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2016.11.08
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カテゴリ: カテゴリ未分類

「人は生き通しです。
 身体は船。。心が船頭さんです。
 船は朽ちても、船頭さんは下船して
 次の船に乗り換えるわけです。
 悟り間違いは、来世の業となるのですから
 今を悔いなく正しく生きることですよ。」

「肉体は船、魂が船頭さんです。
 人も動物も寿命が尽きれば、
 船を降りることになります。
 船には耐用年数があるので仕方のないこと。
 新しい船に乗り換えるまで、しばし休憩です。
 人も動物も心の存在ですから
 心そのままの場所に還ります。
 懐かしい心の故郷へ。。。魂の故郷へ。。。」

「人は魂です。
 人は生き通し。。。
 肉体は船。。。魂は船頭さんです。
 船はいずれ朽ちていきます。
 今を真剣に生きることです。
 良心という羅針盤に従って天命を果たして還ることですよ。
 縁あって、現代に生まれてきたのですから。」

「時代は変わり、時は流れても
 あなたはあなたであったのです。。
 肉体は船。。。魂は船頭さん。
 船は朽ちても心は永遠です。
 心を磨いて生きていますか?
 お金儲けや名声などどうでもいいこと。。
 足ることを知って、朗らかに、
 良心に恥じない自分でありましょう。
 触れ合う人たちの笑顔を我が喜びにして生きていきましょう。」

「ある時は貴婦人。。。
 ある時は庶民。。。
 魂は同じです。
 一つも変わりません。
 ただ置かれている環境で
 それぞれの人生があるだけのこと。。
 どちらも人生勉強です。」






地上という修行の場で魂の修正や成長をさせて頂く為に
与えて頂いている地上における肉体こそは滅びても、
その肉体を乗り物にしている私たちの本質である魂は、
決して滅びることはないと思うのです。


とある時代に、魂が肉体という乗り物に乗って、
地上に生まれ、様々な経験をさせて頂く。。。


時が経過し、肉体の老朽化による死と同時に、
魂は肉体から抜けて天に帰還する。。。


その後、それまで魂が経験させて頂いた
全ての記憶や職業、本当にやりたいこと、
趣味趣向、性格、思考などを引き継いで、
また別の時代に、別の肉体という乗り物に乗って、
地上に生まれ、引き続き様々な経験をさせて頂く。。。


修行の場である地上に生まれる機会を与えて頂く度に、
新しい肉体に乗り換えることを「輪廻転生」というのだと思うのです。


肉体は、僅か数十年しか稼働できない乗り物であっても、
私たちの本質である魂は、永遠に存在し続ける。。。
その私たちの魂の在り方を「生き通し」というのだと思うのです。


なぜ魂は「生き通し」であるにもかかわらず、
肉体は「生き通し」ではないのか。。。


魂の修正や成長をさせて頂くことができるのは、
修行の場である地上のみであるが故に、
肉体は、魂の修正や成長をさせて頂く為に、
地上という修行の場で生かさせて頂くに当たって
必要なものなのだと思うのです。


永遠に存在し続ける「生き通し」の魂に対して、
魂の乗り物である肉体は、僅か数十年という短い期間だけしか
存在することができないのはなぜなのか。。。


肉体が魂と同じように「生き通し」であるのであれば、
魂の修正や成長をさせて頂く為に地上という修行の場に
生まれる機会を与えて頂いた意味を成さなくしてしまうことが多いのが、
魂の修正が必要で至らない点が多い私たちなのだと思うのです。
 (意味を成さなくしてしまうのは、魂の修正や成長が必要な、
  不完全な私たちの魂にその原因があるのだと思うのです。)


肉体が「生き通し」であるのであれば、
地上という修行の場に存在していても、
 「いつの日か、反省すればいいや。。。生き通しだから。。。」
 「その内、正させて頂けばいいや。。。生き通しだから。。。」
という感じで、修行の場であるにもかかわらず、甘えが生じ、
反省すべきを反省せず、正すべきを正さない。。。
むしろ、その怠慢な心のあり方や生きる姿勢や生き様が、
修正すべき点を自ら増やしてしまうことにさえなってしまうと思うのです。


