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(承前) 前頁記事の続きです。この日(4月23日)は、白山公園から信濃川沿いにふるさと村へと銀輪散歩であります。 白山公園で見かけたカラタチの花の写真から始めます。(カラタチ) カラタチの万葉歌と言えば・・。 「忌部首いむべのおびとの、数種くさぐさの物を詠みし歌一首」という題詞が付された、この歌が1首あるのみ。枳(からたち)の 茨(うばら)刈り除(そ)け 倉建てむ 屎(くそ)遠くまれ 櫛(くし)造る刀自(とじ) (忌部首 万葉集巻16-3832) 「カラタチの原を刈り上げて倉を建てよう。糞は遠くでなされよ、櫛造りのおかみさん」というナンセンスな戯れ歌であるが、これで万葉植物の仲間入りを果たしたカラタチとしては複雑な心境でしょうな(笑)。(同上) このように棘のある植物には邪を払う呪力があると考えられていたこともあり、かつては生垣などによく利用されたのだが、最近は殆ど見かけなくなった。(カラスノエンドウ) こちらは、何処にでも見かけるカラスノエンドウであるが、気の所為か大阪で目にするものより花が大きく色も濃いようです。(同上) 信濃川べりの、やすらぎ堤と呼ばれている土手道に上がると、チューリップとサトザクラが花の時期。(やすらぎ堤のサトザクラ) ソメイヨシノは散ってしまった後だが、八重のサトザクラが丁度満開の見頃である。(同上・サトザクラとチューリップ)(同上・チューリップ) こちらのチューリップの奥に見えている並木がソメイヨシノのそれであるが、ご覧の通り、咲き遅れた花がわずかにあるのみで、遠目では葉が目立つだけ。(同上)(同上)(同上・カモ) 信濃川の川面に居たカモ2羽が連れだって飛び立ち、こちら岸の緑地の中ほどに着陸。そこからヒョコヒョコと歩いてチューリップが植えられている近くまでやって来た。何かをついばんでいる。 驚かせないように気配を殺してゆっくりと接近すると・・。(同上) ミミナグサか何か、草を盛んについばんでいます。 カモは水草などを食べているのかと思っていましたが、陸上の植物なども食べるのですな。 しばらくすると、1羽のカラスが飛来。 その気配をいち早く察知、カモ2羽は川面へと避難。 カラスのカモにされてはかなわん、ということか。 サギのカモになっているヒトが多いこの頃、ヒトもカモを見習うべし。(JR越後線) やすらぎ堤から越後線白山駅の方へと渡れる、線路に沿った陸橋の道があったので、そちら方向へ寄り道。 すると、白山駅を出た列車がやって来たので、去って行く列車を追っかけ撮影。すぐにカメラを取り出したのだが、シャッターを押せた時には走り去って行く列車の後ろ姿になっていました。 列車は、間もなく信濃川に架かる鉄橋を渡り新潟駅に行くのだろう。 白山駅の手前にはヤマザクラでしょうか、桜が咲いていました。(白山駅近くの線路沿いの桜)(同上) そしてサツキツツジも満開。(白山駅近くのツツジ) やすらぎ堤に戻り、ふるさと村へと向かうことに。 信濃川左岸の道は、本川大橋のところで、関屋分水路に架かる関屋大橋に回り込み、これを渡って、上流へというのがそのルートになる。(関屋大橋の上から信濃川上流を望む。) 画像の右手が左岸。 左岸の土手道を上流へと向かうと、ふるさと村である。 画像の左手方向が水門を備えた本川大橋で、信濃川本流は左手へと流れて海へと至る。画像の手前側が関屋分水路で、信濃川の水量が増大した場合などは水門を閉じて、この関屋分水路により、ショートカットで海へと川水を逃がすのであろう。 さて、ふるさと村までは大した距離ではないので、すぐに到着である。 丁度、チューリップの季節とあって、ふるさと村の花壇はチューリップ一色でありました。(ふるさと村のチューリップ)<参考>道の駅・新潟ふるさと村(同上) 奥に見える青屋根の建物が野菜や果物、海産物など新潟の物産を販売する店や食事処のある施設である。(同上)(同上)(同上) ふるさと村を出て、来た道を引き返します。 チューリップの花を見過ぎた目には、このような葦の色彩に乏しい景色が却って好ましいものに見える。(やすらぎ堤の葦) 翌4月24日は雨で銀輪散歩はお休み。 25日は竹内式部めぐりの銀輪散歩でありましたが、これは前頁記事で紹介済みです。 ということで、新潟銀輪散歩終了。26日空路で帰阪です。 帰路の飛行機でウトウトしていたら、急降下があったのか、ガクンというかバタンというか大きな衝撃があって目が覚めました。 窓の外を見やると雲の中にて何も見えず。 やがて雲の下へと降下して、奈良盆地上空に入ったようで、眼下に見覚えのある箸墓古墳が見えて来ました。(上空から箸墓古墳 左下部) 左下部に写っている大きな古墳が箸墓古墳。 その上部左手中ほどから右下隅にかけて流れている川が大和川。 上流部分は三輪川、初瀬川(泊瀬川)などとも呼ばれる。 そして、金剛山と葛城山。(上空から金剛山<奥>と葛城山<手前>) 生駒山系高安山上空から大阪府上空に入り、さらに高度を下げて、大阪城公園付近の上空へとさしかかる。(上空から大阪城公園) はい、間もなく伊丹空港に着陸です。(完)<参考>銀輪万葉・新潟県・長野県篇
2024.04.30
