< 承前 >
玉水駅前の道を南へ行くと、先程渡って来た玉川の土手に突き当たる。先ほどは南から北へと流れていた玉川がここでは東から西へと流れている。玉川は300mほど下流、国道24号を過ぎた処でほぼ直角に蛇行しているのである。川が曲がった辺りに井手町役場がある。此処は井手町。川の水を堰き止められた処を、古くは「ゐで(井堤)」と呼んだようで、万葉集にはこのような歌がある。
玉藻刈る ゐでのしがらみ 薄みかも
恋のよどめる わが心かも (万葉集巻11-2721)
<美しい藻を刈る井堰のしがらみ。そのしがらみのような障害が薄いせいで、恋が停滞しているのか。それとも私の心のせいでしょうか。>
井手という地名もこの「ゐで」から来ているのであろう。
さて、玉川はこの付近では天井川になっているのだろう、堤の道に出るには坂道を上らなくてはならない。堤の遊歩道に出ると山吹歩道橋という小さな橋があった。
山吹が沢山植えられている。
井手の玉川と言えば、山吹である。
この地は橘諸兄の本拠地。
諸兄が玉川堤に山吹を植えて以来、井手の玉川は山吹の名所として、古来多くの歌に詠まれて来た。生憎の季節にて花はない。
春さらば またも来て見む 山吹の 花よそひたる 井手の玉川 (偐家持)
ここは自転車を降りて、押しながらゆっくりと歩くこととしましょう。歌碑もあるではないか。それも、小野小町、紫式部、和泉式部の競演である。
色も香も なつかしきかな 蛙なく 井手のわたりの 山吹の花 (小野小町)
思はずに 井手の中道 へだつとも 云はでぞ恋ふる 山吹の花 (紫式部)
河辺なる 所はさらに 多かるを 井手にしも咲く 山吹の花 (和泉式部)
JR奈良線は玉川の川底のトンネルを通過しているのであろう。川べりの遊歩道とは随分の高低差になっている。
これから行こうとしている和束町は玉川に沿って通じている府道321号で山越えとなるので、このまま玉川沿いを東に行けばいいのだが、以仁王墓に立ち寄るため、府道70号で右折、南へ向かう。1km程で以仁王を祀る高倉神社。この神社の傍らにその墓がある。
神社では何やら祭事があるらしく、正装の人たちが忙しそうにされている。お邪魔してもいけないので、拝殿前で失礼し鳥居右横の以仁王墓にご挨拶をしておいとま仕り候。
以仁王については下掲の説明板または下記<参考>をご参照下さい。
<参考> 以仁王
・Wikipedia
以仁王墓を出て、東に向かい最初の辻を左に入ると小さな川に出る。川の土手道を上流へ。やがて竹林が正面に。
ここで川を渡り、坂を下ると広い舗装道路に出る。これを右に取って坂を上って行く。500m位坂道を行った辻で左に入り更に坂道を上る。そこで後ろからやって来たロードバイクかクロスバイクかの3人組に追い抜かれる。
坂を上りきって平坦な道に出ると、すぐに井手左大臣橘諸兄公旧趾という石の道標が目に入る。追い抜いて行った3人組を追いかけようとスピードを上げ始めた処だったので危うく見過ごす処であった。変速機付きのバイクとそれのない小口径バイクのトレンクルでは勝負にならないのであるから、追いかけるのは野暮というものであるが、つい反応してしまう(笑)。
これを入って行くと道は完全に竹林の中の道となり、坂の勾配もきつくなり、加えてガタガタの悪路。自転車での走行は諦めて押して行く。
竹林に囲まれて、と言うよりそれに埋もれるようにしてひっそりとそれはある。
橘諸兄は大伴家持が官人としてスタートした時に政権の中枢にあった人。新入社員家持にとっては諸兄はその会社の社長か専務みたいな存在であったろうか。
(旧趾碑と供養塔)
<参考> 橘諸兄
・Wikipedia
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