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京阪600系 痛電車 (画像参照:wikipedia)邦楽特集 第6回春の陽気に見たこと無い音楽 をどうぞ・・・冬季オリンピックで日本選手の快挙の報に湧く2月中旬の折に日本中が熱気で盛り上がる最中にも身も凍る様な寒さが続いた今年の寒冬に対し布団には電気アンカを、椅子には電気マットを、居間には電気こたつにファンヒーターの暖房機器の重装備で備えて残りの寒さを乗り越えようとした途端20度を超える陽気と突然の春一番の嵐に吹き飛ばされる様に文明の利器の恩恵にあやかろうとした浅知恵は見事に出鼻を挫かれる突然の春の陽気となりまるで真夏日の様な例年通りのGWをお見舞いされる今日この頃を、いかがお過ごしでしょうかさて70年~90年代を中心に、子供の頃、若かりし頃、耳にして来た音楽をご紹介する邦楽特集『~どうぞ』シリーズ 今回は第6回今回は水道管も固まる程の寒冬を吹き飛ばした春一番の陽気の様なアーティストの固まったイメージを吹き飛ばす楽曲をお送りします。-----------------------------------------------------------------------------------■ もくじ ■- 音楽解説編 -M1 (1980)『Rock and Roll Widow』M2 (1983)『Sweet Memories』M3 (1985)『Finding Each Other』M4 (1980)『Sweetest Music』M5 (2017)『You'd Be so Nice to Come Home to』M6 (1997)『The Other Side of Love』M7 (2009)『My love is like a stapler』- 音楽コラム編 -『歌謡曲からJ-POPへの流れに見る邦楽の多様性』■ライブイベントの盛況による音楽単体販売の不振■■時代の流れを受け入れる欧米の潔さ■■J-POPとCD販売激減の関係性■■「J-POPが後にJ-POPを殺した」という仮説■------------------------------------------------------------------------------------ 音楽解説編 ------------------------------------------------------------------------------------▲目次へ▲△▼ △▼ △▼Porsche 924S (画像参照:wikimedia.org)山口百恵 - ロックンロール・ウィドウ (1980)Momoe Yamaguchi - Rock and Roll Widow収録アルバム『メビウス・ゲーム』こんな百恵ちゃん見たこと無い歌謡界のレジェンドとして今もなお語り継がれる不世出の歌姫山口百恵の引退間近にリリースされ、作曲家 宇崎竜童 の本来の持ち味である「ロック」を全面に押し出した山口百恵の持ち歌の中でも最もロック色の強い異色のヒットナンバーです。■本曲は引退コンサートの最後に唄われたオリコン週間売り上げランキング第4位となった『さよならの向う側』を凌ぐ第3位という代表的なヒット曲ながらもこれまで山口百恵がある種の闇を秘めて清楚さを兼ね備えた「青い性」路線で人気を獲得し大人びたアイドルというイメージで活躍してきた事に対して引退間近のタイミングでこれまでの路線とは又違った性質の開き直った山口百恵の姿を押し出したセンセーショナルな楽曲となりジェニファー・ロペス『Ain't Your MAMA』などにも見られ現代のメインストリームとなる洋楽シーンに於いてもしばしば使われるR&Rの定番フレーズ「アナタのママじゃない」というフェミニズム的手法を女性の地位向上が日本でも叫ばれ始めたタイミングで導入し異色作でありながらリアルタイムな山口百恵の姿をさらけ出した山口百恵のキャリア中最後にして最初のターニング・ポイントとなった非常に興味深い作品となりました■山口百恵を語る時、数年置きの様に良く話にのぼるのが「引退の真実」なのですが幾度となく復帰説を立てるマスコミや「結婚の為」という理由に満足しない熱烈なファンたちによる現在よりも不透明で魍魎とした当時の芸能界に於いてのドル箱スターを容易く引退させるのには何か理由がある などの疑惑から憶測が憶測を呼んで、果ては陰謀説が生まれた後結局一周して やはり結婚の為となりまるで堂々巡りの様な結論に達するという未だ数年置きに起こる「山口百恵ブーム」ひとつ取ってみてもその周期となる節目からも「時代と寝た女」と称されるまさに時代を築いたレジェンドとしての圧倒的存在感を感じるものがあります同時代に活躍した多くのアイドル達が居る中で取り分け山口百恵が芸能界のレジェンドとして語られるのは引退後一度として表舞台に立たなかった事が最も大きな理由だと思われますが引退時の年齢が21歳と若く14歳のデビューから数えても 僅か8年の芸能活動で当時のアイドル歌手の活動期間が10代の間というのが定番だった事を考えてみても類まれな歌唱力の持ち主だった同期の森昌子の様にアイドル活動後も本格女性歌手として転身する例とは異なり歌唱力では無く表現力で勝負していた人物としてむしろ二十歳を越えても人気が衰えず第一線で活動を続ける事が出来た異例のアイドルだった事が人々の記憶に強く印象に残り世紀世代を越えてレジェンドとして語られる理由となっていったのかもしれませんその様な世間一般の、一部神格化された様な評価は差し置き、思うに山口百恵という人物は、十代から二十歳までの間を「青春時代」と捉え結婚し家庭を持ってからは家庭人としての人生が始まると感じる多くの一般人と同じ普通の感覚を持った大人の女性だったのであり「独立に失敗した為に結婚引退したのでは」 などの様々な憶測が飛び交ってきた「引退の真相」も山口百恵本人著による芸能界に入る事は真の「夢」では無く未練は無いという印象を受ける一連の記述を鵜呑みにするなら本格女性歌手に転身するのは現実的では無いという大人の判断をした勇退が理由だったと言う事になり結婚引退後一度は復帰した南沙織などが居る中、なぜ復帰しないのかという理由も、複雑な生い立ちを乗り越えて家庭人としての今があるという彼女の本当の「夢」が叶った事が大きな理由となったのかもしれません▲目次へ▲△▼ △▼ △▼松田聖子 - スウィート・メモリーズ (1983)Seiko Matsuda - SWEET MEMORIES収録アルバム『ペンギンズメモリー幸福物語』ほかこんな神田沙也加のお母さん見たこと無い80年代を代表するアイドルでJ-POPが誕生する以前の日本の歌謡界の音楽スタイルを継承しつつ2012年にはジャズの巨匠ボブ・ジェームスとの共演を果たすなどのジャンルを超えた活動など現在も第一線で活躍する永遠のアイドル松田聖子のアイドル歌手としての域を軽く越えた歌手松田聖子を決定付けた 代表曲的ナンバーです■本曲は、今でこそ松田聖子のマストソングの一曲として語られるナンバーですが83年当時ノスタルジックなペンギンのアニメをキャラクターにしたバーの女性シンガーが唄う曲を聴いていた客が涙するという内容のサントリービールのCM曲として使用された企画曲で当初 英詩の部分だけのノンクレジットでの覆面放送だった事からあのCMの曲はどのJAZZシンガーが唄う何という曲なのかという問い合わせが殺到し 大きな話題となった楽曲でもあり後に松田聖子と分かった時には更なる驚きと共にその高い歌唱力に女性アイドルに対しての再評価の機運が高まり松田聖子にとってもターニングポイントとなったヒット曲でもあります。