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(承前) 前頁記事の竹内式部めぐりの途中、NSG美術館の前の道を東に進み、広い通りに出た左側角にあったのが砂丘館。旧日本銀行新潟支店長役宅だとのことだが、何やら書展が開催されているようなので立ち寄ってみた。(砂丘館・旧日本銀行新潟支店長役宅)(同上)(同上・パンフレット1)※パンフレットは、画像をクリックして大きいサイズのフォト蔵写真でお読みいただくのがいいかと思います。(同上・パンフレット2) 砂丘館は、旧日本銀行新潟支店長役宅の通称。昭和8年(1933)建設で、戦前の日本銀行の役宅として現存するのは新潟と福島(昭和2年建設)の二つだけとのこと。 当初は西堀前通り六番町にあったが、柾谷小路の拡幅にかかり、現在地に移転。平成11年10月まで、8代から37代までの30人の支店長が居住。 平成11年日本銀行が新潟市に売却。平成12年6月から一般公開されてきた。平成17年指定管理者の公募が行われ、7月から芸術・文化施設として新潟絵屋・新潟ビルサービス特定共同企業体による管理・運営に移行している。(砂丘館の庭から) 砂丘館という名称は、新潟砂丘の上に立地していることに由来するのだろう。 さて、開催されていた書展というのは、新潟県下田村(現三条市)出身の書家、横山蒼鳳氏(1934年~2012年)の書展でありました。 同氏のことは何も存じ上げないが、通りがかったのも何かのご縁。入館無料でもあれば、建物内の見学も兼ねて書展も見せていただくことに。(横山蒼鳳展) 玄関の戸を開けると、「出杭人生」という大きな書が目の前に。(横山蒼鳳展1)(横山蒼鳳展2)(横山蒼鳳展3) 部屋や廊下などにさりげない形で書が展示されている。 「私は日本人として日本人にわかる文字で、しかも自分の言葉で書かないと、自分が書いたことにならない。そういう思いが念頭を去らない。」というのが同氏の書ということなんだろう。(横山蒼鳳氏プロフィール) 奥の土蔵が砂丘館ギャラリーになっていて、そこが主たる作品の展示会場になっている。 同氏プロフィールによると「青年期、會津八一の薫陶を受け、」とあるから、竹内式部めぐりのかたわら、會津八一の歌碑や墓にも立ち寄った今回の銀輪散歩ということで、少しはつながりもあるということになるか。(横山蒼鳳展4) はい、蔵に足を踏み入れるとこんな感じで作品が展示されているのでありました。(横山蒼鳳展5)(横山蒼鳳展6) 蔵の2階にも作品が展示されている。2階に上がってみる。(横山蒼鳳展7)(横山蒼鳳展8 同氏の著作) はい、1階に戻りました。(横山蒼鳳展9) 「長命は最高の芸術」でありますか。 「長生きも芸のうち」という言葉もありますが、超高齢化社会となった現在の日本、最高の芸術家、芸達者が多数を占めているということになりますな(笑)。我が国最初の芸術家とも言われるのが大伴家持。1306歳の偐家持ともなると超最高の芸術家と言うべきであります(笑)。(横山蒼鳳展パンフレット)(同上) 砂丘館を出て、白山神社へ。(白山神社)<参考>白山神社(新潟市中央区一番堀通町)・Wikipedia(同上・随神門)(同上・拝殿)(同上・境内図) 戦国時代の一時期、白山神社・白山公園内には新潟城があったとのこと。(同上・幻の新潟城) 日付は前後しますが、下編は信濃川沿いをふるさと村まで銀輪散歩いたします。(つづく)<参考>銀輪万葉・新潟県・長野県篇
2024.04.29
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先日(4月25日)、新潟まで銀輪散歩に出掛け、竹内式部にゆかりの場所を巡って来ました。 2018年6月10日の記事で、白山公園の竹内式部顕彰碑の写真を掲載したことがありました。その折に竹内式部という人物のことや宝暦事件のことを初めて知り、いずれは彼にゆかりの場所を回ってみようと思っていたのでしたが、いつの間にか忘れてしまっていました。 そんな折、ブロ友・MoMo太郎氏の昨年10月31日の記事で、東京都葛飾区の宝蔵院の本尊・木造薬師如来立像が竹内式部の菩提を弔うために安置されたものであるということを知り、竹内式部のことを思い出したという次第。 <参考>竹内式部 2018.6.10. 金町からたどる下町歩き(その9)宝蔵院 2023.10.31. ということで、かつて海岸沿いの自転車道を銀輪散歩した際に日和山付近で目にしたと記憶する竹内式部の墓を目指す。 万代橋を渡り、寄居町交差点から北に入り、西大畑公園経由、市立美術館の西側の道を北進。しかし、遠い記憶だけが頼りとあっては心もとない限りで、なかなか見つからない。そこで、海岸べりの自転車道に出てみることにすると、どうやら行き過ぎていたようで、自転車道を南へと戻る。 記憶では海べりの白い展望台付近で、「←竹内式部墓」の案内表示板があった筈。果たして、展望台から少し南に行ったところにそれがありました。 案内表示板の「←」に従い、東に入り、坂道を下って行くと竹内式部の墓がありました。(竹内式部墓)(同上・副碑) 時計を見ると正午になっていたので、市立美術館まで戻り、館内にある喫茶店、こかげカフェで昼食とする。 昼食後、二葉公園にあるという竹内式部の銅像へと向かう。 この銅像も以前目にしているのだが、その場所の記憶が曖昧。二葉公園だろうと思われる場所を目指し行くと、運よくそれが的中。(竹内式部像・二葉公園)(同上) 銅像の台座には至誠奉公の銘が刻されている。(同上)(同上)(同上・副碑) 副碑全文は次の通り。 竹内式部(1712~67) 當地の医家に生る。青年の日、上洛して徳大寺家に仕え、儒学、神道を修め、後、家塾を開く。説くところ、神道に基づく尊王思想なり。少壮の公卿多く師事してその感化により朝廷の権威回復を志し、為に宝暦九年(1763)京都を追わる。宝暦事件と云い、尊王論者処罪の最初の事件とす。後、友人藤井右門、明和三年(1776※)を起こすや、累式部に及び、翌四年八丈島へ流罪の途中十二月五日寄港地三宅島にて病没す。※1766の誤り 遺蹟 墓 共同墓地 碑 白山公園 生地跡 本町九 祠堂 本覚寺 碑 入船地蔵 竹内式部や宝暦事件、明和事件の詳細については、下記<参考>をご参照ください。