国分寺で太宰を読む会

国分寺で太宰を読む会

生誕100年記念

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この休業中に、決定版・太宰治全集1・初期作品(筑摩書房)の巻末で、大高勝次郎の太宰治の「弘高時代」のことを書いたものを読みました。若き日の太宰治の姿がわかりまして、私には大変興味深いものでした。全文は書ききれないのですが、最後の部分を少しだけ紹介しておきます。

津島は傲慢な人であった。家門と英才の誇りに加えて、芸術至上主義的な考え方がそうさせるのである。彼は中小地主や小ブルジョワの子弟はどは、鼻であしらった。同級、同期の生徒の大部分は、彼にとって取るに足らぬものであった。「見渡した所、大した奴もいないなあ。」彼は吐き出すように言った。いわんや生きることに汲々として俗事に日を送っている下層階級の者や、無教養の徒は、彼にとっては何の為に生きているのかわからぬ獣のような輩にすぎなかった。彼は貴族であり、彼等は賤民なのである。この考え方は、彼の生涯にわたって終に微動だにもしなかった。

一面彼は含羞の人であり照れ屋であった。はにかみを彼は人間の重要な徳性の一つと考えたが、これは彼の傲慢さと何等矛盾するものではないのである。大地主の子として常に衆人の讃美と羨望の中で育った彼が、幼い頃から含羞の癖を植え付けられたことは当然のことである。傲慢と含羞は楯の両面にすぎない。

だが彼の道化や、饒舌や、歓待や、饗応が人に対するサービスの精神に由来することはわかるとしても、それが人間恐怖から出発していることを彼の作品によって知った事は、私には一つの驚きであった。思うに格別敏感多感な彼は、人の嘘や偽善、自我、動物的な生活力、圧迫感等に耐えきれぬところから、幼くして早くも人間恐怖の心情に獲り憑かれたのであろう。女中や叔母などによって甘やかされて育ち、努めずして、凡ゆる欲求や贅沢を満たされた彼は、些少な利害のために血眼になって争う人間の醜さに、耐えられなかったのであろう。家長父のお叱りごとにも鬼に対する如き恐怖を感じた程、脆弱な彼が、人間恐怖に陥ったのは自然なことであろう。この故に彼の道化は、怖れる人間に対するご機嫌取りであり、サービスなのである。酒、女、遊びもまた、恐るべき人間からの逃避であり、脆弱な自己からの逃避なのである。

だが道化も、酒も遊びも、余りにも空しい遊戯にすぎない。空しいことを知りながら、彼はしかし、それに走らざるをえない。ここに彼の苦悩があり、宿命、宿業があった。

ある日、彼は教室で私に言うのであった。
「大川端、道化にやつれ、幇間のう・・・」
 彼はこの句は、蕪村の句であるという。当時の私にはこの句の境地は全く理解できなかった。彼は味気のない顔をした。幇間だの芸妓だのというものに私は全く興味も同情も抱くことが出来なかった。だが彼は心底からの寂しそうな顔で、この句の無限の寂寥を私に理解させようと、繰り返し、それを詔するのであった。

「大川端、道化にやつれ幇間のう」「幇間の道化にやつれかや・・・」

 道化にやつれた幇間・・・・。それは畢竟彼自身の姿であった。数え年十九歳の彼は、すでに老年の幇間に似ていたのだ。

大高勝次郎「弘高時代」より



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