< 承前 >
前回は車谷の手前で終りました。車谷は穴師山と巻向山・弓月ヶ嶽との間の谷である。巻向川が流れている。巻向川に沿って少し下る。滔々と流れて水量は結構豊である。川音高しも嵐かも疾きである。梅は今を盛りと咲いてもいる。
川沿いに坂を少し下った処に2基の歌碑がある。
巻向の 山邊
響
みて 行く水の
水沫
の如し 世のひと
吾
は
(柿本人麻呂歌集 万葉集巻7-1269)
痛足河
河波立ちぬ
巻目
の 由槻が嶽に 雲居立てるらし
(柿本人麻呂歌集 万葉集巻7-1087)
この歌碑の揮毫者は棟方志功氏。痛足河(穴師河)は巻向川のこと。巻向川上流右側の双峰の山が巻向山と弓月ヶ嶽。巻向川の水かさが増してたぎち流れているのは、上流で雨が降った所為。上流の弓月ヶ嶽には雲が立ち昇っているのだろう、という歌。雨の降った後に訪ねて来ればこの歌の感じがそのままなんだろうが、今日は雲ひとつなく、弓月ヶ嶽もくっきりである。
上の写真の場所は定番の撮影スポット。額田王も人麻呂も家持も同じ景色を見たのであるか。
歌碑は(その2)でも掲載した「味酒 三輪の山 あをによし・・」の長歌とその反歌「三輪山をしかも隠すか雲だにも・・」である。この歌はこの地点で朗唱するのが宜しいかと(笑)。
三輪山を背にすると、景行天皇陵が見える。
菜の花と梅の花が織りなす道を行く。
相撲神社とその奥の穴師坐兵主神社はパスしてショートカットした道をとって景行天皇陵へと向かう。景行天皇陵からは天理市となるので、桜井市とはお別れである。
景行天皇陵から振り返ると三輪山が見える。
景行天皇はヤマトタケルの父、第12代天皇。景行の祖父第10代天皇の崇神天皇陵がこの先にある。
崇神天皇陵は広大である。ぐるりひと回りして、長岳寺の門前を通り、人麻呂歌碑を目指す。
衾
道
を
引手
の山に 妹を置きて 山路を行けば
生
けりともなし
(柿本人麻呂 万葉集巻2-212)
この歌は、万葉集の題詞に「柿本朝臣人麻呂、妻の
死
りし後、
泣血哀慟
みて作れる歌二首并に短歌」とあるように、妻を亡くした人麻呂が嘆き悲しんで作った歌、泣血哀慟歌の反歌の一つである。
引手の山とは正面に見えている竜王山のこととされている。竜王山の何処かに亡き妻を葬ったのであろう。
歌碑は犬養孝先生揮毫であり、こちら方面に来た以上は、この歌碑にだけにはご挨拶して行かなければならないというものなのである。
振り返ると既に夕照。
梅畑の先に遠く二上山が見えて、もの悲しい気分にもなる眺めである。
犬養万葉歌碑から中山廃寺跡を通り、中山大塚古墳の西側を通り、念仏寺門前に至る。門前には門前の小僧と言うには大き過ぎる小僧さんが居られました。以前はこのようなものは無かったから、最近設置されたのでしょう。
念仏寺の墓地を通り抜けて、最後の目的地、手白香皇女衾田陵に向かう。手白香皇女は仁賢天皇の娘で、継体天皇の皇后となった女性。
ふすまだの みちにひぐれて ふたかみの
やまはかなしも あけにそみゆく (偐家持)
大和神社経由JR長柄駅前18:22到着。
約4時間の銀輪散歩終了です。 (完)
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