<参考>竹内敬持・Wikipedia 宝暦事件・Wikipedia 明和事件・Wikipedia 二葉公園は椿の木が沢山植えられていて、公園東側の道路は「椿の道」と名付けられているようだ。竹内式部像の近くにも椿の木が沢山あって、白い花、赤い花、ピンクの花が、盛りの時期は既に過ぎているようだが、それでもまだ沢山の花が咲いていた。前回立ち寄った際は椿の花の時期ではなかったようで、椿の花の印象はない。何やら薄暗い一角にひっそりと場違いにそれがあったという印象の記憶は、背の高い椿の木々が取り囲んでいたことによって醸されたその場の空気の所為であったのだろう。 誰かが植えたのか、それとも棄てられた球根が芽を出したのか、黄色と赤が混じった大きなチューリップの花が一輪、木の根元に咲いていました。 椿の木の背後の大きな木が枝を横に広げ、椿の葉が繁る背後からこれを突き破る形でこちらに飛び出した枝に樫や椎の花に似たものをつけていました。(ヤマグワの雄花であるか?) 葉を見ると、樫や椎のそれのように厚いものではなく、落葉樹のような薄い葉である。ということで、ヤマグワの雄花ではないかと推定したが、確証がないので、「?」付きで掲載して置きます。(同上) 二葉公園の東側の道、椿の道を南に辿ると、以前は會津八一記念館であったNSG美術館の前に出る。(NSG美術館) 會津八一記念館は現在は新潟市中央区万代3-1-1メディアシップ5階に移転しているが、會津八一記念館であった頃の名残が美術館前の歌碑である。(會津八一歌碑)(同上・副碑)於りたては なつなほあさき しほ可せの すそふきかへす ふるさとのはま (會津八一「寒燈集」)<参考>會津八一記念館であった頃に此処を訪ねた記事 長岡 2008.5.20. ヤカモチには「ふるさとの浜」ではないが、日本海、新潟の海岸を、西海岸公園越しに眺めてみることにします。(西海岸公園) この坂を下ると海岸である。海沿いには自転車道が通っているのだが、今回は一瞥のみ。 では、今回の銀輪散歩のそもそもの発端となった、白山公園の竹内式部顕彰碑を再訪してみることにしましょう。 寄居町交差点に戻り、東中通りを南に下ると新潟市役所前に出る。左折して東に行くと新潟地方裁判所である。(新潟地方裁判所) 裁判所の道路向かい南側が、白山神社、白山公園である。(竹内式部顕彰碑)(同上・副碑) 白山公園を出て、裁判所の東側の道、西堀前通りを北上すると、會津八一の墓があるという瑞光寺。 立ち寄ってみる。(會津八一墓・瑞光寺) 墓の隣に歌碑もある。(會津八一歌碑・瑞光寺)(同上・副碑)ふるさとの ふる江のや奈ぎ は可くれに ゆふべのふねの ものかしぐころ (會津八一「鹿鳴集」) 八一の墓の左隣には高浜虚子の句碑。(高浜虚子句碑・瑞光寺)三羽居し春の鴉の一羽居ず (虚子) 瑞光寺を出て、西堀前通りを北上。 本覚寺にあるという竹内式部の墓を目指すが、本覚寺がこの通りに面してあるのかどうかも不明。 途中に寺の名を列記した碑があったのでそれをのぞき込むと瑞光寺から四つ目か五つ目かに本覚寺があった。ところがこの碑の表示が現地の南北と逆になっていて、頭の中でこれをひっくり返して理解する必要があって、一瞬戸惑うという代物。幸い南端の瑞光寺から出て来て北へと進んでいたので、方角が逆だと気づいたのだが、これが中間位置の寺から出て来たのであったなら、反対方向に進んでしまったに違いない。 まあ、設置者の無神経に腹をたてても仕方がない。 本覚寺の場所が分かったのだからよしとするか。 本覚寺門前に到着(本覚寺・竹内式部先生菩提寺の碑) ぐるりと本堂裏の墓地を巡ってみたが、それらしき墓が見当たらない。 諦めて帰ろうかとしているところで、ご住職と思しきお方が運転の車が寺に入って来た。で、お尋ねすると、墓の場所まで案内してくださった。ご親切に感謝である。(竹内式部の墓・本覚寺)(同上) 本覚寺の墓については、事前にネットでこのような写真を目にしていたので、地面から直接にこのような形で建っているものと思い込んでしまった所為で、広い台座を備えた墓は除外して探していたものだから、すぐ近くを通っても、それとは気がつかなかったのだろう。(同上・左側面)(同上・裏面) 以上で、竹内式部めぐり終了とします。 本町通りには生地跡があるそうだが、本町通りが何処なのか分からないので、探索は諦める。同様に、入船地蔵にも何か関連の碑があるとのことだが、これも地理不案内でパス。今後の宿題とします。<参考>銀輪万葉・新潟県・長野県篇
2024.04.28
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中学時代の同級生である喜多麻呂君から引っ越した旨のメールを貰ったのは昨年の11月24日のこと。その時は単なる引っ越しと思っていたのだが、年賀状を書く段になって、その新住所をよく見ると介護サービス付きの高齢者向け住宅であることに気がつきました。 年が明けてからだと記憶するが、彼に電話して気候がよくなったら、銀輪散歩を兼ねて訪ねる旨を伝えていて、そのようなことをブログ記事か友人間のメールかの何処かに書いたのでもあったか、それに対してブロ友であり同じく同級生でもあるひろみちゃんから、「その折にはご一緒させていただきたいのでご一報ください。」というようなコメントを頂戴したのを記憶している。 尤も、過去記事を少し調べたが、そのような記事やコメントが発見できず、現時点では確認できていない。 それはともかく、先日彼に電話を入れ、4月19日に訪問したいが都合はどうかと尋ねたところ、OKだとのこと。 そこで、ひろみちゃんにも電話したら、彼女もOKとのことであったので、二人で彼を訪ねることとする。 ヤカモチはMTB(マウンテンバイク)かCB(クロスバイク)で銀輪散歩、彼女は車でドライブとなると、現地待ち合わせしかないこととなるので、折衷してヤカモチは軽量折りたたみ自転車のトレンクルに変更し、外環状道路六万寺交差点付近で落ち合い、そこでトレンクルを車に積み込み彼女の車で喜多麻呂君のもとへと向かうことに決定。 