獺の祭見て来よ瀬田の奥 (芭蕉)
カワウソは獲った魚を川岸に並べて置くという面白い習性があるらしい。
これを獺祭という。獺祭忌というのは正岡子規の命日のこと。子規が獺祭書屋主人と号したことから、命日をこのように呼ぶこととなったとか。
さて、本日は、芭蕉とも子規とも関係なく、益してや獺とも無関係でありますが、JR石山駅前出発、JR宇治駅まで、瀬田川(途中から宇治川と名が変る)沿いに下るという、銀輪散歩をして参りました。
石山駅前、瀬田唐橋などは以前の記事にも登場していますれば、これを省略、京阪・石山寺駅前の写真から始めることとします。
石山寺の山門の少し手前で、鬼と目が合ったので覗いてみると、「朗澄大徳ゆかりの庭園」とあった。朗澄とは、12世紀後半から13世紀初頭に掛けての石山寺屈指の名僧で、没後鬼の姿になって、石山寺や経典や民衆を守護したと言われる人物だそうだが、小生は存じ上げぬお方でありました。
そして、山門と向き合うようにして、道路脇に「青鬼小唄」の碑。歌詞を見ると朗澄さんのことを歌っているのでありました。
しかし、なんで亀が乗っているのだ?まあ、かめへんけど。
石山寺もパス。
瀬田川洗堰を過ぎ、向かうは立木観音。夙にその名は存じ上げれどこれまで訪ねる機会がなかったので、今日は訪ねてみようと心に決めて居りました。
瀬田川もこの辺りはゆったりと広く、遠くに湖南アルプスの峰が連なっている。正面に見えるのが田上山(太神山)であろうか。随分昔に自転車で登ったことがありましたが、どんな形であったか記憶が曖昧。
やすみしし わが大君 高照らす 日の 皇子 荒栲 の 藤原が上に 食 す国を 見したまはむと みあらかは 高 知 らさむと 神ながら 思ほすなへに 天地 も 寄りてあれこそ 石走る 近江の国の 衣手 の 田上山 の 真木さく 桧のつまでを もののふの 八十宇治川に 玉藻なす 浮かべ流せれ 其を取ると 騒く 御民 も 家忘れ 身もたな知らず 鴨じもの 水に浮き居て わが作る 日の 御門 に 知らぬ国 寄 し 巨勢道 より和が国は 常世 にならむ 図 負へる くすしき亀も 新代 と 泉の川に 持ち越せる 真木のつまでを 百 足らず 筏に作り のぼすらむ いそはく見れば 神ながらにあらし (藤原宮の 役民 の歌 万葉集巻1-50)
藤原宮造営に使用する木材はこの田上山一帯から伐り出されたことが、歌から分かるというものである。
瀬田川も色々な顔を見せる。
漸く、立木観音前に到着です。石段が800段あるらしいが、自転車を肩に担いで登り始める。急ぎ過ぎると息が荒くなる。ゆっくり参ろう。
気温が高くなって4月並みの陽気とか。既にシャツ一枚になって腕まくりまでしているのだが、それでも汗が額から滴り落ちる。
まだか、まだか、と息荒く登り続けて、漸くに本堂のある場所に到着。結構な人数の人と行き合いましたが、さすがに此処は参拝者が多いよう。しかし、自転車持参の馬鹿はいない(笑)。
本堂の裏(南側)に回ると上に行く石段がある。年配のご夫妻と思しきお二人が登って行かれる。「奥ノ院があるのですか。遠いですか。」とお尋ねすると、直ぐそこだ、と仰るので、小生も行ってみる。なるほど、奥之院と言うほどもない、直ぐの処にありました。
ひとめぐりして再び本堂のあるレベルまで戻って来る。休憩所の前に置いていた自転車を担いで、石段を下る。
立木観音で結構時間を取られたよう。瀬田川沿いの県道3号線に戻り、下流へと走る。
直ぐに、小さなお堂がありました。立ち寄ってみる。
左奥に広い道があって、それを行くと霊園があるよう。「石山瀬田川浄苑」という表示がありましたが、まだ、用はない(笑)。
お堂の中を覗くと、石造のお不動さんが鎮座して居られました。何やらアニメっぽいお顔をされて居られます。憤怒の形相と言うより困惑の表情にて、こちらも困惑でありました。
川の向かいの山裾には竹林が風に揺られてザワザワ。
そして、曽束大橋。この橋を渡って今度は左岸の道を下流へと向かうのである。
瀬田川は何処かから宇治川と名前を変えるのだが、此処はまだ瀬田川である。
今日はここまでとします。続きは明日以降に。( つづく
)
PR
キーワードサーチ
カレンダー
コメント新着
New!
ビッグジョン7777さん
New!
七詩さん
New!
☆もも☆どんぶらこ☆さん
New!
龍の森さん
New!
MoMo太郎009さん