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銀座ビジネス英語gym の泉幸男です。http://ginzagym.com きょうは映画 "Darkest Hour" を観てきました。ウィンストン・チャーチル首相が苦悩のなかで英国民の心をつかみとる瞬間を描いた映画です。 チャーチルの秘書 Elizabeth Layton を演じた女優 Lily James さんがスキのない美しさです。2016年テレビ版「戦争と平和」でナターシャを演じたのも彼女。 チャーチルの奥さんが、性格も見た感じも ぼくの奥さんにすごく似ていて、他人とは思えませんでした。言うところはバシッと言うけど、深い愛があるんですねぇ。 有名な地下鉄内の人々との対話といい、ダンケルクに向かう800隻以上の民間船団といい、議会で満座の支持を勝ち取る瞬間といい、幾度となく涙が噴き出しました。 TOHO シネマズシャンテの上映は明日までです。銀座ビジネス英語gym http://ginzagym.com
May 8, 2018
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「ジキル&ハイド」は、平1904日生劇場公演(鹿賀丈史さん最後の渾身のジキル)、平2403日生劇場公演(石丸幹二・笹本玲奈のジキル&エマ)を2度ずつ観てきた。英語版・ドイツ語版のCDを何度も聴いた、思い入れの多い作品です。 今回の平2803東京国際フォーラム公演、3月5日に初日を観ました。 石丸幹二さんが魂を素っ裸にして自分のジキル&ハイドを作り上げ、のびのびとした心境が歌のハリにもすなおに表れ、1曲目の「闇の中で」から背筋をぞくっとさせてくれました。石丸ジキルはより端正にそして悩み深くなり、ハイドは茶目っ気のある罪ないたずら小僧になった。 人間がむき出しになった石丸ジキルに呼応して、笹本玲奈さんのエマもひとりの慈しみ深い女性として立ち現れた。前回の笹本エマは「お嬢さま」を演じていて、やや硬かった。今回のエマは、なぜあのわがままなジキルを女性として全面的に受け入れることができるのか、納得のいく役作りでした。 濱田めぐみさんの娼婦ルーシーには、無邪気な少女ぶりを残した愛すべき女性の繊細さを感じました。初日公演でとても緊張していたのか、ミュージカルの女王にして最初の歌で歌詞をとばしてしまったけど。 石丸さんも濱田さんも4年前には、あまりにも偉大だった鹿賀ジキルと豪快なマルシアルーシーの舞台を「継承」することを意識せざるを得なかったでしょう。今回は完全に吹っ切れた。新鮮で完成度の高い初日でした。 助演の役者さんもそれぞれにみごと。 ジキルの盟友のアターソン弁護士役の石川禅さんは、快活で誠実な人間味あふれる友人を一歩踏み込んで演じた。 畠中洋さんのサイモン・ストライドは、やりすぎかと思うほど憎たらしくなった。 そしてエマの父であるダンヴァース・カルー卿は今井清隆さんが理想の父親像をごく自然に演じきった。 エマの父役は前回、中嶋しゅうさんを当てるというかなり冒険の配役で、それはそれで味があったけれど、やはり今井清隆さんがぴったりはまった。 初日公演なので、カーテンコールには演出の山田和也さんも登場し、役者さんたちをねぎらって「初日として上々の出来。ダメ出ししなきゃいけないところもまだあったけど(劇場内に笑い)、でも、とてもいい出来だったよ」 そしてビックリしたのが、そのあとに登場した作曲のフランク・ワイルドホーンさん。とてもにこやかに「世界各国でさまざまなヴァージョンの Jekyll & Hyde を観てきたが、その中でも今回の公演は出色の出来。皆さんはいまa happy composerを目にしている。これからこの公演がさらなる adventures を繰り広げることを祈ります」 ミュージカルの包容力とスリルに満たされた夕べとなりました。
Mar 8, 2016
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ぼくの応援している劇団 Theatre Moments が、パワーアップされた「幸福の王子」公演をやっています。初日を観てきました。この劇団の特徴は1. からだを張って動く。舞踏でも武闘でもなく。舞台美術そのものとしてのからだの動き。2. 大道具を使わず、シンプルな小道具をさまざまな用途に使い込む。落語の扇子と手ぬぐいみたいに。3. 出演者が役を次々に入れ替わる。そのプロセスの中で、観る者の想像力の翼を羽ばたかせる。3. 笑いをとる脇スジと、しっとりと締める本スジのストーリーの絶妙のバランス。今回は、調布市せんがわ劇場の企画制作だったので、舞台美術がいつもより華やいでいます。有名な「幸福な王子」をこの劇団で観るのは3年半ぶり、2度目。注目した新演出は、暗転の効果的な使い方。暗転といっても、幕や場の転換ではなく、台詞や効果音は続行します。1度目の暗転は、王子の片目のサファイアをつばめが抜き取った瞬間。王子がひとつの目の光を失う瞬間を暗転によって観客も体験実感する。2度目の暗転は、王子の鉛の心臓が割れるとき。荘厳な死を、闇のなかで実感します。暗転って、こんな使い方もあるんだ!「幸福な王子」は朗読しても30分ほどで終わってしまいますが、これを70分の演劇に仕立てたので、コミカルな脇スジ(「妖怪体操」まで出てきましたが…)もあれば、ひとつのシーンをふくらませて考えさせてくれる場面もありました。舞台中央に2人の役者が背中合わせで立ち、こちらを向いた役者が「わたしは北半球の先進国にいます。なにが困るって、食べ物がたくさんありすぎて、どれを食べたらいいかわからなくなること」舞台奥を向いた役者が「わたしは南半球にいます。なにが困るって、飢えと栄養失調でおなかがふくれてしまうことです」。これだけ書くと、陳腐な社会派演出のように読めますが、このシーンに至るまでストーリーの階段を登ってきた観客には、じ~んとくることばなのです。Theatre Momentsさん、いいお芝居をありがとう!「幸福な王子」公演の詳細は、こちらのサイトをご覧ください。入場料は2,500円です(各種割引あり)。http://www.moments.jp/playX05/12/19 14時、19時半12/20 11時、15時12/21 14時、17時12/22 14時。劇場は、京王線の仙川駅から歩いて5分。調布市といっても、新宿駅からすぐです。
Dec 19, 2014
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ミュージカル女優・笹本玲奈さんのファンクラブイベントは欠かさず出てますが、今年はとても充実していました。何といっても、彼女自身が人として成長して、当たりがやわらかくなった。以前は、気負いを発散させていましたが、いまは自然にひとと やわらいでいる。おとなの女性になって、そして一段と美しくなりました。以下、彼女のトークの前半部分(演劇関係)から抜粋です。ちなみにトーク後半は出演したコンサート関連でした。◆ジャンヌ◆自分がずっと演じたかった役が5つありました。レ・ミゼのエポニーヌ、ミスサイゴンのキム、ガイズ&ドールズのサラ、ミー・マイのサリー、そしてジャンヌ・ダルクです。昨年9月に「ジャンヌ」を演じて、この5つを20代のうちに演じることが、かないました。文学座の皆さんに囲まれて、女性ひとりポツンでしたけど、稽古中は毎日戦争でした。今までになく長い台詞(せりふ)でしたから。これまでのお芝居では、稽古期間の前に3日間だけ椅子に坐って台詞だけひたすら読んでいたのですが、「ジャンヌ」は10日間、台詞だけの練習をしました。出づっぱりで衣装も重いし、長い台詞が各シーンにあるんですね。最後の裁判シーンは説明台詞が多いのですが、地方公演で台詞を3頁飛ばしてしまった俳優さんがいたんです。どうやって巻き戻そうかと舞台上のみんなが助けようとしていろいろ台詞をトライするんですが、戻そうとする台詞がひとによってポイントが違って、うまくいかないんです。1分ちかく、しーんとしてしまって。1分の空白のあと、どなただったか、うまく続けて、それでまた舞台が回り出したんですが。じつは飛ばしてしまったのは某##さんでした。(注:お名前はブログには書かないことにします) 大先輩でもそんなこともあるんだなぁと。ところが##さんは舞台が終了するまで自分が間違えたとは思ってなくて「誰だよ、次の台詞は !?」と思っていたそうで、じつは自分の間違えだと分ったあと、新幹線に乗るまでの時間にレストランでおごっていただきました。演じる前にフランスのオルレアンに行きました。ジャンヌの住んでいた家も建て直されてレプリカが建っています。河のあっち側とこっち側で敵味方が向かい合った場所にも行きました。舞台で台詞を言いながら、その場所の絵が浮かんでくるんですね。「ルドルフ」のマイヤーリンクにも行ったことがあります。建物は変わっていても、風景は変わっていません。実際にあった出来事に基づくお芝居を演じるときは、その場所を見たほうがよいと思いました。ストレートプレイ(注: ミュージカルではない台詞劇)は来年も1本、予定しています。ミュージカルをやるにしても、歌がうまいだけではダメで、基本はお芝居ですから、ことばだけで伝えることができないといけませんね。わたしの演じる役は悲劇的結末のものが多いのですが、コメディーも率先してやっていきたいです。◆クリスマスキャロル◆稽古がレ・ミゼの本番中だったので、迷惑をかけてはいけないと思って一旦はお断りしたのですが、市村正親さんがすごく推してくださって。市村さんの40周年記念の作品でもあったのです。市村さんは、1998年にわたしがピーターパンにデビューしたとき初日に観に来て楽屋に来てくださって、そのときイギリスのピーターパンの銅像が立っている公園でお撮りになった写真にサインしてわたしにくださったんです。「いつか、共演できるように頑張ろうね」って。舞台でご一緒できたのは2004年の「屋根の上のバイオリン弾き」でした。市村さんはわたしにとってミュージカル界のパパです。いつも目を光らせてわたしの演技を見ていてくださり、いろんなアドバイスをくださいます。◆ラブ・ネバー・ダイ◆衣装の早変わりをする「水着の美女」では最初の段階で7枚重ね着しているので、このままでは雪だるまになっちゃうと思ってダイエットしました。久々にダンスもあって、ミュージカルらしい作品でした。わたしの演じたメグは、前半はひたすら明るい人柄で、最後に本心が見えてくるのですが、演出家さんから「ここはお客さんをだましてしまおう!」と。淡々と演じて最後にはぜる役はやりがいがあります。ダブルキャストの彩吹(あやぶき)真央さんは宝塚のかたなので、立ち方や踊り子さんとの距離感を学ばせていただきました。ラウルとファントムのどちらを選ぶかと言われたら、ファントムを選びますね。ラウルも最後はせつないですけど。ラブ・ネバー・ダイIIがあったら、どういう話になるのかなぁと考えます。ファントムとクリスティーヌの息子であるグスタフを、この先はファントムとラウルが立派に育てて……とか。みんなが不幸になるのはかわいそうだから、メグもどこかの国に母親と一緒に逃げて、結婚してハッピーになってほしい。5つの役がダブルキャストなので、いろんな組み合わせで稽古をします。相手が違うと、こちらの演じ方も変わります。市村さんと鹿賀丈史さんは、個性のちがうファントムだったので、わたしの演じるメグも動くポイントとかいろいろ演じ違えました。そういうことが楽しかったですね。市村さんと鹿賀さんの違いが楽しかったです。市村さんは、ついていきたいと思わせるファントム。鹿賀さんは、あなたの才能をまもってあげたいと思わせるファントムでした。◆ミス・サイゴン◆新演出のロンドン公演のオープニングに招待状をいただいて、市村正親さん、駒田一(はじめ)さんとともに行きました。新演出は、人数も増え、セットも変わり、ヘリコプターも再登場ですし、すごく変わったなという印象で、違和感さえ感じたほどでした。2012年演出の映像のヘリコプターに慣れてしまっていたんですね。今回の帝劇公演は、ロンドンの新演出をそのまま持ってきています。2012年は青山劇場という小さなハコでしたが、今年の帝劇は大きなハコなので、同じセットでも場所を広く使います。2階席のいちばん奥の席にいらっしゃるお客さまにも伝わるお芝居をしなければなりません。わたしがキムをはじめて演じたのは19歳のときで、そのときはまっすぐストレートに子供を守りたいという気持ちを歌いました。しかし人間は迷いや弱さもないわけではない。クリスを信じていると口では言っていても、本心ではやはりクリスは戻って来てはくれないとも思う。でも、ことばでもって「クリスを信じている」と言って、自分を奮い立たせているのがキムなのだと気づきました。弱さが勝って、涙が出ることもある。演出のダレン・ヤップさんも「強いだけの人間はいない。弱い面も見せればいい」と言ってくれて、自分もそのほうがやりがいがありました。トゥイとの対決の場面でも、キムにはきっと「このひとと一緒になれば苦労もなくなり、子供もしっかり育てて安定した生活ができるかもしれない」という思いがよぎったはずだとダレンは言うんですね。トゥイをキムが殺したとき初めてキムは「迷いはない」と本当に強い気持ちになって「命をあげよう」を歌い上げる。過程がちゃんとあった上での「命をあげよう」なのです。2004年から10年間で154回のキムを演じることができ、ぜいたくな経験でした。イベント恒例の「歌のコーナー」は、レ・ミゼ笹本エポニーヌの歌「オン・マイ・オウン」と、平原綾香さんの「おひさま ~ 大切なあなたへ」。「おひさま」の歌詞は、ミス・サイゴンのキムのことばとして聞くこともできますね。イベントの最後、笹本さんにひとことお伝えしました。「35歳になるまでにぜひアメリカかイギリスでお芝居をやってください。もう日本では極めちゃったところもあるし。イギリスには演出家のジョン・ケアードさんもいるし」。笹本さんは「え!?(できるかな??)」という反応でしたけど、5年計画で新たな高みを目指してくれればと祈っています。
Nov 24, 2014
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ミュージカル Love Never Dies 日本語版の千穐楽(せんしゅうらく)公演を2階席から観ました。カーテンコールで舞台挨拶があったので、そのようすを後半に書きます。本作の公演は、すべての回が満員御礼・起立絶賛(スタンディング・オヴェイション)だったそうです。わたしは3回観ました。笹本玲奈さんの多様な魅力が楽しめて、ファン必見の作でした。ところで、公演の名前ですが、原題は Love Never Dies だから、すなおにカタカナにすれば 「ラブ・ネバー・ダイズ」 です。三単現の -s を抜かした「ラブ・ネバー・ダイ」というカタカナは、とても堪えられません。再演のときは 「オペラ座の怪人2 ―愛は死なず―」 でお願いしたいです。それともひょっとして 「オペラ座の怪人」 は劇団四季が商標登録済?260427 ミュージカル ラブ・ネバー・ダイ @ 日生劇場 音楽・脚本: Andrew Lloyd Webber 出演: 鹿賀丈史、平原綾香、笹本玲奈、田代万里生、香寿たつき、加藤清史郎、あべみずほ、辰巳智秋(たつみ・ともあき)、ひのあらた(千穐楽。これまでの2度の観劇で観られなかった鹿賀さん、平原さん、香寿さんにも会えたので、主要キャストで観ることができなかったのは笹本さんとダブルキャストの彩吹真央さんだけ。さて、鹿賀丈史さんは本調子でなく音程が乱れるが、台詞がダンディでカッコいい。平原さんはみごとに歌い切ったが、台詞と歌が断絶しているのが惜しい。改めて濱田めぐみさんのすごさを実感。笹本さんのメグのラストシーンが、妖しい夢を泳ぐような みごとな役づくり。カテコで舞台挨拶あり、詳しくはブログ本篇で。)260402 ミュージカル ラブ・ネバー・ダイ @ 日生劇場 音楽・脚本: Andrew Lloyd Webber 出演: 市村正親、濱田めぐみ、笹本玲奈、田代万里生、鳳 蘭、松井月杜(つきと)、あべみずほ、辰巳智秋、ひのあらた(笹本玲奈さんの Meg Giry は 「水着の美女」 がいちだんと cheerful だし、グスタフを誘拐したラストシーンは鬼気迫るすごみがあった。市村正親さんが、高音にもパワーで向かって歌い上げた。田代万里生さんの第2幕冒頭 「なぜ僕を愛する?」 から 「負ければ地獄」 に至る歌、凝縮した思いが詰まっている。ラウルは、万里生さんだね。濱田めぐみさん、今宵も鳴り止まぬ拍手。カテコで市村ファントムが田代ラウルにガンつけして、ウケていた。)260322 ミュージカル ラブ・ネバー・ダイ @ 日生劇場 音楽・脚本: Andrew Lloyd Webber 出演: 市村正親、濱田めぐみ、笹本玲奈、鳳 蘭、加藤清史郎、橘慶太、あべみずほ、辰巳智秋、ひのあらた(笹本玲奈さんの Meg Giry が、変化に富んで快活で、とても楽しい存在。濱田めぐみさんのソロがみごと。きょうは鹿賀丈史さん主演の回だったのだが、体調不良で市村さんに交代。ファントム役と鳳蘭さんの Madame Giry 役の歌は高音を歌いきるのに少し苦労していた。)さて、舞台挨拶の様子です。笹本玲奈さん「今回わたしが演じたメグは残念ながら殺人者ということで……(隣の平原綾香さんが 「そんなことないわよ」 とささやいたようす)……え? でもやっぱり殺人者よね。殺そうと思って殺したわけじゃないって? まぁ、ミスによる殺人というか……ということで複雑な気持ちですが、でも、大好きな先輩がた、そして日頃はご一緒する機会のない(平原)綾香ちゃんとも同じ舞台に立てて、楽しい公演でした。メグは、お芝居のなかでいろんな形で登場し様々な面を見せる、演じ甲斐のある役でした」加藤清史郎「歌がとても難しかったですが、1回1回こころをこめて歌いました。今日で終わりかと思うと、さびしい気持ちです」香寿たつき「わたしも、とても難しい歌をいただきました。わたしは舞台上の役者をよく植物にたとえます。舞台の上で光を浴びて光合成をしてすくすく伸びていく植物です。今回の作品は、これまでになく最高の光合成をすることができました」田代万里生「毎回、恋に破れ、酒におぼれ、ひとに捨てられということで、いいことのないラウルをダブルキャストで演じる橘君と、慰め合う日々でした。今回の公演は、すべての回が満席でスタオベということで、こんなことはこれまでで初めてでした」平原綾香「今回のお話をいただいたときは、ほんとにビックリいたしました。オペラのような形の歌は歌ったこともなかったし、お芝居も初めてです。こんな素人が舞台に立ってよいのかと。でも舞台にいてすばらしいキャストの皆さんと一緒にいると、自分の台詞がないところでも、相手の役者さんと目が合っただけで心にこみあげてくるものがあったりする。こういう機会を与えてくださったホリプロさん、そしてキャストの皆さんに、改めて感謝の気持ちでいっぱいです。(背後にいるキャスト一同に向かってお辞儀)今回の作品はオペラ座の怪人の10年後の話ですが、ファントムもクリスティーヌもラウルももちろん架空の存在であるわけです。10年といえば、わたしも歌手になって10年になります。でも、オペラ座の怪人はもっともっと長い時を経ていて、すでにファントムもクリスティーヌも、単なる架空の存在ではないと思うのです。わたしは毎回クリスティーヌに、あなたの声をくださいとお祈りしてきました。とにかくこうなったら命をかけて取り組もうと、舞台に骨をうずめようと思って、頑張ってきました。昨日の前打上げで、そろそろ舞台から骨を掘り出そうと思うと言ったら、場違い発言だったようなのですが(笑)やっと終わったと思ったら、今度はわたしのソロ・コンサートが待っておりまして、そこでもまた 「愛は死なず」 を歌うようにとファンの皆さんからご要望がありまして、また歌わせていただきます」鹿賀丈史「今回の公演では、最初3~4日を終えたところで、歌をお聞かせできるような声が出なくなってしまいました。ダブルキャストの市ちゃん (いっちゃん、市村正親さん) が、それじゃぁ、俺が代わってやるよ、と言ってくれて、結局5回ほど代演してもらいました。その日その日の舞台を楽しみにして来られるお客様には大変失礼なこと、あってはならないことで、たいへん申し訳ありませんでした。この歳になって、舞台と病院を往復するような日々となってしまいました。改めて、お詫び申し上げます」会場の熱い拍手のうちに、鹿賀ファントムと平原クリスティーヌ、加藤グスタフの親子3人を全キャストが取り巻くカーテンコールが続きました。*今回の Love Never Dies は、ファントム、クリスティーヌ、マダム・ジリーの歌に飛びぬけて高い音があり、歌い手泣かせの作品でした。さて、本作の再演でファントム役は誰になるでしょう。山口祐一郎さん、鈴木綜馬さんあたりでしょうか。メグ役は、引続きぜひ笹本玲奈さんに演じてほしいです。