ということで、昨日(4月19日)は、喜多麻呂君を訪ねて来ました。 喜多麻呂君と会ったのは2022年5月16日の恩師井〇先生の墓参が最後であるから、それ以来ということで、ほぼ2年ぶりの再会になる。<参考>佐保川ウオーク 2019.3.31. 中学時代のクラスメイトと恩師墓へ 2022.5.17. 中学同期関係の過去記事はコチラ。 彼、喜多麻呂君は2019年3月の中学クラスメイトによる佐保川ウオークでも、足が痛くて長い距離は歩けないとかでウオーク後の宴席だけの参加であったのだが、22年から23年にかけて一層状況悪化が進んだようで、現在では要介護4レベルと認定される状況にあるとかで、しばらく会わないでいた間に車椅子生活となってしまっていたのでありました。 ヤカモチも最近は腰痛の所為で長距離の歩行は困難。身体のケアを怠ると要支援、要介護の状況に陥りかねないので、要注意ではあります。 それはさて置き、施設の彼の部屋に通していただき、彼とひろみちゃんとヤカモチでしばしのミニクラス会でありました。 午後1時過ぎから3時過ぎまでの2時間ほど、あれやこれやのとりとめもない雑談で旧交を温めました。 帰途は、大泉緑地を過ぎた野遠石原町交差点付近で車から降ろしていただき、ひろみちゃんとは別れてヤカモチは銀輪行に切り替えであります。 道は既に中央環状線に入っているので、これを進むだけ。道端でトレンクルを組み立て出発。 中央環状線美原ロータリーでそのまま東に直進すると外環状道路に至り、往路と同じコースを逆に辿ることとなったのだが、中央環状線は美原ロータリーで90度カーブして北向きに変わる。道なりに中央環状線を大和川まで進む。新明治橋を渡り、大和川右岸の自転車道に入り、これを上流へと走る。(大和川) 前方の橋は大正橋。橋の向こうには二上山。 新明治橋の上流側の橋が大正橋。何やら安易な名前の付け方のような気がする。もう少し近づいてみると。(同上) 大正橋から更に上流へと走ると、昭和橋、ではなく新大井橋。(同上) この新大井橋から外環状線を左に走ればいいのだが、そのまま上流へと土手道を進む。 新大井橋の上流側に橋に並行して送水管のようなパイプが2本、川に渡されていて、それが作る日陰が出来ていたので、しばらくそこで休憩。(同上) 前方には、国道旧170号が通る河内橋が見え、その向こうには、柏原市庁舎とリビエールホールの建物が見えている。 河内橋をやり過ごし直進、近鉄道明寺線の踏切を渡った先の安堂交差点脇にある、高橋虫麻呂の河内大橋の万葉歌碑に、久しぶりにご挨拶して行くことにする。(高橋虫麻呂歌碑) 安堂交差点から、近鉄安堂駅前経由、太平寺交差点から国道旧170号に入り、スーパー万代の角で西に入って恩智川沿いの、馴染みの銀輪散歩道を走ることに。 恩地の、元・喫茶ナナ、現在はスパイスなんとかというインド料理店の前を通過し、外環状線道路と合流する手前にある元パチンコ屋の敷地内でタバコ休憩。コロナ禍でパチンコ屋の倒産・廃業が増えているようで、我が家の近所でも知る限りで3店舗が姿を消しているが、このパチンコ屋さんもその類か。 タバコを喫いながらスマホを見ると、ひろみちゃんからラインメールが入っていました。自宅に到着した旨を知らせるメール。当方は未だ恩地付近である旨返信。ここから自宅までは、更に30~40分程度かかる見込み。 彼女は、その日のうちに今回の件をブログに記事アップされているので、そのリンクを貼って置きます。併せご覧ください。<参考>堺市へ中学の同級生を訪問 2024.4.19. ということで、帰路は2時間半程度の銀輪散歩を堪能できました。
2024.04.20
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今日は久々に岬麻呂旅便りの記事であります。 前回記事が2月27日ですから、ほぼ2ヶ月ぶりということになります。 今回は、例によっての桜旅。「桜前線が例年より早いと予測して計画したが、想定外の遅さで『桜なし』も覚悟で出発。ところが連日の異常高温で桜満開に巡り会えた一人旅」であったとのことであります。(旅・岬巡り報告328)※画像をクリックすると大きいサイズのフォト蔵写真が別窓で開きますので、それでお読みいただくと読みやすいかと思います。(添付写真1) (同2)(同3) (同4) 4月10日~13日の桜旅、我々も同行させていただきましょう。 鶴ヶ城、東山温泉、鶴岡公園、瀬波温泉、村上城址、荒川、加治川、新発田城址など、ヤカモチもかつて銀輪散歩で訪ねたことがある場所が色々あるので、懐かしく、楽しみであります。4月10日関西空港→新潟空港→磐越自動車道→会津若松・鶴ヶ城→飯盛山山麓・石部桜→東山温泉(泊)(東大阪上空) はい、旅の始めは東大阪上空の写真。 東大阪上空とありますが、左下に見える公園が大東市の深北緑地、右下に見えるのが大阪市の鶴見緑地で、遠く上部やや左寄りに見えるのが東大阪市の花園中央公園ですから、飛行機は、寝屋川市か守口市か淀川付近上空を西から東へと飛行しているところなんでしょう。 そして、いきなり鶴ヶ城であります。 新潟空港からレンタカーを利用して、磐越自動車道経由、早くも会津若松に到着であります。(鶴ヶ城) 鶴ヶ城の桜は満開。 因みに、満開とは八分咲き以上になった状態をいう、と何かに書いてあったかと記憶します。 そして、飯盛山山麓の石部桜。(石部桜) この日は、東山温泉に宿泊。 地酒を楽しまれて、鶴ヶ城の夜桜見物に。