yuuの一人芝居

yuuの一人芝居

小説 となり


となり            今田東

 五月晴れの日。
 空き屋になって久しかった隣家に、中年の夫婦が引っ越してきた。
 引っ越しセンターの車から荷物を家の中に運び込んでいるらしい人のざわめきが伝わってきていた。それを庭で見ていたらし育子が書斎の窓を開けて本を読んでいる夫の逢沢に、
「今日のような日を、引っ越し日和と言うのね」
 と声をかけた。
 逢沢は本を机の上に置いて、様子を窺うように椅子を立って窓から顔を覗けた。
「じろじろ見ては失礼よ」
「お前さんだって」
 逢沢は四十七歳、育子は四十四歳の壮年の夫婦であった。結婚して二十年が経っていたが、子供に恵まれなかった。
「おとなりも子供がいないみたい」
 じろじろと見ていないわりに育子は詳しかった。逢沢は育子を笑顔で見た。それは咎めているものではなかった
「だって、荷物がないもの。子供の荷物がないのよ」
 育子は逢沢に言い訳をした。
「気になるのだったら、隣のよしみだ。手伝ってこいよ」
 逢沢はそう言って机に戻り、読みかけの本を手にした。
「そこまで出しゃばりではありません」
 育子の少し甲高い声が聞こえてきたが、庭から消える気配がした。
 陽射しは書斎までとどいて立ち昇る埃を白く浮き立たせていた。その埃は隣から飛んでくるものだろうか、風が書斎の床に沈んでいた埃を舞い上げているのだろうか、逢沢は眼の端で捉えてそう思った。

 逢沢夫妻の住む団地は、十年前に山を削り取り造成され、南向きの陽当たり良い場所にあった。O市とK市のほぼ中間にあって交通の便も良かった。新しい家を建ててここに引っ越して来てもう八年になっていた。逢沢夫妻の家は団地の一番高いところの東端にあった。越して来た当時は西隣に老夫婦がこぢんまりとした家を構えて住んでいた。その外の敷地には草が背丈ほども繁っていた。今日のような暖かい日和の日には、老夫婦が庭に出て盆栽の手入れやら、雑草をむしっていた。その風景はこころ暖まるほのぼのとしたもので老後を楽しむ和やかな姿として映り、逢沢をほっとさせてくれるものであった。老夫が病に倒れ、一年間の闘病生活をするうちに庭や家は見る見るうちに荒れすさび、名前も分からぬ草の群れに覆われていった。老婦が付き添い家に帰れなかったからだ。逢沢夫妻も一度見舞ったが、その時はまだベツドに縛り付けられていた。何でも若い頃に痛めた脊髄の骨がずれていて、首から腰までギブスをしていると言う事だった。経済的な理由からか退院してすぐに引っ越していった。挨拶に来たときにどちらに引っ越すのですかと尋ねると東京の息子の所だと言ったのだった。だが、どうもそれは偽りであったようで、逢沢の友人の医者が訪ねてきた時に、老夫婦は市の老人ホームへ入っているのを見たと言った。それから、隣は無人の家になり、雨戸は閉ざされ、壁のペンキは風雨に洗われて色を失い、庭は一階を隠すほどに成長した草に埋もれ侘しい物に変わった。
 景気が悪いのか、この高台に人気がないのか、その後、逢沢の家の並びに家を建てる人はなく、逢沢の家と隣の空き家がぽつんと建っていると言う年月がもう五年も続いていたのだ。
 隣に人の住まない家があると言う事が、どんなに不気味であり、寂しいかをこの五年間味わったのだ。夜になっても、窓には灯りがともらないし、物音一つしないのだ。音は風の音と、風が戸を打つ音であり、小鳥の囀りだけであった。人が造る音や匂いや色がないことがどれほど心の平穏を乱すか知れないことを知らされた。とくに、月の出た夜など、大きく影を横たえた。それは得態の知れない生き物のように思えるのだった。
 数日前に、隣で人の声がしていた。沢山の人達が来て、草を刈って燃やしたり、釘を打つ音がしたり、ペンキを吹くコンプレッサーの音がした。人が住める空間を造っていたのだった。その日から育子は心待ちにしていたらしい。この五年間は仙人のような暮らしをしていたことになるのだ。
 逢沢が遅く帰ると、育子が応接間のステレオのボリュームの音を一杯に上げてベートゥベンを聞きながら震えていることがあった。
「夜は一人にしないで」
 そう言って幼児のようにしがみついてきたものだ。