そのような心のあり方や生きる姿勢が、
至らない点が多く、魂の修正が必要な私たちの
実態なのだと思うのです。


だからこそ、
肉体は、有効期限付きの乗り物になっていて、
その有効期限付きの乗り物が稼働できる場所は、
地上という修行の場に限られているのだと思うのです。


裏を返させて頂くと、地上という修行の場において、
魂の修正や成長をさせて頂ける機会は、
僅か数十年という短い期間のみ。。。


そのような短い人生にもかかわらず、
いつ終わるとも分からない人生にもかかわらず、
邪念や欲に翻弄されることなく、
例え、邪念や欲に翻弄されそうになっても、
理性と良心で自分をコントロールすることができる。。。
いつも誠実に、真面目な姿勢で生かさせて頂くことができる。。。
そして、その姿勢を継続することができる。。。
何か1つのことに集中し続けることができる。。。
自分のやりたいことをやり通すことができる。。。


短期間であろうと、
自分の置かれている状況に関係なく、
いつ何時もそういう心のあり方、生き様で
生かさせて頂くことができるからこそ、
魂が磨かれ、修正すべきが修正され、
成長させて頂くことができるのだと思うのです。


もしくは、
いつ何時もそういう心のあり方、生き様で
生かさせて頂くことができるよう、自分で自分を律し、
魂を磨く機会として与えて頂いているのが、
地上という修行の場なのだと思うのです。


とはいえ、
不完全で修正すべき点の多い魂の私たちは、
修正すべきを修正させて頂くにも
時間を要することが多いと思うのです。


修正すべき点は、なぜ修正すべきなのか。。。
修正させて頂く為には、何をさせて頂けば良いのか。。。


それをしっかりと理解させて頂くことにも
時間を要してしまうものだと思うのです。


しかしながら、
しっかりと理解を深めさせて頂くその過程こそ、
魂の修正が必要な私たちの魂には、
とても大切なことなのだと思うのです。


その過程は、十人十色、千差万別で、
その過程における、職業、本当にやりたいこと、
趣味趣向、性格、思考は、人それぞれ、
魂の傾向によって異なるものだと思うのです。
  (だからこそ、自分と人様を比較する必要もなければ、
   人様のことを気にする必要もなく、
   人様からの評価も気にする必要もないのだと思うのです。)


とはいえ、
とある時代は、1つの過程を経験させて頂き、
また、とある時代は、別の過程を経験させて頂く。。。


不完全で修正すべき点が多い私たちが、
生まれ変わる度に、その過程や傾向が大きく変わってしまっては
 折角、過去生で培ったものも、
 今生で活かすことができない。。。
 折角、過去生で修正すべききっかけを見つけても、
 今生でそれを見失ってしまう。。。
など、過去生における大切な過程や傾向を、
今生に活かさせて頂くことができなくなってしまうと思うのです。


不完全で修正すべき点のある私たちは、
過去生において経験させて頂いた貴重な過程や傾向を、
今生、来生と引き継がせて頂かない限り、
その不完全さに磨きをかけることもできなければ、
修正すべきを修正させて頂くことも、
反省すべきを反省させて頂くことも、
正すべきことも正させて頂くことも
容易ではなくなってしまうのだと思うのです。


だからこそ、
「自分」の魂が過去に経験させて頂いた
様々な過程や傾向である職業や、
本当にやりたいこと、趣味趣向、性格、思考などを
「生き通しの自分の魂の傾向」として、
引き継がせて頂いているのだと思うのです。


そういう不完全で至らない点が多い
私たちの魂の傾向を見越して下さった上で、
 「魂は生き通し」
 されど、
 「肉体(修行)は短期間」
 でも、
 「輪廻転生のチャンスあり♪」
という無償の愛による深遠なるお取り計らいを
私たちに与えて下さっている天や、
天が私たち一人一人に与えて下さっている
偶然を装った必然の様々な境遇や全ての現象に
いつも心から感謝させて頂きたいものですね。