(鶴ヶ城の夜桜)夜桜を つばらにも見む 鶴ヶ城 家なる妹が 待ち問はむため (岬桜麻呂)(本歌)難波潟 潮干のなごり よく見てむ 家なる妹が 待ち問はむため (神社忌寸老麻呂 万葉集巻6-976)4月11日鶴ヶ城→会津高田・伊佐須美神社→宮川千本桜→喜多方・日中線枝垂桜→大峠越え→米沢・上杉神社→南陽市・烏帽子山公園→上山城・月岡公園→天童公園→倉津川→天童温泉(泊) 先ず、鶴ヶ城にご挨拶して、二日目の旅を始めます。(朝の鶴ヶ城) 鶴ヶ城から国道118を少し南下し、国道401号を西へ進むと阿賀川を渡ることになるが、更に西進すると阿賀川の支流である宮川という川に出くわします。この宮川にも桜並木のビュースポットがあり、宮川千本桜と呼ばれているようです。(会津高田・宮川千本桜 遠く磐梯山が見えています。) 宮川千本桜は八分咲きだったそうですが、宮川を上流方向1.5kmほどの地点にある伊佐須美神社の薄墨桜は満開だったそうです。(同・伊佐須美神社) 会津高田からとって返して北上、喜多方へと向かいます。 喜多方と日中温泉を結んでいた鉄道廃線跡の線路敷の枝垂れ桜が、日中線枝垂桜。 廃線跡と聞いたり、前掲の宮川河川敷道の写真などを目にしたりすると自転車で走りたくなるのが、ヤカモチの病気。(日中線枝垂桜) 更に北上して、大峠越えで山形県米沢市へ。 大峠越えでは道路脇に残雪多しとのことですが、旧道は一般車両の通行が禁止されているそうですから、新道である国道121号の大峠トンネル越えで山形県に入られたのでしょう。 大峠という名称で思い浮かんだのが大彦命(古事記では大毗古命)。 大彦は四道将軍の一人で北陸道に派遣された人物。東海道に派遣された将軍は武渟川別(たけぬなかはわけ、古事記では建沼河別)で、大彦の息子。 二人は「相津に往き遇ひき。故、其地を相津ト謂ふ。」という古事記・崇神記に記された、会津の地名説話から、大峠という名称はひょっとして大彦に因んで名づけられたものではないのかと思ったりもしたが・・。 それはともかく、岬麻呂氏は米沢市に入り、上杉神社へ。(上杉神社) 上杉神社は開花直前にて、花は無し。 これでは、予定にしていた長井最上川堤の桜も見込みなかろうと諦め、東隣の南陽市・烏帽子山公園は通り道に当たるので立ち寄って見ると、想定外の満開であったとのことであります。(烏帽子山公園) 上山城(月岡公園)、天童公園の桜も先ず先ずの見頃。(上山城・月岡公園)(天童公園・人間将棋予行演習) 天童公園では、人間将棋の予行演習をされていました。(天童温泉・倉津川) この日は天童温泉に宿泊。 この日も夜桜見物。ここは観光客に人気のスポットだそうです。(同上・夜桜)4月12日白水川→堂の前公園→東沢バラ園→東北中央自動車道→最上公園・新庄城址→酒田・日和山公園→鶴岡市・大山公園・鶴岡公園→あつみ温泉→笹川流れ→村上城址→瀬波温泉(泊) この日は、白水川の桜から。(白水川堤)(堂ノ前公園) 堂ノ前公園、東沢バラ園、最上公園と巡り、最上川沿いの酒田・日和山公園へ。チラホラ咲き、八分咲き、満開と咲き方はそれぞれなるも、桜旅が続きます。(最上公園・新庄城址)(酒田・日和山公園)(鳥海山<酒田・山居倉庫前から撮影>) 雪の鳥海山を遠望。 酒田から南下して鶴岡市・大山公園、鶴岡公園へと桜巡りを続けます。(大山公園<背後の山は月山>) 鶴岡市内は何処も満開の桜。<参考>鶴岡銀輪散歩(6)・鶴岡市街 2013.5.29. 鶴岡銀輪散歩(7)・鶴岡市街2 2013.5.30.(鶴岡公園) さらに南下して、あつみ温泉へ。(あつみ温泉) 新潟県に入り、笹川流れ。(笹川流れ) 三面川を渡り、村上城址へ。(村上城址) この日の宿は瀬波温泉。(瀬波の夕日) 瀬波の海岸の沖合にある島が粟島。 西方浄土の入口が粟島だという話は、このような夕日を見て西方浄土の入口が粟島にあるというような想念が生まれたのだろう。<参考>粟島 2009.6.19.4月13日荒川→胎内観音→加治川→新発田城址→新潟空港→関西空港 最終日は、荒川の土手の桜並木から。(荒川) この土手道を荒川上流へと銀輪散歩したことがあったが、それはいつのことであったやら。(胎内川) 胎内川も加治川も桜、桜、満開の桜であります。(加治川右岸)(加治川左岸) 最後は加治川を上流へと向かい、新発田城址の桜。(新発田城址)<参考>新発田城跡銀輪散歩 2018.5.17. 全682kmの桜旅ドライブ。 桜を堪能させていただきました。<参考> 過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。 フォト蔵アルバム・岬麻呂写真集はコチラ。
2024.04.18
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昨日(4月10日)は囲碁例会の日。 天気もよしで、例によってMTB(マウンテンバイク)で、会場の梅田スカイビルへ。 前々日から前日朝にかけての雨で、桜も散ってしまったかと思いましたが、さにあらずで、まだ十分にお花見が楽しめる状態。(大阪城公園・森ノ宮入口) はい、ご覧のような桜の状態です。 そして、ヤカモチお気に入りのアングルの写真。(同上・お気に入りスポット) 帰り道も同じコースを走りましたが、朝とは打って変わって、沢山のお花見の人たちが花の下それぞれのお気に入りの場所にシートを敷いて、花見を楽しんで居られました。 大阪城公園を通り抜けて、天満橋を渡ろうとすると、造幣局の桜の通り抜けに向かう人の群れに遭遇。自転車を降りて手押しで歩くしかない。人の群れを通り抜けて滝川公園へ。(滝川公園の桜) 滝川公園の桜を眺めながら、煙草を一服、小休止であります。 この公園の西側のお寺の、今日の門前の言葉はこれ。(今日の言葉)あいさつは 心のまどの 通い道 梅田スカイビル到着。 ところが、駐輪場が満杯で駐輪する場所がない。 自転車を押しながら、中庭・ワンダースクエアを通り抜けて、片隅にある喫煙スペースへ。