■松田聖子は山口百恵の引退と入れ替わる様に「裸足の季節」でデビューし「ぶりっ子」「聖子ちゃんカット」などの流行語が生まれる程アイドルらしい可愛い仕草と容姿が話題を呼び透明感ある伸びやかな唄声の高い歌唱力で人気を博し数多くの名曲ヒット曲をリリースしてタレントとしてもお茶の間の人気者となり昭和のアイドル最盛期となる80年代を代表するアイドル歌手タレントとして活躍しましたアイドル時代の松田聖子は「日本のアイドルの源泉」から派生した71年デビューの新三人娘小柳ルミ子・南沙織・天地真理 達が源流と言われる「日本のアイドルの流れ」から始まりやがてそれらの流れとは異なる、素人路線シーンから派生した「おニャン子クラブ」などに代表される「バラエティー・アイドル」が人気を博す様になるまでの日本の伝統的「アイドルの源泉」が事実上断ち切られる80年代前半に昭和から続いてきた「アイドルの源泉」の流れの中にあった正統派アイドルの1人で更にその流れを進化させた最終型となる当時日本のアイドルのひとつの完成形まで到達した唯一無二の人物でありトップアイドルとして活躍し八十年代アイドルの黄金時代を築き「AKB48」を始めとする現在のアイドルにも多大な影響を与えた日本の歌謡史にとっても特別な存在だったと言えます■84年の秋の映画『カリブ・愛のシンフォニー』では、共演をきっかけに85年6月24日俳優 神田正輝 とのスピード結婚で世間を驚かせますが当時の夫神田正輝の理解もあり引き続き芸能活動を行う事となります同年8月にはマンハッタン・ジャズ・クインテットのキーボーディストデビッド・マシューズと米国音楽界の大物プロデューサーフィル・ラモーンを招いて本格女性シンガーへと転身を果たすべく全編英詩のアルバムに挑戦しており86年6月1日『アナと雪の女王』の吹き替えで再ブレイクした娘、神田沙也加 の出産を経た後 歌手業を本格的に再開芸能界復帰後は 元祖「ママドル」と呼ばれる存在となり「永遠のアイドル」のイメージを決定付けます88年には目黒の自由が丘で営業するブティック「フローレスセイコ」の出店で実業家としての実績を積み始め同年4月には米国の音楽プロデューサー デヴィッド・フォスター を招き話題曲『抱いて』を収録したアルバム『Citron』のリリース89年には芸術家ゴヤの生涯を歌でつづるミュージカル・コンセプト・アルバム『ゴヤ・・・歌で綴る生涯』に参加しクラシックオペラ界の巨匠 プラシド・ドミンゴ とのデュエットを果たすなど世界に焦点を定めた一連の活動の橋頭堡を築きますが90年のアルバムでゲストに米国アーティストを多数招いて制作された意欲作『SEIKO』は日本での成功は果たしても米国での評価は辛辣なものとなり「世界の壁」を痛感する日本人歌手の一人として数えられる事となりますこの直後、バブル経済に触発されたハイエンド志向が高まった時流の到来によりCD文化が後押ししたJ-POP誕生と洋楽志向が強まった音楽リスナーの要求からこれまで培われてきた海外へ向けの取り組みを内需拡大路線へと舵を切り替え国内に向けて存在をアピールして風向きを変えていく事になります■ちなみに、『抱いて』収録アルバム『Citron』世界のドミンゴとの共演となった話題曲『愛を知るまでは』のプロデュースをしたデヴィッド・フォスターは1979年の アース・ウィンド・アンド・ファイアー の大ヒット曲『アフター・ザ・ラヴ・ハズ・ゴーン』他実に15回ものグラミー賞を受賞した超大物プロデューサーで映画(92)『ボディガード』の挿入歌で2012年に急死した大スター ホイットニー・ヒューストン の『I Have Nothing』の作曲や88年 カルガリーオリンピックの公式テーマ曲『Winter Games』の作曲でも知られる米国を代表する作曲家兼アレンジャーでもあります特に、世界のドミンゴとの共演となった『愛を知るまでは』ではドミンゴの専門となる「オペラ」としての共演では無くデヴィッド・フォスターが得意とするAORミュージックのアーバン・ポップの括りとなる定番のジャズやR&Bをベースとしたコンテンポラリー・アーバンポップスなラブ・バラード・デュエット曲でデヴィッド・フォスターのもう一つの顔となるピアニストとしてのキャリアを支えて来た西洋音楽のアカデミックな流れの中にあるメロディーラインで作られた楽曲だったという所が音楽界の事件とも言える、クラシック界と日本の歌謡界の共演を可能にした大きな要因になったと思われ特にこれらの曲が当時この様なAORな作風が音楽関係者から注目を浴び耳の肥えた洋楽ファンに人気があった作風による共に話題性の高い楽曲だった事は本格歌手に転身した松田聖子のイメージを強固なものにする為に立てられた企画作という性質の作品でもあるような印象を受けるものがありました。■松田聖子 のイメージを語る時、良い意味でも逆の意味でも「カワイコぶりっ子」「計算高い人物」として良く語られてきましたが先輩歌手にして男性顔負けな姉御肌でも知られる芸能界の大物タレント和田アキ子 が舞台で泣くのはプロでは無いという厳しい一面を見せながら強固で男勝りなタレント「和田アキ子」を演じ続ける反動の様に私生活では号泣する等身大な人物としても語られる事に対し過去公の舞台で泣いた松田聖子は舞台でも私生活でも「松田聖子」を演じ続ける人物というよりは女性シンガーに転身して元祖「ママドル」と言われる様になった時も起業して実業家になった時もこれまでのキャリアとは待ったく違うジャンルとなる「ジャズ」に挑戦した時も無理をして自分以外の何かになるのでは無く娘 神田沙也加が出演した『アナ雪』のテーマさながらの「ありのままで居られる」術を肌で感じ取る事が出来た人物だと思われその時代時代に呼応した自分自身で居られる人物であった所に自然に「松田聖子」を維持しながら今もなおトップであり続ける理由がある様に感じるものがありました▲目次へ▲△▼ △▼ △▼河合奈保子 - Finding Each Other (1985)Noako Kawai- Finding Each Other収録アルバム『9 1/2 NINE HALF』こんなHIDEKIの妹見たこと無い日本に洋楽の波が訪れる直前の芸能界にデビューし日本の歌謡界が ニュー・ミュージック などのムーブメントを経てJ-POP へと流れていく その最中の70年代アイドル歌謡が終焉しニューミュージックや洋楽を意識した「ネオ・アイドル」 とも言うべき楽曲が登場し始めた歌謡界で中心的な存在としてアイドル活動を続けた後は積極的に洋楽を楽曲に取り入れたアルバム作りを行う様になりアイドルからアーティストへと本格的に転身を遂げた、80年代歌謡界最後の正統派アイドル歌手 