Apr 27, 2014
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笹本玲奈さんの Meg Giry が、変化に富んで快活で、とても楽しい存在。濱田めぐみさんのソロがみごと。3月22日の昼の部は鹿賀丈史さん主演の回だったのだが、体調不良で市村さんに交代。ファントム役の市村正親さんと Madame Giry 役の鳳蘭さんは高音を歌いきるのにところどころ苦労していたかな。260322 ミュージカル ラブ・ネバー・ダイ @ 日生劇場 音楽・脚本: Andrew Lloyd Webber 出演: 市村正親、濱田めぐみ、笹本玲奈、鳳 蘭、加藤清史郎、橘慶太帰宅後、映画版 (平成24年作、英語) をもういちど観た。コニーアイランドの見世物小屋のシーンの数々、日生劇場の舞台にうまく再現していたなと納得。映画版ではクリスティーヌ・ダーエの親友のメグ・ジリーを Sharon Millerchip さんが演じている。きれいなひとで、昭和44年生まれ。ストーリーの設定に近いキャスティングは、ミラーチップさんなのでしょう。でも、笹本玲奈さんのメグ・ジリーのほうがぴちぴちしていて、愛嬌がある。映画版と今回の日生劇場版を比べて、唯一 笹本さんのメグ・ジリー役が映画版越えしてたと思うなぁ。メグ・ジリーは、出番としてはこのミュージカルのなかでいちばん多いかも。コミカルでゴージャスでプリティ。クリスティーヌ・ダーエ役の濱田めぐみさんのソロ 「愛は死なず」 は万雷の拍手がしばし鳴りやまなかったけれど、訳詞の 「愛は決して 決して死なず」 がメロディーの拍数と合わなすぎて (とくに「決して」の3.5音節が)、いかにも翻訳ものでございの歌になっているのが残念。「愛はとわに 滅びなく」 と訳したほうがよかったのでは?ミュージカルの題名じたい、邦題の 「ラブ・ネバー・ダイ」 は英語の Love Never Dies の三単現の -s を外していて、ぼくとしては許しがたい。邦題は 「オペラ座の怪人2 愛はとわに」 がよかったのでは? で、この 「2」 は、トゥー ではなく ツー になっちゃうんでしょうかね。クリスティーヌの夫君であるラウル・シャニュイ子爵は、橘 慶太さんが演じていたが、ミュージカルは初めてというヴォーカリストで、ぼくはちょっとピンと来なかった。音楽界では大人気のひとのようですが。そもそもこのミュージカルでラウルは華がない役柄なので、デビューを飾るには不利な役どころだったかもしれないけど。劇中で真の父親が明らかになるグスタフ役の加藤清史郎君が、天使の歌声をよくこなしていました。
Mar 30, 2014
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期待を大きく上回る出来でした。戯曲そのものが女性陣が光る作りなので、男性陣は本領発揮できなかったかも。260316 新国立劇場ドラマスタジオ第7期生修了公演 9階の42号室 @ 新国立劇場 小劇場 作: 飯沢匡(ただす)、演出: 栗山民也、出演: 岩澤侑生子(いわさわ・ゆきこ)、押田栞(おしだ・しおり)、デシルバ安奈、山下佳緒利、野坂 弘(ひろむ)山下佳緒利さんの老けた掃除婦役は、ちょっと疲れたところまで自然で、かと思うと劇中劇で妖艶女も演じてしまう。役者人生に直行するのは、まず彼女かな。デシルバ安奈さんは第2場の劇画作家の付き人では津軽弁、第4場ではヘンなフランス人のマダム・マルシャンをコミカルに演じた。ルックスにも恵まれて、これから楽しみなひと。押田栞さん演じる劇画作家も、遊び心たっぷりの押しの強さ。今回の数ある役の中で、いちばんアクが強いのはたぶん彼女が演じた劇画作家だな。岩澤侑生子さんは端正さが持ち味。すこしアバズレて見せてくれると、もっとおもしろくなる。長ゼリフをもたせる力量はさすが。野坂弘さんの半分ボケた老政治家も元気があって楽しめた。役者本人の善人のオーラが、やや出過ぎたか。政治家の煮ても焼いても食えないところを感じさせるスパイスが欲しかったかな。他の皆さんも、役どころを得ればそれぞれに開花するのだと思います。第7期生11名の皆さん、期待しています!
Mar 16, 2014
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きょう大雪の日が千穐楽。観客の皆さん、交通がご無事でありますよう。わたしは5日の夜、仕事帰りに観てきました。ムダを削ぎ落とした舞台空間の、すばらしい公演でしたが、ほんの少し残念な点もあったので書いておきます。今年は4月下旬にも 二期会の 「蝶々夫人」 が東京文化会館で行われるので、それも観るつもりです。260205 Giacomo Puccini: Madama Butterfly @ 新国立劇場オペラパレス 指揮: Keri-Lynn Wilson 演出: 栗山民也 出演: Alexia Voulgaridou, Mikhail Agafonov, 甲斐栄次郎、大林智子、内山信吾じつは 「蝶々夫人」 を観るのは初めて。いくつかの旋律の特徴的な一節が、ミュージカルの 「レ・ミゼラブル」 や 「ミス・サイゴン」 で聞きおぼえのあるものだった。後年のミュージカルが、剽窃にならない範囲でプッチーニのメロディーにオマージュをささげていたわけである。2列目右端近くの良い席で、自ら命を絶つ蝶々さんを正面から見る席だった。海外公演での時代考証の失敗をとりあげた記事を何度か読んだことがある。栗山民也さん演出だからその点は大丈夫だろうと思っていたら、別の切り口で違和感ポイントが2つあった。第2幕第2部でピンカートンが畳の部屋に土足で上がるのは余りの違和感。第1幕でもゴローが草履のまま畳に駆け上がるシーンあり。「あ、あれはおかしいよね」 と観察脳が警報を発すると、藝術脳のテンションが下がる。また、第2幕第2部に登場する米人妻ケートを、顔立ちが地味で黒髪の日本人歌手が演じていたのにも違和感。この違和感は、蝶々さんをギリシア人の歌手 (しかも白人としても派手な顔立ちの) が演じていることから来る。「日本人」 と 「米国人」 の生まれの違いがストーリー上 決定的な意味をもつシーンなのに、米国人役の姿は どう見ても漱石の坊ちゃんのマドンナだ。ピンカートンの米人妻役は、少なくとも蝶々さんよりも白人 「らしい」 姿で舞台に立つ必要がある。ケートの独唱部分は、蝶々さんとの掛け合いの僅かなものだし難度は高くないから、日本在住の白人歌手を見つけることも可能だったろうし、日本人なら金髪のウィグを利用するなどして、白人っぽい演出をすべきだった。舞台上のひとが全員 アジア系の人だったとしたら、気にならなかったであろうポイントだ。
Feb 8, 2014
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260128 思い出を売る男 @ JR東日本アートセンター 自由劇場 作: 加藤道夫、演出:浅利慶太、出演: 田邊真也、日下武史、野村玲子、味方隆司、芝 清道、生形理菜劇団四季創立40周年記念として平成4年に初演された佳品。芝居の最後、日下武史さん演じる中風の乞食役が絶品。しかし、芝居の冒頭、主役の復員兵詩人の田邊さんと花売娘・生形さんの台詞回しが、発音練習におつきあいさせられているようで、全くいただけなかった。もし通路側の席だったら、開演の10分後に劇場をあとにしたと思う。劇団四季・浅利慶太氏の明瞭母音理論は知っているが、それを墨守させて不自然な日本語を役者にしゃべらせるのには辟易(へきえき)する。役者さんたちがロボットのよう。とくに昨日の公演は、これがひどかった。「四季の会」 会員はしばらくお休みすることにした。
Jan 29, 2014
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260124 永遠の0(ゼロ) @ TOHO シネマズ日劇 岡田准一、三浦春馬、井上真央、田中 泯(みん)、橋爪 功、夏八木 勲(なつやぎ・いさお)、山本 學(がく)、風吹ジュン、新井浩文、染谷将太(そめたに・しょうた)相当に期待して観に行ったが、それをさらに上回る作品だった。浮わついてないところがいい。大げさでもない。等身大の人間を描いてくれた。観おわって、荒野に立っているような気分がした。ぼくが感情移入したのが、意外なことにヤクザな景浦(かげうら)だ。主人公の宮部久蔵(みやべ・きゅうぞう)と決定的に衝突し、しかしその末に一転して彼を守り抜こうとし、戦後は体を張って宮部の妻を救いだした男だ。原作で宮部の孫がマスコミ批判するところは、合コンで友人らの軽薄に反発するシーンに変えられていた。朝日新聞対策上は、やむをえない改作だろう。恥ずかしながら原作を読んでいないが、さきほど Amazon で注文した。時をおいて、もう一度、映画館で観たい。これは、テレビで観る映画じゃないな。
Jan 25, 2014
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竹下景子さん主演の 「あとは野となれ山となれ」 が、巡回公演中。こちらに舞台写真とあらすじを載せたブログがあります:「大衆演劇を舞台に繰り広げられる人情喜劇が再演!」 東京では12月11~15日、池袋の東京芸術劇場シアターウエストで上演されます。 3人劇です。共演者の岸田茜(きしだ・あかね)という若い女優さんがきれいです。(上掲のブログでは舞台写真1枚目の右端に写っている役者さん。竹下景子さんに向かって笑いかけている) 。 この岸田茜さんが今年1月に出演した 「熱風」 というお芝居の一場面を、わたしの企画で役者絵に仕立てました。画家の吉敷麻里亜さん (武蔵美日本画、院修了) に、わたしが依頼して描いてもらったものです。 画家・吉敷麻里亜(きしき・まりあ)さんのサイトで、オリジナル感ある精巧な複製画を販売しておりますので、どうか ぜひご覧ください! 額つきでの販売です。http://mariansshop.thebase.in/items/102486
Dec 8, 2013
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ぼくを芝居狂いに引き入れたミュージカル 「ミー&マイガール」 にもつながる、ジョージ・バーナード・ショーの 「ピグマリオン」。はまりました。女優の魅力がひときわ際立つのは、上品なことばを話すときでもなく、アバズレを演じるときでもなく、上品ことばに俗が混じる不思議な言葉づかいの瞬間でした。まるで言葉がセミヌードになったみたいな あだっぽさ。第3幕後半 (新国立劇場公演では休憩前の前半の最後のほう) のイライザが最高に好いわけです。≪こんなに頑丈な伯母がインフルエンザごときで死ぬわけがない。私がもらうことになっていた伯母の新しい麦わら帽子はどうなったんでございましょう。誰かがちょろまかしたに違いありません。つまり、帽子をちょろまかしたやつが、伯母をやっちまったってことですわ。≫ (小田島恒志さんの訳本 133頁)長ゼリフも多く、言葉の諸相を縦横にかけめぐるイライザの役は、女優にチャレンジを強いる。自分が心酔する女優にとことんチャレンジさせてみたいと大女優パトリック・キャンベルのためにアテ書きしたバーナード・ショーの気持ちが痛いほどわかります。石原さとみさん、とってもかわいかった!彼女を指導するヘンリー・ヒギンズ教授がとことんひねくれもので、「マイ・フェア・レディー」 の映画やミュージカルとは異なる展開です。その第5幕。ひねくれ教授を、一直線の傲慢男として直球勝負で演じつづける平岳大さん。ちょいとあのヒギンズは、浅すぎ、若すぎないかな。変化球がほしい。演出の方針がそういうことなのかもしれないが、あのヒギンズ教授には乗れなかった。さいしょのうち、感受性に乏しいヒギンズに多少は身につまされるところも感じつつ観ていたわけですが、やがて心は離れた。平岳大さんのヒギンズには 「かわいげ」 をまぶしてほしかった。ガサツさはコミュニケーション下手のなれの果てなのかなと、いささかの同情心も さそうようなヒギンズ像は、ありえないだろうか。ヒギンズへの嫌悪が鬱積しきって、最後にイライザが飛び立ってゆく爽快さで暗雲解消とはいかぬまま、幕。う~~ん。そういう劇なのかもしれないが、たとえば市村正親さんや鹿賀丈史さんが演じたなら、憎たらしいヒギンズにも かわいげが備わったろう。きのう11月13日の初日公演会場には作品をこの公演のために新たに訳した小田島恒志(こうし)さんと、その偉大な父・小田島雄志(ゆうし)先生も来られていた。雄志先生の隣におられたのは奥さまで、その隣に立つ青年は恒志さんの息子さんだろうか。終演後、ロビーの恒志さんに 「すばらしい作品、ありがとうございました」 とご挨拶した。新国立劇場公演 「ピグマリオン」、12月1日まで。
Nov 14, 2013
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濱田ここねさんが疾風のように駆けるひたむきなシーンがいちばん好きだ。かわいがってくれた なか ばあちゃんの危篤を、奉公先の加賀屋のおかみに知らされ、気を張った遠慮の末に加賀屋の娘・加代から すぱんっと後押しされて飛び出すや、駆けに駆ける。ぼくはNHKの 「おしん」 は ほんの数話しか見ていないから、スジは知らなかった。NHK版でおしんは、ばあちゃんの死に目に会えるらしい。映画では死に目に間に合わなかった。映画の長さを調整するために、おばあちゃんとの再会シーンを見切ってしまったのだろう。ぼくは上戸彩さんに会いたくてこの映画を観た。ほんとにいい役者さんだ。アイドル役も苦労役も両方とも自然にこなせる。泉ピン子さんの加賀屋の大女将(おおおかみ)は、人間が大きく見えた。甘くも辛くもなく、人間存在そのもので勝負している。集客力のある稲垣吾郎さんのファンには悪いが、彼はミスキャストだった。都会人の臭いがぬぐいきれなかった。演技が軽いというわけではなく、本人として精一杯頑張っているのだけど、脂っこさがないというかスマートすぎて、かもしだすものが都会的すぎる。土臭さ、土着感がない。けっきょく自身の21世紀の日常から吹っ切れることができなかった。NHK版では伊東四朗さんが演じた。そういう役者さんに演じてほしかった。それにしても、かりに 「おしん」 を観たあとで 「そして父になる」 を観たら、おそらく恵まれた現代の2組の夫婦の悲劇がまったく悲劇と思えないだろう。“ 「そして父になる」 を観て涙が何度も頬を伝った” 的なコメントをそこここで読むのだけど、ぼくの場合 ついに、悲しみ・哀切の切り口で 「そして父になる」 に入り込むことはできなかった。さんざん演劇を観て、「おしん」 のような疾風怒濤のほうがスタンダードになってしまうと、「そして父になる」 はリリー・フランキーさん演じる父親像を楽しむほうに行ってしまう。
Oct 23, 2013