(梅田スカイビル・中庭から見上げると・・) 煙草を一服してから再度駐輪場に行ってみるが、まだ満杯。 仕方がないので、お弁当を買って、ベンチで食事。食事が終わったところで、ようやく駐輪場に空きが出たようで、駐輪可能となる。 これで、ひと安心。例の全席喫煙可能という喫茶店で食後の珈琲休憩。 ガーデンファイブ棟の部屋に行くと、ヤカモチが一番乗り。 ほどなく村〇氏が来られ、同氏と対局。対局中に平〇氏が来られ、この日の出席者は3名のみ。 村〇氏に勝ち、続く平〇氏にも勝ち、ヤカモチは2戦2勝。これで、今年になってからの成績は9勝4敗。 最後は、村〇vs平〇戦で、ヤカモチは観戦であります。 来月1日は、村〇氏、福麻呂氏がご欠席とのことなので、青◎氏もご欠席なら、平〇氏とヤカモチの二人だけになりそうです。 帰途の写真はありませんので、4月8日に撮影の花園中央公園の桜の写真を掲載して置くこととします。 帰途のエピソードとしては、難波橋北詰の交差点で信号待ちをしていたら、突然、左ふくらはぎがこむら返り。痛タタ・・と自転車から降りようとしたら、右ふくらはぎもこむら返り。痛いのを何とかこらえて転倒することなく自転車から無事に降りて、川沿いの緑地通路に避難。遅ればせのストレッチをしたりして、暫し休憩。 両足同時のこむら返りというのは、2回目。 前回は3年前、2021年3月29日のことで、それ以来ですから、3年ぶりということになる。<参考>亀岡・京北銀輪桜旅(その2) 2021.4.1. 前回も桜絡みの銀輪でありましたから、どうやら桜絡みの銀輪行はことヤカモチに限っては要注意のようです(笑)。 前回は、友人偐山頭火氏との銀輪旅でありましたが、今回はヤカモチの単独行。偐山頭火絡みは要注意ではないようであります(笑)。 はい、以下が4月8日の花園中央公園の桜です。(花園中央公園の桜)(同上)(同上)<参考>囲碁関連の過去記事は下記参照。 囲碁関係(その1) 2008年~2019年6月 囲碁関係(その2) 2019年7月~
2024.04.11
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偐万葉・どち篇(その12) 今日は偐万葉シリーズ記事第340弾、偐万葉・どち篇(その12)であります。1.健人会関係 健人会の集ひに寄せて詠める歌2首また花の ときにぞ逢はむ 思ふどち みなすこやかに あれと願ひつ (偐家持)桜花 咲ける盛りに 逢はむとて 雨は降るとも われ参り来し (偐家持) (20240404健人会・瀬田川畔の桜)2.岬麻呂氏関係 岬麻呂に贈りて詠める歌20首 岬麻呂の旅に寄せて詠める歌18首寄する波 吹き来る風の 音清(おときよ)み 遊べ海にと 我誘ふらし (浜家持)恋ひ来れば イダの浜木綿(はまゆふ) 花咲きて われに語らく またも来(こ)しかと (浜家持)(本歌)み熊野の 浦の浜木綿(はまゆふ) 百重(ももへ)なす 心は思(も)へど 直(ただ)に逢はぬかも (柿本人麻呂 万葉集巻4-496) (20230919イダの浜とハマユウ)降(お)り立ちて 雨降(ふ)り止むは 晴れをとめ 半端(はんぱ)に非ず 岬のをとめ (岬家持)もみぢ旅に あれど始めに 求めしは いのちの水の 余市なりけり (偐酒持) (20231009余市ニッカウヰスキーの貯蔵庫)小樽運河 酒樽運河と 見つつ行く 堺も酒井 酒人われは (偐酒持) (20231009小樽運河)さ夜更けて 響き懐かし きたぐにに あれば地酒を 飲むべくあるらし (偐酒持) (20231009ニングルテラス)あどけなき 姿刹那に のこしつつ エゾシマリスの 駆け去り行きぬ (偐栗鼠持) (20231009エゾシマリス)しかたなく しかもするらし 雨宿り 紅葉の谷に 小雨の降れば (偐鹿持) (20231009雨宿りのエゾシカ)青空に 照る山もみぢと まいらねば いまいちなれど それなりの秋 (偐紅葉持) (20231009旭岳1400m付近)この月の 月は満月 次なるは 七年(ななとせ)のちの 月の月なり (偐月持)(本歌)月々に 月見る月は 多けれど 月見る月は この月の月 (作者不詳) (20231009中秋の名月in富良野)寄す波も 海の青さも かなしとぞ マムヤの恋の 東平安名崎(あがりへんなさき) (偐家持) (20231130東平安名崎)なまよみの 甲斐の国にし 参り来て い群れてどちと あるは嬉しも (偐岬麻呂)(注)なまよみの=「甲斐」にかかる枕詞 (20231202甲府の夜景)火の色に 咲く花見むと わが来れば 火の鳥はばたく マンホールのふた (蓋家持) (20231009アカショウビン図柄のマンホール)石垣の 島に春咲く カエンボク つぎて見まくの 欲しき花かも (岬郎女)流氷の 旅にしあれど 岬麻呂 先に訪ねな 能取の岬 (岬家持) (20240227能取岬)我はもや 流氷に乗りぬ 知床の 宇登呂の海の 流氷に乗りぬ (流氷家持)さ夜更けて 軋む音すなり 流氷の 宇登呂の海に 軋む音すなり (流氷家持) (20240227宇登呂の流氷)流氷の 寄せ来る夜は 海が鳴く 泣けとや鳴くか 網走宇登呂 (流氷家持) 岬麻呂氏の旅報告終了の報ありたるを受けて詠める歌1首幾(いく)十年(ととせ) 旅ゆきゆきて 今をかも 立ち別れまく 惜しき夕(よひ)かも (偐家持)(本歌)しなざかる 越に五年(いつとせ) 住み住みて 立ち別れまく 惜しき夕(よひ)かも (大伴家持 万葉集巻19-4250) 岬麻呂氏宛て返信メールに添えたる歌1首松が枝の 色は変らじ 八千代にも いませ我が背子 思ひつつぞ居り (偐家持)(本歌)紫陽花(あぢさゐ)の 八重咲く如く やつ代(よ)にを いませわが背子 見つつ思(しの)はむ (橘諸兄 万葉集巻20-4448)3.オガクニマン氏関係 クニ麻呂に贈りて詠める歌1首君がため 一局のみと なりぬれど 勝ちてうれしき 囲碁事始め (碁家持)4.野〇氏関係 野麻呂に贈りて詠める歌1首思ふどち まさきくもあれ 常磐なる 松のさ枝を 結び願はな (松家持)<参考>偐万葉・どち篇の過去記事はコチラ。
