全7件 (7件中 1-7件目)
1

通俗三国志 巻之二十曹操(そうそう)槊(ほこ)を横たえて詩を賦す徐庶命(じょしょめい)を受けて、すでに兵を引いて出でければ、曹操(そうそう)も、「今は都のうち心にかかる事なし」とておおいに喜び、みずから馬に乗って、まず陸(くが)の陣を見巡(みまわ)り、そののち大船(たいせん)一艘を中央にうかべ、「帥(すい)」の字かきたる旗を立てさせ、左右みな水寨に傍(そ)うて弩(いしゆみ)千張(ちょう)を伏せおき、みずから将・・・・・《台の上に坐す。》通俗三国志 巻之二十曹操(そうそう)槊(ほこ)を横たえて詩を賦(ふ)す 曹操(そうそう)は徐庶(じょしょ)を差し向けたあと、やや落ち着きを取りもどし、馬に乗ってまず長江沿いの陸の陣営を視察し、ついで水上の陣営を視察した。曹操(そうそう)は大船に乗り込んだが、その中央には「帥(すい)」と記した旗印が立てられ、両側には水軍がずらりと並び、船上には千張の弓や弩(いしゆみ)の射手がひそんでいた。曹操(そうそう)は船・・・・・《上にすっくと立った。時に建安(けんあん)十三年(208)冬十一月十五日、天気は快晴、風は凪(な)ぎ波も穏やかだった。曹操(そうそう)は命令を出した。》
2012年05月14日
コメント(1)
ユネスコで公開中・貴重書・慶安3年(1650)「源氏物語」「常夏」落款入・杉田玄白・旧所蔵 杉田玄白・旧所蔵・貴重書・慶安3年(1650)「源氏物語」「常夏」落款入-【楽オク】
2012年05月04日
コメント(0)
ユネスコで公開中・貴重書・慶安3年(1650)「源氏物語」「常夏」落款入・杉田玄白・旧所蔵 貴重書・慶安3年(1650)「源氏物語」「常夏(とこなつ)」原本・落款入-【楽オク】
2012年05月04日
コメント(0)
ユネスコで公開中・貴重書・慶安3年(1650)「源氏物語」「常夏」落款入・杉田玄白・旧所蔵 杉田玄白・旧所蔵・貴重書・慶安3年(1650)「源氏物語」「常夏」落款入-【楽オク】
2012年05月04日
コメント(0)

海外展示品「三国志」日本初翻訳・日本に唯一現存の古筆「曹操(そうそう)赤壁の合戦への出陣の命令を出す」(1)・古筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。悉(ことごとく)くあつまりしかば、曹操(そうそう)心のうち勇み喜び、四方の景をのぞみ見るに、名高く聳(そび)えたる南屏山(なんびょうさん)、月に映じて画(えが)くがごとく、東は柴桑(さいそう)の境を望み、西は夏口(かこう)の江(え)を極め、南に樊山(はんざん)、北に烏林(うりん)、四遠(しえん)の風景、悉く寸眸(すんぼう)にあつまりければ、ともに盃を伝えて諸大将にむかっていわく、「われ義兵を起こしてより以来(このかた)、民のために凶悪を除き、誓って四海を清めんとするに、大半すでに平らげたれども、いまだ得ざるものは江南なり。(2)・古筆の「原文の現代語訳文」は次の通りです。《大勢の文官・武官は席次に従って》・・・・着席した。南屏山の景色は絵にかいたようであり、東を見やれば柴桑(さいそう)の国境、西を見やれば夏口(かこう)の入り江、南には樊山(はんざん)県、北には烏林(うりん)(湖北省供湖市東北)と、四方がからりと開けているのを見て、曹操(そうそう)は喜びがこみあげ、一同に告げた。「わしは義兵を起こしてこのかた、国家のために賊を除き悪人を退治して、誓って四方を征伐し、天下を平定しようと願ってきた。まだ手に入れていないのは江南・・・・《だけだ。》上の印は、大槻玄澤(仙台藩医)の落款「赤壁の合戦」に向けて・建安12年(206)曹操軍出発「三国志」自筆
2010年05月29日
コメント(1)

