ゆっぴぃのおうち

アメリカ道中記(2004.10.9~2004.10.16)



 わたくしども のんた、きょんた夫婦、10月9日から16日の8日間、アメリカ東海岸のワシントンD.C.とニューヨーク(NYC)に行って参りました。
道中の様子など記してみたいと思います。
えらく長くなると思いますので、気の向くとき、気の向くとこだけ読んでやって下さいませ。_(_^_)_

【DAY0】
 旅行に向けてわくわくするはずの7日、8日は、とてもストレスのたまる日々でした。
原因は台風22号。
7日までの進路予想では9日に中国地方を直撃。
9日朝に広島-成田のフライトを予約してたので、気が気ではありません。
アメリカに行けなくなったり、スケジュールが大幅に変わるのは嫌だから、台風が直撃しそうだったら、8日の仕事の後新幹線で東京に行きホテルに泊まろうと、2人で真剣に計画していました(-"-)
7日夜は、8日夕方に直接旅行に行く場合に備えて荷造り。
もしもの場合は父に広島駅まで持って来てもらえる様に、車のトランクに入れさせてもらいました。
8日の日中は仕事の合間に気象庁のHPをチェックしてました。
 幸い台風は予想よりスピードが遅く、進路も東にそれたので、9日の飛行機に乗ることにしました。(@_@;)

【DAY1】
 9日朝は広島空港から無事出発できました。成田までは50人乗りの小さなジェット機(CRJ)で、高度もジャンボとかより低かったけど、静岡上空では沖合いに雲の層が幾重にも連なっているのが見えました。
成田到着後、国際線の待合室でテレビを見ていると、台風は伊豆半島に接近中。
千葉県内でも列車の運行が止まり始め、ユナイテッドは午後のフライトをキャンセル。
どうなることかと思いましたが、幸い滑り込みでアメリカへ向けて離陸。
鹿島灘が窓に小さくなる頃、ようやくホッと息をつけました。(^・^) 
 成田からワシントンのダレス空港までは約13時間。B777の機内では、ほとんど寝ないで映画(スパイダーマン2など)を見てました。
夜が明ける頃ミネソタ(アメリカ北部)に突入。五大湖上空を南下して、定刻の10時45分にはワシントンに着きました。ヽ(^o^)丿
 パッケージツアーだったので、着くと半日観光がありました。
バンに乗って目的地についたらガイドさんについてゾロゾロっていうのを想像して、いやだなぁって思ってたら、なんと2人だけでリムジンに乗っての観光でした!案内してくれたのは日系(?)のRichardさん。
アーリントン墓地(JFKのお墓参りをしました)、リンカーン記念館、航空宇宙博物館、議事堂と案内してもらいました。
楽しんだものの、4時頃にホテル(ルネッサンス・メイフラワー)に送ってもらったら、時差ボケで眠くて眠くて、2人とも即ベッド行きでした。(=_=)
それでも、ちゃんとした昼食をとってなかった私達、7時には頑張って起きて、近くのシーフードレストランに食事に行きました。

≪Security matters, matters a lot!≫
ワシントンでは"Homeland Security(本土防衛局)というワッペンを付けた入国係官に迎えられました。
以前はImmigration office(移民局)だったと思うのですが・・・。
そして話に聞いていたとはいうものの、指紋採取と顔写真の撮影。
今月から仕事が増えたからか無愛想な係官(雑談とか全くなし)に言われるまま、右手人差し指を出して、左手人差し指を出して、写真を撮られて。犯罪者になったみたいで気持ちのいいものではありませんでした。
今回、アメリカ国内では至るところに金属探知機とX線検査装置が据え付けられていて、空港はもちろん、博物館や美術館に入るにも、国会議事堂に入るにも、自由の女神行きフェリーに乗るにも、エンパイヤステートビルに登るにも、全て行列にならんでセキュリテイゲートを通る必要がありました。
昔は空港、ホワイトハウス、そして国連本部だけだったのに。
安全のため進入禁止になった道路、自爆トラックよけ(?)のコンクリートブロックも多かったです。
 まんまと空港のセキュリティチェックをすり抜けたテロリストにしてやられた、あの事件が契機とは思うのですが、これで本当に「世界はより安全な場所になった」のでしょうか?マイケル・ムーアおじさんが言う様に9・11でおいしい目をみたのは、防衛基準(DefCon)を上げ下げして国民の関心を引いている、あの二世大統領なのでは?(?_?)
そういえば本番3週間前の大統領選、テレビには2候補はもちろん、ローラ・ブッシュ(Larry King Live)、マイケル・ムーア(Real Timewith Bill Maher)、ドナルド・ラムズフェルド(Late Show with David Letterman)などなど出ていて面白かったです。
あいにく最後のディベートは出かけていて見られなかったのですが。
ところで、わが母校アイオワ大ビジネススクールでは大統領選などの先物(要は、どちらが勝つかの賭けです)を扱うことで知られるIowa Electronic Markets ってのをやってます。
http://www.biz.uiowa.edu/iem/
在学中の92年大統領選(クリントンv.s.パパブッシュ)が始まりだったのですが、いまやグーグルやマイクロソフトの株価、FRBの金利政策なんてのも賭博(?)の対象にしてしまってメディアに取り上げられてます。
興味のある方は覗いてみて下さい。