源光





私たちの人生は、
木々に成る新芽が青々とした葉になり、
枯れて地に落ち、次なる新芽の肥やしとなる為に
土に還るのと同じようなものだと思うのです。


新芽は、地上に生まれた私たちの赤子時代。。。
青々とした葉は、幼少期から青年期、中年期。。。
枯れた葉は、老年期。。。
枯れ葉が落ちるのは、死。。。
土に還るのは、天への帰還。。。


新芽が、母体である幹から養分を頂き、
青々とした葉になっていくのと同じように、
一人で生かさせて頂いているわけではない私たちも、
常にどなた様かのお陰様で
生かさせて頂いていると思うのです。


枯れた葉が、次なる世代の新芽の肥やしとなる為に
お世話になった幹の下に落ちて土に還るのと同じように、
常にどなた様かのお陰様で生かさせて頂いてきた私たちも、
次なる世代の方々をはじめとする人様のお役に立つことや、
人様にお喜び頂けるようなことをさせて頂くことが
大切なのだと思うのです。


この繰り返しは、私たち人間の
「魂の生き通し」と「輪廻転生」と
似ていると思うのです。

否、
そこから人生とは何かを学ばせて頂く為に、
そのような繰り返しの中で
生かさせて頂いているのだと思うのです。


源光





地上における「死」。。。


「死」をお迎えしたから全てが終わり。。。
ということではないと思うのです。


何かの「終わり」は、
何かの「始まり」でもあるのと同じように、
「死」という地上における人生の終わりは、
今生という新たな人生経験をさせて頂いた
自分の魂の天(心の故郷)への帰還であり、
次なる輪廻転生への「始まり」だと思うのです。


「死」をお迎えして終わるのは、
今生という人生を自分の魂と共に過ごしてくれた「肉体」や
「地上という修行の場」での修業が終わるだけで、
自分の魂は、新たな「始まり」に向けて
存在し続けることを忘れてはならないと思うのです。


魂は永遠であり、生き通しの命。。。


私たちの本質は、魂だと思うのです。
魂があるからこそ、地上という修行の場で
「自分」という意識と肉体という生命をもって、
人生を過ごさせて頂くことができるのだと思うのです。


そして、生まれ変わる度に培わせて頂いている
自分の能力や特技などの様々な糧を、
今生に活かさせて頂くことができ、
更に様々な経験を積ませて頂きながら、
魂の修正や成長をさせて頂く機会を与えて頂いている、
ということでもあると思うのです。


裏を返させて頂くと、
生き通しの命である魂が存在しないということは、
「自分」という意識もなければ、肉体という生命をもって、
地上という修行の場で生かさせて頂くこともできない。。。
様々な経験を積ませて頂くこともできない。。。
特技や能力、心を磨くこともできない。。。
ということになってしまうと思うのです。


しかしながら、そのようにならないのが、
私たちの本質である生き通しの命。。。
「生き通し」の字の如く、永遠に存在し続け、生き続ける。。。


修行の場である地上において、
生命の本体である肉体が死しても、
魂は、肉体という乗り物を捨てるだけで、
存在し続け、生き続ける。。。


それが私たちの魂なのだと思うのです。


それにもかかわらず、
修行の場である地上で生かさせて頂いている私たちは、
生き通しの命である「魂」が、私たちの本質であることを忘れ、
 「死んでしまえばそれで終わり。
  自分はいなくなる。。。
  記憶もなくなる。。。
  だから、人のことなんか考えずに、
  自分の好き放題、やりたい放題に、
  楽しく生きた方がいい。
  それじゃなきゃ損をする。」
などと仰られる方もいますが、
死んでも終わらないことに気付くのが、
死んだ後では「後の祭り」で、
後悔してもしきれないと思うのです。


