*あまり目立たないがあの時代最も上手に立ち回った人だと思う。
この人に救われた藩もたくさんあるけどその手腕をナゼ容保・定敬兄弟に使ってくれなかったの?
*この方は早くに亡くなってしまったが、あとを継いだ武聰(たけあきら)はこれまた 水戸藩主徳川斉昭で慶喜の弟。
1866年の長州討伐で長州大村益次郎に破れ浜田軍は壊滅。
逆に侵攻されると浜田城に火を放って逃亡。…兄弟だねぇ。
*慶勝兄ちゃんに上手く使われちゃった感じの方。
*容保候とは母が違う兄弟。 でもとても仲がよかったらしい
しかも正室に育てられた割に佐幕。
この方に関しては興味津々なのでいずれくわしく…
*病弱だったため自ら出陣はしなかったものの兄弟と戦ったのだ
明治になってからも容保候や定敬は実家である高須家と付き合いがあったらしい。高須14代藩主義生の日記に二人の名前が結構出てくるという。
ともにあの時代をすごした慶勝とはどうだったのかな?
*会津が篭城を決めた時、定敬は米沢へ援軍を求めに走った。
ようやくたどりついた米沢で義弟の茂慶は面会を拒む。このとき既に恭順を決めていたからだ。
ここでも兄妹で敵味方になってしまった