 逢沢は普通の勤め人ではなかった。家から対面の山の頂上にある女子短大の講師をしていたから、毎日毎日通うこともなかった。講義のある日だけ赴けばよかった。その後の時間は家にいて、専門分野である民話の研究をしていればよかった。一方の育子は童話作家としてこの地方ではある程度名が広まっていた。東京の出版社から十数冊の本を発行していた。が、それほど忙しくはなく、逢沢の研究を手伝っている方が多かった。二人で採話旅行に行ったり、持ち帰った採話のテープを原稿に起こしたり、分類整理をしたりの日々を送っていた。
 逢沢夫妻の生活は、育子が教員を辞めた退職金と僅かの原稿料と印税。逢沢の俸給と民話の原稿料と印税で賄われていたから、慎ましいものであった。逢沢は酒を嗜むでもなく、煙草一日に十本ていど煙にした。夫妻は全く金に執着はしていなかった。採話の旅の帰りに洒落たフランス料理の店に立ち寄るのがただ一つの贅沢であった。子供のいない夫妻は自由気侭に暮らし、静かにひそやかに生活していると言える。
「今日から一軒家ではなくなるわ」
 育子が小鼻を広げて言った。育子は家事が一段落したのか、書斎に入ってきていた。そして、テーブルの上のカセットを回しながら原稿用紙に向かおうとしていた。
「それだけ煩わしくなるぞ」
 逢沢は喜喜としている育子と気持ちの上では同調しながらも危惧を口にした。
「昨日よりはよくなるわよ。お隣に誰かが住んでいるのだと思うと安心よ」
「いい人達であるといいね」
 逢沢は煙草を吹かしながら言った。
「それだけが心配。でも、さっき御主人らしい人を見掛けたけれど、温和しそうな人に見えたわ。あなたより少し年が上かしらね」
 育子は多弁になっている。隣家の窓に灯りが点くと思うと、それだけでも心が浮き立つのだろう。その気持ちは逢沢にもあることなので良く分かる。
「どうして?」
「あのね、毛がないの」
「どこの」
「なにを考えているの、無論頭よ。つまり、頭が禿げているの。額が広いとも言えるわ」
 育子はそう言って、手を口にあてて笑いを隠した。
「そんな言い方ってないぞ」
「だって、本当なのだもの。今、若白髪と若禿が多いって本当なのね」
「私のことか」
 逢沢は最近になって白髪が多くなっていた。
「ああ・・・」
 育子は眼白黒させていたが、
「あなたは七分三分で黒の勝ち」
 とおどけてみせた。
 逢沢夫妻はたわいない会話を進めていた。せめて子供でもいたら、話の内容は大幅に代わり、泣いたり笑ったりする声がその中に混じっていただろうが。
「ところで急に思いついたのだが、明日から少し足を伸ばして瀬戸内の西沿岸を歩いてみようかと思っているのだが、お前さんも行くかい?」
 逢沢は隣の一件が落ち着いたのを機に話を持ち出した。
「長くなりそう」
「うん。一週間くらいかな」
「だったら、私は家にいて童話の書き直しをします。これで三度突っ返されているのですからね。なにが何でも今度はうーんと唸らせてやらなくては女じゃないわ」
 育子の言葉にもユーモアが混じっている。隣に人が住んだと言う事で勇気が出たらしい。今までなら、逢沢が家をあけると言うと夜が怖いからと言って同行したものであった。
「それは大変だ。ここで女義を見せなくては・・・。そのほうがいいよ」
 逢沢は少しおどけて言った。心が軽くなっていると逢沢は思う。これも隣の影響かと感謝する気持ちが湧いていた。
「何だかうれしそう。憎らしい」
 育子は逢沢の心を見透かしていた。
「お互い様だろう。たまには別々にいないと存在価値を見失うからね。そして、新鮮さが生まれると言う事もあるしね」
「そんな年ではありせん」
「年寄りだってことか?」
「いいえ」
 育子はきっぱりと否定した。
 そう言えば、二人が結婚してもうすぐ二十年がこようとしていると逢沢は思った。
「せいぜい羽を伸ばしてくるといいわ」
「おいおい、僕は新宿へ行くのではないよ。僕の相手は七十か八十の御老人なのだよ」
「そんなことを心配しているのではありません」
「じゃなにが言いたいのだよ」
「知りません」
「最後はいつもそうなのだから」
「では、私がついていきましょうか」
「そんなに向きになることはないよ」
 子供のいない夫婦は軽い言葉を投げ合って時間を潰し合いながら、なにか足らない寂しさをまぎらわそうとしていた。

 隣のことが明らかになったのは、逢沢が瀬戸内の西沿岸地方の採話を済ませて帰った一週間後であった。