「死ねば終わり。。。
 だから好き勝手に生きなければ損だ。。。」


自分一人で生かさせて頂いているわけではないにもかかわらず、
否、むしろ、色々な人様のお世話になり、自分を取り巻く
多くの人様のお陰様で生かさせて頂いているにもかかわらず、
こういう「自分さえ良ければそれで良い」という我儘で自分勝手、
利己的な心のあり方や生き方をしているからこそ、
自分で自分を貶め、深い業を積んでしまうのだと思うのです。


「死ねば終わり。。。」


確かに何かが終わると思うのです。
それは、「人生」という、
 「魂の修正や成長をさせて頂く為の
  とても貴重な修行の機会が終わる」
ということだと思うのです。

 (見方を変えさせて頂くと、この世の死後は、
  この世の人生を終えた時の魂のレベルがずっと続く。。。
  ということでもあると思うのです。
  深い業を積んだ状態で死を迎えれば、
  生き通しの命である「魂」は、深い業を積んだまま、
  存在し続ける。。。生き続ける。。。
  ということになるのだと思うのです。
  そして、輪廻転生の機会を与えて頂き、
  来世があるとすれば、その深い業を積んだままの
  厳しい人生のスタートを迎えるのだと思うのです。)


魂の修正や成長をさせて頂く為の修行は、
この世という修行の場でしかできないことを考えれば、
利己心や欲に翻弄されて、やりたい放題、好き放題をしていては、
天に帰還してから(又は、天に帰還することができずに)、
大後悔してしまうと思うのです。


大後悔することのないようにする為には、
地上という修行の場に生まれる時に天から授かった
「何が正しいかその全てを知っている良心」に素直に従って、
過去生から培ってきた自分の特技や能力を、
人様のお役に立つことや、人様にお喜び頂けることに、
正しく活かさせて頂きながら、生かさせて頂くことが
大事になるのだと思うのです。


そういう心のあり方、生き方こそ、
自分の魂の喜ぶ生き方なのだと思うのです。


この世での生を終えて、天に帰還した時に
 「良い人生だったなぁ♪」
と感じることができるようになる為には、それこそ
 「良心の声に従い放題♪」
 「天が地上の私たちに無償の愛を
  与え続けて下さるのと同じように生き放題♪」
 「人様のお役に立つことをし放題♪」
 「人様にお喜び頂けることをやりたい放題♪」
 「人様を思い遣る心、利他心で生き放題♪」
の姿勢で生かさせて頂けば良いのだと思うのです。


そういう生き方をさせて頂くことによって心が磨かれ、
生き通しの命である「魂」の修正や成長をさせて頂くことができ、
その時の自分の心のあり方、魂のあり方に相応しい魂の世界に
帰還させて頂けるのだと思うのです。


従前よりも、少しでも美しく、凛とした、華々しい世界に
帰還させて頂くことができるよう、
良心に従って、心を磨かせて頂きたいものですね。



源光


過去生1.jpg


「本当は、生き通しの命以外に、
 富などは存在しないのです。
 死ねば終わり。。
 好き勝手に生きなければ損だ。。
 この考えがもっとも自分を卑しめる考え方です。」(ラクシュミーさん)
 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201502250000/


「自分は生きているのではなく、
「生かされている」という事実に気づきましょう。
 本当の幸せは、あなたの心の中にあるのです。
 幸せを追いかける人はいつまでも幸せになれず、
 今、呼吸をしている幸せに気づく人が、
 本当に幸せになれるのです。
 まずは、生かされていることに感謝しましょう。」(ラクシュミーさん)
 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401020002/


「悟りとは、いかなる場合も平気で死ぬことではなく
 いかなる場合も平気で生きていること。。
 生きて、生きて、生き抜く ことにあります。」(ラクシュミーさん)
 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409160000/


「人間は、修行のために異郷に生まれて来たのです。
 生きることは心の故郷を異郷に実現させること。
 愛の心で生きること。。
 いつの日か心の故郷に、果たすべきことを果たして、
 喜びを胸に還ることです。」(ラクシュミーさん)
 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408120000/


