不可思議の海岸線が長くなる為に・・・

不可思議の海岸線が長くなる為に・・・

2007/05/06
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カテゴリ: 日本旅行記
中津城跡 から中津川沿いを歩き右側方面へ進んでいきました。
樹齢600年の大銀杏があります。
時期的に葉がないので、老木にしか見えませんね。
そこの境内か「北門宮地獄神社」があります。
地獄って名前がつくのは珍しいですね。
名前の切る所が間違っているのかもしれませんが・・・。

「大実業家和田豊治」の看板があります。
碑があるのはわかりますが、この場所は何かを看板には書いてありませんね。


福澤諭吉記念館 に着きました。
少し待てば入館できるみたいでしたので、待つ事にしました。
は、記念館敷地にあります。
訪れた時は工事中でしたので入館料は割り引いてくれました。
工事中で割り引いてくれたのは、初めての事ですね。
福澤諭吉先旧宅 ですが、改装をして雰囲気は新しい建物にしか見えませんが、記念館の建物の中には当時の写真があります。

「刺客に狙われた話」の看板があります。
勝海舟と坂本竜馬みたいな話ですね。
当時としては、刺客も話を聞くんですね。

「土蔵の話」の看板もあります。
勉強した場所らしいですね。


「しらみ取りの話」の看板があります。
諭吉の母の話らしいです。
逸話は尽きたのかな?

福澤諭吉記念館 には、お札の1番のお金が置いてあります。
銅像もありますね。

福澤諭吉は1歳と6ヶ月の時に父が急死した為、1836年秋に母子六人で大坂の中津藩蔵屋敷から藩地の中津へ帰ってきました。
最初に住んでいた家は残っていませんが、この宅跡にその家がありました。
今残されている旧宅は、後年に移り住んだものです。

大分2中津41福沢諭吉旧宅

福澤諭吉記念館の隣には『増田宋太郎生誕の地』の看板と碑があります。
西南の役の中津隊隊長で、福澤諭吉の再従兄弟である。
西郷軍に加わり、鹿児島の城山で没した。



大分旅行2は、まだ続きます





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Last updated  2007/05/06 10:43:50 AM
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