本日は囲碁例会。少し早目にMTBで家を出て、武庫川まで銀輪散歩して来ました。目的は、契沖の歌碑を訪ねるというもの。先般、尼崎市の琴浦神社まで銀輪散歩したことはブログでご紹介しましたが、もう少し先まで行けば、契沖の歌碑があるということを帰宅後に知ったので、今日はそれを訪ねてみようというもの。
<参考> 囲碁例会・尼崎市の琴浦神社へ
2014.6.11.
コースは琴浦神社へのそれと同じ、国道2号線をひたすら西へ、というものなので、重なる部分は省略です。尼崎市に入り、庄下川に架かる玉江橋を渡った処で左折、阪神・尼崎駅にご挨拶してから、再び国道2号に戻ることとする。
(阪神電車尼崎駅)
阪神尼崎駅から西に1km余で蓬川。よもぎ川かと思ったら、よも川と読むらしい。Yomogawaと表示されていたように記憶します。川の両岸が緑地になっている。川に沿って左折、南へ。下の写真は帰途に撮影したもので、国道2号は上流(写真奥)にある。往路は橋を渡って、左側の公園を下って来ました。その左側の公園で見つけたものは。
はい、これ。阪神電車の車両でした。
尼崎競艇場の西側にある水明公園にも同じ車両が展示保存されているそうなので、ついでにそちらにも回ってみることに。
琴浦通りに出て、右折、西へ。琴浦通りは先回の琴浦神社へ行った時に走っている道なので、勝手知ったる、という気分。ひとまず琴浦神社に立ち寄り小休止。琴浦神社は琴浦通り(東西の道)と道意線(南北の道)とが交差する辻の西北角にある。
目指す契沖の歌碑は琴浦通りをそのまま西へ行った処にあるのだが、道草して道意線を南下し尼崎競艇場にご挨拶。
競艇場の北側の道を西に進むと水明公園がありました。確かに同じ型の阪神電車旧車両が展示保存されていました。
水明公園で暫し休憩してから、再び琴浦通りに出て左折、西へ。
尼宝線と琴浦通りが交差する角に「口ノ開公園」という小さな公園があり、その一角に契沖歌碑はありました。
武庫の浦の わだのみさきに よる浪の ここにもかくる 天の橋立
契沖さんと言えば、万葉代匠記であるが、ヤカモチは不勉強でこの書物読んでいません。著作も読まずに墓参りでもないですが、契沖の墓なるものは、以前訪ねて居りますので、その記事を下に貼り付けて置きます。
<参考> 囲碁例会・契沖墓
2013.9.11.
青雲会囲碁・奈良街道と契沖墓所
2013.9.14.
契沖歌碑を後にし、琴浦通りを更に西へ。200m余で武庫川に出る。尼崎市は此処まで。武庫川を渡ると西宮市である。
この武庫川橋の辺りに渡し(西新田の渡し)があったらしい。
秀吉の中国大返しの折、この付近まで秀吉一行がやって来た時、一人の農夫が対岸の雉が慌ただしく飛び立つのを見て、明智軍が待ち伏せしていると秀吉に知らせ、秀吉はその忠告に従い、道を変えて難を逃れた、という言い伝えが残っているらしい。
まあ、この種の言い伝えは古来からありますので真偽の程は、であります。
阪神電車の武庫川駅は川の上にあるという珍しい駅です。
先回、この「崇徳院」を見て、神社か何か、崇徳院所縁の何かが近くにあるのだろうか、と思ったものですが、これは町名標識の石で、この辺りの町名が崇徳院と言うのでありました。何故そのような地名になったかは、上記参考の6月11日の記事をご覧下さい。
さて、囲碁例会ですが、今日の出席者は、竹〇、平〇、福〇、村〇の各氏と小生の5名。小生は、少し遅れての会場到着であったので、村〇氏と竹〇氏と対局しただけ。村〇氏に負け、竹〇氏に勝ち1勝1敗。炎天下を走っての直後の碁はやはり、ちょっと雑になります。
帰途は大阪天満宮に久しぶりに立ち寄りました。境内の芭蕉句碑を掲載して置きます。
行年や 薬に見たき 梅の花 (芭蕉)
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