 どんな田舎にも核家族化が定着していて、昔のように炉端で孫に昔話を語ることがなくなっていて、昔話、説話、故事、世間話などを忘れている、お年寄りが多かった。お年寄りから孫への口承が今日までそれらを残したと言えるのだ。大家族制度の崩壊は逢沢の仕事をやりにくくさせていた。
 不漁だったと、逢沢は思う。
 採話の相手は、経済的にも恵まれた賢いお年寄りでなくてはならないと言う鉄則があった。逢沢は採話をするときには、まず訪ねた地方の公民館に顔を覗けて、そこで適当な人物を紹介して貰うのだった。今回の採話旅行の収穫は二十話ほどであったが、新しい発見は見られなかった。
 日本に多くの民話が残されていると言う事は、島国であったと言う事、他国間との戦争がなかったと言う事、そして、維新後急速の発展していく日本にあって、口承文芸を残そうとする、豊かな感性の持ち主がいたことであろう。民話と言うのは、昔話、伝説、世話話とに分かれる。民間説話が略されて民話となったと言うのが木下順二の民話の会の主張である。柳田国男らの民俗学者は昔話と言った。柳田は民話と言う言葉に拘泥したのだ。そして、今では採話の分類として、関分類、柳田分類に分けられるのだ。
 民話の起源は定かではないが、逢沢は弥生時代だと言う説をあげていた。それは稲作が始まったときから色々な出来事を末裔に伝え残そうとして伝承したと考えたからであった。動物民話が最初であり、宗教民話へと流れていったと言うのが逢沢の説であった。つまり、人間の進化の中で、衣食住などが、自然が、口承文芸を多く作り残したと言うのだ。
 採話したものは、柳田国男の収集したものを出る発見はなかったのだった。昔話であれ、民話であれ、逢沢は先達者が伝承して残してくれた口承文芸を掘り起こして未来に伝える語り部でありたいと言う考えであった。そのことによって日本の起源と歴史がどのように流れたかを学んでくれれば良いと思った。そして、豊かであった感性と創造力を感じ取ってくれればいいと考えていた。そこには哲学を超え、思想を超えた幅広い大らかな生き様から生まれいでた真実が内奥していると思っているのだ。それは人間に必要な心の置き方を見る思いがするのだった。

 隣の前を逢沢はテレコと着替えの入ったバックを肩に提げて通った。煮物の匂いが漂っていた。隣の夕餉は肉ジャガかなと思った。老夫婦が盆栽を置いていた場所には物干場がこしらえられ、大きな真っ赤のトランクスとこれも少し大型の黒いビキニのショーツが干されていた。外になにやらぶら下がっていたが目に入らなかった。逢沢は頬を僅かに緩めたのだった。そして、こう言う風景が欲しかったのだと心の中で呟いた。
 玄関のドアを開けると、育子が転がるようにして出て来て、お帰りなさいとも言わず、
「あなたが行った日から大変だったのよ・・・」
と眸を充血させて言った。顔の色は少し浅黒く見えた。その日からの昂奮がまだ覚めていないようだった。
「おいおい、一体どうしたと言うのだい」
 逢沢は肩の荷物を三和土の上に置いて言った。
「それがお隣の御夫婦・・・」
「後にしてくれないか、疲れているのだ」
 逢沢は少しうんざりとした気持ちで言って、荷物を提げて廊下を書斎へと歩いた。
「あなた・・・」
 育子は小走りに夫の後を追い、すねたような声を背にぶつけたのだ。そして、夫が相手にしてくれないと分かった育子は、
「もう知りませんからね。どんな事があっても、私は知りませんからね」
 そう言ってすたすたと居間の方へと消えた。
 なにが一体育子にあったのか、と逢沢は思ったが、今は一週間の疲れを癒したかった。なにか事件を持ち込まれて頭が昂ぶって睡眠がとれなくては困ると言う考えもあった。逢沢は風呂に入って汗を流し一刻も早く精神を仮死の状態に置きたかったのだ。言ってみれば、逢沢は一週間の疲れと、採話の不首尾で極めて機嫌が悪く、育子の愚痴を聞く余裕がなかったのであった。
「まるで子供なのだから」
 と逢沢は呟いた。
 育子は夫の態度に大変な不満を感じたが、いつもの通り風呂を沸かし、寝室に床をのべた。言うまい、誰が言ってやるものか。少し向きになっていた。育子も拒否する夫にどうしても知らして置かなければと言う寛大な愛を失っていた。夜になれば分かる。その時に驚いても知らないからと育子は思った。育子のショートカツトの髪は櫛が入っていなかった。