河合奈保子 のアーバンポップの雄、TOTO のギタリストにしてボーカリストのスティーブ・ルカサーと共演したデュエット・ナンバーです■本曲は、同時期、松田聖子のプロデュースも担当したAORの旗手デヴィッド・フォスター をプロデューサーに迎えた脱アイドルを目指した80年中期に制作された話題作でカシオペア、T-SQUARE などのフュージョン・ミュージックが人気の時期に共演に当時全米トップ・アーティストだったシカゴの ピーター・セテラ とのデュエット他ドラムにTOTOのジェフ・ポーカロにベースがマイク・ポーカロ、ギターがマイケル・ランドウというLAのトップミュージシャンを結集しフュージョンミュージックを意識し完成度の高い作品作りを目指したアルバムでのまるでシカゴの大ヒット曲の再現と見紛うばかりの本曲ではドラマティックな展開もそのままの、邦楽のスケールを軽く凌駕し来たるべく日本のバブル経済の勢いを予見させるアーティスト河合奈保子を決定付けた意欲作となりました■河合奈保子がデビュー5年目にして本格ボーカリストに転身し歌謡史にも残る程の本格AORサウンド作品をリリースしたのは一つは、河合奈保子が高い歌唱力の持ち主だった事ともう一つはこの時期音楽リスナーの関心が洋楽に向いていた事などの好条件が重なり実現した企画という背景の他に、何よりも河合奈保子自身がどの様な仕事にも意欲的に取り組む人物であった事が大きな理由と思われこの時代のアイドル歌手がグラビアの仕事を兼任し誰もが水着になる事に難色を示す中でも積極的に取り組み「健康美アイドル」をトレードマークとして獲得するなどその後の「グラビアアイドル」と呼ばれるジャンルの道筋を作ったり81年『レッツゴーヤング』NHKホールでのリハーサル中に誤って4m下の奈落に転落し2ヶ月の重症を負った事故の時も自分の身体よりも仕事に穴を開けた事を気に病む仕事重視の姿勢などどの様な仕事が来ても嫌がらずにこなす、仕事に真摯に向き合う姿勢と音楽畑の人物が良く持つ特徴の、明るくて真面目で体育会系な基質があった所に日本のアイドル史にとって人跡未踏となる本格洋楽サウンドの作品に挑んだ、ひとつの理由があった様に思われます。その一方で、松田聖子の様に、常に世の中の風潮を読み取り、その都度自分らしく自然で居られる形を取りながら息の長い芸能活動を続けるタイプとは異なり「アイドル活動は十代までで、その後は本格歌手へ転身するのが通例」などの世の中が求める要求を真摯に受け止め時には自分を殺してまでも使命感を持ってその通りに実行する頑なで真面目過ぎる基質のあった河合奈保子はバラエティーでもグラビアでも80年代アイドルを代表する存在にはなりましたがその後は松田聖子の様にタレントとしても歌手としても「永遠のアイドル」として長く語られる様な「カリスマ・タレント」として突き抜ける様な存在には至らなかった所に時代に翻弄され、時には迷走しながら、ひとつの時代を鮮やかに駆け抜けた後は通例通り静かに芸能界を去るという数多くのアイドル達と同じ道を選んだ理由になった印象を受けるものがありました。▲目次へ▲△▼ △▼ △▼竹内まりや - Sweetest Music (1980)Mariya Takeuchi - Sweetest Music収録アルバム『Miss M』こんな山下達郎の奥さん見たこと無い日本人離れした卓越した英語で英語の楽曲を歌い上げ学生時代には杉真理、鈴木慶一などと共に密度の高い音楽的環境での活動を経て「アイドル冬の時代」と言われた70年代後半に歌手としてデビューし加藤和彦や浜田省吾、伊藤銀次、細野晴臣の他後の人生のパートナーとなる山下達郎など日本を代表する錚々たるアーティスト達による楽曲と演奏で占められる本格的なポップス系女性ボーカリストの先駆けとして活躍しその後のJ-Popの流れを作る存在の一人としても私生活では結婚して専業主婦となる 多くの女性の一人としても常に等身大な女性の目線に立って作品作りを続け現在も寡作ながら自身の作詞作曲作を発表し続けるカリスマアーティスト竹内まりやの英語楽曲ならではのキレとグルーブが光る邦楽のスケールを越えるダンサブルなヒットナンバーです■本曲は、様々な日本のアーティストをプロデュースして来たAORの巨匠 デヴィッド・フォスター プロデュースながらそれまでの日本の歌謡界の様に洋楽の力を借りてアーティストイメージをアップするのでは無く完全に洋楽の楽曲で占められた作品を唄いこなす本格女性ボーカリストのアルバムとして制作された日本の歌謡史の中でも重要な位置を占めるアルバムのオープニングを飾る、衝撃的ダンス・チューンでドラム ジェフ・ポーカロ、ギター スティーブ・ルカサー などの超一流LAミュージシャンの極上のプレイにも全く物怖じせずネイティブで英語を話せる 竹内まりや ならではの次々と連なる英語の歌詞を余裕でリズムに乗せてキレのあるパワフルなボーカルで歌い上げる邦楽のスケールでは測れない、海外で勝負が出来る他の追随を許さないアーティスト竹内まりやを決定付けた強力なボーカルナンバーに仕上がっております■竹内まりやは本作発表後、後に大ヒット作となる『不思議なピーチパイ』でJ-POPの前身とも言える 歌謡ポップス路線へと進んで行った後現在の夫の山下達郎との結婚、休業、出産を経た後に、復帰作となったアルバム『VARIETY』でシンガー・ソングライターとして再ブレイクし現在も第一線で活動する日本を代表するアーティストとへと成長を遂げますが個人的にも交流のある、先程の 河合奈保子 の様に脱アイドルを見据えて本格ボーカリストを目指し転身を遂げながら芸能活動を中心に音楽活動を続ける事 とは異なりむしろ松田聖子に近い、その時代時代の空気を自然のままで受け止めて結婚した一女性の等身大な目線で感じ取った様々な景色や印象をその都度作品に投影しながら息の長い音楽活動を続けているアーティストであり音楽活動は主婦業同様に竹内まりやの人生の一部ではあっても、全てでは無かった所に結婚して主婦となった多くの女性達の代弁者の様な立場としても自然体で音楽活動を続けられる、大きな理由となった様に思うのでした。