本日は午前中は墓参と花散歩。午後は智麻呂邸を訪問し、新作絵画を6点仕入れてまいりました。先に2点の作品を戴いているので合計8点。そろそろ智麻呂絵画展開催しなくてはなりませんが、もう暫くお待ち下さい。
明日は若草読書会ですから、その報告記事の方が先になりそうです。
墓への坂道の途中に寺がある。毎回その門前を通って墓へと向かう。門前に掲げてあった今日の言葉は「いくら落ちこんでもここには少し光がさしてくる」というものでありました。いくら落ち込んでも少しの光、希望があれば、人は立ち直れるし、生きて行ける。その少しの光に目を向け、そのことに気付けるかどうかが大事なのですね。落ち込むと暗い穴の方にばかり目が行き、背後から差し込んでいる光の方に目を向けなくなってしまいがちですが、ちょっと振り向いてみることが大事、ちょっと振り向かせてあげることが大事、ということなんでしょうね。
先月5月初めの墓参の時の言葉は「太陽は夜が明けるのを待って昇るのではない」というのでありました。太陽が昇るから夜が明ける。人も夜が明けるのを漫然と待っていてはいけないのですな。自らの夜は自ら立ち上がって歩き出すことによって夜が明け、朝を己に引き寄せることが出来る。
まあ、短い言葉ですから、色々に解釈できる。人によっては違った解釈、感想を持つことでもあるでしょう。一義的な言葉よりも多義的な言葉の方が魅力的で深いと感じるのは、受け手側に解釈の或る部分を委ねているという処にその秘密がありそうです。論理的な言葉ではなく、比喩や心情に訴える言葉というものは、短く、言い尽くさず、いささかの曖昧性がある、と言うか、境界線がぼやけて裾野が広いように見えていなくてはならない。それでいて、本質、核心となる部分だけは鮮明・的確に言い得ていなくてはならない。なかなかに難しいものでありますな。
言葉遊びの「いい加減ヤカモチ」も、たまにはそんな言葉を吐いてみたいものであります(笑)
墓参の道は花散歩の道でもある。
夏に向かって梅雨時に咲く花と言えば、紫陽花は別格としてクチナシやタチアオイもその代表的な花ですね。今日はクチナシの「ハナなし」でありますが、タチアオイを見掛けました。下から順に花が咲き、てっぺんの花が咲くと「梅雨明け」だと言われているというのを何処かで読んだか聞いたかした記憶がある。
梨
棗
黍
に
粟
嗣
ぎ
延
ふ
田葛
の
後
も逢はむと
葵
花咲く
(万葉集巻18-3834)
<ナシ、ナツメ、キビに続いてアワが実り、つるをのばすクズのように、
これからも逢いましょうとアオイの花が咲きます。>
葵
咲く 日は逢ふ日なり 恋ひ恋ひて
待ちにし君に
会津
になりますかな(笑)。
次はランタナみたいな花。「ランタナミタイダナ」ということにして置きます。
そしてアジサイも咲き始めました。
言
問はぬ 木すら
紫陽花
諸弟
らが
練
の
村戸
に あざむかえけり
(大伴家持 万葉集巻4-773)
<言葉をいわぬ木でも花が変化する紫陽花があるように、諸弟らの練
達の占(ムラト)にだまされてしまったよ。>
五月のバラも六月に入って、少しくたびれてきましたかな。
吾妹子が 立ちて窓辺に 笑みたるは
五月の薔薇の 花の咲く朝 (偐家持)
蕾が上を向いているから、これは、ハルジオンではなくヒメジョオンです。
そしてドクダミの花も咲き群れています。
姫女苑 どくだみの花 奥津城に
咲き群れてをり 水無月の朝 (偐家持)
そしてチガヤが風に揺れている。
銀色の その穂いとほし 風がまま
われも
茅
の ごとや生きなむ (偐家持)
そして、ノビル(野蒜)です。万葉に1首歌があります。
醤
酢
に
蒜
搗
き合てて 鯛願ふ われにな見えそ
水葱
の
羹
(
長意吉麻呂
万葉集巻16-3829)
<醤と酢に蒜をまぜ合わせて鯛を食べたいと思っているのに、水葱の
羹なんぞ俺に見せるな。>
名の知れぬ草が風に靡いている姿もいい。名が知れればもっとお近づきになれるのでしょうが(笑)。
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