 逢沢は黙々として湯につかり、床に入った。育子のオーデコロンの匂いが鼻をついたが、すぐに眠りの誘いに負けた。そして、大きな鼾をかいて眠りを貪った。
 育子は夫の持ち帰った荷物を整理して、書斎に置くものと、洗濯場へ持って行く物とに分けた。
 育子もこの一週間でかなり疲れていた。夫の留守に童話の書き直しをするつもりであったが、結局一枚も書けなかった。いや、書ける状態ではなかったと言うほうがいい。

 一週間前に、夫を採話旅行に送り出した後、家事を済ませて、書斎でそろそろ原稿に取りかかろうと心構えをしているところへ、隣の夫婦が玄関のベルを鳴らしたのだった。つまり、引っ越しの挨拶であった。この地方には引っ越し蕎麦を配ると言う習慣はなかったから、石鹸とかタオルを名刺と一緒に添えるのだった。
 玄関には、赤ら顔の肌艶のよいわりに頭髪の薄くなった中年の小太りの男と、猫が怒った時に毛を立てたような髪をした唇の分厚い太った女が立っていた。
「あの、この度、お宅の隣に引っ越して来ました中桐と申します」
 男は中桐と名乗って丁寧に頭を下げた。
「どうぞ、末長く宜しくお付き合いくださいませ。これはほんのつまらないものですがご挨拶変わりに、どうかお納め下さいませ」
 石鹸の小函に名刺を乗せて中桐夫人がかすれた声で言い、深々と頭を下げた。
「これは、これは、どうも、御丁寧なご挨拶を頂きまして痛みいります」
 育子も中桐夫人の負けない位深々と頭を下げた。
「あの、うちは賑やかですから、多少のご迷惑をお掛けいたすかも知れませんが、そこのところは、お隣のよしみで広いお心で受け止めてやって頂ければ、有り難いのですが」
 その言葉に応えて育子は、
「今までが静か過ぎましたもの。賑やかな方がよろしゅうございますわ」と本音を口にしたのだった。
「そのように言って頂ければ有り難いですなあ。世の中には私達の趣味をなかなか理解してくださる方が少なくて」
 中桐は、手を頭にやって掻いたが、すぐにその仕草は止めて口元を緩めた。中桐夫人は満面笑みを浮かべていた。
 夫の持ち帰った着替えを洗濯機に入れて回しながら、育子は思い出していた。中桐の少し照れた様子と、中桐夫人の小鼻の横にある黒子が浮かんでいた。

「おおい、テレビの音をもっと小さくしろ」 
逢沢は床の中から、居間にいるのであろう育子に叫んだ。寝室と居間は、東西に分かれていた。
「もう、うるさくて眠られやしない」
 逢沢は床の中で幾度も寝返りを打って呟いた。まだ身体には疲れが残っていて、あと少しの睡眠を身体が求めていた。このところ疲れがなかなかとれないのだった。
「やかましいぞ。テレビの音を落とせと言っているのが分からないのか」
 なおも逢沢は叫んだ。その声は前のより大きかった。 すっかり目の覚めた逢沢は、居間でお菓子を摘みながらテレビを見ている育子を想像していた。無性に腹が立ってきた。腕時計を見ると午後の七時を少し過ぎているところだった。二時間は眠っただろうか。聞こえてくるのは演歌であった。歌謡番組でも観ているのだろうか。いいや、育子は、童謡唱歌とクラシックしか聞かないはずだ。この一週間の時の流れが趣味を変えるとは信じられない。育子と初めて出会ったのも、公会堂でのオーストリアの管弦楽団を聞きに行った時だった。今でも、原稿を書きながらBGMとしてモーツアルトを流していたほどだから、演歌など観るわけがないと思った。聞こえて来るのは演歌だった。ボリュームを一杯に上げたミュージツクに合わせて、男と女のデュエットが流れてきていた。その音は寝室の天井を振るわせ、壁に飾った逢沢と育子の新婚旅行の写真の入った額を揺らしていた。
「下手くそめ!最近の歌い手はこんなに歌唱力がなくなったのか」と逢沢は舌打ちをした。とうとう育子の奴、更年期で耳が遠くなったのか、もうそんな歳になったのか。
「おおい、もう少し眠らせてくれ」
 逢沢は哀願するように言った。頭を抱え込み布団の中に潜り込んだ。だが、育子からはなんの返事も返らないのだ。音が家の中に充満し、流れて、育子の気配まで消しているようだ。
「くだらんテレビなんか消してしまえ」
 逢沢は布団を蹴って起き上がった。そして、大股で居間へと向かった。
 居間にはテレビも点いていなければ、育子の姿もなかった。やかましい音と外れた歌声だけが、篭もって塊になっているようであった。
