make a wish

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『1リットルの涙』で思ったこと


私はふだんどんな悲しいドラマや映画を観ても涙を流さず、「鉄の女」なんて旦那に言われているくらいです。ですが、このドラマは苦しくで胸がつまって仕方ありません。夫には内緒にしていますが、原作本を読んだ時は泣いてしまいました。
なんというか、病気に対する恨みとか難病になってしまったことに対する憎しみとかではなく、亜也さんの素直さ、純粋さがすごく伝わってきて、こちらの気持ちもきれいになるようなそんな気がしてなりません。

私は大学4回生の時に「多発性硬化症の疑い」と診断され、大学病院に緊急入院した経験があります。バイト中に突然右足がカーっと暑くなり、あれ?と思ったものの、その後気にしていなかったのですが、帰宅して入浴時に、右腰から下の感覚がないことに気がつきました。異常だとはわかっていても痛みがないし、どこで診てもらったらいいのかわからず、近くの外科に行ったったのですが、そこの先生に「専門外で詳しくは言えないけどすぐ大学病院で診てもらったほうがいい」といわれ、大学病院を受診することになったのです。
大学病院と聞いて少々びびっていた私は妹についてきてもらいました。たしか、10月の土曜日だったと思います。大学病院の神経内科の先生には「『多発性硬化症の疑い』で明日にでも入院してください」と言われたものの、ピン!と来ず、「卒論の提出を控えているので先にのばしたらだめですか?」なんて暢気に返答した私。そしたら、先生は多発性硬化症について説明してくれました。「今は右腰から下の感覚がないだけだけど、それが全身に広がってくる、今は感覚だけだけど、筋肉が硬くなって歩けなくなり、寝たきりになる。最終的には眼球も動かせなくなる。」これはもうものすごいショックでその場で泣いてしまいました。診察室から出てきた私が大泣きして何もいわないので、待っていてくれた妹が慌てて先生に病状を聞きに言ってくれました。診察室から出てきた妹もショックで泣いていたっけ・・・。その後の採血などの検査の間もずっと泣き続けていたな・・・。
もう逃げられないということで、入院することにしたものの・・・。同じ病棟には同じ病気で、もっと病状の進んだ方がいらっしゃり、それがまた恐怖となって、もうずっと不安でした。また、回診で同じくらいの若いインターンの人たちに、パンツ一丁の姿をさらすのはとても屈辱的でした。このことは亜也さんも本に書いています。とてもつらい体験でした。
結局私は、三週間ほどで感覚が戻ってきました。あれは一体なんだったんだろ?ストレスということで片付けられてしまったけど・・・。でもその後は感覚がなくなるってことはありません。
どんな病気でもはつらいですが、若くして病魔に侵されるというある意味選ばれた者であるようなあの感覚は今も残っています。三週間で開放された私は亜也さんの本当の苦しみはすこしもわかっていないと思うけれど・・・。

病気自慢ではないのですが、29歳の時は子宮体癌ゼロ期と診断されてしまいました。この時はまだ未婚だったため温存する手術をすることになりました。赤ちゃんが生まれる人たちと同じ病棟であったため、この時もまたひどく落ち込みました。どうして私だけこんな目に??とかなり性格が曲がったように思います。だって・・・赤ちゃんが生まれてご夫婦で嬉しそうに赤ちゃんを抱いている。その隣りの部屋で私はひとりで不安に苛まれていたんですもの。結婚して幸せな日々が私にも来るのかな?って、亜也さんと同じように悩んでいたな・・・。

私は二度の大病体験でかなり心が広くなったなと自分で感じています。笑
あんまり怒らなくなりました。でも当時の自分を振り返ってみても、恨み辛みばかりで、亜也さんのようにまっすぐ前に向かって進むことなんて、絶対できなかったと思います。彼女の素直さと透明感にとても感心し、感動します。本来、まじめなことを考えることを避けてる私ですが、このことだけはどうしても書きたくなって今感情のまま書きなぐっています。読みづらいかとは思いますが、お許しください。

気が向いたらまた後でチェックしたいと思います。今はこれまで。


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