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Asahi.Comの「どらく」に載る「この日のビートルズ」は、1962年生まれの上林 格がいつもいい文章を並べていますが。今回もとてもいい文です。ついつい誘い込まれてしまいそうです。
ウキウキと弾むような開放感が伝わってくる「Penny Lane」は、ポールが故郷リバプールで過ごした少年時代を回想した曲だ。 バッハの「ブランデンブルク協奏曲」を聞いて思いついたというピッコロ・トランペットのソロが、ウキウキ感をいっそう引き立てる。録音は1966年暮れに始まり、67年1月17日に完成した。 1カ月後、英国でシングル盤が発売される。少年時代のジョンが秘密の遊び場にしていた孤児院からインスピレーションを得た曲「Strawberry Fields Forever」とカップリングされた。 2曲ともノスタルジアの世界を素材にしているが、ジョンの曲が非現実性への郷愁と自己表現が同居する内なる世界を想像させるのに対し、ポールの作品は登場人物に躍動感をもたせつつ叙情性も漂わせている。 2人の才能の対比までも見事に示したシングル盤について、「私たちがつくった最高のレコードだった」とプロデューサーのジョージ・マーティンは語っている。 残念なのは、英国のヒット・チャートでエンゲルベルト・フンパーティングの「Release Me」に1位の座を阻まれ、2週連続2位に甘んじたことだ。63年2月の「Please Please Me」から12枚続けてきた、シングル盤連続1位記録は途切れてしまった。 「Penny Lane」はリバプール郊外に実在する街路だったため、この曲がヒットしたおかげで街路標識が何度付け替えても盗まれるという被害が続き、市の財政局が頭を悩ませたというエピソードはよく知られている。その後、標識はレンガ塀に直接ペイントされた。最近は頑丈そうな鉄製の立て看板になっているらしい。 ところで、曲のなかに登場する床屋や銀行、消防署も実在するのだが、いずれもこの街路には面していない。なぜなら、ポールが歌う「Penny Lane」とは、この街路のすぐ近くにあるスミスダウン・ロードとチャーチ・ロードの2本の道路が交わった環状式交差点(round about)の周辺をさしているからだ。 地元では通称「ペニー・レーン・ロータリー」と呼ばれ、市の中心部と郊外を結ぶ路線バスも発着している。近くにはジョンの生家があり、ジョンとジョージが通ったダブデイル小学校やポールがほんのちょっとだけ在籍した聖歌隊が入ったセント・バーナバス教会もある。 ロータリーには屋根付きの待合所があって、少年時代にジョンとポールはよくここで待ち合わせをしたという。退役軍人会による11月11日の英霊記念日になると、2人は空き缶に1シリングを入れる代わりにポピーをもらって帰った。「かわいい看護婦がトレーにのせたポピーを売っている」という歌詞は、ポールが実際に花を売る年上の看護婦にときめいた経験を織り込んだものだ。 脚色された部分もある。ロータリーの角に銀行はあるが、「どんなに土砂降りでもレインコートを着ようとしない銀行員」は実在しない。少し離れた場所に消防署があってピカピカに磨かれた消防車を見ることは難しくないだろう。だが、「ポケットに女王陛下の写真をしのばせる消防士」の存在は確かめられない。いずれもポールが作りあげた架空の人物だ。 ロータリーのそばにはビオレッティなる人物が経営した床屋があった。そこでポールや弟マイケルは髪を刈っていた。窓に色々な髪形の写真を見本用にはってあったのを、ポールは「写真を展示」していたかのように歌った。ただし、店の前を通りかかった人たちが、「立ち止まってはあいさつする」くだりは本当にあったことだという。 リバプールに対するノスタルジアの歌は、それ以前の65年10月に録音された「In My Life」がある。ジョンが「本当の意味で傑作といえる最初の作品」と誇りを持っていた曲のひとつだ。彼の死後、生涯の友や恋人をたたえる心温まるこの歌は、故人をしのぶ記念の曲として人気が高まった。 歌詞の中に具体的な地名は出てこないが、当初はメンローヴ・アヴェニューの実家から波止場を走っていた高架鉄道までに点在する、少年時代のお気に入りの場所すべてを回想した長編詩だった。遺品の草稿には、ペニー・レイン、チャーチ・ロード、ストロベリー・フィールド、路面電車の車庫、コールダー・ストーン公園などの地名が盛り込まれている。 しかし、ジョンは懐かしい場所が急速に姿を消していくと歌うだけでは退屈な作品になると感じていた。思案の末、具体的な地名をすべてのぞき、過ぎ去った少年時代と青春時代に哀悼の気持ちを込めることで、普遍的な作品に深化させた。 ただ、この曲の作者をめぐっては、ジョンとポールの記憶が大きく違っている。 ジョンによれば、歌詞はポールに聴かせる前に全部出来上がっていて、ポールはハーモニーのメロディーを手伝ってくれた、と話している。 ポールは、ジョンが詞の書き出しを用意していて、自分が彼の家にあったメロトロンでミラクルズをヒントにメロディーをつくり、残りの部分を2人で埋めていったと話す。イントロも自分が考えたと主張している。 レノン&マッカートニーの数ある作品のなかで2人の意見が違うのは、「Eleanor Rigby」とこの曲だけだ。 「2人の記憶が食い違うものがたった2曲だなんて、喜ばしい」。 つねに前向きなのがポールらしい。
というものです。たった二曲とはいえ、ジョンとポールの関係を物語る一欠けらが見え隠れするエピソードです。いかがでしょうか。
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