偐万葉田舎家持歌集

偐万葉田舎家持歌集

2014.07.27
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カテゴリ: 近隣散歩

承前

 昨日の記事の続きです。大谷古墳公園を後にし、上って来た坂道を一気に走り下る。河内飛鳥川に架かる逢坂橋に出る手前200m位の処で左(東)に入った処にあるのが杜本神社。往路では此処で休憩しましたが、この神社のことは別に書くとして省略しましたので、今日はこの杜本神社から記事を始めることとします。

 石川から河内飛鳥川沿いに上流へと来ると駒ヶ谷駅前にあるのが逢坂橋。ここで左に折れて坂道を上り切った処で右に入ると杜本神社がある。この神社は以前友人の偐山頭火氏と立ち寄ったことがある。その折に藤原永手の墓が此処にあることを発見して驚いたが、それ以来の再訪である。
   <参考> 安福寺から錦織公園まで 2009.11.1.
 藤原永手(藤原北家)は、称徳天皇(聖武天皇の娘)亡き後の皇位継承をめぐり、白壁王(光仁天皇)擁立を推し進めた人物。
 彼の目論見としては、白壁王の妃の井上内親王(聖武天皇の娘)を皇后にし、彼女と白壁の間の子・他戸親王を皇太子にし、光仁の次の天皇を他戸とすることであったようだが、光仁即位の翌年(771年)2月に早々と病死してしまう。
 すると、翌772年3月には、光仁天皇を呪詛したという嫌疑が井上皇后に掛けられ、井上皇后、廃后、続いて他戸皇太子の廃太子という展開になる。
 これは、山部親王を皇太子にという藤原百川・良継(藤原式家)らの陰謀だと言われているが、井上皇后や他戸皇太子にとっては、政治の実権が永手の死によって藤原北家から藤原式家に移ったことによる、身の不運、悲劇であったということになる。

藤原永手墓(杜本神社) (藤原永手の墓)

杜本神社 (2) (杜本神社)

 河内国安宿郡は百済系渡来人飛鳥戸氏の本拠地。杜本神社というのは下の説明にもある通り、元々は百済永継と飛鳥戸氏の氏神を祀る神社であったようだ。光明皇后は安宿媛と呼ばれていたように、飛鳥戸氏は藤原氏とも関係の深い氏族であるが、この神社は、摂関政治の基礎を築き、後の道長などに続く藤原摂関政治への道を開いたと評価される藤原冬嗣の時代に、藤原氏の神を祀る神社となったようです。
 この百済永継という女性は、飛鳥戸奈止麻呂という下級貴族の娘。元は藤原内麻呂の妻で内麻呂との間に設けた子が上記の藤原冬嗣である。その後、桓武天皇の女嬬として宮中に出仕、桓武の手がつき生まれた子が良岑安世。あまつ風雲の通ひ路吹き閉じよ、の歌で有名な僧正遍昭は、俗名が良岑宗貞、この安世の息子である。それはさて置き、内麻呂が桓武治世で政治的な力を持ったのはこの女性によるところが大きいとみる見方もあるようだ。
 内麻呂は藤原真楯(元は八束。仲麻呂が権勢を持っていた頃に唐風の名に改名することが流行り、真楯と改名した。仲麻呂が恵美押勝と改名したのと同様。)の三男。真楯は藤原北家の始祖・房前の三男で、二男が永手であるから、藤原北家に所縁の深いこの神社に永手の墓があっても不思議ではないが、何故ここに彼の墓があるのかは存じ上げませぬ。

杜本神社 (1)

 祭神の経津主については、武甕槌と共に出雲に出向き国譲りを迫るという日本書紀の神話のことなどを知るのみにてよくは存じ上げません。説明も大儀。よって下記参考をご参照下さい。
   <参考> 経津主神 ・Wikipedia

杜本神社 (3)

杜本神社・拝殿 (同上・拝殿)

杜本神社(維日谷若宮) (維日谷稚宮)