【DAY2】
 翌10日はスミソニアン博物館・美術館群巡りが目的。
日本晴れのもと、朝9時にホテルを出て、先ずはホワイトハウスに行きました。
9・11以来内部見学ツアーが無くなってしまったので、玄関側のフェンス前で記念撮影。
うちの奥さんはテレビ中継でよく使われる裏庭側が"表"だと言い張るんですが、実際どうなんでしょう?
その後、アメリカ歴史博物館に立ち寄って(車やコンピューターの歴史が面白かったです)国会議事堂に向かいました。
議事堂内の見学ツアーがあると聞いていたので、警備していた警官にどこに行ったらいいか尋ねたところ、当日は日曜日でツアーはやっていないとのこと。
でも上院のセッションをやっていて、それならば見学できるということなので、教えられた入り口に行きました。
パスポートを提示し、手荷物とボディチェックを受け、外国人用ビジターパスをもらっていよいよ議事堂内へ。
中でも2度のセキュリティチェックがあって、ようやく議会を見学できました。
女性議員が福祉予算を要求しているところでしたが、全ての机に配布された高さ40cmはあろうかという書類の山が圧巻でした。\(◎o◎)/!
 次はワシントン・モニュメント(街の中央にある方尖塔)に登ろうとしたのですが、工事中のフェンスが張り巡らしてあって入れませんでした。
来年春まで改築工事中との張り紙がしてあり、後で新聞で知ったところでは、これも警備用の施設を作るための工事ということでした。(=_=)
 午後は、初めてのホロコースト(大量虐殺)記念博物館へ。
11歳でゲットーそして強制収容所に入った少年の日記、収容所で使われていた食器や衣類、被害者達のピンナップ、そして残された無数の靴や髪。
あまりの現実に押しつぶされそうで、何故?何故?という思いばかりが駆け巡った2時間でした。
 夕方は気分を変えて国立美術館へ。
モネ、ルノアールなどのおなじみの作品に心洗われるひとときを過ごしました。
最後はホワイトハウスの"表"で写真を撮って帰路へ。
晩ご飯は人気のお店に行ってみたのですが2時間待ちとのこと(予約しとけよって感じですが)。
あきらめてホテル近くのステーキハウスに行ったら、ウェイターがお肉のサンプルを持ってきてメニュー・プレゼンテーションをする様な、えらい格調高いお店でした。
安めのグラスワイン、シーザーサラダとシングルカット(少なめ)のフィレ・ミニョンだけにしましたが、それでも2人で$140なりでした。(;一_一) 歩き回ってくたくたになった1日でした。


