< 承前 >
柳が崎湖畔公園に到着。ここはかつて琵琶湖ホテルであった処。琵琶湖ホテルが浜大津に移転した後、大津市が敷地・建物を買い取り、2002年に親水公園としてリニューアル開園したもの。
先ず出迎えてくれるのが、びわ湖大津館の独特の建物。琵琶湖ホテルであった頃は「湖国の迎賓館」とも呼ばれ、昭和天皇、ヘレンケラー、ジョンウェインなども宿泊したという建物、市の有形文化財に指定され、現在は、レストラン、喫茶店、貸会議室、多目的ホール、琵琶湖ホテル博物館などを備えた文化施設となっている。
小生の敬愛する友人、鯨麻呂氏 (「くじらまろ」と読まないで下さい。万葉風に「いさなまろ」と読みます。)
は、この近くにお住まいである。同氏から頂戴したヨットハーバーの絵は、今も部屋を飾ってくれているが、その絵に描かれたヨットハーバーがこの公園に隣接している。
絵画その2
2008.6.13.
近江鯨麻呂絵画展
イングリッシュ・ガーデン外周の湖岸遊歩道を行くと犬養孝先生揮毫の人麻呂歌碑がある。
淡海乃海 夕浪千鳥 汝鳴者 情毛思努尓 古所念
(柿本人麻呂 万葉集巻3-266)
この歌の歌碑は大津京シンボル緑地(「その2」参照)にもありましたが、この歌に相応しい歌碑の場所は、やはり湖岸だ。夕浪千鳥の姿はなくも湖面に揺れる光は「古思ほゆ」の気分とうまく溶け合う。
この歌は(その1)で紹介の近江荒都歌に続けて作ったものであるかどうかは別にして、近江の荒れたる都を目にした後の歌であるに違いない。壬申の乱の折には人麻呂は12~3才位であったかと思う。そうなら彼は大津京の栄えていた光景も目にしていた筈。荒れた廃都の様子に心萎れて思いも複雑であっただろう。その思いはこの歌にも繋がっている。
琵琶湖から瀬田川(下流が宇治川)を下り、宇治川畔で彼が詠んだ次の歌も、その後の旅がこの歌の気持ちを引きずったままであったことを覗わせる。
もののふの
八十氏河
の
網代木
に いさよふ波の
行方
知らずも
(柿本人麻呂 万葉集巻3-264)
柳が崎を後にし、国道161号線を南へ。2km位で浜大津。そこから西へ坂道を上る。北国街道を右に入ると長等公園である。少し南へ来過ぎたようだ。地理に詳しくない土地、どの辺で道を入るのかがよく分からなかったのだ。
長等公園は、琵琶湖疏水沿いに京都・山科へと至る小関越えの山道のとっかかりにある山腹の公園。ギアのないトレンクルで上るのはかなり苦しい。途中からは押して行く羽目に。
三橋節子美術館への進入路前の広場にミツマタ(多分)の木があった。春さればまづ三枝のさきくあらば・・(万葉集10-1895)のサキクサ(三枝)である。
ミツハシの前にミツマタ。まるで駄洒落。これでヤツハシを齧ったら嫌味ですかな(笑)。さりとてミツマメはご免です。
その広場の奥に、大友皇子の詩碑があった。
皇明光日月
帝徳載天地
三才並泰昌
萬國表臣義
(大友皇子 懐風藻1)
皇
明
日月と
光
り
帝徳 天地に
載
つ
三才 並びに
泰
昌
万国 臣義を
表
す
(訳) 天子の威光は日月の如く輝き
天子の聖徳は天地に満ち溢る
天地人ともに太平で栄え
四方の国は臣下の礼をつくす
大友皇子は天智天皇の子。天智崩御後、皇太子として亡き天皇に代わって近江朝廷の政務を執っていた(これを「称制」という)が、大海人皇子の挙兵により、近江朝廷軍は敗北。大友皇子は山前の地で自害し果てる(672年)。24才であった。
懐風藻は我が国最初の漢詩集。編者が誰であるかは不詳であるが、大友皇子の子孫になる淡海三船だとする説もある。その懐風藻の冒頭の漢詩がこの詩である。現存する我が国最初の漢詩の作者は大友皇子なのである。
彼の子の与多王は父・大友の菩提を弔うため自分の身代を投げうって寺を建てる。長等山園城寺(通称、三井寺)である。
大友は天皇に即位しなかったと考えられるが、江戸時代になって、大友天皇即位説が力を持ち、明治政府の公式見解も即位説を採用、明治3年(1870年)に弘文天皇と追号され、この公園の北方1km程の処(大津市役所の裏)にある塚が弘文天皇陵とされた。
さて、時刻も正午過ぎ。詩碑近くの広場でお弁当タイムとする。来る時に乗り換えの近鉄西大寺駅で仕入れた「おむすびセット」である。その場で温かいご飯をおむすびにしてくれるのであるが、さすがにもう温かくはない(笑)。
昼食後、更に坂道を上り桜広場へ。そこに平忠度の歌碑がある。それを撮影して置こうというもの。階段の道。例によってトレンクルは肩に担いで行く。
上り切ると、その名の通り、桜の木が多く植えられている広場になっていて、木製の展望デッキもある。
歌碑の歌は、(その2)で紹介した忠度の歌碑と同じ、「昔長等の山桜かな」の歌であり、重複するので、ここでは「青葉の笛」に出て来る、箙に結び付けられていたという「花や今宵」の歌の方を掲載して置きます。
行
くれて
木
の下かげを やどとせば
花やこよひの あるじならまし (平忠度)
どうやら、文字制限数一杯のよう、小生もしばし木の下かげに休むこととし、続きは次回と致しましょう(笑)。( つづく )
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