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バーナード・ショー作、鵜山 仁・演出、笹本玲奈主演の 「ジャンヌ」 が快調です。9月24日が東京・三軒茶屋の千穐楽。このジャンヌ、よく言えば天真爛漫でひとを惹きつけ、わるく言えば純粋無垢すぎて図々しい。ちらしに使われた笹本ジャンヌの写真は悲壮ですが、そういうジャンヌはたぶん5%ほど。舞台上のジャンヌの70%くらいは、ぴちぴち感がはじける、笑顔で瞳が輝くジャンヌなのです。男装を貫きとおし火あぶりになる役どころなのに、女・笹本玲奈の美しさがあふれる舞台となっております。9月7日、18日と観劇しました。7日も二重丸でしたが、18日にはさらに役者さん同士が根をはり枝を広げて絡み合って、パワーが2割増し。ラッキーにもアフタートークがありました。演出助手の稲葉賀恵(かえ)さんの司会で、演出家・鵜山 仁さんと、笹本玲奈さん、伊礼彼方さん、馬場 徹さん。稲葉さんが「笹本さんはプライベートでもジャンヌに似てきたという評判ですが……」「え ? あたし、嫌われてるの ?」のっけから笑いをとった玲奈ちゃんでした。そうなのです。バーナード・ショーの 「ジャンヌ」 では、エピローグで男たちが語り合い、ジャンヌのことを全肯定しつつも、もしもジャンヌが復活したらと問われると一同が拒否の反応を見せる、辛口の小さなどんでん返しがある。笹本 「エピローグのシーンがよく分かってなかったのですが、お客さんの前で演じてみて客席の笑い声にびっくりした。あっ、エピローグは、笑っていいとこなんだなって」 鵜山 仁さんの演出指導に話題が移ります。稲葉 「今回のこの3名は皆、鵜山さんの演出で芝居をするのは初めてですが……」鵜山 「ちゃんと話を伝えるのに、あと10年くらいかかるだろうね。30年いっしょに仕事している人たちとも、ちゃんとコミュニケーションとれてないんだよ (客席 笑) 手さぐりなんだ」伊礼 「自分が言われていることはよく分からないんですが、他(ひと)が言われていることは分かるような気がする。鵜山さんがシャルル役の浅野雅博さんに 『ここ、太字でしゃべって!』 と言ったら、そのあと浅野さんのセリフが太字に聞こえたんです (客席 笑) 」笹本 「鵜山さんって、すごく役者さんだなと思う時間がありました。最初、セリフの読みの稽古を鵜山さんと 1 対 1 でやったとき、わたしの他の人たちのセリフを全部鵜山さんが読み分けていくんですが、ほんとに、役者さんだなと思って。そしたら、実際に舞台に立っていらしたこともあったと知ってびっくりしたんです。じつは歌も上手なんです、カウンターテナーで」稲葉 「鵜山さん、披露なさいませんか (会場拍手) 」鵜山 「ぜったい、やりません。先輩がたと、歌は歌わないと、そういう契約になっているので」そのあと稲葉さんから男性陣には「もしも現代にジャンヌがいたら、近いところにいたら、どうする ?」笹本さんには「エピローグの男性たちのなかで、誰がいちばんかわいらしい ?」馬場 「ぼく、エピローグに出てないし。稽古のあいだも笹本さんとはあまり話したことなくて、今日ここではじめて話したくらいですが。ぼくって、どうスか ? ぼくって、可能性って、ないスか ?」笹本 「(稲葉さんに向かって) ……あの……青ひげさん (馬場役) はマント姿がびっくりするくらいカッコいいんです。ディズニーランドから来たんじゃないかって感じで。あれは、女性としては ときめきますよね」この日の笹本玲奈さんは、髪はポニーテールで、紺色縦縞のブラウスに黒スカート。黒いブーツは金色の金具がアクセントをつけていました。芝居中の玲奈さんは男装ということで金髪のショートカットですが、かつらの下に長い髪が隠れていたんですね。伊礼彼方さんを過去に観た舞台は、ちょっと冷淡で取り澄ました役どころばかりだったので、素(す)の伊礼さんもそういうひとかと想像していたら、ワイルドはちゃめちゃタイプの青年だったのは意外でした。
Sep 21, 2013
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二兎社公演 「兄帰る」。岸田國士(くにお)戯曲賞受賞作だ。芝居はたしかにすばらしかった。永井愛さんの脚本には118点 (最後の掛け軸の件が設定にムリがあったので2点減点)、役者陣には120点をつけたい。鶴見辰吾、草刈民代、二瓶鮫一(にへい・こういち)、藤夏子ら8名の役者さんに存分の拍手をおくりたい。ところが、とくに第2幕、舞台背後からカッと照り続けるライトがあまりにまぶしくて、その役者さんたちの演技を直視しつづけられなかった。照明は、中川隆一氏の担当。彼の照明が舞台をぶち壊しにした。おそらく季節が夏に移ったことを示したくて、まばゆいばかりのライトを設置したのだろう。照明設計者の得意満面が目にうかぶ。しかし観客にとっては大迷惑だ。EX列という6列目くらいの右端の席だったのだが、それでもライトがしつこいくらいにまぶしく、舞台から目をそらして第2幕の時間を過ごした。芝居自体がよかったので最後まで我慢したが、ヘタな芝居だったら途中の暗転で退席していたと思う。ふつふつと煮えたぎるような不快感をもって劇場をあとにした。永井愛さん作・演出の芝居をほぼ毎年1本ずつ上演している 「二兎社」。二兎社公演は初めて観たが、脚本・演出はたしかにみごとだったから、今後毎回観たいところだが、上演年表を見ると平成16年以来、照明は中川隆一氏の担当だ。照明の責任者が変わらないかぎり、わたしは二兎社の芝居を観ない。9月1日まで東京藝術劇場シアターウエストで。その後、10月4日まで北海道から兵庫県まで巡回。
Aug 29, 2013
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ミュージカルは、当然のことのように日本語版が存在する。そして感動的だ。今週末も帝劇で 「二都物語」 を観る。はじめて観た日本語版のミュージカルは平成18年、帝劇 「ミー&マイガール」 だった。この作品、ロンドンで昭和63年にオリジナル英語版を観たことがあって、だから帝劇前で日本語版上演のポスターを目にして実は半信半疑だった。「え? 日本語版って、ありうるの?」仕事帰りに帝劇版を観て、以来、芝居にはまってしまった。何度かブログに書いたとおりです。京劇の日本語版というのは成立しうるのだろうか。京劇こそ、中国語の発音体系と不可分の藝能ジャンルのように思われる。わたしはNPO京劇中心の購読会員になっている。8月11日に、京劇役者さんとの交流会 (講演+質疑応答+写真撮影会) があった。質問したいと思って、事前にこんなメールを送った。≪京劇の日本語版の可能性について、どう思われますか?ミュージカルもオペラも世界各国の言語で上演されています。ブロードウェイミュージカルなどは、各国語に翻訳されて、各国語版で上演され、世界の人々に愛されています。京劇タイプの演劇は、北京語、上海語、広東語などではもちろん上演されているし、ちょっと考えても音声構造が中国語と似ているタイ語やベトナム語なら上演は自然にできそうに思います。さて、日本語や欧米言語 (たとえば英語やイタリア語) で京劇は成立するでしょうか。≫待ちに待った当日。沖縄での家族旅行を終えて、羽田から駆けつけた趙永偉(ちょう・えいい)さん。にこやかさの奥からにじみ出てくる豊かなお人柄に魅せられた。250811 第1回 京劇交流会 京劇三国志 「趙雲と関羽」 演出・主演の趙永偉氏と日本公演を振り返る @ 東京藝術劇場5階シンフォニースペース (京劇の日本語版の可能性について質問しようと思っていたが、講演のあと 「子龍!」 「主公!」 という劉備と趙雲の掛け合いを趙永偉さんの後について言ってみるコーナーで、京劇が台詞ひとつ言うにも大変な蓄積を要する一大藝術であることを知らされた。趙永偉さんのアル化もうつくしい北京語を聞きつつ、中国語ができてよかったと思った。)たった一言のセリフの節回しにも、ことばと情念を合わせ紡いだ歴史があるのだなぁ。日本語版は可能であろうが、その制作はほとんど新作歌舞伎を作るような創造藝術となるだろう。質問するのが、はばかられた。終了後、第1列に坐っていたこともあって、趙永偉さんが来られて握手をしてくださったので、わたしは “非常感謝,非常激動!” と言いながら握手を返した。*きのう8月13日、京劇中心からメールが来た。なんと趙永偉さんがわたしの質問メールに懇切に答えてくださり、それを京劇中心のかたが日本語にまとめて送ってくださったのである。わたしだけが読むのはあまりにもったいないので、ここに転載させていただく。≪京劇を日本語で演じる試みは今までにいくつか行われています。中国でも行いました。日本の京劇研究会も日本語の京劇を上演したことがあります。また、日本舞踊や狂言とのコラボレーションで京劇 《秋江》 や 《三岔口》 を上演したこともあります。これも日本語で行われました。アメリカで英語の京劇が上演されたこともあります。ですから、決して不可能なことではありません。でも、英語の京劇は、中国人が聞いてわからないだけではなく、アメリカ人にも聞いて何を言っているかわからなかったそうです。言葉は、その音や調子で意味を伝えるもので、それに節回しが加わる唱となると、別の言葉で表すのは大変難しく、言葉の意味の背景にある文化までを伝えることは出来ません。日本語でも英語でもお芝居の内容を紹介したり、ストーリーを説明することは出来ますが、芸術性を保った台詞や唱に翻訳するとなると中国文化を深く理解し、言葉の音や調子に反映される味わいまでを表現しなければならないので、かなり難しいと思います。視覚的観点から見ても、私は、舞台上の日本の人物が和服を着て英語を話しているのを見るとどうしても違和感があります。同様に京劇の役者が京劇の衣装を着て、英語や日本語で台詞を言ったり、唱をうたっても、しっくりしないと思います。ですから、私は外国語で京劇を演じることにはあまり積極的ではありません。私は日本での生活経験がありますが、初めて日本料理を食べたとき、味が薄いな。材料がとても新鮮だな。という感想を持ちました。その後、日本料理を食べているうちに、日本料理は魚は魚そのもの、野菜は野菜そのもの、豆腐は豆腐そのものの味を大切にするんだと気付きました。それは日本文化の特性を表しています。食文化はその民族の文化を顕著に表します。伝統芸能も民族の歴史や文化を反映していますから、その国の歴史や文化を理解するために伝統文芸を理解し味わうことは理にかなっています。そのとき、言葉もその重要な要素ですし、言葉に伴う音や、唱に伴う旋律、調子、節回しがひとつになってこそ表現が完成するのです。ですから、本当に京劇を味わうにはやはり中国語による、もとのままの舞台をごらんになってほしいと思います。≫思いがけず懇切なご返事をいただいて、すっかり趙永偉さんのファンになってしまった。京劇の日本語版がありうるとしたら、日本の一流の役者と演出家が少なくとも1年間かけて京劇の発声や節回しを学ぶところからはじめて、中国のスタッフと合宿状態で創造していかねばならないだろう。日本の京劇ファンの人口はすくない。京劇中心が主催する来日公演に行っても、演目の質の高さと観客数が釣り合っていないのが、はがゆい。京劇の本格的日本語版を制作するとしたら、劇団四季か松竹が採算度外視で取り組まねばならないだろうが、いつの日か実現させてみたいものだ。セリフなしのアクロバットを演じる役者さんたちも見せ場を作ってくれるのだが、このアンサンブルは、中国人役者の皆さんにそのままお願いするのがいい。
Aug 14, 2013
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朝日カルチャーセンター (新宿) で、女優・笹本玲奈さんを囲む鼎談レクチャーがありました。題して、生きている 「ジャンヌ」 を。9月5~24日、世田谷パブリックシアター 「ジャンヌ」 公演の連動企画です。演劇を心底愛するシェークスピアの大家であられる小田島雄志先生は、御年82歳ですが、ユーモアがにじみ出てくるお人柄は変わらない。演出家の鵜山 仁さんは60歳ですって、見かけも物腰も全然若いんですけど。笹本玲奈さんの話からポイントを拾うと ――「ジャンヌ・ダルクに以前は、いろんなひとが伝説をちりばめて作り上げた人間像のような印象をもっていましたが、今回バーナード・ショー作品を通じて現実に生きていた人だと確信できました。強い性格のひとですが、戦いに行く直前に泣いてしまうのがかわいらしい。弱いところも見せていいというのが、やりがいにつながっています。鵜山さんからも笹本の見せ場だと言われていますし。あと、揺れ動く男たち、ですけれど、エピローグのシーンがかわいいと思います」Q&Aタイムにぼくも質問させてもらいました。泉 「小田島先生もいらっしゃるので、シェークスピア劇の質問です。笹本玲奈さんがシェークスピア作品に出るとしたら、どの役をやりたいですか。また、おふたりの先生方は笹本さんにどの役をやらせたいですか」小田島先生「笹本さんは既にオフィーリアをやってるんですよ。ぼくの翻訳をつかった 『ハゲレット』 っていうお芝居で。あれでもう満足ってところはあるんだけどね。『十二夜』 の男装の役なんかもいいな。(笹本さんに向かって) あなた、よく、宝塚行かなかったね」笹本さん「シェークスピアは、喜劇が好きですね。『真夏の夜の夢』 とか。あかるい作品に出てみたいです」鵜山さん「 『お気に召すまま』 のロザリンなんか、いいな。笹本さんは息が長いし、よくしゃべるから、シェークスピア作品の長いセリフとか聞いてみたいなぁ。ミュージカルに出るなとは言わないけど、ストレートプレイもやらせたいな。うん、シェークスピア劇、これからもいろいろやりますから、全作品に出てみたらどう?」すごいことになりました! ぼくの質問が笹本さんシェークスピア女優への道の露払いになったなら、名誉なことです。他にも、いい質問がありました。質問A 「7月にオルレアンに行かれて、何を感じましたか」笹本さん「オルレアンでは、川や木々の色など、ジャンヌもきっと見ていた自然の姿を目に焼き付けました。セリフを言うとき、東京の風景ではなく、その土地の絵が浮かんでくるのは、とても力になります。ジャンヌの頃には、いまより建物も低くて、空はずっと大きく明るく、木々も青々としていたと思います。日本にない植物にも肌で触れてきました」質問B 「ジャンヌと自分が似ていると思うところは、何ですか」笹本さん「頑固なところです。自分の意見を曲げたくないところが似ています」ここで小田島先生が、エポニーヌのことを話題にします。笹本さん「エポニーヌは、頑固というより一途(いちづ)ですね。でも、思いを曲げないところは共通しています」きょうも笹本玲奈さんはリラックスしていて美しかったし、話も理知的で、魅力にあふれていました。鵜山さんのお話を聞きながら、ぼくも朗読劇画、まだまだ続けなきゃ! と思いました。ぼくより6歳上の鵜山さんのしなやかさに、勇気をいただきました。小田島先生の締めがよかったですねぇ。「週刊朝日の記者といっしょに、むかしオルレアンに行ったんですよ。オルレアンって、街の至るところにジャンヌの銅像があるわけです。そしたら、記者が『先生、これはジャンヌ・ダラケですね』 」
Aug 10, 2013
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笹本玲奈さん主演の、バーナード・ショー作 「ジャンヌ」 が9月に世田谷パブリックシアターで上演される。たのしみにしています。ジャンヌ・ダルクが処刑されたのは、彼女がズボンを履いたからだという話があるらしい。學士會の第2会報 『U7』 誌の平成25年7月号に、武田佐知子さん (大阪大学大学院文学研究科教授) の講演 「邪馬台国の女王卑弥呼の謎 ~卑弥呼は男装の麗人だった?~」 が掲載されている。こんなくだりがある。≪巴御前が男装したなど、日本でも異性装の例がいくつもありますが、女性の男装、あるいは男性の女装は、まったく非難の対象になっていません。しかしヨーロッパの場合は、例えばジャンヌ・ダルクが異端審問裁判を受け、魔女の烙印を押されて火あぶりになったのは、じつは彼女がズボンをはいたことが問題となったからでした。宗教裁判で彼女は、「わたしにズボンをはかせたのは大天使ミカエルの預言だ」と言い張りますが、カトリック教会側は、「大天使ミカエルがそんなことを言うはずがない」と彼女を糾問しました。最後に「ここで 『違う』 と言ったら、明日は火あぶりだ」と言い渡された彼女は怖くなり、「間違いでした。あれは、大天使ミカエルではなかったかもしれない」と言って、その日は許されました。そして、ズボンを脱いでスカートをはきましたが、3日目に司教たちが彼女の牢獄をのぞいてみると、彼女は再びズボンをはいていました。そのため、もはや何の容赦もなく、翌日に彼女は火あぶりの刑に処されました。彼女がズボンをはいたという一点で処刑されたことについては、『ジャンヌ・ダルク処刑裁判記録』 という大変信頼性のある史料に明らかにされています。この史料の刊行は1400年代のことにもかかわらず、ジャンヌ・ダルクについて非常に細かい記録があるので、彼女の処刑の原因がズボンにあったことを、現代のわたしたちも知ることができるのです。他にもたとえば、1848年頃、アメリカではブルーメリズムという服装改革運動がおこり、長いスカートを切って 下に着たズボン状の衣服をあらわにしました。またフランスではサンシモニストたちが、完全な男女平等を訴えました。完全な男女平等の社会では、女性もズボンが許されるべきだということで、彼女たちはズボンをはきました。すると道路交通法が改正され、女性がズボンで大道を歩いてはいけないことになってしまい、女性たちが水をかけられるなど、いろいろな弾圧に遭った例があります。日本では、女性の男装、あるいは男性の女装が極めて許容的であるのに対し、ヨーロッパ世界はそうではない背景には何があるのでしょうか。昔、日本では、男性も女性も同じ形の衣服を着ていました。キモノを思い浮かべてください。キモノは、男性用も女性用も同じ格好です。基本の衣服が同じ形をしていたことが大きな原因だとわたしは思います。≫講演ではその後、卑弥呼男装説が披瀝されて、それはそれでおもしろいのだが、ではヨーロッパで異性装がなぜかくも忌避されたかは解説がない。どこかでまた調べてみたいテーマですね。
Aug 10, 2013
