< 承前 >
中山道を西へ、山中地区に入る。此処は間(あい)の宿・山中と呼ばれる中山道の宿場町であったようだが、先にも述べた通り、東の藤下地区の住民と共に大友皇子側についた地区。ここにある若宮八幡神社も大友皇子を祀っている。
JRの線路を越えて更に上ると、神社であるが、此処は関ヶ原合戦で西軍の大谷吉継が陣を構えた処でもある。山の中には、吉継の墓もある。
中山道の南側には黒血川がほぼ並行して流れている。街道沿いの民家の裏が黒血川という訳である。
黒血川を渡って更に西へと行くと、常盤御前の墓があるというのでそれに立ち寄ってから引き返すことにしましたが、それは今は省略、藤古川を渡って直ぐの処にあった藤下の若宮八幡神社の石碑の位置まで戻り、同神社へと向かう。石碑の場所から300m程南に下った処にある。
社殿の裏手が自害峯である。自害峯の南東裾に神社は位置している。自害峯を挟んで反対側(西側)を黒血川が流れて居り、150m程東に行くと藤古川が流れている。境内地に接するようにして直ぐ南側に東海道新幹線が走っている。時々ゴオーッという音と共に新幹線が走り抜け、空気が振動する。新幹線は自害峯の丘の南端を切り裂くようにして敷設されたようであります。
境内には「奉遷鎮座碑」と刻された碑と大友皇子の漢詩2篇が刻まれた詩碑とが建っている。1月6日の大津歌碑散歩の折もお弁当は大友皇子の詩碑の近くで食べたのであるが、今回も気付けば此処で12時半になっていたので、走り掛けに通りかかったコンビニで買い求めたお弁当で昼食となった。
大友皇子の漢詩はお弁当タイムに似合ったものとは言い難いが、早食いヤカモチ、ほんの数分もあれば済んでしまうので、そんな事はどうであってもいいのでありますな。そんな短い間にも新幹線は轟音を轟かせ、空気をビリビリと切り裂いて疾走して行くのでありました。
こちらの詩碑は、長等公園のそれとは違い「懐風藻」に掲載の全2首が刻されているし、形も大きく立派である。ただ、少し苔が生えかかって古色蒼然の風体でもあります。詩は下記の通りです。訳も付けて置きます。
侍宴 宴に侍す
皇明光日月 皇 明 日月と 光 り 天子の威光は日月の如く輝き
帝徳載天地 帝徳 天地に 載 つ 天子の聖徳は天地に満ち溢る
三才並泰昌 三才 並びに 泰 昌 天地人ともに太平で栄え
萬國表臣義 万国 臣義を 表 す 四方の国は臣下の礼をつくす
述懐 懐ひを述ぶ
道徳承天訓 道徳 天訓を
承
け
天の教えを戴いてこの世の教えとし
鹽梅寄眞宰
鹽梅
眞宰
に寄す
天の教えに基づき正しく国家を運営する
羞無監撫術
羞
ずらくは
監撫
の術なきことを
恥ずかしい事だが私は大臣の器ではない
安能臨四海
安
んぞ
能
く四海に臨まん
どのように天下に臨めばよいのだろう
昼食は終りましたが、字数制限です。
続きは次回とします。( つづく
)
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