< 承前 >
2日目の27日は円通寺と鬼ノ城を訪ねることとしました。
朝8時35分総社駅発の電車で倉敷乗り換えで新倉敷駅へ。9時5分到着。駅前からトレンクルで円通寺に向かう。円通寺行きは突如思い付いたもので、前夜にパソコンで検索した地図によって凡その道筋と方向を頭に入れての走行。途中少し道に迷う場面もあり、少し遠回りの道になってしまいましたが、無事に円通寺に辿り着けました。
円通寺は若き良寛が修行した寺である。
総社から新倉敷に行くには倉敷で乗り換えとなる。
倉敷~西阿知~新倉敷。2駅目である。
西阿知駅を出て直ぐに大きな川を渡る。高梁川である。
新倉敷到着。
在来線側の出口には良寛さんの像がありました。
円通寺は新倉敷からは南西5~6kmの距離にある。
円通寺は玉島港を望む小高い丘の上にある。トレンクルで上り切るには厳し過ぎる急坂にて途中から押して行く。国民宿舎良寛荘がある高みから更に上った処にある。
良寛荘から真っ直ぐに上って行くと、そこは円通寺の裏口。またしても裏口からの入場である(笑)。そこは展望休憩所のある、円通寺境内で最も高い場所でありました。
本堂へは道を下って行くこととなる。
(円通寺・本堂と良寛像)<参考> 円通寺ホームページ
(良寛像)
<参考> 良寛
・Wikipedia
此処の良寛さんの像は通常見慣れているそれと違って青年僧の姿である。20代から30代に掛けての若い時代に此の寺で修行したのでもあれば、此処での良寛像はこのような姿でなくてはならないということになる。
本堂から下って行くと庭園の一角に山頭火の句碑がありました。
昭和11年に円通寺を訪れた山頭火が詠んだ句だそうな。
岩のよろしさも良寛さまの思ひ出 (種田山頭火)
思はぬに ここにも居たか 山頭火
岩根踏みつつ 円通寺の朝 (偐家持)
裏から入って表から出て行く。
細い凸凹の急坂は自転車に乗っては下れない処もありました。
銀輪万葉であるから。良寛はさて置き、万葉歌も紹介しなくてはなりませんですな。
ぬばたまの 夜は明けぬらし
多麻
の浦に
求食
する
鶴
鳴き渡るなり
(遣新羅使人 万葉集巻15-3598)
「多麻の浦」は、異説もあるが、一般には玉島の海浜であろうと言われている。
上の写真を撮影した川べりから背後一帯の地名が玉島阿賀崎であるから、万葉の頃は、この川の辺りも海であったのだろう。してみれば、小生は多麻の浦に立って、円通寺のある丘を眺めているということになる。
遣新羅使人一行は、おそらくこの辺りの入り江に仮停泊し、一夜を過ごしたのでしょう。明け方に鶴の鳴き声を
枕辺に聞き、夜が明けたのだろうと思いやっている歌である。そう言えば、総社市には鶴の飼育センターがあるし、後楽園でも丹頂鶴が飼育されている。
新倉敷駅に帰って来ました。駅前で昼食を済ませ、電車で東総社へ向かう。東総社から鬼ノ城へ自転車で走ろうという算段である。
再び、高梁川を渡る。今度は上流方向を撮影。
倉敷で山陽本線から伯備線に乗り換える。伯備線は高梁川に沿うようにして北上している。清音駅の手前辺りで車窓から西を見ると高梁川の対岸に二上山のような山が目に入りました。
吉備路自転車道では「三輪山」を発見致しましたが、此処では吉備の「二上山」を発見であります(笑)。
高梁の 川沿い来れば 玉くしげ
吉備にも二上 あるはうれしも (偐家持)
鬼ノ城に一番近い駅は東総社駅と見て、切符は東総社まで買ったが、新倉敷からだと倉敷で伯備線乗り換え、総社で吉備線乗り換えとなり、総社駅に着いてみると東総社への電車は1時間に1本、待ち時間を見ると自転車で走った方が東総社に早く着ける。総社駅で下車。
東総社駅前に到着しましたが、本日はここまでです。( つづく )
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