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旬な女優の富樫 真(とがし・まこと)さんをはじめ、6人の役者が演じた昭和18年から21年の時間は濃密で、みごとな舞台だった。出征した兵士らに慰問品として送るために撮られた99枚の家族写真がモチーフ。その写真の家族のその後を取材するルポライターが聞いた、根本家のふたつの死。その死に向かい合う家族らの姿が凄絶に演じられる。役者とモチーフにめぐまれ、映像と舞台を交錯させた演出も綿密だ。然るに、ぼくはこれをプロデュースしたトム・プロジェクトに黄信号を出す。リアルに切り取られた歴史を浅薄な歴史観で染め上げる、作者ふたくちつよし氏の姿勢に失望させられた。「百枚めの写真 一銭五厘たちの横丁」 @ 笹塚ファクトリー (~7/28)この公演の9割9分9厘は、じつに優れた演劇である。しかし残る1厘に、浅薄な歴史観への媚びを垂らしたことで、演劇全体がなんとも “かぐわしく臭う” 左翼ものに成り果てた。昭和49年のルポライターの訪問先で、すねた職人が言い放つ。「天皇? あれは戦犯だ!」そして、芝居の末尾でルポライターはこんなことを言う。「99枚の出征兵士の写真。わたしたちは100枚目の写真があってはならないと思うのです」戦争は、複雑な巨大物である。とりわけ大東亜戦争は。歴史を腑分けすればするほど見えてくるのは、市井の民から国家指導者まで ひとりひとりの媚びや慮りや野心の積み重ねによって悲劇が増幅する構造だ。米国や中国からみごとにハメられた部分、そういう外部の悪知恵に立ち向かえなかった総合的知力の貧困。それを知れば知るほどに、「天皇」 や 「東条英機」 を悪とののしることで満足する浅薄な歴史観こそ、昭和前期にわれら祖国を悲劇に導いた知性の貧困に直結していることを痛感する。だから、この芝居観て、わらったね。いやぁ、わらわせてもらったさ。悲劇の根源を問うベクトルは、天皇=悪という公式を “庶民” に叫ばせることで安易に処理し、「百枚めの写真」 があってはならないと言うことで反戦メッセージとする。左翼の浅薄な史観に媚びることによって、日教組バリバリの教師が生徒を連れて来れる芝居に仕上げたわけである。そういうところが見え見えだから、いやらしい。制空権なきニューギニアに一兵卒・根本健男を送った無謀・無思慮の力学は、じつは今日の日本全国のあらゆる職場にも存在する。百枚めの写真は、じつは日々撮られ続けている。もし仮にそういう視点があれば、この作品はもっと深いものになった。安易に左翼演劇の公式でまとめ上げたトム・プロジェクト公演に対する、ぼくの評価は低い。「天皇は戦犯だ」 を言いたいなら、最後っ屁のような言い放ちで終わらせず、徹底的に向き合ってもらいたい。井上ひさし作品の 「日本人のへそ」 も皇室を茶化しのめしているが、ぼくはあの作品は高く評価している。日本という空間の森羅万象を同じスタンスで茶化しのめす真剣さには脱帽せざるをえないから。それに反して、ふたくちつよし氏の天皇への向き合い方は、単に安易なのである。戦友の死の状況を家族に伝える復員兵の役や、長台詞のルポライター役をはじめ、4役をさわやかにこなした俳優座所属の田中壮太郎さんをはじめ、ベテランの大西多摩恵さん、鳥山昌克さんの芝居には深甚の敬意を表したい。6名の役者さんたちが力演であるがゆえに一層、作者ふたくちつよし氏の浅薄な歴史観を恨みに思うのである。台本を手直しすべきではないか。公演は、笹塚ファクトリーで7月28日まで。以後、東京・千葉・埼玉の12ヶ所で上演。“市民運動” を標榜する勢力に売りやすい商品に仕立てようという一抹の邪念もなかったか、この芝居をプロデュースしたトム・プロジェクトに問いたい。
Jul 25, 2013
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6月20日の夜に公開稽古をしました。ライブペインティングとドラマリーディングとピアノ演奏がはじめてカップリングした時間。こんな会場です。舞台の左右にマイクがあります。そこに立って、役者が読み語り演じる。1日目のライブペインティングが終わって、石田真吾さんの絵は岡本太郎のノリです。さあ、きょう6月22日、この絵がどう進化するか。ピアノ演奏の元田健太郎さんもストーリーの流れが脳内に飽和して、きょうは自在の即興演奏をつけてくれるはず。舞台は、進化する。舞台は、なまもの。それを実体験するひとときになることを祈って。■ 朗読劇画 三島由紀夫篇 ■http://www.actartcom.com/2013/roudokugekiga.html朗読劇とライブペインティングが同時進行するイベントです。泉は、三島由紀夫作の戯曲 「卒塔婆小町」 の主役と 「大障碍」 の準主役を演じます。日時: 6月22日 (土) 午後3~5時場所: The Artcomplex Center of Tokyo 地下1階ミニステージ (自由席)料金: 無料 (カンパ歓迎)http://www.gallerycomplex.com/access/index.html
Jun 22, 2013
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泉がプロデュースする 「朗読劇画 三島由紀夫篇」 の 「大障碍」 で岑子(みねこ)夫人を演じてくれる岸田 茜さんが、いま公開中の映画 「俺はまだ本気出してないだけ」 に出演しています。堤真一、橋本愛、生瀬勝久さんらが存分に楽しませてくれる映画ですが、この後半のキャバクラ店内シーンで、キャバクラ嬢たちのトップとして客からヒマワリの花束を受け取って客のセンスを褒めちぎり、客が帰ったあと……という役回りです。とりわけノリがいい、ビューティフルな女性を演じています。最後に登場する、AKB 選挙でトップをとったあの指原莉乃さんより、岸田さんのほうがうつくしく、印象にのこる。セリフも、指原莉乃さんより岸田さんのほうが多かったな。準主役の橋本愛さんもかわいいですが、それ以外の女性陣のなかでは水野美紀さんと同じくらい存在感があったなぁ。残念ながら、エンドロールではその他大勢のなかに入っている岸田 茜さんですが、客とはしゃぐシーンも含め、3カットでぐいっと惹きつけてくれます。6月20日と22日の朗読劇画公演では、そんな岸田茜さんの岑子夫人と、わたしの演じる牧村青年が掛け合います。
Jun 18, 2013
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囚人らが船底で櫂をこぐ冒頭や、奥行き感のある下水道シーン。新演出の 「レ・ミゼラブル」 で、まさに一新された場面だ。映像投射が生きる。その一方、ストーリーの流れそのものの変化がいちじるしいのがエポニーヌの存在感だ。旧演出のエポニーヌは、とかく群衆のなかに紛れたり物陰に隠れたりして目立たず、「オン・マイ・オウン」 を歌うとき やおら存在を主張して絶唱モードになった。コゼットへの手紙を届けバリケードへの帰途に撃たれ、負傷姿でよろよろと舞台上に戻ってきてマリウスに見守られつつ亡くなる。新演出では、エポニーヌの姿がくっきりとしている。舞台そのものが右と左の両翼に広げられて空間に余裕ができたため、マリウスとエポニーヌのせつないやりとりのシーンも、ふたりが群衆から距離をとることで存在が際立つ。ジャン・ヴァルジャンとコゼットの住む屋敷の門扉は、屋敷の内側から見る角度に据えられた。塀を越えてコゼットと会するマリウスが門扉のこちら側、そしてそれを恨めしげに見るエポニーヌが半ばシルエットとなって門扉の向こう側に全身をさらす。「オン・マイ・オウン」 を歌ったあとのエポニーヌに、しばしのあいだ舞台全体が光のオマージュをおくる。バリケードの頂上に立ったエポニーヌとマリウスに最初の銃撃が襲い、エポニーヌがマリウスを押し倒して自ら弾を受けることで、恋しいひとの命を救う。エポニーヌが命の恩人であることを自覚していないマリウス。鈍感なマリウスの肩を思い切り揺さぶって 「エポニーヌをもっとだいじにしろ。いのちの恩人だろうが!」と言ってやりたくなる。エポニーヌはひとり、愛するひとの命を救えた静かなよろこびに満たされながら、やがて死に向かいつつ激しい痙攣(けいれん)に堪え、マリウスに看取られる。人間が極限に置かれたときの、しあわせ、よろこびは、なんとほのかで、しずかなものなのか。深い感動の波におそわれた。演じきった笹本玲奈さん。今回の舞台は申し分ない。旧演出で、エポニーヌが顔に不自然なほど煤をつけているのが不満だったが、今回は適度。最後にファンテーヌとともに登場するシーンは、うつくしい化粧の玲奈さんだ。カーテンコールでも、ゆったりとしたほほえみ。玲奈さんに心の余裕が感じられて、ぼくも ほっと うれしくなった。キム・ジュンヒョンさんのジャン・ヴァルジャンは端正。マリウスに自らの出自を語る場面は凝縮度が高く、見ていて号泣しそうになった。里アンナさんのファンテーヌ。歌い方が、意表をつくほどに直線的。悪くはないのだが、こういう演出なのだろうかと不思議に思ったほど。里さんは奄美大島出身で、3歳から祖父に奄美の島唄を習い、その後、島唄の賞を数々受賞している。そのあたりが影響しているのだろうか。250511 レ・ミゼラブル @ 帝国劇場 キム・ジュンヒョン、鎌田誠樹、笹本玲奈、里アンナ、磯貝レイナ、森久美子、KENTARO、原田優一、野島直人(新演出。4月23日にプレビュー公演開始、そして5月3日に本公演開始。エポニーヌの存在が際立つ。森久美子さんのメリハリのきいたパワー、さすが! コゼット役がこの日は歌がやや不調。)
May 11, 2013
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3月26日にジャパンプレミア試写会に行ってきた。87分の映画。前作に比べると淡々とした作り。ハーブ&ドロシー・ヴォーゲル夫妻の現代アートコレクションのうち2,500点が平成20年に全米50州の50の美術館に50点ずつ寄贈されたあと、それぞれの美術館が作品群にどう向き合い企画展を開催していったか、50館のうち11の美術館のオモテとウラを取材した映像。最後のカットに、じんとくる。夫のハーバートが亡くなり、1LDKの住まいの壁に所狭しと掛けられていたアート作品群がすべて搬出されたあとの殺風景な白い壁に、たった1枚のこされた絵。それは新婚時代にハーバートさんが描いた、妻・ドロシーさんの絵だった。目も鼻も口も描かず、濃厚な絵具で速描きした、うずくまって坐る着衣の妻の全身像なのだけど、一目でドロシーさんとわかった。心が釘付けになった。*インディアナポリス美術館だったかどの美術館だったか忘れたが印象的だったのは、それまでひたすら無口だった老ハーバートが、展示場に絵をかけていくのに立ち会った際に、がぜん的確な指示を出すところ。あぁ、このセンスの良さが、あの偉大なコレクションを紡いだのだな。どこにどの絵を置き、絵を掛ける位置はどうするか。もちろん美術館側は事前に周到な検討を重ねていた。展示場の縮小モデルをつくって壁面構成を検討し、切手のように小さく縮小プリントした絵の紙片を展示モデルに置いてみては調整する。ハーブ&ドロシーの狭小な居間の雰囲気をちょっとだけ再現したスペースに、作品を掛けていく段に、夫妻が立ち会ったときの光景だ。佐々木芽生(めぐみ)さんが監督・プロデュースした前作 「ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人」 から4年を経て、元気なヴォーゲル夫妻もさすがに急速に老いた。80代後半の夫・ハーバートさんも、心ここにあらずと思えるような姿が多い。そんななかでの、鋭くきらりとした瞬間だったので印象が深かった。*平成24年7月にハーバートさんが亡くなる。それから1ヶ月後の妻・ドロシーさんをインタビューしている。「アートの収集は、やめることにした。コレクションは夫との共同作業だったから、夫が亡くなったあとのわたしがひとりでそのコレクションを薄めたり変えたりしたくないの」 とドロシーさんは静かに語る。コレクションが、ふたりの人生の証であり、ふたりが人生をかけた神聖なものであることをしみじみと知った。コレクション総数、約4,800点。それに加えて夫妻は、図録や展覧会の案内状、雑誌・新聞の切り抜きなども捨てずに積み上げていて、それらの資料も公文書館へ寄贈された。「すべて寄贈して部屋がすっきりしたら、壁を白く塗り直し、そこで静かに暮らすのよ」 と語るドロシーさん。いい作品と出会うたびに磁石のように吸いつけて家に持ち込み、資料も捨てられずにとってきた数十年は、いわば渦巻く執着心の数十年だったとも言えると思うが、いまドロシーさんも78歳となり、別の境地にある。もしぼくだったら、お気に入りの十数点はそれでもやはり最後まで手元に残しておくか。いや、いまや聖なるコレクションから十数点を剥ぎ取って手元に置くこと自体が、ドロシーさんの心にそぐわないものなのか。そんなことを考えていたぼくの目に飛び込んだ、映画のラストシーン。白い壁に1枚のこされた、愛する夫が新婚時代に描いた自分の絵。「ハーブ&ドロシー ふたりからの贈りもの」3月30日から、新宿ピカデリーと東京写真美術館ホールほかで上映。
Mar 27, 2013
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平成25年3月末に閉館となる銀座シネパトス。ときどき前を通るが、ついぞ行ったことがないのを、今になってつくづく後悔した。やらなかったことをこれほど後悔したのは初めてかもしれない。それはぼくが人生の折り返し点に来たということかな。本作は、「映画」 というジャンルそのものへのオマージュ。共感出演の豪華キャスティングだが脚本がいまひとつで、早く終わらないかなという思いがかすめたのは事実。森下悠里さんと中丸シオンさんの濃厚なキスシーンがよかった。チョイ役の古谷 敏さん、老けてないな、いかしてる。250321 インターミッション The Intermission @ 銀座シネパトス 秋吉久美子、香川京子、小山明子、夏樹陽子、竹中直人、佐野史郎、染谷将太、佐伯日菜子、奥野瑛太、ひし美ゆり子、畑中葉子、寺島 咲、勝野雅奈恵、森下悠里、中丸シオン、中川安奈
Mar 22, 2013
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スーザン・ボイルさんがタレント発掘番組で衝撃的デビューをした、4年ちかく前の有名な映像を YouTube で観て、生きてるってすばらしいことなんだという思いが こみ上げました。綿密に演出された演劇や映画をはるかに超える、これはもう、これ自体が超一流の映像作品と言えるのではないでしょうか。http://www.youtube.com/watch?v=RxPZh4AnWyk&feature=player_embedded“Britain's Got Talent” (平成21年4月11日)スーザン・ボイルさんの歌のみごとさは当然として、受け答えの表情がおもしろいし、3人の審査員の反応や批評もプロのちからを感じました。観客、そして裏方のひとたちまで、すべてのひとたちの素直な感激ぶりが、じつにさわやか。落ち込んだとき、また観ようと思って、ブログにアップしました。男性審査員2人と女性審査員1人。それぞれに、すてきなことばを紡ぎ出している。その瞬間、一流の脚本家と役者をひとりで兼ねている、このような才能をぼくも磨きたいと思ったのでした。
Feb 2, 2013
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女性五人劇。ちらしの写真は、たいそう綺麗なアロハシャツを着たおすまし美女たちだが、舞台は思い込みはずれの修羅場つづきで、それぞれの女性たちのそれぞれに意外な男づきあいの話が畳みかけてくる。女性の観客はきっと、5人のうちの誰かの話に 「あぁ、自分も」 と思うのだろうし、男はきっと、自分が日頃見られない楽屋裏を覗くように楽しみ、そして人によっては女の一言にヒヤッとするかもしれない。南洋の島のリゾートホテルで台風に閉じ込められた掃除婦とモト掃除婦。女5人の状況喜劇だから、ストーリーで見せるというより、人物像がかってに動き出して絡み合う感じ。だから、続篇ありだよね、と期待が高まる。セリフが生きている。とくに、ヤンキー娘っぽい弓場芙美江の日本語は、ぼくの大学2年生の娘のしゃべりを聞いているみたいでリアルだ。うまい台本だなと思ったら、作・演出は桑原裕子さんという若手の女性だった。その弓場芙美江を演じる岸田 茜さん (カラー版 右下のお嬢さん) は、ちらしでは おっとりと微笑んでいるのけれど、舞台では冒頭から激しいセックスシーンで (といっても一瞬の再現ひとり芝居なんだけどね)、そのあとはリズミカルに女性版のプー太郎ちゃんをよく演じてくれました。日焼け化粧の妖精。前回 本多劇場の 「欺瞞と戯言」 で岸田さんが演じた田舎淑女とは対照的な役柄があてがわれていて、岸田茜さんを名女優に育てようという周囲の愛を感じるのですね。臆病そうで、間の悪そうな池 葉子。斉藤とも子さんが、あたかも 「わたしって、地がこれなんです」 というノリで演じるのだが やがて、自分の配偶者がことばと言い回しでいかに自分をなぶり尽くすかを再現してみせる場面は、観るものの心を鷲づかみしてきて、舞台が一気に しまった。駒塚由衣さんは多辯なる寝取られ女を、林田麻里さんは寡黙な寝取り女を、そして大西多摩恵さんは一見フツウに見える女、苛烈な過去を胸の奥に しまうフツウの女を演じる。5人のキャラがしっかり立っているから、舞台上で次々といろんな組み合わせで進む掛け合いが、観聴きするだにたのしい。高まり鎮まる風雨の音響や、ガラスが割れて (という設定のもと) カーテンが突風にあおられるシーンも、スタッフ苦心の力作。演劇のなかには、ごくまれに、できれば千穐楽まで全回観たくなる秀作があるけれど、「熱風」 はそういう作品。ぼくにとってはミュージカル 「ミー&マイガール」 なみの名作と言えましょう。岸田茜さんの魅力が全開のお芝居だものね。(トム・プロジェクト制作の 「熱風」 は、赤坂レッドシアターで1月29日まで上演。)
Jan 23, 2013