「汝は、死について考えねばならぬ。
 そしてそこから死ではなく、
 生について熟慮をはじめることだ。」(ビシュヌさん)
 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201201120000/


「汝、死がなければ、生を重んじることができず、
 生がなければ道を見つけ出すことができないことを知ることだ。」(ビシュヌさん)
 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201112250000/


「死なないで地上で、生きられる人は皆無です。
 人は、地上に命がある時だけ諸々の善行を
 なすことができるのですから、せっかくの機会を
 大いに活かして、帰還されますように。。」(ラクシュミーさん)
 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201211090000/


「生まれ変わるのは、地上に生ある時です。
 還って来てからでは遅いのです。」(女神経典)
 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209260000/


「人間という舟を得たら、それで苦悩の大河を渡れ。
 愚か者よ、惰眠を貪るな、この舟は、再び得がたい。」(ビシュヌさんの分霊さん)
 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201201290000/


「人は過去世の自分と職業、趣味趣向、性格、思考、
 異性の好み、失敗の傾向、顔形までソックリです。
 時代 、場所が違うだけで同じ魂ですから当然のこと。。。
 人は生き通し。。。決して死なない存在です。
 誰も見ていなくても心正しく良心に恥じない自分でありましょう。
 因果応報の法則は紛れも無い事実なのですから。。。」(ラクシュミーさん)

「肉体は滅んでも、魂は、決して滅びません。生き通しです。
 時代も場所も違っても、同じ心と趣味趣向を承継していきます。
 人は自分の魂が喜ぶものをトコトン探求し続けるのが
 一番幸せなのです。。。」(ラクシュミーさん)

「人は生き通しなのです。。。
 肉体は船。。。心が船頭さん。。。
 船は乗り捨てて。。。心の旅は永遠に続くのです。
 良縁は良縁として。。。悪縁は悪縁として次の船に引き継がれるのです。
 今を良心に従って正しく明るく生き ることですよ。」(ラクシュミーさん)

「誰もが生き通しなのです。
 時代も場所も違っても性格は全く同じです。
 しかしそれを実感として知っている人はほとんどいないのです。
 それでも人はなぜか魅かれる国や装束があるものです。」(ラクシュミーさん)

「運命は自分で切り開くことができますが、
 性格、趣味趣向、癖、好きな勉強や仕事のジャンルは、
 いつの時代もまったく変わらないので、
どの人も行動パターン、失敗の傾向は同じです。
 いいところは伸ばし、悪いところは修正。。。それでいいのです。」(ラクシュミーさん)

「人は誰でも、過去の生があり、今の自分があります。。
 時代も空間も超えて今の生があるわけです。。
しかし性格、長所、短所、癖、趣味趣向、職業。。。全て同じ。。。
 魂の鍛錬は、今日も続きます。あなたも例外ではありません。」(ラクシュミーさん)
 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201507210000/


「死とともに全ては無となるのですが
 残るものがあります。
 それは心。。。
 邪悪な心で生きた人は、
 暗く寂しく辛く哀しい殺伐とした世界に住むことになります。
 心の美しさ。。。
 磨いていますか?
 死と生はコインの裏表。。。
 今世の生き方次第で帰る場所が決まります。」(ラクシュミーさん)
 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201601290000/


「人は、いつか必ず死ぬのです。
 死を恐れるからこそ、
 人は生きているということを実感することができるわけです。
 死ねば終わり。。。だから生きている間はやりたい放題でいい。。。
 これが大間違いですよ。
 業はしっかりと次の生で償うことになっているのです。。。
 誰も見ていないからこそ、
 良心に従って今を明るく人を喜ばせて生きなければなりません。」(ラクシュミーさん)
 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201509210000/



クラウドアトラス02.jpg


輪廻転生6.jpg





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Last updated  2016.11.09 14:32:46
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