< 承前 >
道は程なく玄賓庵への坂道にさしかかる。
下の写真は、玄賓庵の前の梅畑から来た道を振り返ったものです。ここも石畳の凸凹道ですから、自転車で駆け上がるのは無理です。
(山の辺の道風景4 右は玄賓庵。)
<参考> 玄賓・Wikipedia
玄賓庵・Wikipedia
玄賓(734~818)は、謡曲「三輪」のモデルと言われる、奈良時代から平安時代初期にかけての僧。嵯峨天皇から大僧都に任じられようとするが、これを固辞したという逸話のある清廉高潔な人物。その彼が晩年に隠棲した庵が玄賓庵である。
玄賓さんは弓削氏。河内のお人でありますからヤカモチとは同郷ということになりますが、弓削の道鏡さんも同郷でありますな。
玄賓庵から少し上った道脇に小さな歌碑。
額田王と天武天皇の間の娘十市皇女が亡くなった時にその死を悼んで高市皇子は歌3首を詠んでいるが、そのうちの1首である。
山吹の 立ちよそひたる 山清水 汲みに行かめど 道の知らなく
(高市皇子 万葉集巻2-158)
歌碑では「立ちしげみたる」となっているが、小生は「立ちよそひたる」で記憶して居り、この方が歌の感じに似つかわしい言葉使いだと思われるので、上に掲載の歌は「立ちよそひたる」としました。
此処にも小林秀雄筆の「山辺道」の道標があり、如何にも山の辺の道の雰囲気を醸している一角なのである(下掲写真)。
桧原神社にさしかかった道脇に万葉歌碑。まるで歌碑めぐりをしているようでありますが、歌碑の歌を通して万葉人の息吹が伝わっても来るのが、この道であります。
古
の 人の植ゑけむ 松が枝に 霞たなびく 春は
来
ぬらし
(柿本人麻呂歌集 万葉集巻10-1814)
桧原神社の西側の池の畔にも歌碑があった筈と回ってみる。
いにしへに ありけむ人も わが如か
みわの桧原に かざし折りけむ
(柿本人麻呂歌集 万葉集巻7-1118)
三諸
は 人の
守
る山
本
べ
は あしび花咲き
末
べ
は
つばき花咲く うらぐはし山ぞ 泣く
児
守る山
(万葉集巻13-3222)
香具山は 畝火ををしと 耳梨と 相争ひき 神代より
かくなるらし いにしへも しかなれこそ うつせみも
つまを 争ふらしき
(天智天皇 万葉集巻1-13)
大和は 国のまほろば たたなづく
青かき 山ごもれる 大和し
美
し (倭建命 古事記)
この歌は(その2)に既出なので説明は省略。この歌碑は、川端康成の筆であるが、同氏が揮毫せぬままに自殺してしまわれたので、同氏の原稿の文字から該当する字を1字ずつ拾い出して歌碑の字としたと聞く。
(山の辺の道風景6 桧原神社から車谷へ 中央奥が竜王山、
左が穴師山、右が巻向山の山裾)
この谷を下って行くと箸墓古墳である。上の写真の中央奥に見えている小山状の森がそれである。 今日は立ち寄らない。
神山
の
山邊
真蘇木綿
みじか
木綿
かくのみ
故
に 長くと思ひき
(高市皇子 万葉集巻2-157)
この歌も十市皇女の死を悼んで詠まれた歌3首のうちの1首。
ほぼ、字数制限なので、ここでページを改めます。半日の行程がブログ記事になると何日分にもなってしまうのは困ったことです。もう倍位の字数枠が欲しい(笑)。( つづく )
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