▲目次へ▲△▼ △▼ △▼八代亜紀 - 帰ってくれたら嬉しいわ (2017)Aki Yashiro - You'd Be so Nice to Come Home to収録アルバム『夜のつづき』こんな舟歌の人見たこと無い十代で上京しクラブ歌手を経て71年に歌手デビューして以来「演歌の女王」として日本の歌謡界を牽引してきた日本を代表する演歌歌手八代亜紀が2012年に自らのルーツとなるジャズ・シンガーとしてのアルバムを制作し13年にはニューヨークのジャズクラブの名門「バードランド」でのライブを行い自身が敬愛し「ニューヨークの溜息」の異名を持つジャズシンガーヘレン・メリルとの共演を果たし同年には「第12回東京ジャズ」でジャズシンガーとして出演近年はJUN SKY WAKER(S)の寺岡呼人をプロデューサーに迎えブルースアルバムに挑戦するなど半世紀もの長いキャリアを持つ大物歌手ながら未だ進化を続け、「演歌ミーツJAZZ」なエポックメイキングな作品ながら自身の原点回帰作となる話題作となった元ピチカート・ファイヴの小西康陽をプロデューサーに迎え制作され大ヒットした2012年のジャズ・アルバム「夜のアルバム」の続編となるジャズレコード誕生から100周年の節目となった2017年に制作された「夜のつづき」から自身が敬愛するヘレン・メリルの代表曲でジャズのスタンダードとして日本でも馴染みの深いサラ・ボーンやエラ・フィッツジェラルド、アニタ・オデイなどのナンバーとしても知られるジャズ・ファンにはおなじみの コール・ポーター のヒットナンバーです■71年のデビューから始まった長いキャリアの中演歌歌手として常に第一線で活躍してきた八代亜紀が演歌の女王というイメージを一新するようなジャズアルバムを制作し世のジャズファンを驚かせ唸らせたのは記憶に新しいですがそれは唄を始めるきっかけとなりクラブ歌手時代のレパートリーとしても唄っていたジャズミュージックに立ち返るという実に半世紀をかけての邂逅となった演歌の女王八代亜紀の原点回帰となる会心の作品となる日本の歌謡史に於ける音楽的事件とも言えるリリースでもあるのでした■本曲は日本未公開の1942年のミュージカル映画映画「サムシング・トゥ・シャウト・アバウト」の主題歌で日本ではジャズボーカルの大家ヘレン・メリルが唄うジャズのスタンダード曲として知られる「アナタが待っている家に帰れたら嬉しいのに」という戦場で愛する女性を想う兵士の心情を唄った歌で昭和の大物タレント大橋巨泉が訳したと言われる『帰ってくれたら嬉しいわ』のタイトルでも知られる曲でもあるのですが稀代のマルチタレントが付けたタイトルに難色を示したのか「サッサと帰ってくれるとセイセイする」という真逆の意味にも取れる所に混乱を招いたからなのかジャズ・ファンの間では原題の方で広く知られる曲となっております■本曲での八代亜紀の歌唱は歌詞の内容に合わせて情感を込めるというよりは本家のヘレン・メリル同様に満面の笑みで語りかける様に歌い上げているのが印象的で、これは、唄に魂を込める分、身を切る様な思いで自分をさらけ出す という唄に全てを捧げるタイプのアーティストやお客様は神様と讃えて自分の芸を精魂込めて披露し宴席でおひねりを得るという日本のタレント歌手に良く見みられる営業スタンスとは 異なり父親譲りの、社会的に弱い立場に置かれている人達への眼差しに、まるで少女がそのまま大人になった様な飾らない明るい人柄と、十代で上京して世間の荒波に晒されても生意気な位に自分を持ち続ける事を忘れない持ち前の逞しさとクラブ時代に人々とのふれあいを通して学んで行った優しさと暖かさを感じる人との接し方 など歌詞にある様な境遇の人達を癒やして元気を出して貰いたいという常に代弁者で居たいという願いから自然と出てくる歌手八代亜紀の真骨頂とも言える歌唱スタイルである様に思われます■震えている人がいたら背中をさすりだからといって感極まる位に感情移入は禁物という人としてと表現者としてとのバランスをしっかりと持ちポップスやロック、ブルースや絵画に至るまで様々なジャンルに挑戦しながらどんなときでも自然体で決しておごらない唄う事の楽しさ、人生の素晴らしさを忘れずに演歌を唄っても、ジャズを唄ってもありのままの自分で居られるというそんな自然体な明るい人柄があったからこそ、長年演歌の女王として支持され続けた様に思われ松田聖子が芸能活動を続ける上でありのままで居られる為の環境作りに余念が無かったスタンスを通して見透かされた様に「ぶりっ子」と世間に称された磨かれて生まれる「自然体な造り」とは異なり八代亜紀には、唄にもタレント活動にも雨風を受けても健気に咲き続ける野に咲く花の様な強さに裏付けられた「自然な姿」の素晴らしさを感じさせるものがありその様な自然体なままの姿に人々がいつまでも惹きつけられ魅了される理由がある様に思うのでした。▲目次へ▲△▼ △▼ △▼中谷美紀 - 砂の果実 (1997)Miki Nakatani - The Other Side of Love収録アルバム『cure』こんなエルメス見たことない93年のデビュー以来数多くのドラマ映画に出演し99年には『ケイゾク』で初主演を果たし、以降『壬生義士伝』『電車男』『JIN-仁』など 様々な話題作に出演し2006年の『嫌われ松子の一生』では日本アカデミー最優秀女優賞を受賞するなど日本を代表する女優の一人として活躍する中谷美紀の女優デビュー以前に行っていた音楽活動を坂本龍一をプロデューサーに迎えて再開した時期に制作された楽曲からの話題となったヒットナンバーです■元々邦画、ドラマ界では主演俳優が歌を唄うのは慣例であり珍しい事では無く織田裕二、反町隆史、江口洋介、広末涼子、松たか子 をはじめ古くは高倉健、鶴田浩二、吉永小百合 などの大スター俳優は勿論の事ジャニーズ系、EXILE系、AKB系などのタレント俳優や加山雄三、小林旭、中村雅俊、薬師丸ひろ子 の様に歌手としても知られる俳優に加え吉岡秀隆、玉木宏、菅野美穂 の様に歌手を演じた延長線としてアーティスト活動を行なう俳優や『KISSして』KOH+こと柴咲コウ『恋しさと せつなさと 心強さと』篠原涼子の例の様にオリコンチャートを賑わせるアーティスト活動をしていた俳優も居るなど昔より数多くの俳優が音楽活動を行って来ました又その逆に吉川晃司、福山雅治、GACKT、今井美樹、中島美嘉、星野源の様な歌手が俳優を演るケースも多く現在大物と呼ばれる俳優の中にも浅野ゆう子、片平なぎさ、浅田美代子、風吹ジュン陣内孝則、ピエール瀧、白竜、石橋凌、高橋克典 などの歌手から転身した人物や世良公則、大友康平、小泉今日子などトップテンスターだった人物が俳優としてブレイクするなど共にエンターテインメントの世界で活躍するスター達が、別の舞台でもマルチな才能を発揮して来た事は昔も今も変わらず同じと言えます中谷美紀は『ひとつ屋根の下』で女優デビュー98年に大ヒット作『リング』の出演で話題となり99年の『ケイゾク』の主演でスターの仲間入りを果たした後は現在まで数々の話題作ヒット作に出演をし邦画、ドラマ界に多大なる貢献をしてきた日本を代表する女優の一人として知られる人物ですが元々は菅野美穂も在籍していた「桜っ子クラブさくら組」のメンバーの一人としてアイドル歌手としてデビューしてキャリアをスタートした人物でもあり96年に坂本龍一プロデュースで音楽活動を再開し「中谷美紀 with 坂本龍一」名義でリリースし初のオリコントップテンにチャートインした本曲の他99年の『ケイゾク』でも主題歌を担当し音楽活動も行う俳優の一人としても知られる人物でもあります■本曲は元々97年『ストーカー逃げ切れぬ愛』の主題歌で坂本龍一の実の娘坂本美雨が唄う『The Other Side of Love』に日本語の歌詞を付け中谷美紀が音楽活動を再開した直後の97年にリリースした大ヒット曲で歌謡曲には異色となるワードを多用したカフカやコクトーに代表される欧州的な ある種のデカダンス性を感じる自虐的世界観で描かれた内容の歌詞を坂本龍一らしい欧州ロマンを感じさせる内省的な音世界で纏められたドラマティックなポップナンバーです本曲の非常にインパクトを感じる特徴的な作風は多くは作詞家 