「どうしたのだ、一体全体どうなっているのだ」
 逢沢は口の中で言葉を噛み殺しながら、音の波の中を分け入るように進んだ。育子を捜して回った。応接間のステレオだと思った。帰ってきた時に相手をしてやらなかったから嫌がらせをしているのだ。そんな悪戯気なところがまだ育子には残っていた。きっとすねているのだ。応接間には雑音の元も、育子もいなかった。台所にも行ってみたがいなかった。怖がりの育子が夜に一人で外出をする筈はなかった。育子が消えた。この騒々しい騒音だけを残して一体どこへ消えたのだろうか。残っている所と言えば書斎しかなかった。書斎にも十五インチのテレビを置いていたが、まさかそこではあるまい。今まで育子がそこでテレビなど観たことはなかったからだ。テレビを観ながら原稿を書いていることは考えられない。育子は神経質なタイプで少しの音があっても原稿が書けないのだった。このやかましい音の中では頭が混乱して一文字も書けないだろう。逢沢はそんな気持ちで書斎を覗いた。
 なんと、育子が知らんふりをして、机に向かい原稿用紙にペンを走らせているではないか。一体何時からこんなに図太い神経と、無頓着さを身に付けたのだろうか。この一週間でなにもかも変わって、浦島太郎になったのだろうか。女は環境に順応するのが早いと言うが、まさか、と逢沢は思った。
「おい、呼んでいるのが分からないのか」
 何度声を掛けても、通じなかった。だんだんと声を大きくしてみても育子の反応はまるでなかった。
「この一週間で耳が聞こえなくなったのか」と思いながら、逢沢は育子の後ろから前に回った。育子は不思議そうに目を上げて見たが、すぐに表情を崩して顔を上げた。狂ったのだろうかと逢沢は思った。
「おい、一体どうなっているのだ。説明をしろ」
 逢沢は声を荒げて言ったが、尚も育子は分からないと言う仕草をした。両手で耳を覆い、それから、手を顔の前で左右に振った。
「この音がおまえには聞こえないのか」
 育子はにこにこと笑いながら耳から栓を抜いた。
「なんだ、それは」
 逢沢はあっけにとられて問った。
「耳栓よ・・・。ね、分かったでしょう。私がこの一週間どれほど悩んだか、苦しんだか・・・。そのことを言おう・・・」
 育子は夫との顔をまじまじと見詰めながら言った。
「それはどう言うことなのだ。この頭の脳みそをゆるがす音はなんだ」
「お隣よ」
「となり!」
「そうよ」
 育子は平然と言って退けた。この音に対しては一週間の先輩だと言うのだろうか。余裕さえ窺えたのだった。
「それでは・・・」
「そう、カラオケ」
「なんて事だ」
 逢沢は耳をふさいでうずくまった。
「だから、あなたが帰った時にそれを言おうとしたら、怒って邪険にしたのだから。聞く耳を持たぬと言う風に」
 育子は立って机の引き出しから、新しい耳栓を取り出して逢沢の前に出した。
「これを私に嵌めろと言うのか」
 逢沢はそれを手に取って言った。
「これを思い付くまでどうしたらいいか、一生懸命に何時間も考えたのだから、思い付いたときには飛び上がったわ。ホームランよ。これは、だけど、シーズンが過ぎているでしょう、だからこれを捜すのにまた一苦労をしたってわけ」
 育子は得意げに一気に喋った。
「バカバカしい、なんてことだ。大の大人がこのようなものを出来るわけがない」
「これしかないのよ、自衛策には」
「これでは家で仕事など出来ないぞ」
「そう、だからこれがいるのよ」
「書くときはいいが、テープを聞くときには、原稿に起こすときには一体どうするのだ」
「そこまでは考えていません。私の考えはこの耳栓のところで精一杯。後はあなたが考えてくださらないと・・・」
 育子はお鉢を逢沢は預けるような言い方をした。
「毎日毎日かい」
「ええ、毎晩毎晩、でも、お隣さんは几帳面な方で、きちっと十一時になると止めるわ。それは、正確なのだから」
「なんてこった。それで文句は言ったのだろうね」
「言ったわ。言ってこれ位になったのよ。前はもっとひどかったのだから。まるで家の中にPA(スピーカー)が置かれたようだったわ。硝子戸はビリビリ震えるし、障子は鳴るし、天井からは埃が舞い降りたわ。なんでも一個百万円もするのですって」
「そんなことで感心している場合か。えらいことになったものだ」