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250112 ミュージカル シラノ @ 日生劇場 音楽: Frank Wildhorn, 出演: 鹿賀丈史、濱田めぐみ、田代万里生、鈴木綜馬、光枝明彦、戸井勝海、林アキラ(濱田めぐみさんのロクサーヌに心酔した。鹿賀さんも絶好調。シラノは、自己移入と陶酔がいっぺんにくる最高のストーリーだ。)ふんぞり返った権威へは一瞬間の媚びも拒否し、犠牲を覚悟で自分の判断基準を貫き通す。そして愛する女性にうつくしい言葉がほとばしるのは、たましいに ざらついたところがないからだ。シラノには、手放しで自己移入してしまう。今回感じ入ったのは、ロクサーヌの若き夫 クリスチャンの死とともに自ら誓った いさぎよさ。クリスチャンの名で手紙を書き続けたのが実はシラノであったことを言い出せば、ロクサーヌの愛をようやく射とめられたのに、シラノの心意気がそれを封印する。濱田めぐみさんのロクサーヌがすばらしかった。彼女の歌がはじまった瞬間に、ぼくの心の細胞が激しく点滅した。舞台化粧も華やいで、微笑がいきいきと舞った。シラノに自己移入したぼくが、ロクサーヌの海に跳びこむように身を任せて酔った。*田代万里生さんのクリスチャンも、たいそう いい男だった。とかく若く見えすぎて損をしている田代さんだが、今回のクリスチャンは丁度いい配役。しかしコミカルな場面のアクションは、わざとらしかった。田代さんは、たぶん根がまじめなひとだから、コミカルアクションが度を過ごしてしまうのだろう。昨年12月のミュージカル 「アリス・イン・ワンダーランド」 でも、コミカルシーンでは同じような わざとらしさ を感じた。井上芳雄さんや浦井健治さんの舞台では感じたことのない、田代万里生さんの課題である。
Jan 12, 2013
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予告篇を見るたび ほろっと来ていたので、映画本篇を見たら最初からぼろぼろになるのではないか。そう思って観た映画 「レ・ミゼラブル」 だったが、冒頭の囚人による巨船の船曳きにはじまるリアルで凄みのある映像の数々が圧倒し、脳は涙の回路ではなく異空間にほうりこまれた。きかせどころのアン・ハザウェイさん演じるファンテーヌの 「夢やぶれて」 も、脳はじっと聴きいるだけだ。映画最後の壮大なパリ蜂起シーンで、ようやく来はじめて、映画が終わってエンドロールが流れ出したところで、つまり演劇であれば拍手の嵐というところで、静かな客席でぼくは おいおいと泣きじゃくった。声は出さなかったけれど、一気に号泣した。こんな形で感動する映画は、はじめてだった。すごい映画だ。役としてはサマンサ・バークスさんのエポニーヌが断然よかった。彼女の 「オン・マイ・オウン」 には、じんと来た。やはり笹本玲奈さんの役ということで、エポニーヌに思い入れがあるからだろうか。帝劇のエポニーヌの舞台化粧は、やたらと顔に煤を塗るのが不満で、笹本玲奈さんにもいちどご意見したことがあったのだけど、映画を見るとサマンサ・バークスさんは顔に煤など塗っていない。やはり、煤は余分なのである。対決するふたりの主人公。風貌的には、ジャン・ヴァルジャンを演じたヒュー・ジャックマンさんのほうが、抜け目なく悪をあばこうとするジャヴェール警部に似つかわしい。逆にジャヴェール警部を演じたラッセル・クロウさんのほうが苦労人のジャン・ヴァルジャンにすっとはまる感じだ。ラッセル・クロウさんがもっと痩せ形だったらなぁ。彼のジャン・ヴァルジャンが観たかった。=【平成25年1月追記】圧倒的な描写映像に支えられたジャン・ヴァルジャンやファンテーヌよりもエポニーヌに感動したのはなぜなのか。リアルに描きつくした映画の感動よりも、帝劇の舞台のほうが感動が深かったように思うが、それはなぜなのか。自分の想像力の翼が存分に広げられたかどうかではないだろうか。ジャン・ヴァルジャンやファンテーヌのみじめな境遇は、観る者が想像力で補う余地もないほどに、映像の雨が降る。しかし、エポニーヌがどんな人生を経て、マリウスにどのようにして出会い、慕いはじめたのか、映画は一切説明しない。そこに想像力の翼を広げる場がある。想像の翼を広げながら、ぼくらは涙を流す。物語作品は、ドキュメンタリーではない。直接的に記録されていない部分に思い及ばせ、想像が鮮烈な気づきに導いてくれる、そういうちからが演劇にはある。だから感動は深い。映画 「レ・ミゼラブル」 をひたすら観察者のように観てしまったのはなぜだろうと自問しつづけていたのだが、きっとその理由は、ぼくの想像力をはるかに凌駕する映像に圧倒されて、想像の翼がはばたかなかったからだ。エンド・ロールとともに、翼は宙を舞い始めたのである。
Dec 28, 2012
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きのう12月15日の忘年会は、ときめきでいっぱいで、思い返すだけで胸がくるしくなるほどすばらしかった。わかります、この気持ち?演劇プロダクションのトムプロジェクトが主催する 「トム☆トム倶楽部忘年会」。プロの役者さん9名と、トムプロジェクトの岡田潔社長とスタッフの皆さん、そして演劇サポートメンバー。総計30名ほどが、新宿の某所に集いました。これが、おもしろくないはずがないじゃありませんか。年賀状のネタにと、年に何本の芝居を観ているか数えてみたら50本を超えていたのが2年前です。3年連続で今年も、50本を超えましたね。けっこういろんなジャンルのを観ているわけですが、気がつくとトムプロジェクト企画のお芝居は、いつもヒットなんですね。人間の存在のひだに分け入る。あぁ、ひとのこころは、こんなふうに揺れ、なびき、ほてるものなのか。というわけで、トムプロジェクトの演劇をお得な価格で楽しめるトム☆トム倶楽部の会員になりまして、これからは全作品観るぞ! と昨年の冬にまたひとつ悟りを開いたわけであります。*トムプロジェクト所属の岸田茜 (きしだ・あかね) という女優さんがいます。妖変自在の清楚な女優です。ルックスに恵まれた女優さんはたくさんいますが、そのなかでも岸田茜さんは、律儀な役作りの焔で確実に窯変を果たすひとなんですね。経歴をみると、ぼくがかつて知りながら素通りしてしまった 「エル・スール」や 「あとは野となれ山となれ」 に出ているのですが、ぼくが岸田さんを初めて観た芝居は昨年の 「重力」 @ 赤坂レッドシアター でした。ちゃきちゃきした都会娘。ふつうにじょうずで、かわいい、役者さんだと思いました。ところがそのあと 「欺瞞と戯言(たわごと)」 @ 本多劇場 を観たら、うつくしい淑女、それでいて どことなく田舎っぽさがただよう娘として登場し、後半の妊婦姿の所作にも細やかさがあって、役作りがただものではない。終演後にロビーで出待ちのお友だちと話しているのを見かけた。笑顔がさわやかにはじけた、一見ふつうの子。その彼女からこれだけ幅のある演技が繰り出されるとは! 大いに伸びて大女優になってほしいと思ったのでした。忘年会の場所を書いたメモをしまいこんで分からなくなり、トムプロジェクトさんとメールのやりとりをするうち、岸田茜さんも参加することを知って、わくわく感に押しつぶされそうでした。参加する役者さん9名の名前を教えてくださったので、どのかたの近くに坐っても話題に困らないように9名それぞれの経歴をネットで予習して会場に向かったのでした。そうしたら、なんと、幹事さんがぼくの席を岡田潔さんの前、岸田茜さんの左隣に用意してくださっているじゃありませんか。「死んでもいい」 と思いましたね。死んじゃ困るけど。持参した笹本玲奈さん肖像画をサンプルとして岡田社長と岸田さんに見せながら、岸田さんのポートレートを日本画家・吉敷麻里亜さんに描いてもらう泉プロジェクトの話をしたところ、前向きのご返事。絵が出来あがったら、ジクレープリント (高品質の複製画)にして岸田さん本人に差し上げるほか、岸田さんのファンにも買ってもらって収益は画家とプロダクションが享受し、ぼくは原画を部屋に飾って大満足、という趣向です。江戸時代の浮世絵文化では役者絵が重要な位置を占めていたわけですが、そういう文化を現代なりの形でよみがえらせたいというぼくの夢を、岡田潔さんに理解いただけて、とってもうれしかった。*忘年会でほんの5分ほど、役者さんたちにドラマリーディングをやってもらえたら!星新一のショートショート 「秘密結社」 のセリフを女性ことばに変えたヴァージョンをつくり、女優の富樫 真(まこと)さんと岸田茜さん、大出(おおで)勉さんに読んでもらおうと目論見ました。会場に着いて、進行係のひとに台本を渡したのですが、「時間がぎりぎりなのでムリかもしれません」 との反応。5時から8時まで3時間も続く忘年会なので、5分間くらい融通がきくだろうと思ったのは甘く、7時ごろからの1時間は役者コンビ2組による 「漫才対決」 と、バカラのグラスを1等賞にした 「じゃんけんゲーム」 で時間が過ぎてしまったのでした。岸田茜さんが6時半すぎに席からいなくなってしまったのも、漫才出演の扮装準備だったのですねぇ。女優のしごとへの意気込みもコミカルに語った出し物でした。じゃんけんでは、なんと私めが、英国エインズレイ社のエリザベスローズのマグカップをいただきました。最高のひとときを思い出しながら、コーヒーをいただいています。ご恩はトムプロジェクトさんへ十倍返しするつもりです。
Dec 16, 2012
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ルイス・キャロルの 『不思議の国のアリス』 を忠実にミュージカル化した舞台とばかり思っていたら、なんとこの芝居のアリスは子持ちの離婚妻で、反抗しまくる娘クロエの失踪を追いかけて不思議の迷宮に迷い込む。 あわてウサギが冒頭に出てくるけど、幕が開いたらニューヨークの編集室で小説家アリスが編集者に絞られているんだものね。 「アリス」を現代化したというよりも、「アリス」 のモチーフをつまみ食いした、悩める現代人の自己発見のお芝居だ。 そうそうたる役者さんを起用している割には、とくに第1幕はファミリーミュージカルっぽい。 子供向けの芝居だと勘違いしてホントに子供を連れてきた親は、勤労感謝の日の青山劇場には皆無だったけど、もし仮に子供が客席にいても騒がずに観ていてくれるかな、という感じ。 これが逆にぼくにはたいそう物足りなかった。こどもこどもしすぎて、観ていて気恥ずかしくなる場面も少なくない。正直、かなり失望した。 ところが、あわてウサギを演じていた田代万里生(まりお)さんが、ルイス・キャロルに扮して登場する第2幕なかばあたりから、俄然よくなった。 反抗をやめていい子になった娘の無気力・無意思の姿を見せつけられ、これまでひたすら娘を従わせようとしてきた攻撃的な自分の誤りに気がつき愕然とする母アリス。 アリスに朗々と語りかける田代キャロルの歌にしびれた。 つまづき、ころび、打たれながら、自分を再発見し、家族を再発見するアリス。現代人への切実なメッセージが伝わってきた。* 安蘭けいさんと、悪役の帽子屋を演じる濱田めぐみさんが、歌の出番はいちばん多かったかな。 主役は安蘭けいさんだけど、舞台を率いていたのは濱田めぐみさんだったな。 娘クロエを演じる高畑充希(みつき)さんや、離婚夫ジャックを演じる石川 禅(ぜん)さんは、主役を張れる実力にもかかわらず歌らしい歌は1曲だけで、なんとももったいない。 渡辺美里さんが女王さま役で第1幕・第2幕ともごく短時間のご登場。その分、存分に声量を披露して、実力を見せつけた。 きょうは安蘭けいさんと高畑充希さんのアフタートークがあった。高畑さんが、のっけから関西辯なのでびっくり。これに安蘭さんも関西辯で応じる。 司会は、もちろん、指揮者の塩田明弘さんでした。(青山劇場で、12月7日まで)
Nov 23, 2012
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241107 Rail Rule Roots ―レール・ルール・ルーツ― @ イプセンスタジオ (中板橋新生館) 作・演出: 佐川大輔、出演: 中原くれあ、斉藤まりえ、豊田可奈子、佐川大輔(昨年11月の 「空っぽの騎士」 で、あしたのジョーのように燃え、1年のブランクを置いての公演。今回は、脇スジを束にした、オチのない芝居で、ちょっと苦戦。芝居の途中で観客に大きなサイコロを振らせて、その結果に基づいて芝居を進めちゃうという小劇場ならではの基軸があって、だから90分の芝居だけど110分分くらい練習してるよね。)佐川大輔さん、中原くれあさん、初日、観せていただきました。進化の可能性をたっぷり秘めた芝居だと思いました。構成としては、脇スジをひたすら束ねた感じで、ワークショップでこんなことやってるんだなぁ、と思いながら観ていました。人間の時間って、こんなふうに偶然にまかせた選択の重層なんだよ、というメッセージですね。時間的に終わりが近づき、「この劇、どういうオチつけるんだよ?」 と心配になりだしましたが、佐川さんもオチがつけられなかったみたいですね。終わりは無く、始まりの連続があるだけではないでしょうか、という締めは、意表をついていておもしろかったですが、もっと深掘りしてほしかった。中途半端感が残りました。いつもながら、役者さんたちの動きはキレがあって、よく練習してあるのが感じられました。くれあさんのプロの技で救われているところも多分に。最初の男性ふたりの掛け合いは、長すぎて、お笑い芸人の出し物になりかけました。あそこは台本をかなり削ったほうがいいです。あと、カテコはしっかり、やってください。やはり、カテコで拍手して、盛り上がって帰宅するものなのです。カテコのない芝居は、クリープを入れない珈琲ですよン。まぁ、今回は観客のコメントもかなり辛かったと思いますが、わたしもやはり、以前からの路線を追求してほしいなと思います。オリジナル劇に挑戦したのに、結果的にはワークショップの延長、どの演劇にも存在するような脇スジを集めたものになってしまい、かえってオリジナル性が低減してしまったと思います。Theatre Moments 流の古典の再生に、ぼくは偉大なるオリジナル性を感じてきました。ぜひまた、観せてください。なにはともあれ、10日土曜昼、また観に行きます!幻の高層ビルの一室でサイコロを振ったあとの芝居、こんどはカブキ(?)篇じゃなくて、ミュージカル篇をどう準備してるのか、観てみたいです。サイコロ、あたるかな。
Nov 8, 2012
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この土・日・月は、黄金の芝居3連チャンでした。いずれも一級一流のストレートプレイ (話劇) で、ぼくのことばでいえば、脳内配線のつなげ違いからヒュッ、シュッと火花が出、やがてめらめら燃え上がる感じ。この緊張とワクワクと、役者さんひとりひとりのキャラ作りの格闘を見る楽しさと、あぁ、これはもうお芝居でなきゃ絶対に味わえませんね。ぼくの演劇メモから転載します。3つのお芝居が連句のようにつながっているでしょ。241103 るつぼ @ 新国立劇場小劇場 Arthur Miller 作、水谷八也(みずたに・はちや)訳、演出: 宮田慶子、出演: 鈴木 杏(あん)、池内博之、浅野雅博、磯部 勉、田中利花、栗田桃子、関時男(不倫相手の妻を魔女呼ばわりして陥れるアビゲイル・ウィリアムズは、本格女優がぜひ演じたい役だろう。虚実のひだを自らつくり、正気として狂気を演じる女を演じるとき、何重もの入れ子構造に立ち向かうことになる。そのアビゲイルを演じた鈴木杏さん、みごとだった。原作 The Crucible は、昭和28年にトニー賞を受賞した。ユダヤ系ポーランド移民の子アーサー・ミラーが38歳のとき。本格演劇では今年見たなかのピカ一だった。)241104 欺瞞と戯言(たわごと) @ 本多劇場 中津留章仁 作、出演: 竹下景子、下條アトム、長谷川初範(はつのり)、真山章志、岸田 茜(華族・滝川一族に入り組むひびが、崩壊をもたらしつつ再生の予感を残す作劇は、三島由紀夫を連想させた。一族に嫁ぐ銀行家令嬢を岸田茜さんが演じたが、笹本玲奈さんのような美しい微笑と表情の豊かさに、すっかり心を奪われた。天性の美貌とキレのある演技。前作 「重力」 でも魅力を感じたけれど、今回もう重度のファンになってしまった。みごとな芝居を1列目で見た後、トムトム倶楽部のバックステージツアーとアフタートークがあり、前日の 「るつぼ」 に引き続き、最高の演劇日だった。経歴を見ると岸田茜さんは平成21年に演劇研修所試演会で 「るつぼ」 のアビゲイル役を演じている。彼女のアビゲイル、ぜひ観てみたい。)241105 こどもの一生 @ パルコ劇場 中島らも 作、演出: G2、出演: 谷原章介、吉田鋼太郎、中越典子、笹本玲奈、山内圭哉(ケータイ圏外の島の病院に、心を病んで集められた5人が、10歳の子供 (…という設定だが、あの演出は8歳だと思う) に引き戻すストレス解消療法を受ける内、軌道が外れてホラーへ。鋼太郎さん演じる傲慢中年が子供に溶解する瞬間が絶品; 子供って、何なんでしょ? 5人の子供演じがよくできていて、こりゃ芝居じゃなけりゃ味わえない; テレビでこれをやると、高等ふざけで終わる。笹本玲奈さんは、家電量販店で働いて家電品ノイローゼになった女性の役でした。このお芝居は、あと2回観ます。進化が楽しみ。)
Nov 6, 2012
