身の丈に成長ブログ
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おはようございます!!!今日は”論語シリーズ”です。はるか2000年以上も昔、孔子から曾子(そうし)へ、曾子から子思子(ししし)へ、子思子から孟子へ、この方々が僕たち東北アジア人の、情深くてあたたかい精神基盤を築いてくださいました。儒教は、のちに”武士道”の、道徳的な精神基盤にもなりました。ですので、”日本人であるなら、『論語』、そして儒教について学ぶべきだ”と、僕は強く思うのです。そして、『論語』を学ぶということは、必ずビジネスの成果にも直結します。ということで、僕のブログでは、孔子の『論語』を定期的にご紹介しています!今日のキーワードは、”本当の恥とは?”です。子曰く、【訳】(先生がおっしゃいました。)士(教養人)、道を志して、【訳】(道徳の道を志す士人が、)悪衣悪食を恥ずる者は、【訳】(そまつな衣服と食事を恥ずかしく思うのは、)未だともにはかるに足らず。【訳】(ともに語るには足りないね) 『里仁篇』(貝塚茂樹さんの意訳を参考にしてます)僕は思います。孔子という人は、とっても人間味あふれる人だから、「悪衣悪食は、誰でも恥ずかしいと思う」ということは、百も承知だと思います。ただ、本気で”道”を志す者とは、その”高い壁”を乗り越えることができるものなんだ!ということを言われているのだと思います。今の資本主義社会と違って、孔子の時代は、” 正しい生き方では富を得られなかった時代 ”です。だから今回の会話なんかは、孔子は、肩をそびやかして、自分に言い聞かせるような言い方をされたんじゃないかなと思います(^_^.)孔子って、そういう人なんです。イエスさまやお釈迦さまとは、全然違います。もっともっと人間くさいんです。冗談を言って、弟子(特に子路)をからかったり、間違いを指摘されて反省したり、感謝したり・・。ときには今回みたいに、大みえを切ってうそぶいたり・・。そういう、弟子たちとのほほえましい会話の息吹が感じ取れる、『論語』という書物が、僕はとっても好きなんです。『論語』を読んでいたら、なぜ孔子が日本人の精神基盤になったのかがよく分かります(^_^.)僕たちの先生にぴったりの人なんです。富や名声に心が”ゆらゆら”しながらも、道徳という道、” 仁 ”という道を、生涯を通じて歩み続けていかれた孔先生を、ほんとに偉大な人だなあって、僕はしみじみと思います。峰松大介
2006年07月21日
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