売野雅勇が坂本の指示から閃きを感じて書いたと言われる秀逸な歌詞によるものが大きいですが脱歌謡を目指したJ-POPが定着した97年当時にTV出演時には、不思議な色で染めたショートヘアに黒装束というマニッシュな出で立ちでまるでミュージカルの演目を演じる女優が歌詞を台詞の様に歌い上げる様なパフォーマンスで楽曲の持つ独特の世界を再現し話題となり歌唱力のある歌手の持つものとは違った表現を目指した様な純文学から派生した歌詞をピアノメインのシンプルなアレンジで奏でて、J-POPの括りとは異なる「ネオ歌謡曲」とも言うべきサウンドの仕上がりを目指した所に本曲のひとつの狙いがあった様な印象がありこれは、ミュージカル俳優の様な卓越した歌唱力とは違った演劇の世界で培われた、女優らしい印象に残る素直で真っ直ぐな声を持ち歌手の持つものとは違った表現力を持っていた中谷美紀が映画音楽家としての成功で既に世界的名声を獲得し次のステージを模索していた当時の坂本龍一の目にとまり表現者でもある中谷の提案を坂本が受け入れて作品作りにも大きく反映させた所に本曲が日本の純文学ベースの邦楽でありながら欧州浪漫を感じJ-POPとも歌謡曲とも違う独特の雰囲気を持った楽曲となった様に感じるのでした。▲目次へ▲△▼ △▼ △▼放課後ティータイム - 私の恋はホッチキス (2009)Tea time after school - My love is like a stapler収録アルバム『放課後ティータイム』こんなオリコン1位見たことない『涼宮ハルヒの憂鬱』『CLANNAD』で知られる京都アニメーション制作の女子高校の軽音部を舞台に部員達の学園生活をほのぼのとしたタッチで描いた大ヒットアニメ『けいおん!』から劇中のバンド名「放課後ティータイム」名義で劇中で使用される歌曲を収録してリリースされオリコンチャート1位という快挙を成し遂げた大ヒットアルバムからのジャパニメーションならではの軽快な劇中ナンバーです■本曲は主人公達4人からなる軽音部で組まれたバンド「放課後ティータイム」名義で劇中の登場人物を演じる声優ユニットによって唄われるアルバムからの劇中歌で登場人物たちが演奏し唄うという設定でリリースされた企画曲でもあります本曲の実際の演奏はプロのミュージシャンによるもので実際の高校生が軽音部で演奏されるレベルを遥かに超える非常にクオリティーの高いテイクにはなっていますがこれは、高校生レベルのリアルな演奏に現れる拙さに気を取られて本編の唄に集中出来なくなる事を避ける、劇伴制作上の措置ではあってもドラムのフィルインがロックレジェンドのコージー・パウエル や キース・ムーン を思わせる点やギターが ヴァン・ヘイレン や ジミ・ヘンドリックス を思わせるラウドでロック色の強い演奏をしていたり全体の演奏がいわゆる「横揺れ」を感じさせるルーズなグルーブ感などドラマ内で言及される各キャラクターの音楽性や性格を意識した音楽制作者のこだわりが感じられる演奏になっておりある種のコンセプトアルバムを制作する作りの楽曲になった所に一つの特徴のある通常制作される劇中歌のサウンドトラック盤とは性質の異なる作品集になっている所にバンドを経験した事のある耳の肥えた音楽リスナーも納得するアニソンと呼ばれる理由となった様に思われこの辺りに本アルバムがオリコンチャートインする程の話題作となった一つの理由がある様に思われましたその一方で、名立たる音楽番組でもアニメの楽曲が紹介される様になり番組内でチャートインが告げられる様になっても次々と人気のアーティストのランクインに湧いていたスタジオ観覧者が聞いた事の無い漫画のCDのタイトルに興味のないスパムまがいのメルマガでも眺める様な目をしながらあからさまなまでに無反応を示して来た歌番組での一幕を幾度となく目撃しCD不況と同時に求心力を無くしつつあるJ-POPが歌謡曲とは異なるムーブメントで誕生し邦楽の中でも独自のマーケットを展開してきた事で歌謡曲の復活の兆しが見える現在の邦楽界の風潮に合わず歌謡曲とは個別化してきた事が仇となっているのと同様に今や数兆円規模となった現在のアニソン界が独自の客層を持ち独自のビジネスを展開しながらも一般ユーザーの目から見れば異質の世界という印象は拭えず他の音楽ジャンル、ムーブメントと共有できない程に個別化しそもそもの発生元となる歌謡曲の名のもとに統合出来ずにいるガラパゴス的発展を遂げる邦楽の実態を見る様で興味深いものがあります。△▼ △▼ △▼▲目次へ▲- 音楽コラム編 ------------------------------------------------------------------------------------『歌謡曲からJ-POPへの流れに見る邦楽の多様性』-----------------------------------------------------------------------------------タワーレコード 渋谷店 (画像参照: wikimedia)■ライブイベントの盛況による音楽単体販売の不振■これまで音楽市場の中心となっていたCD音楽アルバム販売は近年売上を最盛期の半分以下へと激減させその一方で有料ダウンロードによるデータ販売市場は順調に売上を伸ばして今や音楽市場の主流へと取って代わるまでになりましたこれは、世の中が音楽を物品として所有せず、音楽データのみの所有を求める傾向へと変化し近年 音楽の愉しみ方も「音楽」そのものでは無く実際にアーティストが眼の前で演奏する「ライブステージ」に求める傾向へと変わり業界にとってもリスナーにとっても世界の音楽市場は大きく様変わりした事を意味する現れと思われるものがありますが当初日本の音楽業界は世の中が世界的にもその様な流れにある事を察知しようとしなかったのか音楽アルバムの販売の落ち込みをネットに於ける違法ダウンロードによる弊害であると断定しこれまで通りの利回りの高いCDパッケージ販売にこだわり続けた事で結果として欧米に比べてデータ販売への環境整備を遅らせる事となり一時日本の音楽市場を混乱させた事がありましたこれは単に販売形態がCDメディアからデータ販売へと移行する中での日本の音楽事情ならではの混沌という理由だけでは語れない山下達郎程のトップミュージシャンにして「音楽の持つ力が弱くなった」と言わしめる程のレコード時代から音楽に関わって来た者と新世紀のネット世代との音楽環境の激変による業界と消費者との間に生じた価値観の偏差が顕著となった事に対しての自然な流れの中での感覚のズレの最たる現れでもあった様に感じられるものがありました一方、80年代に世界が平和の元に音楽によって一つになる事を訴えブームタウン・ラッツ の ボブ・ゲルドフ と共に巨大チャリティーイベント「LIVE AIDE」を実現させたウルトラボックス の ミッジ・ユーロ は