【DAY3】
 11日の月曜日、日本は体育の日ですが、ここアメリカはコロンバス・デーでした。
コロンブスの新大陸発見を祝う日なのですが、熱狂的に祝うイタリア系アメリカ人から冷め切ってるネイティブ・アメリカンまで、ずいぶん温度差のある祝日の様です。
この日はアムトラック(特急列車)でニューヨークへの移動でした。
出発するワシントンのユニオンステーション前にはコロンブス像があって、セレモニーが行われるらしく準備が進められていました。
 アムトラックは10時にワシントンを出発し、12:50にニューヨーク着の予定です。
途中、大きな池や紅葉の美しい森、クライスラーの工場や空軍基地、そしてバルチモアやフィラデルフィアの街並みと、バラエティに富んだ景色を楽しめました。
しかし、奥さんは前日の疲れでダウンしてて、お昼ご飯のau bon painのパン(お勧めです!)も少ししか手をつけませんでした。(・_・;)
 ニューヨークのペンシルバニアステーションには予定より15分くらい遅れて着きました。
旅行会社の現地係員がホームまで出迎える予定だったのですが、到着から20分以上たっても来ないのでオフィスに電話しようと番号を調べていたら、やっと現れました。
なんでも駅の到着予定を示すモニターの表示が消えてしまって、駅員に聞いても状況が把握できなかったとか。
とにもかくにも、なんとか2時頃ホテルにチェックイン。
ホテルはタイムズスクエアから少し西に入ったウェスティン・ホテルで、ハドソン川を臨む29階の部屋は、なかなか快適でした。
すぐ眼下には何度も利用したグレイハウンドの着くポート・オーソリティ・バス・ターミナルがあって、色々と昔を思い出していました。(^^ゞ
 夕方からは徒歩でタイムズスクエア、ラジオシティ、ロックフェラー・センター、セント・パトリック教会、グランドセントラル駅と観光しました。
途中、本屋やGAPで買い物をしたのですが、ディスカバリー・チャンネルの店で売っていたロボット(かなり欲しかった)は奥様のお許しがでませんでた。(>_<)
 7時頃ホテルに戻り、夕食に向かった先はYOSHINOYA!
店員は人の言うことをよく聞かないヒスパニック系だし、店内で食べるのに
発泡スチロールの容器と割り箸だったのですが、味はちゃんとあの"吉野家の牛丼"でした。
$3.99でかなり得した気分になれた"ディナー"でした。ヽ(^。^)ノ

≪Who's your daddy?≫
 われらが松井の所属するニューヨーク・ヤンキースは、10日にミネソタ・ツインズとの地区シリーズ(プレーオフ)に勝って優勝決定シリーズへの進出を決めていました。
NYに着くと、12日からの優勝決定シリーズのチケットが手に入らないかと、旅行会社のツアーデスクに電話したり、ミッドタウンのヤンキース・クラブオフィスに行ったりしてました。
(ネット予約という手もあったのですが、ネットカフェのパソコンにクレジットカード情報を打ち込むのは怖かったので)。
しかし現実は、ぽっと来た「外国人旅行客」がチケットを取れるほど甘くはありませんでした。(T_T)
 このときヤンキース・クラブオフィスの入り口近くで売られていたのが"Hey, RedSox! Who's your daddy?(おい、レッドソックス! お前のパパは誰だい?)"と書かれたTシャツ。
ご丁寧にヤンキースのロゴ入りおしゃぶりも横に描いてありました。
レッドソックスとは、もちろん優い勝決定シリーズ対戦相手ボストン・レッドソックスのこと。
9月24日の試合でヤンキースにノックアウトされた、レッドソックスの豪腕ピッチャー ペドロ・マルチネスが「彼ら(ヤンキース)だけはいくら好投しても勝てない。
イライラして仕方ない。帽子をとって『パパ』と呼びかけるだけだ」と敗北宣言したのを揶揄したものなんです。
ボストンに3年住み、レッドソックスにも少なからぬ愛着のある のんた、ムッとしてオフィスを出たのですが、後の報道によると、さすがに”やり過ぎ”と反省したヤンキース側はこのTシャツを販売中止にして回収したそうです。
それでも13日にヤンキーススタジアムでマルチネスが登板した時は"Who-your-daddy? Who-your-daddy?"コールの嵐だったとか。
まったく小学生のイジメじゃないんだから。(-。-)y-゜゜゜
 子供っぽいといえば、以前から子供ぽっかったアメリカの車も、いかついGMCトラック(キャニオン)からキュートなジープ(リバティ)まで、ますますオモチャっぽくなっていました。
(Miniに乗っているわたくし、笑えた義理ではありませんが)
アメリカは開拓の父祖という「大人」たちの作った、その「子供」たちの住む国というのが、個人的に持っている印象です。
アメリカ人は良くも(人間の良識を信じ、理想を追い求める)、悪くも(その理想が実現しないのは「邪悪な勢力」のせいだと決めつける)ナイーヴだと思うのですが、どうでしょう?


