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■ジャズの歴史(その12)■



■History of Jazz ジャズの歴史(その12)■

●ジャズの本拠地はニューヨークに

アメリカ最大の都市であるニューヨークは、早くから発展をしていました。
ニューヨークのブロードウェイは、
すでに19世紀初頭には娯楽施設が多く立ち並ぶ繁華街となっていました。

そして、ヨーロッパに近いということもあり、ここではヨーロッパから入ってくるオペラやオペレッタ、
ミュージカル・コメディーなどが盛んに上演されていました。
しかし、アメリカの上演に際しては、アメリカに合うようにアレンジが施され、
新しいギャグや曲が付け加えられ、
それは次第にアメリカ独自の音楽・舞踊・演劇を巧みに融合させた総合舞台芸術の、
ブロードウェイ・ミュージカルを形作っていきました。

ほかにも、白人が顔を黒く塗って黒人風の歌やダンスなどを披露するミンストレルショーや、
演劇、演芸の寄席演芸的ショーのヴォードヴィルなど、
人種差別の薄かった北部の地域性が現れた音楽や芸能文化の発展が多く見られました。

1904年、地下鉄が開通したのをきっかけに、以後ニューヨークは地下鉄建設ラッシュとなります。
それを当てにして、黒人労働者たちが南部から集まってきましたが、
第一次世界大戦の影響で工事が遅れるようになり、多くの黒人労働者たちは仕事にあぶれるようになります。
そんな彼らは、地下鉄建設のため「地上げ」されて空き家になっていたハーレム地区に住むようになっていきます。

南部から移動してきた黒人たちは、南部の象徴ともいえるジャズという音楽を、
自分達を表現する音楽として持ち込み、生活に密着したものとして大切にしていました。
こうしてニューオリンズからシカゴへ移ってきたジャズは、ニューヨークで根をおろすことになります。

1910年代の終わり頃から1920年代のハーレムでは、
ラグタイム・ピアノから「ストライド・ピアノ」と呼ばれるスタイルに発展したジャズ・ピアノが流行していました。

1920年代、交通網の整備などでシカゴとニューヨークの距離があまり遠く感じられないようになったこともあって、
シカゴで名を上げたミュージシャンは次第にニューヨークに進出するようになります。

白人ナンバーワンと言われたビックス・バイダーベックと、
ニューオリンズからシカゴに移って「ジャズ王」と呼ばれるようになったルイ・アームストロングの
2人の天才コルネット奏者は、偶然にも同じ1924年にニューヨークに出てきました。

ルイ・アームストロングが参加したフレッチャー・ヘンダーソン楽団は、
初めは小編成のバンドだったのが10人編成のバンドになっていきました。
1920年代は、今まで少人数だったバンド編成から、
こうした、10人以上のビッグバンドと呼ばれる大編成のバンドが多く出てきます。

1922年、ハーレムに「コットンクラブ」という高級ナイトクラブができ、
白人たちが黒人のジャズを聴きに来るようになります。
バンド編成を拡大していったデューク・エリントンのバンドは評判になり、
1927年から、ここの専属バンドとなりました。

こうして、ジャズは次第にニューヨークを本拠地として発展していくことになります。

Last updated April 10, 2008

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