長らく(と言っても1週間程度に過ぎませんが)記事更新を怠って居りましたが、無事に生きて居ります。今月は月初より連日の如く記事を更新して居りましたので、暫し休養とブログから遠ざかって居た次第にて、特段の理由もなく、ヤカモチ当人はいたって元気、相変わらずの銀輪散歩の日々であります。
しかし、今日は朝から雨。雨の中を銀輪散歩すれば、それは殆ど病気。そこまでの酔狂もなくあれば、ヤカモチも今日は自宅謹慎であります。
ということで、今日の記事は銀輪散歩で目にした花たちと致します。
銀輪は 雲行くままに 雲と行く あてもなき道 風も友なり (偐家持)
風吹かば 風になびかむ ちがやの穂 銀輪われも 風がまにまに (偐家持)
チガヤ(茅、茅萱)は浅茅(あさぢ)とも言う。その穂(花)は、つばな・ちばな(茅花)と呼び、万葉人は開花前の若い花穂を摘んで食べた。噛むと甘味があるそうだが、ヤカモチは試したことがない。一度試してみようとは思っているが、上のように銀白色の穂になって気が付くので、いつも手遅れである。
「ち(茅)」については以前のブログ記事で言及したことがあるので、それを再録して置きます。
<「ち」は「あさぢ、ちばな、つばな、ちがや」などとも呼ばれて、万葉にも登
場する植物である。「ち」は聖なる植物、霊力のある植物であったのでしょう。
神社の「茅の輪」くぐりも、その花を「ちばな、つばな」として抜いて、食べた
のも、その霊力を身に受けようとする行為であるのでしょう。
血も地も知も「ち」であり、生命も「いの・ち」、力も「ち・から」、我々は
「ち」に特別な意味を込めて来たのですかな。>( 第119回智麻呂絵画展
)
上の記事・第119回智麻呂絵画展ではチガヤの万葉歌として大伴家持と紀女郎との相聞歌(巻8-1460、1462)を紹介しましたが、別の歌を此処では取り上げて置きましょう。
浅茅原 つばらつばらに もの思
(も)
へば 故
(ふ)
りにし郷
(さと)
し 思ほゆるかも
(大伴旅人 万葉集巻3-333)
<浅い茅の原、つくづくともの思いにふけると、明日香の里のことが懐かしく思わ
れることだ。>
山高み 夕日隠りぬ 浅茅原 後
(のち)
見むために 標
(しめ)
結
(ゆ)
はましを
(万葉集巻7-1342)
<山が高いので夕日が隠れてしまった。浅茅原を後でもまた見るために、しるしを
結んで置こうものを。>
この花は河川敷や道の辺にてよく目にする花である。今まで名を知らぬままにいましたが、先日、ビッグジョン氏のブログでこの花がご紹介されて居り、大金鶏菊という名であることを知りました。名を知ると一層親しみが湧くというもので、早速見かけたものを写真に撮ったという次第。
尤も、この植物は北米原産の外来種にて、在来種に悪影響を与える特定外来植物として、栽培、譲渡、輸入などが禁止されている問題児だそうな。
これも万葉植物。万葉では「うまら」として登場するが、これは「うばら」の東国なまりの言葉だそうな。その万葉歌は防人の歌である。
道の辺の 茨
(うまら)
の末
(うれ)
に 這ほ豆の
からまる君を 別
(はか)
れか行かむ
(丈部鳥
<はせつかべのとり>
万葉集巻20-4352)
<道の辺の茨の先に這い延びる豆の蔓が絡まるようなあなたと別れて私は行くのか。>
我妹子は こまつよひぐさ 月待ちて 今か咲くらむ 夕日の丘に (偐家持)
ビロードの 花と呼ぶらし 酔仙翁 咲き残れるは 見らくしよしも (偐家持)
この花は、ネットで調べると酔仙翁(スイセンノウ)という名でありました。ビロード草ともフランネル草とも呼ばれるらしい。
カイドウやライラックは、花の季節は過ぎて実の季節。
果実を食用とするものは別として、一般的には花は知っていても実の方は知らぬことが多い。海棠もライラックも花を見ればすぐにそれと分かるが、実だけでは何の木であるかは分からない。
在りし日の 花を偲ばな 実を見つつ
行く銀輪の 道も楽しも (偐家持)
<参考>「花」関連の他記事はコチラから。
花(1)・2007~2011
花(2)・2012~
銀輪花散歩・リュウゼツラン、キンエノコ… 2025.10.19 コメント(4)
銀輪花散歩・平城宮趾公園&佐保川畔 2025.03.27 コメント(4)
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