【DAY4】
 ニューヨーク2日目の12日は、「ニューヨークに来たからは」ということで、自由の女神を見に行きました。
1番の地下鉄でSouthFerry駅まで行って、女神のあるリバティアイランドに渡るフェリーの乗り場へ。
ここも、昔は切符を買って桟橋に並ぶだけで良かったのですが、今回はテントの中に設けられたセキュリティーゲートの行列に並んでから、でした。
フェリーのデッキから見るロウアーマンハッタン、美しかったのですが、以前は圧倒的な存在感を誇っていたツインタワーが消えていて、「あのテレビのなかの出来事は、フィクションじゃなかったんだ」とあらためて思い知らされました。
 以前は冠まで登ることが出来た自由の女神、今はガイド付ツアーに参加した人が台座部分まで行けるだけです。
私達は"prome-nade only"のチケットにしたので、女神の足元をぐるっとまわって記念撮影しました。
約1時間島に滞在した後は、隣のエリス島にある移民博物館へ。
19世紀から20世紀にかけて何百万の移民を受け入れた旧移民局を改造した博物館で、移民たちの残したパスポート、旅客船のチケット、写真、荷物などなど見学しました。
自由の女神へのフェリーが必ず立ち寄るこのエリス島、日本人観光客は降り
ない人が大多数なのですが、プリマス・ロックと並んでアメリカの原点ともいえる場所なので、ぜひ見てもらいたいものです。
 フェリーでマンハッタンに戻ってからは歩いてウォール・ストリートへ。ニューヨーク証券取引所も、角々に警官が立ち、バリカードが張り巡らされて警備が厳重でした。
9・11以前はガラス越しに立会所を見られたので、個人投資家の端くれとして、見学できるものならば見学したかったのですが。
それからスタバで一服してグラウンド・ゼロに行きました。
 心の準備は出来ていたつもりでした。
でも、過去に3回ニューヨークに来たときは、青い空に届かんばかりの白い巨塔と、誇らしげに出入りする証券アナリスト達(quants)に迎えられていただけに、そこが何もない工事現場になっているというのは、すぐには受け入ることが出来ない現実でした。
塀には犠牲者全員の名前、世界貿易センターを含めた金融街の歴史を示す資料、そしてグラウンド・ゼロ復興計画の青写真が展示されていました。
13年前に、地上417mの風、足元の自由の女神やブルックリン橋を楽しんだTower2の屋上展望台は、もう手の届かない上空になっていました。
 しばらくグラウンド・ゼロに佇んだ後、サウス・ストリート・シーポートに向かいました。
イーストリバー沿いのブルクッリン橋を臨むショッピングモールです。
ここに来た目的は、アメリカ在住時に大好きだったピッツエリアUNO。
旅行ガイドとかには載ってなかったので、ニューヨークに着いてから電話帳で探しました。(^^ゞ
普段は薄焼きピザが好きな奥さんも、UNOのDeep Dish Pizzaを気に入ってくれ、マンハッタン南部の桟橋と高層ビルが並ぶ眺望と合わせて楽しみました。
 その後、フルトンストリートの駅から地下鉄に乗ってソーホーへ。
日が暮れるまでブティックや家具屋さんでウィンドウショッピングを楽しみました。
日が落ちてから再び地下鉄に乗ってエンパイヤ・ステート・ビルへ。
またまたボディチェックでさんざん待たされましたが、マンハッタンの夜景をしっかり堪能しました。
ついでにSky Rideというニューヨーク上空を飛ぶ体験型アトラクションも楽しみました。
(乗り物に弱いうちの奥さんはゲロゲロだったみたいです。(>_<))
ワシントンに続く強行軍でダウンしてしまった奥さん、夕食は私が近くのデリでサンドイッチとかキッシュを買って来て、ホテルでとりました。