「あのご夫婦、お酒を召し上がって、カラオケで歌うのが好きで、お隣に来るまでに何十回も引っ越しをしたのですって・・・。そう聞けば無碍にも言えないし・・・」
「おいおい、こんな場合に相手に塩を送るなんてどうにかしているぞ。それより、私達の生活はどうなるのだい。今日だけではないのだろう」
 逢沢はうんざりしたと言わんばかりに言った。
「そうです、毎夜です。今日までは。・・・少しは私に同情してくださいまして。あなたが採話旅行にお出かけになっている毎夜は、お陰様で怖くはなかったですけれど、書き直しの原稿は一枚も上げることは出来ませんでしたわ」
 育子は開き直ったのか少々おどけて言った。
 なんて事だ。これを災難と言わずしてなにを災難と言うのか。これを公害と言わずしてなにを公害と言うのか。この音が毎夜毎夜続けばまさしく騒音公害だ。生存権、生活権の侵害だ。悪いことの後は良いことがあると言うが、逆もまた真なりで、良いことと共に災いが訪れたと逢沢は思った。
「おい、隣はどう言う職種の人だい」
「だんなさまは、市の教育委員会に勤めていらっしゃって・・・」
「それでは、公務員」
「そして、奥様は、大きな病院の会計課長なのですって」
「言ってみれば、頭脳労働者のエリートではないか。そんな階級の人の中にこのような非常識な人がいるなんて・・・」
「これも、高度成長経済の落とし子なのかも知れないわ。エリートだからじゃなくって。ストレスが溜る職場だから」
「いやに、同情的ではないか」
「それは、一週間もこの音と付き合っていると、この音を出している人の心が少しは・・・」
「くだらない、くだらない。これから先、どのように過ごすかだが・・・」
 逢沢は溜め息をついて、腕を組み考える人になった。育子はすっかり妥協し環境中で順応しているらしかった。女と言う動物は、と逢沢はあきれていた。
 隣の音楽、いや、ただの騒音は夜の十一時になるとぴたっと止んだ。この辺りがインテリのインテリたるゆえんらしい。騒音防止の何たるかを知っていると言うわけである。相手もそこのところは心得ているものだと感心をした。迷惑防止条例に抵触しない範囲であることをちゃんと計算しているのだ。
 音がやむと無人のような静けさがじわじわと取り囲んだ。やかましかっただけに、その静けさは二倍にも三倍にも感じられ、隣が越してくる前より不気味な夜になったのだった。

 次の日、逢沢は大学の帰りに建設会社に寄って書斎の防音工事を依頼した。だが、すぐには取り掛かれないと言う事だった。建築ブームなのだそうだ。だけど、逢沢の家の並びに家を建てて引っ越しをしてくる人はいなかった。やはりこの高台に人気がなかったのだ。日本が経済大国になって国民の懐具合もいいと言うことだったが・・・。
 逢沢は学者音痴と言う程ではなかったが、世間の情勢には頓着していなかった。マイペースでわが道を行くと言うのが逢沢の考えだった。その逢沢の目に映るのは、世間の人はあいも変わらぬ傲慢さと、自己顕示欲の強さだった。精神は少しも進歩してはいないように見えた。逢沢の教室に出入りする、学生を見て世相を判断して見ても、服装は確かに個性を現す着こなしになったが、化粧方法の改良が行われたのか一応に綺麗になったが、どうもなじめない美しさであった。どこがどうのと言うのではないが、まるでマネキンを見ているような精気のなさを感じてしまうのだった。そして、キャパスに溢れる学生が最近になってとみに多くなったのを感じる。それだけ、裕福になったのだろう。親に心の変革があって女子に学問を身に付けさそうとする良識が深まったと言うのだろうか。だったら、もっと学を問うことに身を入れるように注意をしても良いのではないか。どうもそうでない子が多いように思える。アクセサリーとしての学歴を欲しがっているように思える。英語のレベルは確かに上がったが、母国語の理解がそのぶん下がったと言うことを痛感するのだ。提出されたレポートを読んでいてそれは感じる。まるで小学生の文章なのだ。漢字を知らない、文法は理解していない、句読点、句点は出鱈目なのだ。この國の教育水準は高いと言うが、頭を傾げたくなる。平均点と偏差値が、人間の個性を殺し、伸びる芽を摘んでいるように思える。それは、家庭にあって、勉強ばかりさせて、外でどろんこになって遊ぶこと、手伝いをさせることを疎かにした証拠を見せられるのだ。