみ。

 天花畑でしょうか、東屋でオカリナの演奏で激励してくださる方あり。ホントは音楽より冷たい水が欲しかったけど、心のエイドも必要です。日陰で少し休んで、飴ちゃんをもらいました。

 ゴールまでは下りではあるが、石畳なのでそうは走れない。3回目の転倒はなんとしても避けたい、下りの石畳で転倒なんてことになると大怪我だ。慎重に歩くが如く下りて行く。
 ここの下りだったかな、Cコースの女子にはじめて抜かれた。あんな軽快に走れるものなら走りたい。

100503hagiokangoal.jpg 路面がアスファルトになって少しは走れるようになった。あとどのくらいでゴールなのだろう。「あと何キロ」などという表示が一切ないので不安になる。ゴール方面から走ってきたらしい男性が「ゴールからここまで走ってきて10分でした」と教えてくれた。ということはあと2キロくらいかな。1分ごとくらいに時計を見て、この2キロが恐ろしく長かった。

 右折して、ゴールの瑠璃光寺が見えた。前方にAコースのランナーさん4人の一団が見える。走って行くうちにドンドン近づいてくる。このままいくと同時ゴールくらいになりそうだったので、ここはウルトラの掟で、足踏み待機する。そうまでしたのに、この4人さんがゴール後も感動をかみしめてしばらくその場におられたため、私のゴールは写真が撮れなかったらしい。で、写真のためにやり直しゴール。おかげでなんとかゴール写真が撮れました。
 そのために、私の後ろのランナーにも待機させてしまいました。

★ゴール後

100504hagiokankantosho.jpg ゴールしてすぐ、完走証がもらえる。
 タイムは20時間43分。
 完走賞の萩往還道標をかたどったキーホルダーも。

 テントに給水と給食があり、もう走らなくていいので、存分にただいた。 

 公園内の水道で顔だけを洗って、萩城址公園から戻ってきている荷物を受け取り、更衣室で着替えた。
 着替えてしまうと、もうすることがない。しかたがないので、思い荷物を抱えて暑い日差しの中駅に向かった。
 早く帰るにこしたことはないのだが、まだ時間に余裕があるので、無料で入れるという銭湯「亀山湯」に寄ることにした。この銭湯までの道のりの辛いこと。荷物は肩に食い込み、容赦なく日は照りつける。何度荷物を地べたに置いて休憩したかしれない。ある意味、マラニックの最中より辛かった。
 ようやく銭湯に着き、ゼッケン番号を申告するだけで入れる。脱衣所には十数名のランナーがいたが、混雑しているというほどではなく、快適に入浴できた。石鹸とシャンプーが置いていないのは残念でしたが。

 入浴して少し元気になったようで、銭湯を出て駅までは2度の休憩ですんだ。
 山口駅から新山口へ。
 新山口からは新幹線、折りしも「ひかりレールスター」という新大阪まで直通のが来たので乗車、運良く昇降口の近くに座れて、あとは泥のように眠ったまま帰って来たのであった。ここで座れなかったらきっと死んでたろう。

※総括

 生まれて始めての超100kmは無事完走できた。いい天気で気温が高いのが災いしたようで、完走率は40%を切っているという。そんな中完走できたのは素直にうれしい。
 防府市への往復50kmを走ったあとの往還道の上りはとても走れない急坂峠、これを往復2回も通るコースはかなり厳しいと言える。復路は走れないまでも早足で歩けたので、上出来であったと思う。

 夜を徹して寝ないで走ることも不安だったが、途中睡魔に襲われることなく順調に過ごせた。

 前半で2回も転倒したときは、暗雲がたちこめて来た気がして完走は無理かもと気弱にもなったが、皮膚の擦りむきだけで故障には至らなかったのは幸いであった。CW-Xは予後不良の大穴が開き、ウォッチにも大きな傷がついてしまった。ウルトラは足がほとんど上がらない走りになっているので、路面の段差には充分注意しなければならない。長いレース中、この注意力を維持することが大切だ。

 コース案内が少ないことや、エイドが10km以上毎しかないことなど、最初は不安だったが、これを自分で克服して走って行くのがマラニックたる所以なんだなと気がついた。超長距離のレースに至れり尽くせりのスタッフを置くこと自体が無理な相談だ。

 今年Bコースを完走できたことで、来年以降Aコース250kmへ挑戦権が取得できた。
 250kmコースは2晩寝ないで走らなければならない。今回出会ったAコースの方々の姿を思うと、その過酷さは容易に想像できる。果たして、私はこれに挑戦すべきや…。

 もし挑戦するなら、たくさんの荷物を楽に運べるキャスター付きのバッグを入手しないと、次回は多分荷物と一緒に行き倒れる。

 それと、ゴール後の(するつもり)入浴は、湯田温泉に入りたい。


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