【DAY5】
 前日の強行スケジュールを反省して13日はゆったりめです。
朝はCross Townのバスで国連本部へ。約2時間のツアーに参加して、安全保障理事会、総会、特別委員会などの部屋を見学させてもらいました。
加盟各国からの豪華な寄贈品の数々も素晴らしかったです。
ツアーの後は地下のギフトショップ、カフェでゆっくりしました。
 その後バス、地下鉄を乗り継いで、セントラルパーク東側のマジソン街へ。
ウィンドウショッピングをしながら、奥様リクエストの日本食レストランに行きました。
「池の華」というお店で私はテンプラを、奥さんはお寿司を食べたのですが、味、値段、スタッフとも◎でした。(^^)
 食後はセントラルパークへ。公園内をゆっくり散策し、動物園のアシカショーなどを楽しみました。
その後、ミュージカルの半額チケットをゲットするため、タイムズスクエアのtkts(チケッツ)へ地下鉄で向かいました。
 tktsは約30分待ち。第一希望の「シカゴ」は売ってなかったのですが、第二希望の「オペラ座の怪人」を買うことができました。
カードで買うつもりでいたら、キャッシュじゃないといけないことが直前にわかり、かなりあせった私です。(^_^;) 
その後いったんホテルに帰り、夕食をとってから、8時からの公演に行きました。
 「オペラ座の怪人」、ロングランの16年目で、今さらの感もあったのですが良かったです。
小説にインスパイアされた作品だけあってストーリーも面白いし、照明や火薬類を使った視覚効果、オペラ顔負けの歌唱などなど、さすがブロードウェイ!と思わずにはいられませんでした。
カーテンコールで「怪人」が再登場したときには、会場中総立ちで拍手喝さいでした。ヽ(^。^)ノ 
日本に帰ってきてからもレジェンドのTVCFでテーマ曲が流れるし、今度映画化されるらしいなど、なにかにつけて思い出してしまう私達です。


【DAY6】
 最後のNY散策になる14日、ニューヨークは1ヶ月ぶりという雨でした。
まずは地下鉄のL列車、4番線を乗り継いでメトロポリタン美術館へ。
お昼までは2階でヨーロッパ絵画、アメリカ絵画、古代中近東美術、楽器、家具などなど見ていました。
休みなしに午後は1階でお目当てのエジプト美術の他、ギリシャ・ローマ美術、ヨーロッパ彫刻などを見ました。
絵画はゴッホ、ダリ、セザンヌ、ルノアール、モネといった巨匠の作品を目の前に出来て感激しましたが、それ以上に印象深かったのはエジプト、中近東などの古代美術でした。
3千年、4千年前の、はるか昔に作者は土に返っている作品が、大西洋を渡ってアメリカに運ばれ、それを太平洋を渡った自分が見ている不思議、人間の営みのスケールの大きさを感じずにはいられませんでした。
 3時過ぎに美術館を出て、バスでマジソン街行き、昼食をとりました。
きのうに続いてマジソン街のDKNY、カルバン・クラインなどの本店でウィンドウショッピングを楽しみ、引き続き5番街へ。
バーニーズ・ニューヨーク、ティファニー本店、ディズニー・ストア、サックス・フィフスアベニューなどなど、しっかり目の保養をしてきました。(^O^)

≪Money talks≫
 総額いくらになるのか、庶民には見当もかないメトロポリタン美術館のコレクションですが、これらが今日あるのはジョン・ピエールポント・モーガンやロックフェラーといった富豪の寄贈や資金援助のお陰だそうです。
モーガンは金融資本の支配者として独占資本に積極的に融資することで富を蓄え、ロックフェラーはスタンダード石油を設立して掘削から小売までの石油産業をすべて抑えることで成功し、強奪貴族とも呼ばれた人たちですが、こうした成功者が社会に惜しみなく還元するところに、アメリカの強さがある様に思います。
 いまや市場が成熟し、EUやBRICsが台頭して、これからは力をすり減らしていくだけの様に見えるアメリカですが、今日アメリカではNPOが国民資産の1割をもっていて、その規模は世界各国の国家予算にあてはめると8番目の規模だとか。
それだけのお金が教育、医療、文化、国際援助などに使われいる様を見るにつけ、「アメリカ、恐るべし」と思ってしまいます。
 アメリカ滞在中、ニューヨーク市場は雇用統計(8日発表)の悪化、原油の一段高、保険業界のスキャンダルなど悪材料が並び、100ドル以上下げて1万ドルの大台を割り込みました。ひきずられて日経平均も11,300円台から10,800円台へ大幅下落。(T_T)
旅行前にポジションを8銘柄から4銘柄に落としておいた のんた ですが、タイムズスクエアの株価ボードを見ながら東京市場が気になって仕方ありませんでした(西武、ダイエーの騒動は、帰りの飛行機で知りました)。
モーガンやロックフェラー、カーネギーなどに比べれば、けし粒程の投資しかしてない私ですが、彼らに負けない様、せめて社会的責任のある投資(SRI)にはいそしみたいと思った次第でありんす。!(^^)!