2024.04.07
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昨日(4月3日)は健人会の集まり。囲碁例会と重なってしまったのだが、囲碁の方は欠席させて貰って健人会の方に出席することに。 生憎の雨であったが、大津市、石山寺近くにある料亭新月へと向かう。 いつの頃よりか、健人会の集まりは料亭・新月でというのが定番となっている。 料亭新月のJR最寄り駅は石山駅。 石山駅前に料亭からの送迎バスが来てくれるので、これを利用する参加者は11時55分までに石山駅に行けばいいという次第。 ヤカモチの場合、路線検索で調べると、自宅最寄り駅の近鉄枚岡駅10時14分発の電車に乗れば、大和西大寺駅・JR京都駅乗り換えで11時36分または11時51分に石山駅に到着できることになっている。 ところが、家人が5月3~5日に関東方面を旅行する予定があり、新幹線の切符を途中のJR京都駅で購入してくれないか、という依頼を受けたので、時間に余裕をみて、早めに家を出ることとした。 1時間半ほども早く家を出たものだから、京都駅みどりの窓口での切符購入の人々の列に並んで30~40分の時間を費やしても、石山駅到着は1時間余も早い到着となってしまった。 京阪電車側改札口近くの喫茶店に入って時間を潰すことにする。 珈琲を注文していると、平〇氏の姿が目に入る。同氏は「1時間、時間を勘違いして早く来てしまった」とのこと。 ということで、同氏と珈琲しながらの二人しての時間潰しでありましたが、あれやこれやの雑談でそれと気づかぬうちに時間は愉快に経過。 11時50分近くになったので、店を出てJR側の改札口前に向かう。 すると、参加者皆さんが既に全員到着されていて、最も早くに着いた我々二人が最も遅い集合ということになってしまったのでありました。 送迎バスで料亭新月に到着。(料亭・新月 今年3月19日記事掲載写真の再掲載) この日は本降りの雨。 上掲の写真は3月15日にJR石山駅から瀬田川・宇治川沿いにJR宇治駅まで銀輪散歩で走った時に撮影のものです。 健人会の新月での集まりは昨年10月18日以来でありましたからほぼ半年ぶりということになるが、ヤカモチは、19日前にこの新月の前を自転車で走ったばかりなのでありました。 さて、この日の参加者は、杉〇氏、只麻呂氏、平〇氏、草麻呂氏、岡〇氏、今〇氏、徳〇氏、北〇氏、竹〇氏、森〇氏、平〇Jr氏、生〇氏、正〇氏、〇庭氏とヤカモチの15名。 世話役の草麻呂氏の開会の挨拶と先頃杉〇氏の奥方がご逝去されたことからそのご冥福、哀悼の意を表しての献杯、続いて岡〇氏のご発声による乾杯で12時15分宴席開始となりました。 杉〇氏、只麻呂氏、正〇氏、今〇氏、竹〇氏などの近況その他の報告があったほか、ワイワイガヤガヤの例によって例の如くの気の置けない、いつもの宴会であります。(玉手箱?) 乾杯の後、運ばれて来たのは玉手箱・・? 女将から「石山寺のナントカカントカ」という説明があったが、よく聴いていなかったので、ヤカモチはその内容を思い出せない。 玉手箱を開けてみると・・前菜。(前菜) と、ここまで書いて、食レポは「吾事ニ非ズ」のヤカモチ。その柄でもないということに気付き、方向転換であります。 次々と運ばれて来る料理を次々と平らげ、さて、何を食ったのかも記憶が曖昧。窓の外の桜でも撮ってみるか。(瀬田川畔の桜)(同上) はい、ご覧のように外は雨、花見もままならないのでありますが、部屋の内からの、遠目の花見であります。 ほぼ五分咲き、満開前ではありますが、十分に楽しめる程度の咲きっぷりであります。 昨年10月の健人会の折に、次回会合の日が4月3日と決まったことから、その日のブログ記事で「また花の ときにぞ逢はむ 思ふどち みなすこやかに あれと願ひつ」と詠んだヤカモチでありましたが、他用でご欠席のお方も含め、多少の病気の危機も一部にはあったようですが、それも乗り越えて、皆さんそれなりにお元気で、再会を果たせたことは、めでたしめでたしでありました。桜花 咲ける盛りに 逢はむとて 雨は降るとも われ参り来し (偐家持)<参考>健人会・新月にあふみの人と過ごしける 2023.10.18. 午後3時少し前、次回の会日を8月5日と決めて散会となりました。 帰り際に、お土産として料亭から頂戴したのが、新月監修の「大納言小豆粥」。このお土産は昨年2月15日の健人会新年会の折にも新月さんから頂戴していることが、過去記事から判明しました。<参考>健人会・遅ればせの新年会 2023.2.16. その過去記事では、この小豆粥について「委細は承知せず」と記載しているのみでありましたので、今回は委細を紹介して置くこととします。(大納言小豆粥) と言っても、同封の説明パンフレットの写真を掲載するだけのこと。(同上・説明パンフレット)(同上) 写真では字が小さ過ぎて読めないというお方は、画像をクリックしていただくと、大きいサイズのフォト蔵写真が別窓で開きますので、それでお読みいただければ、と思います。 要するに龍谷大学と料亭・新月との「産学協同」によって生まれたのがこの小豆粥であるということであります。(同上) 龍谷大学農学部は瀬田川を渡った先にあるので、料亭新月とは川向のお隣さんみたいなものでありますから、お隣さん同士の協力で生まれた商品という訳であります。<参考>健人会関係過去記事はコチラ。
2024.04.04