かつて音楽が人の心や考えを左右させ、変えて、従わせてしまう様な「音楽そのものに力があってはならない」と発言し音楽とは人の心の支えや、人の心の依り何処となったり人に希望や元気を与え、人の行動を支えるあくまで人の力になるものであるべきと提唱した事がありその事から捉えてみますと現代の世の中に於いて音楽に力が無くなったと言わしめるものは音楽そのものに力が無くなった事を指すと言うよりも多くの人が音楽を聴く力が無くなっている事を指している様な印象がありますこれは、全てのジャンルに於いて新たな人物が現れる度新たな音楽が生まれてきた旧世紀の音楽界に対し全てに於いて先人達による「手本」となるべき音が既にある様なモノが溢れ過ぎた中で新規開拓する意義を音楽に見出す事が困難という中で話題になるネタを音楽の要素にした様なほぼ一発芸に近い一発屋の様な音楽が乱立されてきた実態がある一方で音楽リスナーの新しさを求める傾向が、エンタテイメント性のある音楽への興味へと移行する流れを生み巨大ライブ・フェスの様なイベント環境の中で音楽を愉しむ事が主流になって行く風潮を呼びその様な愉しみ方をする人々の中で音楽というものが、ライブやイベントなどの事象の中の構成の一要素に過ぎないという認識に変わっている様な印象が強く良く言われる様に「現代の消費者は付随する何かがないと購買意欲が沸かなくなっている」といった「CDに付く特典」を目当てにしている様な類の事とは違い万年不況と言われる現代の世の中に於いて質素な暮らしを望む傾向が強くなり写真に電話にネットに動画に音楽といった嗜好のものにもそれぞれ単体で所有する「手間」と「散財」を嫌いスマホの様に全てが兼ね備えられて手軽でお得に一つになったアイテムという様な「多彩」で「シンプル」なものにしか消費の主旨が向かない風潮の中で音楽を取り巻く状況も激変しリスナーが音楽に多様性を求める傾向が強くなった事により音楽が単体で成り立たなくなった事が音楽に求心力を失わせた大きな理由の様な印象がありそれによって多くの若者が音楽そのものへの興味を持たなくなり音楽の聴き方が分からなくなくなっている事が大きな理由なのではないかと思えるものがありました加えて近年、映画ドラマ、アニメーションにおいての音楽の扱いが映像ソフトの特典扱いになる程、著しく低くなった事から考えて見ても過去、唄の無い演奏主体の音楽が売れなかった時代、その様な音楽は殆ど映画、ドラマを中心に使用されレコード化もされず、その様な劇中使用音楽「BGM」は「劇伴」と呼ばれて、制作作業が一番最後の後回しにされていたという昭和の時代の映画ドラマテレビ漫画制作現場の状況へ逆行したと言っても過言ではない様に思える程音楽の持つ価値観が大きく変化したと言わざる負えない状況になっているという印象があります△▼ △▼ △▼▲目次へ▲■時流の流れを受け入れる欧米の潔さ■アメリカ・ワシントンD.C.にある店内のショーケースに陳列されたドーナツ(画像参照: wikimedia) 欧米の音楽業界は早い段階でCDアルバム販売に見切りを付けダウンロード販売に移行した事はよく知られていますがこれはCDの様な石油製品を排出しないECOの見地からの取り組みからの様に良く言われて来ました実態は、日本の様にCDや本の販売に「再販売価格維持」の取り組みを行っていない欧米でCD販売がディスカウントショップの台頭によって大きな価格割れを起こして大手CDショップが閉店に追い込まれるなどの過去音楽業界が大打撃を受けて来た事に対しての対抗処置として音楽の流通販売を止め、データー販売で固定価格化する事による価格割れ防止処置としての移行だった事が大きな理由と思われるものがありその後も、いち早くライブイベント興行を業界の主流に持って行けたのも常に物事に拘りの無い現実的視点で捉える欧米ならではのフットワークの軽さを感じる取り組みだったと思えるものがあります近年ハリウッドでもこれらの多様性を求める世の流れに呼応した様に当たらないという定説からこれまで敬遠されてきた「ミュージカル映画」が大規模に制作される様になり『ラ・ラ・ランド』『グレイテスト・ショーマン』などの話題作が大ヒットしてますがこれはハリウッドエンタテイメント映画が『アナと雪の女王』の様な大ヒットディズニー作品の作りを倣って『美女と野獣』『イントゥ・ザ・ウッズ』などの実写ミュージカル映画を制作する流れの一環でミュージカル映画というよりはどちらかと言うとエンタテイメント映画に唄と踊りの要素を加えるという創りの、日本でも大ヒットした『ムトゥ 踊るマハラジャ』の様なあたかもハリウッドがインド映画を目指した様なある意味潔い程の形振り構わぬ形で時流の変化を受け入れるという、常に一歩も二歩も遅れを取り続けいよいよ駄目になりかけてから重い腰を上げる様な慣れ親しんだ環境から抜け出せない日本の取り組みとは違った常に生き残りをかけた真剣勝負の取り組みが行われてきた現実主義の現れという印象がある様にも思われるものがあります。△▼ △▼ △▼▲目次へ▲■J-POPとCD販売激減との関係性■J-WAVEけやき坂スタジオ (画像参照: wikimedia)さて、歌謡曲やニューミュージックなどのジャンルとは異なるムーブメントして80年代の終りに登場し90年代中期に定着した日本のポップスを目指す「J-POP」が登場し早四半世紀以上が経とうとしていますこの、日本の伝統音楽の一つと言えるまでになった「J-POP」が近年の「歌謡曲復活」の兆しの前に陰りを見せ始めた様な印象を受けるものがありました。元々日本の多くの音楽は欧米の模倣から入ったという経緯から小田和正が在籍した「オフコース」の場合は「日本のカーペンターズ」財津和夫が在籍した「チューリップ」の場合「日本のビートルズ」森山良子の場合は「日本のジョーン・バエズ」といった本場の音楽を手本に本場と遜色なく聴こえる音楽を目指す上で常に「日本の〇〇」という言葉で括られて来たという歴史がありともすれば欧米の音楽をマネるだけで成り立つ様な時代が長い間続きました80年代に入ると ゴダイゴ、矢沢永吉の様に世界展開を念頭に置いて活動をするアーティストや後に世界展開を目指したオフコースなど当時様々なミュージシャンが世界を目指した時期がありましたがこれは先程の「ライブ・エイド」開催のきっかけとなる世界的なチャリティー・ブームが呼び水となり人種を越えて世界が平和の元に音楽で一つに繋がる事を目指す風潮が世界的に拡がった事で日本人ミュージシャンが世界へ出ていく機運が高まった事が、ひとつと当時の日本経済がプラザ合意以前の世界展開で大躍進した事を受けて音楽業界でも世界展開に向けて躍進する様を国内向けにアピールする一環となった事などが理由となった様な印象があります又、ヤマハ音楽振興会が日本の歌謡曲の世界的な地位向上と発展を目指した音楽コンテスト「世界歌謡祭」を主催するなど80年代の終わりまで日本の音楽界は音楽界全体の発展の為様々な取り組みを行ってきましたが当時の日本の音楽の知名度が欧米では殆ど無かった事や海外のミュージシャンを起用したり世界へ挑戦する事自体を世界展開と捉えて事の成否よりもそれらをひとつのステイタスとして重視していた風潮の方が大きかった事などから日本の歌謡曲が世界に進出しても、その殆どが海外で通用する事は無く日本の音楽界が改めて世界の壁の高さを思い知らされる時代でもありましたこの様な経緯もあって、88年に開設されたFMラジオ局「J-WAVE」が提案し歌謡曲、やフォーク、演歌、その後派生したニューミュージックなどのコレまでの日本の音楽のスタイルを廃した全く新しい日本の音楽カテゴリーとして日本のポップスを目指し誕生したとされる「J-POP」が日本のミュージシャン、音楽関係者、リスナーの間でムーブメントとして拡がって行く事となる土壌が出来上がっていった様に思われるものがありました。