流産

2001 流産


2001年
~9月8日~<次の日から5週目に入る時>

朝起きると少しだけ茶色の出血

心配なので病院へ・・・・

内診では「大丈夫」って先生が言ってくれるが、
まだ、胎嚢が見えない。

一安心もつかの間

血液検査でホルモンの数値が200という低さ。

「もしかして、子宮外かも知れない」との宣告
「え?」一瞬凍りつく
「もう少し様子をみましょう。」
その日の診察は終わり。


すぐに夫に電話。「子宮外かもしれん・・・」
「すぐに迎えに来て!」

夫が迎えに来るまではこらえていた涙が、夫の姿を見たとたんに
あふれてきて止まらなかった。

「また、次ぎ頑張ろう。」夫の精一杯の言葉でまた、号泣。

~9月12日~<5週目>

内診、エコー、普通だとこの辺で胎嚢が確認されるそうだが、何も写らない。
採血・・・・数値がさらに低くなる。

治療費>>>¥4740-

~9月13日~

 夜、出血(茶色)

~9月14日~

 朝、出血(茶色)
 病院へ・・・・・
 やはり、エコーで影すら写らない。

 この時点で見えなければほぼ妊娠継続は不可能みたい。

 大きな病院への紹介状を書いていただいた。

~9月17日~

 紹介先の病院へ、すぐにでも入院して処置をしたいけれど、
ベットが満床で、無理。

 「今まで行っていたクリニックで、除去手術だけでもしてもらってみては?」
という事で、電話で相談。

 手術は出来るのでとりあえず、明日来てくださいとのこと。
 どたばたしたが結局、元のクリニックへ

~9月18日~<流産の手術>

前の日には、すぐには手術は出来ないと言うことだったけど、
今日診察に行くと、「今日にでもしましょうか?」という事だったので
昼から早速、手術をしてもらう事に。

一応麻酔はしたけど、あまり効かなくって
意識がハッキリしていて
掻き出しているのもわかった。

とても、痛かった。

あまり、痛いなんて口にしない方だけど、
この時は、もう痛いのと悲しいのとで「痛い痛い」と連発していた。

終わる頃に麻酔が効いていたのか、気がつくとベットに寝ていた。

5週という短い間だったけど、
ほんの少し勇気と希望をくれた、小さな天使に感謝します。
必ず戻ってきてね・・・・

この後、数回診察、子宮外妊娠の可能性はゼロ。
初期の流産という事でした。

子宮を元の状態に戻すためにも、数ヶ月は何もしないことに。

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