不可思議の海岸線が長くなる為に・・・

不可思議の海岸線が長くなる為に・・・

2010/04/30
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カテゴリ: 日本旅行記
◇さった峠から由比町方面へ降りてきました。
下りた所に「一里塚」があり、道の反対側に「望嶽亭 藤屋」があります。
さった峠への東口のふもとにあり、その昔、脇本陣、茶亭として多くの文人墨客で賑わったところです。
明治元年3月7日、驀進精鋭隊長・山岡鉄舟が官軍に追われ、望嶽亭の蔵屋敷で漁師に変装、隠し階段より脱出し、当時最新式フランス製十連発のピストルを残していったといわれています。
個人宅の為、不定休だそうです。

入口は開いていたんですが、呼んでも誰も出てこないので移動しました。
内部は古そうでした。

この辺りの町並みは「倉沢の街並み」と言われるそうです。
この辺が旧東海道の江戸時代の街並みの雰囲気を残しているそうです。
所々は、良い感じかな?
道を広げたらしく、建物が新しいのが多かったです。
細長い街並みですが、急な斜面に神社などがあるのは珍しいです。

名主の館 小池亭 に訪れました。
小池邸は江戸時代、代々小池文右衛門を襲名して寺尾村の名手を代々務めていました。
名主は年貢の取立・管理、戸籍事務、他村・領主との折衝等、村政全般を扱い、村役人の中で最も重要な役割を担っていました。
この建物は、江戸時代の建立ですが、大戸・くくり戸、ナマコ壁、石垣等に江戸時代の名主宅の面影を残しております。

外観は良いので期待して入りましたが、なんだか雰囲気が違いました。
こんな感じだからか、入る人もすぐに出て行っていました。
なんだろうかな~って思いました(笑)。
休憩所として開かれています。
東1b小池邸

県道富士由比線を歩いて 豊積神社 へ訪れました。
延喜式神名帳に「駿河国いほ原郡豊積社」とあり、ここの地を町屋原と称するは、古代において物々交換の市場が営まれたところで社伝によれば第四十代天武天皇の白凰年間ここに五穀の神「豊受姫」を祀る豊積神社が創建されたと伝えている。
平安時代に木花開耶姫(このはなさくやひめ)を祀る浅間信仰が広く流布され、791年に神主の夢想神託により木花開耶姫を祭神とし、豊受姫は稲荷社として境内に遷宮された。
797年、坂上田村麿が東征の途上、豊積神社に戦勝を祈願し、その帰路戦捷報告に立ち寄ったと、今に伝えられる。

裏のほうから入ったので「白髭神社」(祭神・猿田彦神)がそうかと思いました。
小さな祠がある感じでした。

その先に本殿がありました。
本殿も古そうで良い雰囲気でした。

こんな感じのは初めて見ました。
新しいからそうなのか、あまりにも鮮やかでした。
社殿の印が天狗の持つ団扇の様な印でした。
イチョウの時期でないので、訪れる人がいない神社でした(笑)。
東1c豊積神社
東海旅行-1-東海道周辺


東海旅行1は、まだ続きます





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Last updated  2010/04/30 09:54:35 PM
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