このJ-POPがその後90年代初頭の僅か2~3年の期間でこれまでの歌謡曲に取って代わり日本の音楽のメインストリームとして定着する様になるのですが日本経済が大躍進し空前のバブル経済へと導き世界に出ること無く国際規模の需要と供給を実現させた「内需拡大路線」を当時の日本の音楽界が倣って、国内でポップスを制作する「音楽の内需拡大路線」を目指した所に当時の風潮が合致した所に大きな背景があったように思われますつまり『J-POP』とは当時の日本の音楽界を指すメインストリームそのものの総称であり「歌謡曲」「フォーク」の様なジャンルの呼称では無い事が分かります『J-POP』はWikipediaの解説によりますと・・・「歌謡曲」や「フォーク」「ニューミュージック」などのジャンルを殺し、「J-POP歌謡」「J-POPフォーク」の様に成り代わったもので日本の音楽の新たなカテゴリーの総称となるもの(Wikipedia J-POPより抜粋と意訳)・・・との事ですがJ-POPが定着した後に「演歌」の事を「歌謡曲」として捉える風潮があったのは「歌謡曲」の特徴が「歌番組の出演」を一つのステイタスとするテレビ時代の音楽を意味する所に理由があった様に思われTUBE、ZARD、相川七瀬、DEEN、B.B.クイーンズなどの「織田哲郎ファミリー(※ビーイングブームとも言う)」hitomi、trf、華原朋美、安室奈美恵、globe、などの「小室ファミリー」などと呼ばれる自社系アーティストのみを使ってドラマ、番組、映画、などの様々な系列の音楽を担当し独占する戦略を立ててテレビの露出に関係なくCDセールスに繋げていたJ-POPとの大きな違いでありそれは「歌謡曲」と呼ばれた昭和の時代から続いてきたテレビ番組の出演がチャートインに繋がるというテレビ時代を背景としたビジネスケースとしての日本の音楽の一つの形態がJ-POPの台頭によって消滅した事を意味するものでもある様に思われるものがありました■所で、このJ-POPというカテゴリーがCD不況になる事を堺に下火となりそれに伴ってかつての歌謡曲を思わせる曲調の楽曲が再評価されたりJ-POPのカテゴリーである筈の新人アーティストが井上陽水や吉田拓郎そのままの切り口の様な70年代フォークを思わせる造りの楽曲をヒットさせ又、J-POPの枠組から外れた楽曲を制作する多くのアーティストの登場によりJ-ROCK、J-RAP、J-SOULなどの派生語が登場し 錯綜するなど90年代に発祥されたJ-POPの定義が近年大きくゆらいでいる印象があります。これは先程解説した歌謡曲、ニューミュージックのレコードセールスがTVの普及に呼応したものであった様にJ-POPの誕生が、誰もがセレブに憧れた90年代のバブル経済を投影しハイエンド志向の現れでもあったノイズレス高音質サウンドが瞬く間にアナログレコードと取って代わり高音質サウンドに相応しい洋楽志向のJ-POPの楽曲へのニーズに応えたCDの普及に呼応したものであり、バブルでセレブな大人の恋を提唱するアダルト・コンテンポラリーや自分探しの自己啓発を促す、世の価値観を問うアジテイト・ソングなど大量消費時代を象徴させる楽曲で占められたカテゴリーとして90代邦楽のメインストリームとなった経緯から、現在のシンプルで質素な暮らしを望む若者のライフスタイルとはかけ離れたものとなり、近年支持を得られなくなったと思われJ-POPの牙城を切り崩してでも現代の若者の支持を得る為のJ-POPを糧としたカテゴリーの分散化を始めた現れと捉える事が出来ますしかし元々J-POPが日本国内販売を念頭に置いた「洋楽志向」「本物志向」と呼ばれるある意味「洋楽の亜流」とも言える性質のもので占められていた事と、ライブで演奏する事は一切考慮せずに新しい音を模索するスタジオ内で構築される事をデフォルトとした「サウンド志向」と呼ばれる 別名「一発屋」の様な性質のものであった事により2000年辺りから派生した、楽器を使わずにデジタル音源を使ってコンピューターで打ち込みPC内のみで帰結するDTM系音楽をもって限界点を極めた後はバブルが弾ける様にライブ感の無い 造り物の音楽は求心力を失い加えてCD物品販売からデジタル音源ダウンロード販売へと移行する世の中の動きと同時にライブイベントが音楽リスナーにとっての主流となった現在の音楽界に於いてJ-POPがメインストリームの枠組みから外れ通用しなくなった事で既に過去のものとなった事が錯綜し求心力を失う事となった原因ではないかという印象があります△▼ △▼ △▼▲目次へ▲■「J-POPがJ-POP自身を殺した」という仮説■Utada Hikaru (画像参照:wikimedia)・・・ここからの解説はブログ主の若干妄想の入った辛口な偏った見解が多分に加わるので日本の音楽界全体の性質を詳細なリサーチの元に看破した類のものとは全く性質が異なる仮説となる事をまずはご理解いただきたく・・・と言うわけで先程のWikipediaの解説にあった様な「J-POPが歌謡曲を殺したと」いう90年代音楽ジャーナリストの見解は90年代の状況とは大きく変わった現在に於いては既に過去の見立てのものとなりJ-POPが単にバブル時代に歌謡曲の代わりに主流になった音楽というよりは日本経済が大躍進を遂げた様に感じさせたバブル経済の様に日本の音楽リスナーを洋楽通に感じさせるバブル音楽というのがJ-POPの実態だった という印象があった事から近年音楽の顧客として新たに加わった「ミレニアム生まれの若者達」がいち早くその事に気付いた後遅れて世間がその事にようやく気付き始めてJ-POPが下火になり始めたという印象がありますつまり、J-POPの側から捉えた90年代音楽ジャーナリストの言葉にある様に「従来のジャンルを取り込みハイエンド志向に再構築した」というJ-POPの音楽が「J-POP系歌謡曲」の様に呼ばれるほどには「歌謡曲」を含んだカテゴリーなどではなく日本の歌謡曲が世界を目指した時期を通して欧米の音楽の様な本物を目差した「本物志向」のカテゴリーとして生まれた経緯がある事から逆に言えば「本物ではないもの」が「J-POP」のベースに常にあった事になり常識的に考えれば純粋に日本の流行歌から派生した「本物」の日本の音楽の「歌謡曲」が洋楽の亜流に取り込まれるのは考えにくく実は「歌謡曲」の方が「J-POP」を内包していたのではないかという真の事実が見えて来ます更には、世界を目指しながらも「本物になれ無なかった」過去の邦楽のシンガーソングライター達が辛酸を舐め続けてきた黒歴史をバブリーな逆転の発想で「本物志向」という言葉で総括して「洋楽志向」という風潮へと転換して世界へ向かうイメージを国内へ向かわせる事で帰結させ内需拡大路線を音楽に適応させた当時の音楽業界の智謀に乗った形で派生した