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3月8日に引き続いて、3月22日の夜公演を観た。2週間のあいだに、ぐっと進化。舞台の神さまの降臨を感じたね。(3月8日公演の感想 パワーアップした 「ジキル & ハイド」 @ 日生劇場 エマの存在を深めた笹本玲奈さん) 何よりうれしかったのは、ジキルの婚約者エマの父を演じる中嶋しゅうさんの歌が、心を打つ 「語り」 になったこと。俳優・中嶋しゅうさんのことをぼくは尊敬している。平成20年10月の市村正親さん主演の 「キーン」 では、付き人サロモン役としていい味を出していたし、平成21年11月の 「ヘンリー6世」 のグロスター公は悪役ながら凛としてあっぱれだった。その中嶋しゅうさんの3月8日の舞台は、歌の出来が散々で、浮いていた。このかたにミュージカルをさせたのは酷だと思った。それが、3月22日の舞台では、歌の部分も地声で力強く語り、それがたまたまメロディーに乗っていたという具合で、娘エマに歌い掛ける中嶋しゅうさんのことばに、ぼくは涙を流してしまった。歌詞の文末、通常ならメロディーに合わせて 「心配だぁぁぁ」 のように伸ばすところも、「心配だッ」 と、あえて切ることで、歌が語りになった。*そして濱田めぐみさんの娼婦ルーシー・ハリスが、ふっきれた。3月8日の舞台のルーシーは、どことなく “いい子ちゃん” が残っていた。つまり、濱田めぐみの理性が残りすぎていたんだね。3月22日のルーシーは、娼館の女としての図太さが身について、だからこそ、ときに恥らうルーシーにドキッとさせられる。マルシアさんのルーシーに、ぐっと近づいた。石丸幹二さんのジキルも躍動が増した。ジキルそのひとが既にして持っている二面性がにおいだした。ジキルは単なる善人坊っちゃんではなくて、高ぶって我知らず激するし、とんでもないことをやらかしそうな危なっかしさがあるほうがいい。3月22日のジキルは、そういう複雑な人物として立ちあらわれた。吉野圭吾さんのアターソンも、練れてきた。3月8日には、劇前半のアターソンがチャラっとしていて、吉野圭吾さん流の怪演がにおった。3月22日のアターソンは、誠実な友人としてのイメージで統一され、ルーシーに 「早く逃げろ」 と語る切迫も納得の出来だった。*3月22日には、石丸幹二・吉野圭吾・塩田明弘さんによるアフタートークがあった。指揮者の塩田さんは石丸幹二さんのことを 「マルちゃん」 と呼んでいた。石丸 「演技は毎日変わりますよ。吉野君との掛け合いも、そのときの2人の気持ちに従ってやっている感じ。最近感じるんですが、ジキルとハイドだけじゃなくて、プラス・アルファのもう1人が加わって、3人になっちゃってるんです。芝居をやっているうちに、だんだんと出てくる。とくに最後のところ、エマの首を絞めながら瞬時にジキルになったりハイドになったりしているところなど、ジキルという人格とハイドという人格だけじゃなくて、その双方を見ている更に別の人格がいる」塩田 「最期は、ジキルとして死ぬんだよね」石丸 「そうです。ハイドになって死ぬとしたら、悲しすぎる」吉野 「もしもハイドのまま死ぬんだったら、もう1度ピストルを撃ってジキルに戻させますよ」吉野圭吾さんによると、ピストルがたまに不発のときがあるらしい。3月8日にはジキルが結婚披露宴でハイドと化してからの時間がずいぶん長くなっていて、てっきり演出が変わったのだと思っていたが、3月22日には展開がスピーディーで、5年前の舞台どおりだった。たぶん、3月8日にはピストルが不発で、それを取り繕うために想定外の動きが舞台上で行われていたのだろう。吉野 「もしも全発鳴らなかったら、ぜったい口で言いますよ、パーンパーン! って。だって、そうしないとハイドが死なないでしょ」塩田 「あそこは、パーンと銃声が鳴ったところで音楽を始めなきゃいけないから、意外とタイヘンなんだよ。今日はピッタリ合ったけど、たまにズレるとショックだね」石丸さんの歌い間違いも話題に。塩田 「作詞してるよね」石丸 「イメージがその場でことばになって出てくることがあるんですよ」塩田 「歌詞を間違っているように聞こえないからすごい」石丸 「湧き上がる何かがそれを言わせてる。そのとき何かが降りてきてるんです」ミュージカル 「ジキル & ハイド」 は、日生劇場で3月28日まで上演。その後、4月には大阪と名古屋で。
Mar 24, 2012
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スティーヴンソンの原作をあらためて読むと、ジキル博士は生来が善人のかたまりではなく、表向きは謹厳な学究者として生きつつ実は 「歓楽を好む性癖が人一倍つよかった」。もともと自分のそんな二面性に悩んでいたから、人間性の悪のみを抽出して取り除くという研究を発想したわけだ。ジキル博士がただの善人だったら、あの悪魔的な研究は始まらなかった。ミュージカルは短時間のうちにストーリーを収めなければならないから、舞台のジキル博士はもっぱら痴呆の父を救うために精神を分離する研究を始めるという設定だ。*ジキル & ハイド役は、平成13年の初演以来 鹿賀丈史さんの当たり役だった。鹿賀さんは、そこにいるだけで二面性がにおうから、じつはスティーヴンソンの原作の設定にぴたりとはまる人だった。この役を引き継いだ石丸幹二さんが受けたプレッシャーは想像を超えたものだったと思う。石丸さんは自分の内面を見つめつくし、鹿賀さんが紡いだジキル & ハイド像とはまったく別の、石丸さんならではのジキル & ハイドを演じた。二面性がかすかに臭うジキル博士から飛び出した鹿賀さんのハイドは、獣性のかたまりとして咆哮し徘徊した。ときに激情するが外見つるりとした善人のジキル博士から飛び出した石丸さんのハイドは、端正さを残すがゆえに存在そのものが哀しい。鹿賀さんのハイドの獣性、石丸さんのハイドの哀しさ。ともに、演劇のみごとな到達点。見つめる観客の心をうちふるえさせる。*笹本玲奈さんが 「ジキル & ハイド」 に出演すると知ったとき、てっきり娼婦ルーシー・ハリス役を演じるものと思った。5年前に日生劇場で見たマルシアさんのルーシーは、いまでも目を閉じるとくっきりとよみがえる。ルーシーが歌う A New Life は、かけがいのない つかのまの よろこびであるがゆえに、せつなく、ぼくの大好きなナンバーだ。笹本さんがそれを歌うのだと。ところが、演じるのはジキル博士のフィアンセであるエマ・カルー嬢だ。じつは、かなりがっかりしたのである。ただの箱入り娘、おぼこ娘の役じゃないか。3月8日の舞台を見て、エマ・カルー像が根本から変わった。エマが、かくもだいじな役だったとは。笹本さんのエマのかげりなき微笑には、世間のあらゆる冷笑・嘲笑・偏見をものともせず一途にジキル博士を愛しぬく凛とした強さがある。地道で深い役作りがあってはじめて生まれる、たおやなか美しさと折れることのない強さの共存。*<ここからネタばれあり>5年のときを経ての五演となった日生劇場の舞台は、舞台美術がいっそう精緻になり、モダンな切れ味のある照明がアクセントをつけた。舞台奥からせりだして現れるジキル博士の研究室は、秘密基地のような凄み。娼館は たとえて言えば、百年のうごめきの垢がしみついた洞窟のおもむきだ。劇の展開としては、最後の結婚披露パーティーのシーンが大幅に変わっていた。5年前の演出では、獣性を抑えきったはずのジキル博士からハイドが飛び出してから、友人アターソンがこれを撃つまでが、スピーディーな展開だった。ところが今回はここにじっくりと時間をかけていた。舞台のテンポを変えたことによって、亡くなったジキルを抱き上げていとおしむ妻エマ・カルーのけだかさの表現にも十分な時間が与えられた。3月22日の夜に、さらに進化した 「ジキル & ハイド」 を観る予定。ミュージカル 「ジキル & ハイド」 は、日生劇場で3月28日まで上演。その後、4月には大阪と名古屋で。
Mar 9, 2012
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平成22年12月以来1年と3ヶ月、地元・足立区の劇団 「ドラマランド七味とんがらし」 に所属して指導を受けてきたのですが、わたしの演劇愛の哲学が主宰と相容れず、3月6日に脱退しました。主宰の山下光治・山下芳子ご夫妻には、ことばに張りをもたせるにはどうすればいいのか、演劇ならではのからだの動かし方など、多くのことを教わりました。ほとんど無料奉仕で、芝居のパワーの湧きどころを教えていただいたこと、心から感謝しております。気さくな劇団員たちは50~60代の女性が主で、それぞれに一藝に秀でた、しっかりとした持ち味のある人たちでした。よきカンパニーだったと思います。平成23年には足立区の公共施設で5月3日 演劇 「隣人たち」 (ナチスの大佐役で出演)10月9日 ポエムとマイムのパフォーマンス11月29日 ぴりからナイト (詩や歌のパフォーマンス)と、3つのイベントに出させてもらいました。まことに商社マンらしからぬ贅沢をさせてもらったわけです。昨年末からは、4月21日の上演にむけて演劇 「あけぼの荘の人びと」 の練習を毎週火曜日夜に続けていたわけですが、わたしと主宰との決定的な対立は未就学児の入場を制限するかどうかという点だったのですね。<泉 幸男の主張>・ 子供向けの演劇ならいざ知らず今回の劇は、意表をついた虚構満載で動きも少なく、大人向けであることが明らか。時間も約1時間と長く、子供の我慢の限界を超える。幼稚園児以下は入場をご遠慮いただく、要すれば未就学児入場禁止とすべきである。・ 3月4日の足立区竹ノ塚での狂言公演 (これも山下光治・芳子主宰らがプロデュースした) では、乳幼児の入場制限をしなかったばかりに、乳児1名、幼児2名が上演中に何度も騒ぎ、しかも非常識な親はホールをなかなか出ようとせず乳幼児が騒ぐに任せて、他の観客に大いに迷惑をかけた。・ 同じことが4月21日にも起こると予想される。狂言のように伝統的様式に則った演劇は、様式に支えられているがゆえに乳幼児の大騒ぎにも辛うじて堪えられるが、4月21日の出し物は現代喜劇であり、乳幼児に騒がれると観客としては辛い。一気に想像の世界が冷めて白けてしまう。・ 最上の演劇空間を観客に提供しようとするのが演劇人の基本中の基本であるべきだ。マナーを知らないごく少数の人びとによって大多数の人びとが迷惑を蒙るようなことがあってはならない。・ 劇場は、演劇を見るマナーを教育する場でもあらねばならぬ。演劇は役者と観客から成り立つのであり、観客のレベルの向上もまた演劇の向上には欠かせぬものである。・ 乳幼児を連れた親のわがままを許して劇場へ入場させるのは、絶対に受け入れがたい偽善である。<山下光治・山下芳子さんの主張>・ 乳幼児の入場制限など、もってのほかである。乳幼児こそ、小中学生や大人にはない感受性をもっており、演劇に反応し共鳴する。我々は乳幼児にこそ演劇を見てほしいと考えている。泉さんの主張は根本的に間違っている。・ 乳幼児が騒ぐのは、芝居が下手だからだ。所詮、我々の劇は村芝居である。それが嫌なら他の劇団に行けばいい。・ 乳幼児が騒いでも、周りの人たちが何とかとりなすものである。観客にはいろいろな人たちがいるのであり、乳幼児が騒いでも気にしない人たちもいる。・ 狂言公演の後、何人もに意見を求めたが、乳幼児の入場制限を求める意見はなかった。(注: 泉のアンケート記述を除いては、ということだろうが。)わたしは年に50本以上も芝居を見るから、やはり演劇は観る側の立場で考える。客席の迷惑行為が許せないし、よい客席環境を確保するのが興行者側の責任だと強く信じている。いっぽう、山下主宰らはやはり舞台の上の人なのである。他の人たちの演劇を観客として観ることは少なく、もっぱら演ずる側の人。客席が多少ざわついても、それに負けるようじゃ演劇人の名折れよと、まぁ、そういう意気だろう。この差は大きい。わたしも50代、山下夫妻はさらに年上であり、ともに人生哲学の基本を確立した者どうしだ。その根幹にかかわるところで説得しようとしても無理だ。しかも、山下夫妻が間違っているわけではない。山下夫妻のような考え方もあってよいのだ。当然ながら、わたしのような考え方があってもよい。世の中に抽象画も具象画も、ともにあってよいのと同じこと。*3月6日夜に乳幼児入場制限を主宰に提案するとき、提案が受け入れられないなら劇団を脱退しようと覚悟を決めていた。「足立区の施設を使わせてもらうから入場制限は無理だ」みたいな反論だったら「そこをもう一押ししてみませんか」ということにもなろう。しかし、乳幼児を入場させること自体に意義を見出していると言われては、哲学の対立は決定的だ。「いま練習中の劇を降りたら、さすがにご迷惑がかかるでしょうから、劇の公演が終わったら直ちに止めさせていただきます」と言ったら「いや、許すよ、止めていいよ」と主宰の答えがあったので、これさいわいと「長い間、お世話になりました。皆さん、どうもありがとうございました」と深く頭を下げて、即座にその場を去った。その日の練習はあと1時間のこっていたが。劇団 「ドラマランド七味とんがらし」 に二度と近づくことはないだろう。いまは、うじうじ迷うことなく即座に決断を下せた自分がすがすがしく思える。*わたしの主張の原点は、平成20年4月12日に新国立劇場でミュージカル「SEMPO」を見たときの体験にある。平成20年4月13日のブログ<必見>「SEMPO 日本のシンドラー杉原千畝物語」 のコメント欄に追記してあるが、こんな状況であった:≪幼児入場を許した興行主 「ライズ・プロデュース」の不手際 公演じたいはよかったのですが、4月12日夜の部では前から8列目右手に2歳にみたぬ幼児をかかえた女性がいて、とんだ目に遭いました。公演中、幼児がことばにならぬ声や泣き声を発して、その席から数十メートル離れていたわたしの席にも聞こえました。千名をこえる劇場ホールに響き渡った。最初は 「あれ、まさか?」 と思い、2度目は 「ひょっとして舞台でつかう赤ん坊が楽屋で騒いでるのかね?」と思い、3度目で主催者への怒りに変わりました。とにかく幼児を外に出してもらわないと……と思い、まず問題の女性の席の番号を確認。(この女性は確信犯でしょうから、直接交渉は別のトラブルになる。)劇場の係に苦情を言うとたらい回しにされ、4人目でプロダクションの 「社長」が登場。社長は、幼児トラブル発生を全く知らず、わたしは「学齢に達しない子供を大人の劇の上演会場に入場を許したのは興行主として非常識。ここに1万円札を上げるから、女性に渡して帰ってもらってほしい」と言って、1万円札を出しました。(もちろん、1万円札は丁重に返された。)横で別の観劇者が「わたしも同感です。いつ泣き出されるかと思うと、クライマックスでも集中できなかった……」係の女性が来て「何人ものかたが8列45番の席の方のことで苦情をおっしゃっています」社長殿が男性社員を連れてホールに入っていったので、それを追うことはせず、さぁてお手並み拝見、と思いましたが……。けっきょく、きれいごとが勝ったらしく、第2幕でも幼児は2度騒ぎました。入場料を返し 「(あとで公演のDVDも送るから) とにかく帰宅してほしい」と断固たる処置をとるのが興行主たるもののマナーだったと思います。なお、新国立劇場は会場を貸しただけで興行そのものへの責任はありません。念のため。(Apr 15, 2008 08:05:47 AM)≫
Mar 7, 2012
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奈良時代末期から平安時代初期、大和朝廷軍の坂上(さかのうえの)田村麻呂を迎え撃つ東北の民を率いるアテルイ。ぼくが学校で日本史を習ったころアテルイの名は語られず、もっぱら征夷大将軍・田村麻呂に光があたっていた。いまはその反動もあって蝦夷(えみし)のアテルイは、アイヌのシャクシャインと並んで注目される先住民ヒーローだ。そのアテルイにまつわる人間模様を描く。舞台を観ながら、シラノ・ド・ベルジュラックを重ね合わせていた。洋楽ミュージカルの楽しみに加えて、舞台両翼で連打する勇壮な和太鼓と、習練を積んだ剣舞・殺陣がきりりとして、ひと晩でふた粒、三粒の楽しみだ。原作の高橋克彦 『火怨』 (平成12年に第34回吉川英治文学賞を受賞) は、アテルイが坂上田村麻呂と竹馬の友であったとの設定。 (史実である必要はないが、まさかひょっとして?)これを原作とした わらび座ミュージカル 「アテルイ」 は、悲劇のなかにもさわやかさが流れる友情と恋のさやあて、けだかい心意気の物語に仕上がっている。平成16年 『月刊ミュージカル』 誌の作品部門で10位に入り、タキナ役の丸山有子さんは小田島雄志賞を受賞した。(今回、丸山有子さんは別の役で出演。)*この公演のことを知らせてくれたのは、わらび座の看板女優の碓井(うすい)涼子さんでした。碓井さんとのご縁は、愛媛県松山市近郊の坊っちゃん劇場で碓井さん主演のミュージカル 「鶴姫伝説 ―瀬戸内のジャンヌ・ダルク―」 を観たのがはじまりですが。碓井さんのことをぼくは 「わらび座の新妻聖子」 と呼んでいます。昨年夏から碓井さんは、わらび座ではミュージカル 「おもひでぽろぽろ」 で主演・タエ子の役で活躍していて、今年にはいってはミュージカル 「アトム」 の地方巡業に加わっています。ぼくが新宿文化センターに 「アテルイ」 を観に行った2月23日は 「アトム」公演のない日で、なんと碓井さんと客席ホールでお会いできました。「アテルイには出ないので、裏方でみんなの舞台衣装のお洗濯をしています」 と話す碓井さんでした。「アテルイ」 の 新宿文化センター 公演は、あと3回。きょう2月25日 (土) が13時と17時半開演、あす2月26日 (日) が13時開演。長年の習練で完成度の高い舞台に仕上がっています。当日券もあります。
Feb 25, 2012
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13年前の映画だが、全日空のロサンゼルス行き便で 「ガタカ」 を観た。遺伝子工学が進んで、遺伝子組替えで生まれた人間が上層階級を形づくる統制社会でもがく、宇宙飛行士志望の青年のドラマ。平成9年の米国映画だが、ソ連映画 「惑星ソラリス」 の肌触りなのは、服装やインテリア、車などのデザインをいかにも1960年代の最先端ふうにまとめたせいだろう。「プロデューサーズ」 の Uma Thurman や 「ホリデイ」 の Jude Law が助演しているのも、うれしい。宇宙開発施設内のアナウンスで flugoj al la luno (月への飛行) というエスペラントが聞き取れたので、「あれ?」 と思ってあとで調べたら、異質社会を環境表現する小道具としてまさにエスペラントを使っていたことがわかった。YouTube: エスペラントが使われている場面 Bonvenon al Gataka-Urbo. La gataka horo estas dek kvin post la sepa.(ガタカ・シティへようこそ。ガタカ時間、7時15分をお知らせします)というアナウンスが流れるシーン。YouTube 画像の前半の字幕に、Atentu la virinan vochon. La sono estas mallauta. Tiu chi peco estas la sola parto en Esperanto dum la tuta filmo.(低いですが女性の声をよく聞いてください。映画で唯一のエスペラントの部分です)とあるが、これはもちろんまちがい。YouTube のあとのコメント応酬にも、「La spacoshipo destinata al Marso aliras je la deka. (火星行き宇宙船は10時出発です) というアナウンスもあった」と書き込みがある。