それがあって初めて、やる気、目的意識、計画性、達成欲、持続力が生まれ、社会において自分の能力を発揮できると言うものだ。これはエゴと言うのもとは違う。豊かな性格形成や円滑な人間関係を造っていく上で絶対に必要な事なのだ。母になる彼女等に話しても通じないのは、その子等の母親が、父親が、見せた後ろ姿を疑問に感じていないのだろう。物欲、食欲、性欲の三大欲望を満足して来た故の過ちなのだと言うことに気づいていないのだ。その欲望を満たすのにはルールがあることを知らないのだ。それらは、民話の中の本音の大らかさ、豊かさとは違う。心を持たない群集心理と言うのだろうか。つまり、欲望をコントロールする器官が未発達なのだろう。
 要するに、小学校のときから、せっせと塾に通い、中学校では良い高校へ行こうと、平均点を上げ、偏差値に振り回され、進学率の良い高校へ進み、眠る時間を勉強に当てなくてはみんなについて行けず、漸く入った大学ではパチンコ、マージャン、酒、煙草、と遊び呆けていてなにも身に付けてはいない。
 貧弱な、無駄な時間を無意に過ごしている青春を見る思いがする。
 人は国を動かす人間になることも大きな生きがいにはなるだろうが、それは、自己の裁量で選択するものではなかろうか。いや、むしろ、人様の邪魔になっている石を動かす人間になることの方が、意義がありはしまいか。 
逢沢は、防音の工事が遅れることで世間の事情を知るのだった。そして、愚痴つても見たくなった。

 隣の騒音は、壁を超え、硝子窓を通り越して聞こえてきていた。
 逢沢は落ち着く間などなかった。何時もいらいらしていた。心が休まらないのだった。まるで他人の家に行き、居場所がないようなそんな感じがしていた。だが、育子は耳に栓を嵌めて平然としていた。その姿がまた癪に触った。女と言う動物はどのような環境の変化にも悉く隷属出来るように造られているらしい。この地球に終末が来ても生き残るのは女と言う動物と、ゴキブリではなかろうかと思った。その点男は駄目である。神経がデリケートで少しの音でも耳について落ち着かずに疲れてしまうのだ。冷静な判断力は女のほうが上なのだろうか。例えば、シェルターの中で生存出来るのは女の方が長く持つだろう。
 騒音のお陰で、逢沢は色々なことを考えるのだ。民話の分類も全く手についていない。採取地、名前、住所、年齢(生年月日)、口承を受けた相手、口承を受けた年、生活状態、頭の良否、紹介者、採取地の模様、気候の状態、同行者、柳田分類か関分類か、と書き込む作業すら出来てはいなかった。焦ったがどうしようもなかった。
「あなた、ものは考えようよ。飛行場の近くの人達はこんなものじゃないのではなくって。ジェツト機の離着陸のときの騒音は。それに、新幹線の近くの人は・・・」 育子は逢沢の苛立つ様子を見兼ねて優しく言った。
「ここは、飛行場の近くでもなければ、新幹線の通る所ではない。そんな、物知り顔の慰めなんか結構だ」
 逢沢はヒステリックに叫んだ。
「例えよ、そんなに怒ることはないではないですか。町の中なんかは壁一枚、ベニヤ板一枚の隣り合わせと言うではありませんか。それに比べたら、ここは天国・・・」
「天国も地獄もない。ここは私達の生活ベースであり、プライバシーを保持する、言ってみれば、仕事をしたり、身体を休めたり、精神の安定を計るところなのだ。なにが、壁一枚だ、ベニヤ板一枚だ」
 逢沢は眸をいっぱいに見開き、額に青筋を浮かべて言った。その形相を何処かで見たことがあると育子は思ったが、すぐには脳裏に去来はしなかった。
「だって、あなたの姿を見ているとまるで動物園の檻の中にいる月の輪熊のようなのですもの。篭の中の二十日鼠のようなのだもの」
「やかましい、何時からお前はそんなにお喋りになったのだ。まるで、篭の中の鸚哥インコのように、鵡のように、何度繰り返せば気が済むのだ、同じ事を」
「あなたが一人で被害者ですって顔をしていますから・・・。この私だって・・・」
 育子は声を歯で噛み殺した。そして、逢沢はああこの顔は奈良の東大寺の仁王さんだと思い付いた。
 逢沢は育子の眼尻の皺を見て、次の言葉を呑んだ。何時の間にかこんなに老け込んだのか、と改めて育子を見詰めた。逢沢が白髪を増やすと同時に、育子は皺の数を増しているのだ。瑞瑞しい肉体を奪ったのは年月か、流れるように通り越した日々か、逢沢は感傷的になっていた。