【DAY7&8】
15日はいよいよ日本へ帰る日です。
朝6時半に起きて荷造りし、8時過ぎにロビーでピックアップしてくれる旅行会社の係員を待ちました。
バンに乗り、もう2つほどホテルを回った後、車はクイーンズ・ミッドタウン・トンネルを抜けてJFK空港に向かうロングアイランド高速へ。
空港には40分ほどで着きました。
12:15の出発までは、かなりの時間があったので、コーヒーショップで食事をして、ご多分に漏れず免税店でのショッピングにいそしんだ のんた、きょんた夫婦でありました。
 日本へ向かうB747は定刻に出発。日本へ戻るフライトはずっと昼間なのですが、あいにくの天気で窓の外は雲ばかり(それでも美しいカンディアン・ロッキーが雲の上に顔を出していました)。
というわけで、帰りも映画三昧(トロイ、ハリーポッター3など)でした。
最近の国際線は1人1人にディスプレイがあって、好きなときに映画をスタートできる(VOD)ので、とても助かります。>^_^<
トム・ハンクス主演の「ターミナル」も見られたのですが、12月の日本公開時に劇場で見ようと思ってるので、機内では見ないようにしてました。
JFK空港が舞台とのことなので、公開が楽しみです。
 向かい風で予定より30分ほど遅れたものの、16日の午後3時前には犬吠埼が見えてきました。
飛行機はその後大きく右へ旋回し、九十九里浜から日本国内へ。
陸地が見えてから成田に着くまでは、あっという間でした。
成田からは19時の広島行きへの飛行機へ乗り継ぎだったので、それまではターミナル内で食事をしたり、ぼーっとしたりしてました。(-_-)zzz
 広島までは行きと同じ小型機(CRS)で、東京や名古屋の夜景がとてもキレイでした。
広島空港から広島駅はリムジンバス、広島駅には親に迎えに来てもらい、家に着いたのは10時過ぎでした。
実家に預かってもらってた愛犬ノエルが、シッポもちぎれんばかりの大歓迎をしてくれました。(^○^)

≪The Day After≫
 週末の朝8時前、ノエルを連れて散歩していると、広島市上空を西から東へ一直線に飛ぶ飛行機(MD-81)があります。
福岡から名古屋への一番機でしょうか?青い空に映える白く、誇らしげな機体を見ていると、またどこかに行きたいなーと思ってしまいます。 

 そういえば、エリス島の移民博物館で、インドから移民してきた11歳の少年の こんな作文を見ました。

 お父さんとお母さんとアメリカに来た。この国はビルも車もいっぱいある。
この国には、みんな幸せになりに来るんだと思った。僕も幸せになろうと思った。 
ぼくはこの頃、サンスクリット語を少ししか話さなくなって、英語が上手になった。
インドの夢もあまりみなくなった、でも僕は幸せだ。アメリカに来て、ほんとうに良かった。 

 私の小学4年生になる甥っ子も留学を目指して(?)、先週末に英検4級を受けていました。
このところ、特に9・11以降は変化が目まぐるしく、時として”アメリカらしさ”を失った様にも見えるアメリカ合衆国ですが、これからも子供たちの憧れの国であり続けてもらいたいものです。(-人-)


 -完-  長々とお付き合い、ありがとうございました。_(_^_)_


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