Feb 13, 2012
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昆 夏美(こん・なつみ)さんの無防備なオフィーリアに感動した。都会的な洗練を知らない無垢な娘。次の瞬間にひょっとしたら猿のように暴れ回るんじゃないかしらという緊迫を秘めながらも愛らしい。ハムレットの疾風のようなことばに翻弄される小舟のようなオフィーリア。気が飛んで野摘みの花々を配る姿は、土でやや汚れた白いブラウスだけ。何を求めてか、歌いながら舞台上手(かみて)の階段をおどるように上る素足がうつくしい。やがて舞台奥に身をおどらせ、暗転して逆巻く水の映像がながれる。オフィーリアでこれ以上の感動をぼくは死ぬまでに体験することができるだろうか。*ガートルード王妃は、図らずも道をはずれたが慈しみもある美しきひととして、あたたかく描いてあるように思われた。鬼婆の臭いはなくて。演じる涼風真世さんが、以前にもまして一段ときれいになられた。30代後半の女性のセクシーさを感じてしまった。これほど美しければクローディアスも欲情せずにはいられまいという納得感さえ与えてくれる。村井國夫さんのクローディアスが、ダンディ。これまた、極悪人に見えない。その意味で、身近にいそうな人物。この上演の人物像は、至極われわれに近い。井上芳雄さん演じるハムレットは、プレッシャーに負けそうになる自分と闘う青年。わかりやすい。山路和弘さんのポローニアスも、宮廷役人ぶらず、道化たおやじだ。ソン・ハさんのホレーショーは、世間ズレして多弁な男で、ハムレットに世間の流儀を説く。全2幕、1時間45分とスピーディーなロックミュージカル。阿部 裕(ゆたか)さん演じる先王の亡霊も、冒頭ではなく第1幕の中ほどで登場する。*「ハムレット」 はいろいろ見てきた。平成19年2月にシアター1010で見た安寿ミラさん主演のハムレット。平成22年6月、劇団四季自由劇場の北京人民藝術劇院中国語版公演も印象深い。平成22年8月には東劇でフランス語オペラの 「ハムレット」 MET公演を映画で見て、その換骨奪胎の構成におどろいた。しかし、シアタークリエのロックミュージカル版がいま、心のなかで明るく輝く星になった。そのまま帝劇の大舞台を務められる一流のキャストを、小劇場のシアタークリエの5列目で観たのはじつに贅沢だった。お礼に、スタンディング・オヴェーションはぼくがリードさせていただいた。(東京・シアタークリエで2月22日まで。そのあと2月25~28日が梅田藝術劇場シアター・ドラマシティ、3月3~4日が名古屋・中日劇場。)
Feb 9, 2012
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客席ホールに足を踏み入れると、アメリカン・コミックスからひょっと出たみたいなポップコーンの売り子さんが Hi! と軽やかに声をかけてくれました。「ひょっとして、あなた、舞台にもこの格好で出るんじゃありません?」と聞いたら、なぜか黙りこんで答えてくれなかった。じつは半分当たってて、このロック・ミュージカルの冒頭と最後にグリフィス・ちかさんがポップコーンの売り子姿で舞台で歌うんですね。4~5人いた売り子さんには役者さんも混じっていたのでしょうか。「ロッキー・ホラー・ショー」 の世界をとことん愛する人たちが寄ってたかって盛り上げる夜。笹本玲奈さんが出演してなければ観ずにいたでしょう。コミカルで痛快でコンテンポラリー・アートなショーに案内してくれて、ありがとう!酒宴(しゅえん)の古田新太さんが期待どおり大胆緻密に一座をひっぱっていました。投射映像もレーザー照明も駆使して、あっという間の2時間でした。*ロンドン初演が昭和48年、初来日公演が昭和50年 (なんと高松にも来てます)。日本版の初演は昭和61年で、今回笹本さんが演じるジャネット役は夏木マリさんでした。古田新太さんが演じる主役のフランク・フルター役は藤木 孝さんで、この藤木さんに今回はナレーター役として登場していただくという粋な配役に愛が感じられます。翌62年の再演のあと、平成9年の三演ではキャストが一新して、ジャネット役は池田有希子さん、フランク・フルター役は ROLLY さん。この ROLLY さんが今回のショーの訳詞を手掛けることになるのですね。平成11年に同じROLLY・池田有希子キャストで四演。そして平成23年の新たなキャストの五演、というわけです。*笹本玲奈さんは、冒頭のポップコーンの売り子嬢のあと、すぐに登場です。ちょっと冴えない男ブラッドの、きまじめそうなガールフレンドとして。豪雨のなか道に迷って、すがりついたお城が魔界。といっても、ホラーというよりコミカルで、怖くはないんですが。魔王のようなフランク・フルターも、黒い革のランジェリー姿になって、ジャネットも白いブラとペティコート姿にされてしまうのですね。ぺろぺろ舌のフランク・フルターとの ちゅぱちゅぱシルエットプレイや、指を這わせ回る人造人間ロッキーとの絡みとか、まぁその程度ではおどろかないのですけど、ジャネットの歌う Touch-a-Me の歌詞にはびっくりしちゃったなぁ。こ、これを、笹本玲奈に歌わせるか! みたいな。でも、からっとしてるから、楽しめちゃうんですねぇ。劇場またはCDでお楽しみください。カーテンコールの笹本玲奈さんは、ほっとしてる感じでうれしそう。輝いていました。*駅や電車内にポスター貼ってありますが、来年1~2月の東京公演 (サンシャイン劇場) はチケットぴあなどでも完売です。横浜公演 (神奈川藝術劇場) は、12月10日に観に行ったときも2階席と3階席の後ろのほうに空席が残っていました。ぜひ横浜で観て、観劇後は徒歩10分の中華街へどうぞ。
Dec 11, 2011
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劇団 Theatre Moments 流だから、できること。≪中世騎士道の時代、かなり風変わりな騎士がいた。傷一つない甲冑の中は空洞、つまり肉体のない騎士だったのです。≫構成・演出をした佐川大輔さんが2年ほど前から劇団で舞台化したいと望みながら、「肉体のない主人公」を舞台でどう表現するのかという難問が立ちはだかっていました。ぼくはてっきりこう想像していました。肉体のない騎士が舞台に登場するときには、4~5人の役者が集まって甲冑を表現し、さらに別の役者が後ろを向いたままセリフを言う、のではないかと。Theatre Moments は、別の答えを出していました。(ブログ後半でご紹介します。)あと、Theatre Moments 恒例の楽しみは小道具の使い方。9月公演の 「雪のひとひら」 ではスケッチブックを使っていました。色の乱舞をあらわし、ちぎれば雪と舞う。今回 「空っぽの騎士」 ではハードカバーの大型本を楯や鎧に使っています。鎧をまとうときは、大型本を中ほどで広げて右肩に掛けることで表わし、戦闘となれば長大なマジックペンを剣にし、広げた大型本の楯による防禦をものともせず本のページにマジックペンでくちゅくちゅ書くことで攻撃を表わす。「物語る」 という行為そのものへのオマージュになっている。*大学のころロシア語の授業で、ブラート・オクジャワのことをクラスの学生の誰も知らなかったので教授が「君たちは何のためにロシア語をやっているんだ !?」と激昂したことがありました。その流儀でいえば、いちおうイタリア語も勉強しているぼくなど「イタリアの国民作家のイターロ・カルヴィーノのことを知らなかったなんて、君は何のためにイタリア語をやってきたんだ !?」と叱られるのは確実です。佐川大輔さんの解説によれば≪日本でいうと、筒井康隆さんみたいな感じですかね?≫ということなので、これはどっぷり浸かり甲斐がありそうです。大正12年生まれで、昭和60年になくなった Italo Calvino は昭和20年に作家としてデビューしています。「空っぽの騎士」は昭和34年発表の Il cavaliere inesistente (=存在しない騎士)。日本では『不在の騎士』という題名でこれまでなんと3つも翻訳が出ていまして、たいへんな人気作です。すみません。まったく知りませんでした。これは読んでみないといけませんね。Theatre Moments の主宰・中原くれあさんによると、「『不在の騎士』 では、『え? それって何よ?』 ということになるので、いろいろ考えた末に 『空っぽの騎士』 という劇名にしました」ということですが、これは成功です。「空っぽの騎士」 なら甲冑だけが動いているみたいな光景が即、目にうかぶ。*Theatre Moments 公演は、日暮里駅ちかくの路地裏の 日暮里 d-倉庫 という小劇場。はじめて来ました。舞台は奥行きが広く、施設全体が往年のベニサンピットを小ぶりにしたような。「空っぽの騎士」 は、修道女が語る伝説の騎士の遍歴物語。『キャンディード』を思い出しました。修道女は中原くれあさん。声の張りと明るい気迫が劇全体をひっぱっていました。きれいどころは夢輝のあさんで、中原さんとは平成5~6年に同じ宝塚雪組におられましたね。男優のなかでは、矢原将宗さんがうまかった。表面に出てきているものの向こうに何かをもっている、そんな感じを発散しています。空っぽの騎士は、大島大次郎さんがつとめていました。紋章を装した大型本でつねに顔を隠すというシンプルな手法で 「不在」 「空っぽ」 を表わす。ぼくの想像していた 「空っぽの騎士」 に比べると、手法があまりに単純に思えましたが、このお芝居はいくつもの登場人物の関係がけっこう複雑で、一人一役でいかないとさすがに混乱して芝居が成立しなくなってしまうのですね。Theatre Moments 流のスピーディーな展開は健在で、いかにも舞台化しづらいこの作品を2時間観せて飽きさせないのはみごと。大道具で舞台転換することもなく、目にも彩な扮装をさせることもなく、ことばと動きでここまで勝負できる。想像力に乾杯!きょう11月6日午後2時に千穐楽公演。
Nov 6, 2011
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フランス演劇のうち、世界中で最多の公演回数を誇る作品。男と3人のスチュワーデス(=会う日を違えることで男が手玉にとっているつもりの愛人たち)、男の友人、無愛想だが気がきく女中の計6人が展開する鉢合わせ喜劇。6人それぞれにしっかり見せ場があるし、男2人は物理的に痛い目にも遭うがスチュワーデス役とおいしい目にも遭うから、俳優も演出家もなるほどやってみたいと思うだろう。舞台設定も、部屋の扉が3つと、玄関への出口、浴室への廊下入口さえ確保すれば足りるから、どこでも上演できる劇だ。世界最多公演回数もうなづける。*今回の公演は、去年シアター1010のドラマリーディング教室でご一緒した 浜中悠(はるか)さんが役をもらっているというので千穐楽に行きました。浜中さんはエール・フランスのスチュワーデスのジャクリーヌ役で、こぼれるような笑顔を振りまいていました。客演と思われますが、トランスワールド航空 (=平成13年にアメリカン航空に吸収合併されましたね) のスチュワーデスのジャネット役の金子 梢さんが ずば抜けた美女でした。セリフがやや一本調子なのをもう少し遊べば、さらによくなります。女中役の大曲由起さんは、ちょっとマジにやりすぎて硬質な演技になってしまいました。これももう少し遊びたかったですね。ほか 劇団員の大関雄一さん、鈴木靖幸さん、小澤延子さん、それぞれにスピーディーな演技で楽しめました。上演の場所は京浜急行線鮫洲駅から歩いて2分の路地裏の倉庫のようなところで、なんと劇団の稽古場。客席のヒナ壇もうまく しつらえて、いい感じの場所でした。劇団邪馬台国の舞台、ぜひまた観たいものです。【蛇足】苦言を少々。最前列の右端に坐った初老の劇団関係者らしき御仁が上演中、「よっしゃ!」 「なんじゃこりゃ」 とでも言いたげに、しきりに 「ん~」 「んーっ」 と漏らすのが耳障りでイライラさせられた。役者もやりにくかったろう。何百回も演劇を見ているが、こんな観劇者ははじめてだ。暗転中によほど注意してやろうかと思ったが、トラブルになったらまずいと思って止めた。演出家と思われる御仁である。稽古を監督している気分で独り言。これが、狭い劇場じゅうに聞こえた。迷惑千万。たとえ演劇界ではヴェテランであっても、演劇人としてはいかがなものであろうか。無くて七癖とはいえ、要するに周囲の観客への尊重の念が足らんのである。おそらく本人は意識していない。無くて七癖だから。今後は意識して、直していただきたい。まさか他の劇場に行って同じことをやってはいないと思うが。
Oct 16, 2011
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10月9日に足立区のイベントで行った劇団 「ドラマランド七味とんがらし」 の渾身の余興の写真にわたしも写っているので、こちらからリンクしておきます。写真をクリックして大きくすると、舞台上の顔もはっきり見えます。だいたい舞台の向って左手のほうにいる男がぼくです。:山鳴日記 ポエムとマイム上演しました!!メモ:231009 あだちサークルフェア2011 ポエムとマイムのパフォーマンス @ 足立区生涯学習センター4階講堂(ぼくのいる劇団 「ドラマランド七味とんがらし」 による渾身の余興。ちょっと不発。フラダンス公演に挟まった30分で全てを終えよという出し物だったからね。)
Oct 12, 2011
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主役は、雪のひとひら。愛する相手は、水のしずく。雪のひとひらから見た人間界と、雪のひとひらをめぐる H2O の生々流転(せいせいるてん)を、生身(なまみ)の役者が舞台のうえでどう演じるというのだろう。ヘタをすれば、子供だましのお遊戯になってしまう。あるいは、シリアスな実験劇になってしまうだろう。佐川大輔さんが構成・演出した 「雪のひとひら」 は、うつくしく、ほがらかだった。役者の躍動に、雪の結晶の切れを感じ、水の透明をみた。人生を映す鏡としての水のいのちに、いつしか感動して涙が一滴、頬を伝った。小劇場で最小限の小道具で演じる劇団 Theatre Moments は、「雪のひとひら」では大判のスケッチブックを効果的につかう。ページを拡げた白で雪をあらわすのに意外感はないかもしれないが、春のシーンにもちこまれた別のスケッチブックは草色や花びら色で舞台に立ち、火災のシーンでは赤く塗られたスケッチブックの紙を役者が破き散らす。セリフ。からだ。小道具。観る客の想像力への絶大な信頼が、演劇の可能性をためす確かな冒険へと導く。Theatre Moments の芝居は、今年4月7日と8日に「公房工房」と「幸福な王子」を観たのがはじめ。そのときの劇評:「幸福な王子」 by 劇団 Theatre Moments: 観客の想像の翼が大きくはばたく佐川大輔さん、中原くれあ さんをはじめとする劇団の心意気、チームワークを、ぼくは心から称賛する。*ブログ検索したら、ぼくがポール・ギャリコの 『雪のひとひら』 和訳を読んだのは平成21年12月だった。≪横山大観の絵巻 「生々流転(せいせいるてん)」 を見るよう。うつくしいイメージと言葉で紡がれた名品≫とブログの読書メモ欄に書いてあった。=公演は9月12日まで @ 浅草橋・アドリブ小劇場 (台東区蔵前一丁目5-8)
Sep 11, 2011
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いいミュージカルを観ると、1週間も2週間もそのメロディーがぼくを支配してくれる。5月に2度観た 「レ・ミゼラブル」 は脳の音楽館で1ヶ月も鳴り続けていた。8月26日まで帝劇で上演の 「三銃士」 は、7月28日と8月4日に観劇した。スターウォーズのテーマ曲のように華麗なオープニングに始まり、エレジーからロックまで、聴かせどころたっぷりのメロディーが酔わせてくれる。ドイツ語版のCD “Drei Musketiere・Das Musical CD” を聴くと (いまも書きながら聴いてる)、勇ましくも悲しく、氷原が熱く燃え立つ音楽に包み込まれる。平成18年にオランダで上演された 「レンブラント・ザ・ミュージカル (Rembrandt De Musical)」(日本では未上演、ぼくは CD を聴いて惚れた) の肌合いに通じる曲もいくつか。とくに、瀬奈じゅんさんが歌う 「帰ってきたミレディ」 に、「レンブラント」 のメロディを思い出した。それも不思議ではない。だって 「三銃士」 の音楽を担当したのは、オランダのポップミュージシャンの兄弟で、ミュージカル作品として世界初演を迎えたのも平成15年、オランダだった。いっぽう 「レンブラント」 の音楽を担当したのは別のオランダ人・ベルギー人のミュージシャンのペアだった。*ダルタニャンが恋するコンスタンス役の和音美桜(かずね・みおう)さんの微笑みが輝き続けてうつくしい。自然な微笑みがかたまることなく、舞台で咲き続けた。声もクリスタルに清らか。和音美桜さんの舞台は、平成22年1月に 「ウーマン・イン・ホワイト」 @ 青山劇場で観た。悲運の狂女 アン・キャスリック役を演じていた。コンスタンス役のあどけなく可憐なほどにうつくしい姿をみて、ファンクラブがあれば入りたいと思いましたが、ファンクラブはないようです。ブログを読むと、しっかりした芯のとおったひとです。*リシュリュー枢機卿を演じる山口祐一郎さんの、気迫がぴっちりとつまった 「静」 と、ロックミュージックにはじけて縦横に闊歩する 「動」。しっとりと歌い上げる 「おお 主よ」。ダンス オブ ヴァンパイア の闇の深みを感じさせる 「我が心 氷にあらず」。全開パワーの 「我を信じよ!」。この3曲を聴くだけでも、祐一郎さんのリサイタルに来たような高揚がある。脊椎に電流を走らせたのは、悲運の女傑ミレディと三銃士のひとりアトスの、せつない別れの場面だった。瀬奈じゅんさんの歌い上げる 「あの夏はどこに」。久々にからだじゅうに電気がはしった。Viva, musical!2度目の観劇では、すでに耕されたぼくの心に、アトスの歌うバラードが めらめらと焔をあげた。ゆえあって別れたけれど決して忘れられない美しきミレディへの思いを歌う橋本さとしさんは、まるで自らの恋の遍歴をかえりみながら思いを噴き出させているかのようだ。すごみのあるバラードだった。*配役の妙。東宝ミュージカル陣の才能のバラエティといったら。歌のうまさと軽やかさは当然として、コミカルさも自然に湧き出す井上芳雄さんのダルタニャン。独特のスパイスが匂いたつ、坂元健児さんの狂言回しとジェイムズ。歌がひとつもなくてもったいない気もしたが、ひとひねりも二たひねりもあるルイ13世を颯爽と演じた今 拓哉(こん・たくや)さん。「ダンス オブ ヴァンパイア」 や 「レベッカ」 で他人には真似のできない “怪演” をみせつづけた吉野圭吾さんのロシュフォールは、リシュリュー枢機卿の忠実なしもべという役どころで、遊びにくかったのか “怪演” は不発だった。これはちょっと残念。今回の「三銃士」は、ふたりのビルの対決でもあった。帝劇の 「ミー&マイガール」 でビルを演じた井上芳雄さんと、東京宝塚で同じビル役を観せてくれた瀬奈じゅんさん。瀬奈じゅんさんの力強く躍動するビルはぼくには驚きだった。井上芳雄さん以上の出来に思えた。だから今回の三銃士の瀬奈じゅんさんにも、とてもとても期待していたので、神出鬼没の疾風から天へと昇華するミレディの人生を見せてくれて満足でした。
