不可思議の海岸線が長くなる為に・・・

不可思議の海岸線が長くなる為に・・・

2007/02/28
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カテゴリ: 日本旅行記
◇稲成神社から進んでいると、稲成神社の車の登り口がありました。
車で訪れれる人は、いいですね(笑)。

学校のグランドの道端に『津和野藩庁跡』の看板がありました。
藩主の亀井公の邸宅があった場所らしいです。
看板だけでなにもありません。

その先に 津和野城馬場先櫓 が茶黒い建物があります。
この櫓は、旧津和野藩邸表門の左方の角地に配置された隅櫓で、南西に馬場があったのでこの名前が付けられています。
構造は、重層入母屋の本瓦葺きで、外部漆喰仕上げの櫓構建築です。
建築年代について記録はありませんが、1856年頃と推測されています。

櫓の敷地内にも入れますが、内部は見る事はできません。
ちょっと、どっしりしていて二階建て建物みたいな感じですね。

島津和野41馬場先櫓

そこから進んで細い道に入った所に 西周旧居 があります。
ここは西周(にしあまね)が四歳から二十五歳まで過ごした屋敷です。
西家は医師として代々津和野藩に仕えていました。
一部を焼失しましたが、西周の勉強部屋と伝わる部屋は残っています。
明治文化の功労者の一人して我国哲学界の先駆者としてしられている。

ひっそりとありますので、碑がなければ通り過ぎてしまいそうになりました。
西周については、ほとんど知りません(笑)。
ですので、建物を見学するだけですね。
家と倉の内部も開放されていて見ることができます。
説明の看板を読んでも、いまいちな反応しかできませんでした。
明治文化の功労者の一人らしいです。
幕末頃の話で聞いた事あるようでないようで・・・。
島津和野51西周旧宅

そこから細い道と細い橋を渡り 森鴎外旧宅 があります。
森鴎外(森林太郎)は、1862年1月19日この家で生まれ、1872年に十才で上京するまでここで過ごしました。
明治・大正を代表する文豪として、夏目漱石と並び称されています。


『旧宅観覧の皆さまへ これより先は旧宅観覧券(100円)が必要になります』と書かれていました。
門の前の店屋で買えるそうです。
観覧券を買ってから内部を見させてもらいました。
思ったより広い住居でしたね。
森鴎外の親?の写真が飾られていました。

そこには訪れませんでした。
島津和野61森鴎外旧宅


津和野旅行は、まだ続きます





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Last updated  2007/02/28 07:10:38 PM
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