LIVING_DEAD

希望論



久しぶりに俺は自転車にまたがる。最近はこの大好きな自転車での小旅行もしていなかった。前には往復100kmの旅をした。もう俺にしては大冒険だ。ちっぽけなことに。
 入試を数日後に控えた今日も俺はあっけらかんとして、その自転車での旅を始めた。この自転車は数年前の誕生日に買ってもらったマウンテンバイクである。お気に入りだ。この自転車でいろんなところへいったが、更に遠くを目指す。今回の話ではない。将来だ。
 家の近所に日本一汚いと言われる一級河川「大和川」がある。俺はそこを河口までしょっちゅう旅している。ほんの数キロだ。そう、だいたい往復で10km。その日は風が強かった。特に河口へ向うにつれて向かい風がすさまじかった。この海から数キロかなれた所でも潮の匂いがしていた。本当に風が強い。
 雪が降って来た。いや、この強風にどこかから飛ばされてきたんだろう。地面に叩き付けられるとそれは粉々に砕けて風の中に消えた。そうしているうちに、信号が変わった。俺は強風に向う為、立ちこぎで信号を急いだ。
 こうして俺が自転車でただ気分転換に走っているのも宿命なのだろう。昨日テレビで見た番組で、こんなことをやっていた。自転車の競技で山の中をただただ下って行くというものだ。その選手は俺と同年代。しかも女子選手だ。自転車の好きな俺は、その数分間の番組に食いついた。その選手が話す。
 「私は昔、ジュニア選手権で私に負けた子達には負けたくありませんねぇ。」
 環境に恵まれている。しかもこの競技に幼いうちから縁があった。俺には無かった。もし、俺がその競技をしていたならば、そこそこの腕前を持っていたに違いない。しかし、俺はただ趣味程度にせいぜい100kmの道を行くだけだ。これこそ、宿命だ。その女の子は世界へ羽ばたく宿命を背負って生まれてきたのだ。俺は違った。家は貧乏、自転車にマウンテンバイクを買ってもらえただけで幸せと思わなければならない。あの競技にも縁がない。
 そして、私は望まない。あの競技がしたいと強く、望まない。
 俺は、別の道を行くべき人間なのである。

 宿命、最近俺が見ているドラマでそれを材料に用いたものがある。
 「宿命」それは生まれながらに決まったもの、生まれた国、外見、身分、頭の良さ...そしてそれからは逃れられない、と・・・。

 この宿命こそがヒトを悩ませる。悩ませる。俺には俺の宿命がある。すべき事を背負って生まれて来た。そして俺達はその線路の上を走らされている。線路の分岐点はいくつかある。その選択で今後の人生を大きく左右する宿命を選ぶ事になる。いくつもの道が交差しあっている。その可能性に賭けた人生。

 魯迅の小説「故郷」の最後にこの様な事が書いていた。

“道は最初からそこにあるのでは無い。そこを人が通るうちに道になるのだ。”

 全くその通りではないだろうか。
 望めば無い物が涌きあがり、草原のなかに道を作る。強く望めばの話だ。
 望めばその宿命は歪められる。俺の宿命、何処かの誰かの宿命。この地面の上は上下左右前後の他方位に360度に広がっている。その中心はいつも自分自身だ。何処へでも行けるはずだ。そう望んである兄弟は飛行機を発明したのだ。いいや、飛行という手段が無くとも、この平面上をヒトは好きな方向に行ける。たとえ、頭が悪くとも強く望めばそこは道になる。

 いくつもの交差点が現れる。悩んで更に道を行く。戻る事ができないからだ。触れて来た過去が教えてくれるものは多い。が、新たな物を得る事ができるのは未来のみだ。


 落ちているゴミを拾うから綺麗な街になるのではない。
 ゴミを落とさなければ街は綺麗になる。

 望めば望むもの何もかもがそこに現れる。こんな事を聞いた。
 川の向こうに渡りたい。でも橋がない。船がない。では作ればいい。木材が足りない。では森を作ればいい。しかし作れない。では泳いで渡ればいい。でも泳げない。では泳ぎを練習すればいい・・・。
 強く望めばいくらでもそこに道はできあがるのだ。最初は明らかに無理なものも、可能になる。

 この世の中は、まさにあなたの望み通りです。


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