書くことの意味

書くことの意味

2004年11月07日
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 岸見さんの講演会に出かけた。4時間の長丁場が、あっという間だった。20人弱の参加者が、じゅうたんに座布団を敷いて、ぺたりと座り込む。その前で、岸見さんが等身大の視点で、色々なことを語りかけて下さる。恥ずかしながら、わたしは哲学を本格的に勉強したことは無いので、聞きかじりの、破片のような知識しか持ち合わせていない。拙い知識量のせいで分からなかった問題点をいくつも、質問させていただいたのだが、今後、自分で考えるヒントをたくさん、頂いた。今日の講演会が、東京で開かれて、本当にありがたかった。

 文章を通しての交流から始まって、いざ直にお会いすると、大抵、相手の方にいくばくかの違和感を抱くものだが、今日は、驚くほどそれが無かった。岸見さんが日記の中で、ご自分の心情を素直に表現なさっているからだろう。やはり、文章には人となりがそのまま、にじみ出てくる。

 「プラトンの書物は固有名詞さえ無ければ、現代の作品と言われても全然、不思議ではないです」という岸見さんの言葉に励まされて、帰り道、初めてプラトンの「饗宴」を購入した。翻訳者の方のあとがきを読むと、最初に翻訳を手がけてから出版するまで、9年間の月日が経ったとある。しかし文章は、そういった苦闘があったとは信じられないほど、滑らかに流れている。現代の英語でさえ、これほど苦労しているわたしが、古代ギリシャ語を習得するなんて、それは100%不可能なことであろう。2400年の時を経て、先人の書物を現代の日本語で読める僥倖をしみじみ、思う。と同時に、心から敬愛していた師ソクラテスを不本意な形で喪ったプラトンの心情と、ずっと目標にして来た友人を喪った自分のそれとが、重なり合うような親近感を覚えた。いつまでも嘆いていても始まらない。悲しみに溺れてはならないと、自然に思えた。

 書くことが決して、嬉しさや喜びばかりにつながるものではないのは、よく分っている。書くことを突き詰めていくと、真綿で首を絞められるように呼吸が苦しくなり、時として、気が狂うのではないかという恐怖感に駆られる。それでも、書くことを追い求めずにはいられない。後は、どうやって、自分の中で折り合いをつけていくかなのだろう。





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最終更新日  2004年11月07日 23時07分46秒
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