経緯から「本物」では無くあくまで「本物志向」を柱とする日本国内のみでしか通用しない「亜流」なものというJ-POPの真の正体が浮かび上がって来るのが分かりますこれは、昭和の激動の時代を象徴させながら全ての日本人の琴線に触れる様な音楽的に幅も深みもあった「歌謡曲」というジャンルが平成の日本の大躍進でバブル経済を引き起こし誰もが頂点に立ち世界を制した様な気分に酔いしれた錯覚の中でJ-WAVEが提唱しバブルの象徴とも言うべき「J-POP」誕生の為にある種高揚感で麻痺した感覚で細かくバラバラに解体され使えるものと使えないものに細かく仕分けされた後洋楽志向なハイエンドサウンドに再構築された様な言わば砂上の楼閣の様な造りとなったJ-POPに歌謡曲が取って代わられたと捉えると過去良く言われた様に「J-POPに歌謡曲が(バラバラにされ)殺された」というあくまでJ-POP側から見た見解では無く音楽界全体から捉えてみれば単にリスナーが「J-POPによって歌謡曲が見えなくなった」だけなのであり近年、歌謡曲復活の兆しありとの意見が聞かれるのも一方の消滅によって隠れていたものが見えて来ただけの事と捉えるのが正しい様な印象があります■■近年、音楽が求心力を失い音楽の力が無くなって来たと言われている状況とはあくまで音楽業界視点で語られるCD物品販売不振と先程のJ-POP人気の陰りに起因した音楽単体販売の落ち込みを意味するものでありライブイベントなどを含む音楽ビジネス全般の話を指している訳では無く、この辺りはあの山下達郎をして常に音楽中心業界ベースで語られてしまう情報の齟齬を感じるものとして最たるものがある様に思うものがあります。例えば「ロック」というジャンル一つ取ってみても近年CD不況と共に日本のロック系のアルバムが売れ行きを落としたと聞きますがロックが元々特定のリスナーが聴くマニアックなジャンルだった事やむしろ現代の若者が聴く音楽ジャンルですら無くなっているという「ジャズ」「ブルース」の様な括りという意見もある事からもこれは、ロックがロックファン以外に売れなかった平成以前の状態に戻っただけで極めて当たり前な事なのではないかと思えるものも ありますつまり近年の音楽の不振とはネットの普及に伴ってCD不況なるものが起こって違法ダウンロードによってそれに拍車が掛かった為の状況などでは無く、これまで邦楽の中心となって作られてきたセレブでバブルなハイエンド志向の反映という経緯で誕生したJ-POPが新世紀に入り多様性が求められる時代に入ったと同時に求心力を失い実直で質素な暮らしを好む現在の若者達の琴線に届かなくなった為それを考慮せずあくまで利回りの高いCD物品販売のロジックに固執した時代に合わないJ-POPベースで創られた数多くの邦楽のCDが販売数を激減させた結果なのではないか と言う理由ともう一つは・・・造詣の深い音楽ファンであればともかくとして山下達郎レベルの高いアーティスト目線で創られて非常にクオリティーの高い楽曲の中に込められた普通の耳で聴いただけではその良さが分からない程の「音楽の力」「音楽の良さ」なるものを音楽を知らない一般人ユーザーに理解しろと言われてもそれは無理な話でありつまりそれ位 バブル時代のJ-POP世代の一般ユーザーが音楽に精通しいわゆる「耳が良かった」のであってそうでは無くなった現代のユーザーの場合は平成以前の「普通の状態」に戻っただけの事であり単に業界全体が現在欧米諸国のエンターテインメント映画、音楽作品がなぜに「稚拙」さを感じる程に分かりやすい出来になっているのかを考慮もせずバブル時代の一般人ユーザーがハイエンド志向で音楽にも精通し耳が良かった事を 今だに忘れない でいて現代のユーザーも同じだと思い込み、ハイエンド志向満載なクオリティーの高い楽曲を輩出し続け余りにも現代人の音楽嗜好を過大評価している事を忘れている為なのでは と思うものがあるのでした。・・・ちなみに、これらとは異なった市場で現在も物品販売を伸ばし今や数兆円規模にまで成長した「アニソン市場」があるのですがコチラの話は、又の機会にでも・・・■思うに、「買いたくないものは欲しくないものはタダでも要らない」という消費者のごく単純な心情を汲めずテレビ局大手フジテレビはJ-POPが流行っていた時代そのままのバブルな番組を輩出し続け視聴率低迷にあえぎ電気メーカー大手東芝はバブルの発想で必要な事業と切り捨てる事業を見誤り経営危機に陥り旧体質な角界は相次ぐ不祥事に揺れ旧体質から逃れられない野球界はジャイアンツが遂にBクラスに落ち入り とどの世界でも同じタイミングで不振不祥事が起こるのも新世紀に入り多様性が求められる時代になっても未だ旧世紀な旧体質を続け現代人の感覚や志向を見誤った事への同時多発的に現れた結果なのであって音楽業界に至っては行政を動かし無許可なアップロードを違法化する見当違いなフットワークの良さを見せながら物品販売に固執し時代の潮流を見誤るのはJ-POPというカテゴリーの衰退 そのものの姿を見る思いがし故に、J-POPがよりJ-POPであればあるほど己を殺して行く事になり延いてはそれが、日本の音楽が歌謡曲へ帰結する動きの一環を示唆するものなのかもしれません。とかくこの世は「目」が曇りがちになるものでありこと「耳」に至っては、言うまでもないというお話なのでしょう☆という所で今回は終了ですそれでは本日も 素敵な一日をお過ごし下さい。-----------------------------------------------------------------------------------【CD】ゴールデン☆ベスト 山口百恵コンプリート・シングルコレクション(初回限定2CD)価格:3352円(税込、送料無料) (2023/2/16時点)【CD】SEIKO STORY~80's HITS COLLECTION~(2CD) [ 松田聖子 ]価格:3666円(税込、送料無料) (2023/2/16時点)【中古CD】 9 1/2(NINE HALF)/河合奈保子価格:2178円(税込、送料別) (2023/2/16時点)【CD】Miss M (リマスタリング盤) [ 竹内まりや ]価格:1799円(税込、送料無料) (2023/2/16時点)【CD】夜のつづき [ 八代亜紀 ]価格:3300円(税込、送料無料) (2023/2/16時点)【CD】cure [ 中谷美紀 ]価格:2883円(税込、送料無料) (2023/2/16時点)【中古CD】「けいおん!」劇中歌アルバム 放課後ティータイム価格:890円(税込、送料別) (2023/2/16時点)【CD】黙示録 [ アース・ウインド&ファイアー ]価格:1100円(税込、送料無料) (2023/2/16時点)【書籍】蒼い時 (集英社文庫) [ 山口百惠 ]価格:462円(税込、送料無料) (2023/2/16時点)【電子書籍】 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2018年05月01日
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