海外展示品「三国志」日本初翻訳・日本に唯一現存の古筆「曹操(そうそう)赤壁の合戦への出陣の命令を出す」(1)・古筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。《弩(いしゆみ)千張(ちょう)を伏せおき、みずから将》・・・・・台の上に坐す。 時に、建安十二年冬十一月十五日なり。ことさら天気こころよく晴れて、風静かに浪(なみ)平らかなりければ、船中に酒宴をなし、諸大将をあつめけるに、ようやく暮れにおよんで東の山の端(は)に皎々(こうこう)たる月さしのぼって、その光白日のごとく、一帯の長江素練(それん・白い練り絹)を引くかとあやしまる。曹操(そうそう)が近侍(きんじ)の輩(ともがら)みな錦綉(きんしゅう)の袖をつちね、戈(ほこ)を荷(にな)い、鎗を横たえて数(す)百人排列(はいれつ)し、文武の大将、階級によりて(2)・古筆の「原文の現代語訳文」は次の通りです。《曹操(そうそう)は船》・・・・・上にすっくと立った。時に、建安(けんあん)十二年(207)冬十一月十五日、天気は快晴、風は凪(な)ぎ波も穏やかだった。曹操(そうそう)は命令を出した。「船上に酒の支度をし、音楽を用意せよ。今宵は諸将と宴会だ」。暮色が深まると、東の山に月が上り、皎々(こうこう)たる月の光があたりを真昼のように照らし、長江は練り絹を流したようだった。曹操(そうそう)は大船の甲板に座り、左右につき従う者は数百人、みな錦の衣服に刺繍を施した厚手の上衣を身につけ、戈戟(ほこ)を手にしている。大勢の文官・武官は席次に従って・・・・《着席した》
2010年05月29日
コメント(0)

海外展示品「三国志」日本初翻訳・日本に唯一現存の古筆(1)・古筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。通俗三国志 巻之二十曹操(そうそう)槊(ほこ)を横たえて詩を賦(ふ)す徐庶(じょしょ)命(めい)を受けて、すでに兵を引いて出でければ、曹操も、「今は都のうち心にかかる事なし」とておおいに喜び、みずから馬に乗って、まず陸(くが)の陣を見巡(みまわ)り、そののち大船(たいせん)一艘を中央にうかべ、「帥(すい)」の字かきたる旗を立てさせ、左右みな水寨に傍(そ)うて弩(いしゆみ)千張(ちょう)を伏せおき、みずから将・・・・・《台の上に坐す。》(2)・古筆の「原文の現代語訳文」は次の通りです。通俗三国志 巻之二十曹操(そうそう)槊(ほこ)を横たえて詩を賦(ふ)す曹操(そうそう)は徐庶(じょしょ)を差し向けたあと、やや落ち着きを取りもどし、馬に乗ってまず長江沿いの陸の陣営を視察し、ついで水上の陣営を視察した。曹操(そうそう)は大船に乗り込んだが、その中央には「帥(すい)」と記した旗印が立てられ、両側には水軍がずらりと並び、船上には千張の弓や弩(いしゆみ)の射手がひそんでいた。曹操(そうそう)は船・・・・・《上にすっくと立った。時に建安(けんあん)十三年(208)冬十一月十五日、天気は快晴、風は凪(な)ぎ波も穏やかだった。曹操(そうそう)は命令を出した。》海外展示から戻った原本は、額縁付の状態で展示されております。部屋の中で展示されている場合の見本写真を掲示します。上の写真は、2枚とも右の窓側の壁に「額縁」に入れた原本を展示しております。海外では机の上において鑑賞されております。上の写真は展示例としての参考写真です。
2010年05月29日
コメント(0)
全7件 (7件中 1-7件目)
1