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今日は月例の墓参。墓地へと向かう坂道にとりかかると、こんな花が目にとまりました。(ロンギカリウス) 帰宅してネットで調べるとシソ科の植物らしいが、ロンギカリウスとかクリーピングタイムというのがこの花の名前のようです。 グランドカバーとしてよく使われる植物だそうです。未だ蕾のようですが接近して撮るとこんな感じです。(同上) 少し上った先にあるお寺のいつもの門前の言葉ですが、今日のそれは、司馬遼太郎氏の言葉でありました。(今日の門前の言葉)人間は助けあって生きているのである――司馬遼太郎 さらに坂道を上り墓地への入口近くの、いつもお花がいっぱいのお宅の庭には、チューリップの花。(チューリップ) 墓地に到着。墓参を済ませて眼下の大阪平野を見下ろすと・・。(墓地からの眺め) 上の写真の左端の赤い矢印(↓)の所が、先日の若草読書会の花見散歩の折に見た、恩智川のセイヨウカラシナの花が帯状に群れ咲いている場所であります。 その場所に焦点を当ててズームアップで撮影したのが下掲の写真。(同上 手前の屋根が瓢箪山駅、奥の右手が東花園駅) 生駒の叔母の連れ合いである叔父が眠る墓が我が家の墓がある墓地区画に接して北側区画の墓地にあるので、それにもお参り。 叔母の家の墓から出たところでめにとまったのも菜の花でありました。(菜の花)(同上) 坂道を少し下ったところの畑地にはレンゲソウが咲き始めていました。 今年の桜は例年になく遅い開花であったようですが、レンゲソウは例年より随分早い開花なのではないかと思う。(レンゲソウ)(同上) まだ咲き始めというレベルのようで、一面のレンゲ畑といった咲き方ではありません。(同上)(同上) このレンゲ畑から少し下ったところで、道路の反対側・左手下方に目をやると、一面に咲き群れているレンゲ畑が目に入りました。 遠目にはレンゲ畑と見えたのであったが、近づいてみると、レンゲソウではなくホトケノザが群れ咲いているのでありました。(ホトケノザの群生) ホトケノザがこのように群生して咲いているのを目にするのは珍しい。 そして、これは緋寒桜なのか、種類は何とも分かり兼ねるが、桜と思しき花が咲いていたので撮りました。(桜花) 今日撮影の写真ではありませんが、花ついでということで、3月26日撮影のサンシュユの写真も掲載して置きます。(サンシュユ<山茱萸>) 今日は、墓参&花散歩でありました。<参考>墓参関連の過去記事はコチラ。 花関連の過去記事は下記の通り。 花(5)・2022~ 花(4)・2020.4.~2021 花(3)・2017~2020.3. 花(2)・2012~2016 花(1)・2007~2011
2024.04.02
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今日から新年度となる4月1日であるが、昨日(3月31日)の記事が未アップなので、遅ればせですが今日はその記事とさせていただきます。 日本基督教団小阪教会でのイースター特別礼拝は一昨年、昨年に続き3年連続しての出席となりました。 前日の30日が若草読書会の例会であったので、若草ホールへは二日続けての立ち寄りとなりますが、めぐの郎女さんがお母上の恒郎女さんを小阪教会まで車で送迎されるというので、ヤカモチもそれに同乗させていただくこととし、MTB(マウンテンバイク)で若草ホールに向かう。 ヤカモチとしては、小阪教会へはMTBで30分程度の距離なので、これで銀輪散歩も兼ねて出掛ける心算でいたのだが、はびきの中央霊園の小阪教会共同墓地の前で執り行われる午後からの墓前礼拝のことを考慮すると、車同乗の方が便利なので、恒郎女さんからのご提案に乗ることにしたもの。(小阪教会) 小阪教会到着は午前10時少し前。 礼拝は10時15分から。 上及び下の写真は礼拝終了後に撮ったものです。(同上)(イースター特別礼拝式次第) 礼拝終了後、教会の前庭の花を少しばかり撮影。(同上・会堂前の桃の木)(同上・庭のノボロギク)(同上・庭のノボロギク2) 花と言っても、花壇のそれでなく、普通は見向きもされない草たちの花であるというのがヤカモチ流。(同上・庭のミミナグサ) イースター礼拝後、はびきの中央霊園内にある小阪教会共同墓地に於いて午後3時から墓前礼拝が執り行われることになっている。 故智麻呂氏も同墓地に眠って居られるので、ヤカモチもこれに参列することにし、めぐの郎女さん運転の車で恒郎女さんと現地へと向かう。 途中、近鉄大阪線河内国分駅近くにあるうどん山川柏原国分店に立ち寄り昼食。この店での昼食は、2022年4月17日の故智麻呂氏の納骨式以来のことである。前回は、ひろみの郎女さん、リチ女さんらとご一緒でした。<参考>故智麻呂氏の納骨式 2022.4.18. はびきの中央霊園には午後1時過ぎの早過ぎる到着。 お墓の掃除をしたり、恒郎女さん、めぐの郎女さんたちと雑談したり、心地よい春風に吹かれながら眼下の大阪平野一望の眺めを楽しんだりしながら、小阪教会からの皆さんの到着を待つ。(はびきの中央霊園からの眺め)(同上) ここを訪れるのは今年の2月12日以来。<参考>故智麻呂氏の墓参 2024.2.12.(小阪教会共同墓地) そうこうしているうちに、牧師さんを始め小阪教会からの参列者の皆さんが到着。午後3時になり、墓前礼拝が始まりました。(墓前礼拝式次第)(墓前礼拝) 最後に献花をして墓前礼拝つつがなく終了であります。(同上)君に逢ふ たづき知らねば 鉢伏の 山にしわれは またも来にける (偐家持)鉢伏の 山にし吹ける 春風に 咲きそむ花は 君が笑みかも (偐家持)(鉢伏山)<参考>過去の若草読書会関連記事はコチラ。
2024.04.01
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