本日は1日に続いて今月2度目の墓参。
墓へと向かう坂道で今年初めてツクツクボウシの鳴く声を耳にしました。立秋を過ぎればこの蝉も鳴き出す、というのが小生の季節感であるが、猛暑は夏のそれなれど、蝉の声や咲く花などに「秋」の気配は無きにしも非ず、であります。
わが家の墓は墓石背面に刻まれた処によると昭和10年建立である。祖父とその弟達(祖父は男ばかりの6人兄弟の長男であった。)の名が建主として刻まれていて、横左面には曾祖父梅吉・曾祖母ノブの名が刻まれている。曽祖父の梅吉さんは昭和10年に亡くなったということであるのだろう。梅吉さんは小生が生まれるはるか前に亡くなって居られるので如何なる記憶も存しないが、曾祖母のノブさんは、小生が3~4歳の頃まで生存され同居していたこともあって、ぼんやりとその面影を記憶している。
ということで、この墓に入っている方は、曽祖父母、祖父母、父、父の妹(この女性は小生が5~6歳の頃、若くして亡くなっている。)、小生の妹(小学1年で水の事故で死亡)、小生の長女(生後6か月で死亡)の8名ということになる。まあ、彼らは千の風になって吹き渡って居り、「其処にわたしは居ません。」と言っているのかも知れませんが、小生が彼らを偲ぶ場所はやはり此処ということになる。
墓参恒例の今日の言葉は、月替わりのようですから、1日の墓参で見たのと同じにつき省略です。ということで、墓参の行き帰り恒例の花散歩と致します。
先ず目にしたのはハナトラノオ。ハナトラノオの「オ」は「尾」であるが、「ハナ」は「花」であって「鼻」ではない(笑)。
近くにはカラスウリが実を付けていました。秋が深まると赤く熟すのであるが、今は葉の陰にてその準備に余念がないといった処か。一つ目の秋の気配発見です。
カンナの色も鮮やかな黄色にて、1日に目にした赤い燃えるようなカンナと比ぶれば、何やらやさしくふくよかな感じがして、こちらも秋支度といった風情に感じられなくもない。
やはらかき カンナの花は 夢うつつ 揺れて咲きたり 風立つ秋に (眩家持)
「おっ、ヤブガラシ」とその花と実から一瞬思ったが葉が異なる。ノブドウでした。これにも実が既に生っている。秋には青や紫など複雑な色に色付き目を楽しませてくれるのでもある。二つ目の秋の気配です。
つる草と来れば、ヘクソカズラも健在。沢山の花が咲き出しています。
可憐なツユクサも忘れないで撮って置きましょう。
つき草の 移ろひやすく 思へかも わが思ふ人の 言も告げ来ぬ
(坂上大嬢 万葉集巻4-583)
そして、ブロ友のビッグジョン氏が畑の邪魔者とされるスベリヒユです。こちらでも畑から追い出されたのでしょうか、アスファルトの割れ目から芽を出して広がり始めています。黄色の小さな花を咲かせるが、これは未だ若造にて花を付ける余裕がないのだろうか。
この畑の嫌われ者のスベリヒユも実は万葉花なのである。万葉集の東歌に出て来る「いはゐつら」がこれだという説がある。
入間路
(いりまぢ)
の 大家
(おほや)
が原の いはゐ蔓
(つら)
引かばぬるぬる 吾
(わ)
にな絶えそね (万葉集巻14-3378)
上野
(かみつけの)
可保夜
(かほや)
が沼の いはゐ蔓
引かばぬれつつ 吾
(あ)
をな絶えそね (同巻14-3416)
クサギもその独特の花を付けていました。しかし、葉などには触れずに置きましょう。その名の通り臭いのである。
さて、秋の気配と言えばやはりこれでしょう。三つ目の秋の気配です。
人皆は 萩を秋と云ふ よしわれは
尾花が末
(うれ)
を 秋とは言はむ (万葉集巻10-2110)
尾花が既に秋を演出していますが、ヨウシュヤマゴボウの方は未だ「支度中」のようです。カタバミは我関せずとニュートラル、秋でも夏でもいいと言って居ります。
こちらは「アメリカで囲碁」ではなく、アメリカデイゴです。
コチラは「夏」に限ると言っているようですな。
そして、最後はヒョウタン。
自宅近くまで帰って来ると目に飛び込んで来たのがこれ。
瓢箪も ぶらりお盆の 朝の風 何の糸瓜と 人の世渡る (瓢箪家持)
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