 境内には色んな摂社があるが、その一つがこの維日谷稚宮。祭神は反正天皇、伊波別命(イワワキノミコト)。反正は仁徳の第三皇子、母は磐之媛。和風諡号は多遅比瑞歯別尊(タヂヒノミツハワケノミコト)であり、河内国丹比に柴籬宮を営んだ天皇であるから、ここに祀られているのでしょうか。日本書紀ではこの天皇は淡路島で生まれ、産湯をつかった井のほとりに多遅(イタドリのこと)の花が咲いていたことと歯並びが美しかったので多遅比瑞歯という名を付けたとある。

 さて、今回初めて気が付きましたが、楠木正成の首塚もあるのでした。前回は永手の墓に気を取られて、すぐ傍にある首塚には目が向かなかったようです。

楠木正成首塚(杜本神社) (楠木正成首塚と南木神社)

 南木神社の祭神は楠木正成。左側にある石塔が首塚である。

猿田彦大神(杜本神社) (猿田彦大神)

 猿田彦を祀る石の前で休憩していると、男性が一人お詣りに来られた。拝殿の前で礼拝してそのまま帰ろうとされるので、この奥に「楠公の首塚と藤原永手の墓がありますよ。」と声を掛けましたが、「ナンコウ?」怪訝な表情。「楠木正成です。」、「ああ、どうも有難うございます。」と言ってそのままお帰りになりました。余計なお世話であったようです(笑)。今や「楠公」は死語。難航か軟膏か南港の方になっているのでしょうな。

金剛輪寺址 (1) (金剛輪寺址)

金剛輪寺址 (2)

 さて、以上は往路でのこと。復路のことに戻ります。逢坂橋から飛鳥川に沿ってその河口の石川畔まで下り、石川沿いに玉手橋まで走り、玉手橋で左岸に渡り、河川敷の石川自転車道に入る。

石川自転車道 (石川自転車道)

 石川自転車道にお別れして大和川を渡り、恩智川沿いの道へ。
 柏原市堅下付近で見かけた小さな太鼓台。人影は周囲になく太鼓台だけがポツンと。枚岡神社の秋郷祭のそれのような担いで歩くタイプの布団太鼓ではなく、山車タイプの太鼓台。内部の太鼓の収まり方などは、布団太鼓のそれと同じ。

太鼓台 (1) (太鼓台・柏原市堅下付近)

太鼓台 (2) (太鼓台内部)

 恩智駅付近まで帰って来たら午後4時過ぎ。喫茶ナナは午後4時閉店だからと、通り過ぎようとすると、まだシャッターは下りていない。試しに覗いて見ると、店の松〇さんと万葉の会の常連の男性・畑〇氏とが談笑して居られた。小生もアイスコーヒーを注文し、話の仲間に入れて戴く。5時過ぎまで涼ませて戴いて、帰路に。
 喫茶ナナを出て暫く行くと恩智川は外環状道路(国道170号)と交差する。通常は
外環を横断し、恩智川沿いを走るのだが、この日は信号の具合もあって、外環沿いに帰る。

高安山と信貴山ケーブル線 (高安山と信貴山ケーブル)

 丁度高安山が正面に見える位置から1枚撮影。中央に信貴山ケーブルの線路も見える。往路はこの山沿いの高みの道を走ったのでありました。
 先日の高安古墳群めぐりの銀輪散歩で立ち寄った神光寺はこのケーブル線のすぐ左側だが、何処とも分からない。そのずっと左になる玉祖神社は写真の外のよう。
 その玉祖神社と恩智神社の氏子争いで、神様の境界と定まった垣内地区(これは玉祖神社から見て「垣内」であって、恩智神社から見れば「垣外」ということになるから、玉祖神社側の命名なんだろう。)にあった子守社という小さな祠に、往路では立ち寄りましたから、その写真を最後に掲載して置きます。神社の由来などは不詳です。

垣内子守社 (2) (垣内子守社)

垣内子守社 (1) (同上)

 以上で、今回の銀輪近隣散歩は終了です。猛暑の中の取材にて手抜きの段はご容赦を。今回もお付き合い下さり有難うございました。<完>







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最終更新日  2014.07.29 08:58:12
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