今日トレンクル君が退院して来ました。14日に入院しましたから丁度2週間の入院であったことになる。ハンドルを取り替えるなどしたので入院治療費は2万円となりましたが、これでまた一緒に走れますので、ひと安心です(笑)。
さて、本日の銀輪散歩はMTBで八尾市へ山裾の道を走って来ました。テーマは紅葉する山。午後からの日に照る生駒山系の山々を眺めつつ、坂道を上ったり、下ったりしながら、南へ。急坂・長坂では息が切れて、結構な運動となりました。
先ずは楠正行墓のある往生院へ。中学時代、軟式テニス部に入っていた時には、麓の中学校からこの往生院への坂道をランニングするのがお決まりの練習メニューであったように記憶する。
(もみぢ照る道いざ行かな)
(枯れすすきも美しい)
(往生院付近から見る山)
(銀杏の黄葉が日に輝いて・・)
坂道をひたすら上って行くと綺麗に舗装された道路に出る。らくらく登山道に続く道である。この辺りまで上って来ると大阪平野が一望できる。この道を南へ下った突き当りを左に入ると往生院である。
(往生院山門)
往生院(六万寺往生院)は、平安時代長暦年間(1037~1040年)に安助上人によって建立されたと伝えられる。四天王寺西門(極楽の東門に通ずると信じられている門)の真東に位置する。春分・秋分に、往生院から眺めると四天王寺の五重塔に日が沈むと聞いているが、未だ実見したことはない。
(往生院門前から西を眺める。)
(往生院)
(寺務所建物)
(往生院境内)

(楠正行四條縄手合戦本陣跡碑)(往生院への坂道)
楠正行の墓が境内にあるのだが、寺務所にお願いしないと中に入れないので、パス。昔は勝手に入れて勝手に見る、いやお参りできたのだが。
(この道のずっと奥、坂道の突き当りが往生院。)
<参考>往生院関連記事 2008.12.15.
往生院を出て、折角高みまで上って来たのに勿体ない気もするが、坂道を下り、左折、八尾市方向へ走る。
東大阪市から八尾市に入る辺りは長閑な田園風景。背後の生駒山系の山も美しい。何やらほっとする景色である。
(八尾市楽音寺付近)
楽音寺地区に入ると心合寺山 (しおんじやま) 古墳がある。前にも何度かご紹介しているので、ここは写真だけで。
(心合寺山古墳・正面)
(古墳を後から眺める。 ヤカモチは北から来るので先ずこの状態が目に入る。
)
<参考>心合寺山古墳関連記事 2010.10.4.2.
2009.8.22.
2008.5.11.
古墳の前の道をさらに南に走ると大竹、水越、千塚地区と続く。千塚辺りで東へと左折し山側の坂道へと上って行く。東へ北へとジグザグに上って行くと山裾の高みに 玉祖神社 がある。
(玉祖神社への道端の地蔵堂)
(玉祖神社)
(玉祖神社・拝殿)
(玉祖神社・本殿)
「玉祖明神または高安明神と称され、古来高安11ヶ村の産土神で、和銅3年(710年)周防国から遷座されたと伝え、玉造氏の祖櫛明玉命を祀る。十三峠への登り口にあたり、大阪と大和を結ぶ要衝である。重要文化財の北条時政の制札、府重要美術品の男女二体の神像を存し、境内には慶長九年銘の石灯籠、府天然記念物の大樟樹がある。北辺の茶屋辻は伊勢物語にある在原業平の河内通いの伝説で有名である。」(境内の説明板より)
(玉祖神社境内の紅葉)
神社の前の道を少し北へ行った高みから眺めると大阪平野が一望である。
(南西方向)
(西方向)
坂を下って帰途に。道標に「愛宕塚・心合寺山古墳」と示された道を下る。細い山道である。


(愛宕塚古墳の辺りはこんな山道)
愛宕塚古墳は古墳時代後期の横穴石室墳で、高安古墳群中最大規模のものであるらしい。
やがて、広い道に出る。振り返ると高安山が・・。襞なす山々が美しい。
(夕日に照らされる高安山)
帰宅したら午後4時。2時間余の銀輪散歩でした。帰宅すると自転車屋さんから電話があり、トレンクルの修理が完了したとのこと。徒歩15分、受け取りに行ってまいりました。
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