Aug 24, 2011
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「父と暮せば」 は笹本玲奈さんがブログで絶賛していて、これは観なければと楽しみにしていた。なんと1列目の席が取れた。2人劇。尊敬する辻 萬長(つじ・かずなが)さんが父の役だ。昭和23年の広島。一途(いちづ)に心を堅くする美津江 (栗田桃子さん) のもとに現れた快活な父は、事情があって麦湯が飲めない。うれしそうに擂り鉢でジャコ味噌を擂るけれど、自分では舐められない。事情があって。…被爆の日とそれに続く日々の悲惨を、父と娘の言い合いだけであぶりだす脚本はみごとで、井上ひさし戯曲の最高傑作といわれるのにも納得する。重いテーマでありながら、ふたりのたましいは躍動していて陽の光が射している。政治臭さのない、普遍性のある仕上がりだ。これだけの戯曲が書ける井上ひさし氏が、こと日本国憲法の話になると楽屋の奥から飛び出して自ら舞台に立ち、劇にならない独白をつづけた。その姿がとても嫌で、ぼくは長らく井上ひさし戯曲を避けてきた。しかし今年、 「日本人のへそ」 「たいこどんどん」 「父と暮せば」 と観てきて、その演劇世界が一流であることに対して ひざまづくわたしである。過去の空白を埋めるように、井上ひさし戯曲を観ていこう。
Aug 17, 2011
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和田誠一さんは洒脱(しゃだつ)なひとだった。ぼくが学生時分、早稲田にある日本エスペラント学会 (JEI) 編集部へ入り浸っていた頃、フランス戯曲の翻訳家・和田誠一さんもよく来ておられた。『現代フランス戯曲名作選』 (カモミール社、平成20年刊) は、丸善丸の内本店で本棚からぼくに呼びかけてくれた。手にとったら、なつかしい和田誠一さんの名前。和田さんが訳した戯曲が3本載っている。和田さんの妹の花柳伊寿穂さんが、あとがき。ちゃきちゃきと元気なかただ。和田さんが訳したロベール・トマの 「八人の女」 と 「殺人同盟」 は、玉葱をどんどん剥いでゆくように各人の本性が見えてくる仕組み。トマの 「罠」 は、以前シアター1010で見てどんでん返しにしびれたが、「八人の女」 「殺人同盟」 も絶妙のやがて淋しき結末。名作選の3本目はアルベール・ユッソンの、人を喰った 「マカロニ金融」。3本とも、美しくもクセのある女性がつぎつぎ登場する。シャレてるね。*和田誠一さんは、たしか日本エスペラント学会で開催の入門講座でエスペラントを学びはじめた。フランス語の達人だから、エスペラントを習うのはワケない。数年にして、日本エスペラント学会の講師や評議員にも なられた。エスペラントの小社会に、低次元の議論や反目も多々あった。和田さんは「あたしゃ、よく分かりませんが、仲良くやりましょうや」と、場をなごませるひとだった。演劇イノチのいまのぼくなら、和田さんのお酒にとことんお付き合いして、演劇界のあのかたこのかたにお引き合わせいただくところだけど、当時学生の身では かないようがない。『名作選』 で和田誠一さんのことを偲んだ。平成21年7月14日 (フランス革命記念日だ…) に丸善で買いながら、字が小さめなのがしんどくて しばらく棚ざらしにしてあってご免なさい。読み出したら止まらなかった。
Jun 6, 2011
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「今まで見ていた レ・ミゼ は何だったんだ」おおげさに言えばそんな気持ちにさせるのが、帝劇開場100周年記念スペシャル・キャスト・バージョンの 「レ・ミゼラブル」 だった。島田歌穂さんのエポニーヌは、しっとりとして甘美だった。これまで聴いてきた他の役者さんたちのエポニーヌの絶唱は、余分な力をつかっていたのではないか。島田さんの、心のままの高まり。ことしの別キャスト版ではついに新妻聖子さんがファンテーヌを演ずる時代。世代交代がやや早すぎるが、そんななか島田歌穂さんのお歳でエポニーヌが演じられるのだろうかと実は疑問に思っていたのだが、みごとに可憐でうつくしかった。他の役者さんがエポニーヌの舞台化粧で顔を黒ずませすぎるのをつねひごろ残念に思っていたが、島田さんは化粧もすなおで、登場場面ではすこし頬を黒ずませているものの後半はうつくしい顔のまま、エポニーヌの恋心を自然に伝えてくれた。*岡 幸二郎さんのアンジョルラスが輝く。岡さんが出る舞台で失敗というものを想像できないが、今まで聴いたアンジョルラスの2倍の迫力で心をとらえる。神田沙也加さんのコゼットには、華がある。栓を開けたばかりのワインのような役者さんを聴いてきたけれど、神田さんのコゼットには馥郁とした香りがある。歌は高音にやや難があったけれど、心情でカバーしていたね。岩崎宏美さんのファンテーヌ。「夢やぶれて」を聴きながら、涙が流れた。岩崎さんの歌は、すとーんと直球だ。何も巧まず歌う。だから、メッセージが点でも線でもなく、面になって伝わってくる。別所哲也さんのジャン・バルジャン。出獄したばかりのバルジャンの狂笑のすごみ。そして市長バルジャンの高い道徳性のきらめきに、別所さんそのひとを感じてしまった。斎藤晴彦さんのテナルディエ。ベテランの味わい。テナルディエは、駒田 一さんのがピカ一ですが、駒田さんをブランデーとすれば、斎藤さんは焼酎だね。林アキラさんの司教。客席から拍手あり。石川禅さんのマリウス。信頼感。鳳 蘭さんのマダム・テナルディエは、ふ、ふ、美しすぎるんじゃないの?そして、鹿賀丈史さんのジャベール警部。自ら定めた道徳の枠に収まりきれない質実至誠の人の苦悩。「ジキルとハイド」 にも通じる。シラノにも通じる。鹿賀さんがひとつの役を演じると、他のひとがその役を演じることを想像できなくなってしまう。みごとな舞台だった。5月17日の夜に観て、いまだに脳のなかで曲が響いている。
May 22, 2011
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5月3日、演劇 「隣人たち」 公演がおわった。いま数えたら、ぼくが演じたホルスト大佐のセリフは37ヶ所、都合79行ある。舞台の上で ふたりを張り倒し、ピストルをカチャリと抜いた。練習を始めたのは年明けから。大震災後、3月末まで3週間ほど練習ができなかった。4月に入って後半のセリフが増えたが、芝居に慣れてきて加速度的に速く覚えられるようになった。「ナチス親衛隊の大佐は、ほんとに怖かったです」と、イベント会場の 「竹の塚地域学習センター」 のセンター長が終演後に声をかけてくれた。「なかなかよかったわよ。え、あなたじゃなくて、全体よ。おばあちゃん役の人が上手だったわね。あなたは前半ちょっとぎこちなかったけど、後半はよかったんじゃないの」とは、わたしの女の批評。弟夫婦も観にきてくれた。いささか褒めすぎだが、メールで「久しぶりに迫力がある本格的な演劇を見ることができました。せりふも不自然さがなかったです」と書いてきてくれた。アンケートをまだ見ていない。40名ほどの観客の皆さんはどんな感想を書いてくれただろう。*5月3日のイベント 「ことばの力 Vol. 5」 は18の出し物からなり、前半は幼児向け。後半は方言による朗読や狂言、そして我らの本格演劇、最後は 「おてもやん」 で締める。出し物が進むにつれて、1~2歳の幼児の奇声がだんだん減ってゆく。狂言の後半で、ついに幼児連れの親が会場から消えてくれて、ほっとした。プログラム構成の妙!ところが、わが演劇がはじまるとまた会場から盛んに幼児の声がする。舞台で演じるのに支障はないが、客席に坐っていたら これは辛い。もしぼくが主催者だったら、入場料をお返しし多少の交通費をお出ししてでも帰ってもらうところだ。狂言のときは後半で消えてくれた幼児連れの親たちだったが、我らが演劇では客席の後ろのほうの列の2ヶ所で最後まで幼児が騒いだ。負けないように精一杯演じましたけどね。終わってロビーに出て、理由がわかった。なんと舞台に子役で出ている子たちの家族だった。やれやれ……。しつこく会場に居残った非常識の理由がわかった。次は子役なしの演劇をやりたいね。これがピアノの発表会だったら、幼児連れの家族は自分の子供の演奏のときだけ会場に入り、幼い奇声を発散させつつ聴き入るのだろうか。いや、子供のピアノ曲1曲ていどの時間なら、幼児も耐えられる。演劇はそうはいかない。今回のように、幼児向けの出し物とセットになっていると、未就学児の入場禁止はありえないから、会場管理が難しくなる。次に同じような企画をするなら、大人向けの出し物のあいだ幼児をロビーで遊ばせるサービスができれば望ましいが、人手が足りないなぁ。前から3列目で観ていた弟夫婦に後で聞いたら、「舞台の声がよく通っていたから、幼児の声は気にならなかった」と答えた。なんと寛容な人たちだ。演劇 「隣人たち」作・演出: 山下光治、ピアノ演奏:伝(でん)恵津子、音響: 伝 忠良劇中歌 「朝焼けのバラード」 「ふるさとは」 作詞: 山下光治、作曲: ナルミキャスト :(ドラマランド七味とんがらし)尾形正子、細井健司、細井柚季 (子役)、山下芳子、泉 幸男、島村保江、沖山節子、田中政子、松崎光子、影山富美子、川名峯子、高橋妙子(劇団アクト・ヤマナル 子役)横江 舞、石川明音、似鳥友香、似鳥希早(賛助出演)加藤久弥、北川きくえ、大河原 宏、因幡和雅
May 5, 2011
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東欧各国から逃げてきたユダヤ難民が、ナチス親衛隊のホルスト大佐の実家を隠れ家にした。 そしてホルスト家に、予想もしなかった悲劇が起きる…。 そんな芝居のホルスト大佐役で、わたくし 泉 幸男 が舞台にデビューいたします。足立区のアマチュア劇団のチャリティ・イベントです。 1. イベント名: ことばの力 Vol. 5 特別企画 「方言で語る」2. 日時: 5月3日 (祝) 午後1時半~4時半 (泉が出る演劇はイベントの第3部。午後3時以降です)3. 場所: 足立区竹の塚地域学習センター4階ホール 足立区竹の塚二丁目25番17号 電話:03-3850-3107 (東武伊勢崎線竹ノ塚駅東口から徒歩6分)4. 入場料: 500円 (全額が大震災への義捐金に充てられます) 自由席です。ホールは300席あり、満席はありえないので、事前申し込みは不要です。5. イベントの主な内容: 全部で18の出し物があります。 ・ 第1部: 歌と狂言の子供イベントです。 ・ 第2部: 朗読・群読と狂言のイベントです。 群読こだまの会 「七度狐(しちどぎつね)」 (上方落語より) 狂言いろは会 「くさびら」 ・ 第3部: 演劇と民謡のイベントです。 ドラマランド七味とんがらし+劇団アクト・ヤマナルの演劇 「隣人たち」 熊本民謡 「おてもやん」 でフィナーレです。 ◆ ナチス・ドイツのユダヤ人の人間模様 ◆ 演劇 「隣人たち」 は、昭和13年のナチス・ドイツが舞台。 ホルスト家の人たちはそれぞれにユダヤ人迫害に疑問を持つものの、長男のアルトロウイ・ホルストはナチス親衛隊の大佐でユダヤ人迫害の先頭に立っている。 その弟のフランツ・ホルストは、根っからのお人よし。フランツの息子のフリードリヒと娘のローザは、戸惑いながら立ち位置を探そうとしているみたいだ。 そんなホルスト家がいつしか、東欧各国から流れ着いたユダヤ人難民の隠れ家となる。 迫害されるユダヤ人の側も、出身国ごとに言葉が異なり、互いを差別しあうことも。(その辺の事情を、役者に日本各地の方言を使わせることで表わしています。) ユダヤ難民たちはアルトロウイ・ホルスト大佐に見つかってしまう。そして、予想もしなかった悲劇で幕となる。◆ 地域の演劇 ◆ 山下ご夫妻は足立区在住のプロの演劇人で、区の助成も得ながら地域演劇活動を盛り立てています。今回のイベント全体の企画も山下ご夫妻です。 戯曲 「隣人たち」 は山下光治さんの脚本・演出で、山下芳子さんが (急遽の代役で) 主演のフリードリヒ・ホルスト少年を演じています。 わたしは、昨年足立区のシアター1010 で朗読劇 (ドラマ・リーディング) に参加したのですが、そのとき一緒に参加していた人から山下ご夫妻の主宰する劇団 「ドラマランド七味とんがらし」 を紹介されて、ことし1月から毎週1~2回練習をしてきました。 構成メンバーは40~60代の女性たちと子供たちが主で、男性が少ないこともあり、いきなり準主役のアルトロ大佐の役をいただきました。 演劇好きが嵩じて客席に納まりきれず、ついに舞台に上がってしまった。今回の演劇の後半3分の1では事実上の主役をやらせていただきます。 チャリティ・イベント (勧進興行) でもあります。連休の一日、お時間のある方は北千住から東武線で5駅目の竹ノ塚へどうかお越しください。
May 2, 2011
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オスカー・ワイルドの 『幸福な王子』 はシンプルな筋だ。悪人はいない。殺人もない。社会の不条理はあるけれど。恋愛もない。あふれるほどの愛はあるけれど。輝かしい勝利もヒーローへの歓呼もない。シンプルなストーリーだが、主人公は銅像と燕だ。アニメにはしやすいが、大人が観るに堪える芝居を作るにはどうすればいいのだろう。もしも役者に銅像や燕の着ぐるみを着せたなら、今どきは小学生にも相手にされない。そんな 「幸福な王子」 を、背景のセットも大道具もなく、6人の役者が出づっぱりで若干の小道具だけを使って80分の芝居にする。全員大人の観客を楽しませ、深い感動に導きながら。それって、可能?これをやってのける 劇団 Theatre Moments の、主宰・佐川大輔さんをはじめとする皆さんに、ぼくは最大限の賛辞をおくりたい。6人の役者さんが入れ替わり立ち代わりで、役者ごとに異なる役づくりの銅像の王子を演じ、燕を演じる。王子の扮装も、燕のメークアップもなく。あるいは6人揃ってエジプトのナイル河畔の葦 (=脚) になったり、あるいは舞台上に役者のからだで指人形劇の舞台をつくり、貧しい母子の姿を指人形で表現したりする。舞台でゆるされる想像喚起のルールブックの全ページをつかって語り踊るから、そこには確かに王子の銅像が実在し、燕が翔ける。ミニマルな道具立てと人数で、観客の想像のなかに王子と燕を産み落とす。これはもう、思いっきり動的で饒舌な 「能楽」 なのかもしれないね。想像力の翼をはばたかせる爽快感を味わった。終局に、深く感動した。舞台上は、とことん雑然とみじめな場所に仕立てられた。そして、神と天使の対話の朗読によって、俗界の対極にある王子と燕のたましいの崇高さに思い至るとき、ぼくの全身は水滴になった。*最前列の席で観ていたら、芝居の途中でスフィンクスに扮した矢ヶ部妙子さんが「ではこれからクイズを出しますよ…」といって、ぼくをあててくれた。「そこのすてきなネクタイのダンディなかた」とか言われちゃったし、熱い演劇ファンとしてはここは何としてもシャレた受け答えを演じなきゃ! てっきりあの 「正解は、人間!」 というあの有名なクイズかと思ったら、「わたし (=スフィンクス) と結婚しませんか」みたいな内容の question だったのです。これは語呂合わせ入りのセリフを言い返してやろうと思って一生懸命考えたのですが、脳が空回り。「岩でできたるスフィンクス、言わずもがなの心を隠す祝いのことば、くすくすくす」みたいなセリフを2秒間で考え出して、歌うように語りかえすぼく……をイメージして、う~んう~んと語呂合わせを考えていたのです。(上の3行は、後から考えたもの。あてられて すぐには、ムリだよ。)結果的にぼくは一言も発することができず、舞台の上のスフィンクスちゃんが憤慨していました。ごめんね、せっかくあててくれたのに。いま思えば、そこまでシャレなくても、エジプトの葦たちのセリフ「あし~~、あ~し~、あしあしあし」でもって思いをこめれば、素敵な語り返しになったのにね。再演のとき、懲りずにまたぼくをあててね!*4月8日に 「幸福な王子」 を観たのは、前日に同じ劇団 Theatre Moments の「公房工房」 を観て、芝居の作りに ほれこんでしまったから。年に2作ほど舞台にかけているそうで、次の公演もぜひ観たい。セリフ設定も多様で、躍りやアクションのウェイトが大きいお芝居なので、段取りの練習がさぞ大変だったろうと思いますが、今回観た2作とも、まったく手抜きのないいい出来でした。(中野三丁目の劇場 MOMO で、4月6~10日の上演でした)
Apr 10, 2011
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