「あら、改築ですか?」
 酒で声を涸らしたらしい中桐夫人が育子に声を掛けたらしい。
「ええ、まあ・・・。この家も建てて随分時が過ぎましたから、少しずつ隙間が広がって、キッチンが今風でなく、トイレだって洋式ではありませんし・・・」
 育子の少しトーンを落とした声が伝わってきていた。
「私共がご迷惑をお掛けしているのではありませんか」
「ええ、まあ・・・。そんなことはありませんよ。どうぞ余分な気遣いはなさらずに・・・」
 育子は上手にかわした。庭の垣根越しに、育子と中桐夫人が言葉のやりとりをしているらしい。
 逢沢は書斎で本のページをめくっていた。二人の会話は自然に耳に届いた。そのことに腹が立ってきた。
 この見栄っ張り目!カラオケの音がやかましくて防音工事をしているのだと、皮肉の一つも言えないのか。と逢沢は心の中で叫んだ。
「本当にすいません。病気なのです・・・」
 そうだ病気だ。逢沢は相槌を打ちたい気持ちだった。それにしても、今日の勤めは休みなのかなと気になった。
「うちの人は仮面鬱病なのです」
「かめんうつびょう」
 育子が鵡返しのように繰り返した。
「ええ、三十七歳の時でしたか、ひどい肩凝りになってそれから不眠症になって頭痛がしだして何時も鉛の兜を被ったようで役所もだんだんと休み勝ちになって、それはそうでしょう。一晩中瞼の裏に蝶が飛んでいては昼に仕事なんか出来っこないでしょう。内科に行けば風邪だと言われ、整形外科に行けば頚の骨がずれているからと牽引をされ、眼科に行けば眼圧が高いと言われ、耳鼻咽喉科に行けば内耳が詰まっていると言われ、脳神経外科へ行けば筋収縮性頭痛だと言われ、胃腸外科に行けば疑胃潰瘍だと言われ、あらゆる治療を致しましたが治りませんでした。そんな夫と暮らしていますと私までその症状にかかりました。もう一家は灯りのない、希望のない人生を歩まなくてはならないと言うときに、わたくしの病院、余り信用が置けないので夫を連れていかなかったのですが、院長の息子さんでインターンを終えて診察に加わっておられて、私の顔を診て、症状を見事当てられたのです。二人は若先生の最初の患者になりましたの。抗鬱剤とトランキライザーを服用するうちに嘘のように良くなりましたの。私も夫も肥えているでしょう。薬の副作用なのです。でも、夜中に息が出来なくなったり、心臓の鼓動が全身を波打たせたり、意識が無くなるのでは、もう死ぬるんではないかと言う不安の毎日でしたから、大変救われました。その若先生が言われるのは、なんでも現代病でストレスが、ストレスにも善玉と悪玉がいるのだそうですが、そのストレスが溜ると、交感神経と副交感神経とのバランスが崩れて色々の臓器に障害と言う形で警告をするのですって・・・」
 中桐夫人はここまで市川団十郎のように、言葉にめりはりを加えて語ったのだけれど、息が切れたらしい。それと、カラオケとどう言う相関関係になるのだろうか。どうのようにしてこのなんの前後左右関係のないものをひっつけるのか、結ぶと言うのか、逢沢は身を乗り出したい気分だった。
「そんなことが・・・それはまた大変でしたわね」
 育子が同情的な言葉を紡いだ。
「若先生が言うのには、その原因になっているストレスを溜めないために、運動とか、没頭出来る趣味を持つ事だと言うのです。それからは運動や、映画や、旅行や、バアー巡りや、そのバアー巡りで漸くカラオケに出会ったのです。二人はもともと演歌が好きでしたから・・・。家にカラオケをしつらえて、あの一聞やかましい音の中にいますと、心がスッカーと晴れ、身体が自然のうちに揉みほぐされますの。カラオケをしだして不安感が全く無くなりました。どうか、その辺りを御理解いただきまして宜しくお願いいたします」
 中桐夫人が頭を深々と下げているのだろう、声が地上に落ちる音がしていた。

 書斎の工事が終わって、幾らか音は小さくなったが、屋根を伝い、壁をくぐり、床を抜けて入り込んでいた。 中桐夫妻の病気は容認できても、音だけは災いの外の何物でもなかった。それならこちらで対抗手段を講じなくてはならないと思った。
 逢沢はなるべく昼の間に仕事をこなすと言う事にした。そして、夜は休養を取ることにしたのだ。だが、どうしてもと言う日には、防音装置を施した書斎に入ることにした。少しずつではあるが隣の音にもなれ、自衛策が功をそうしたのか、逢沢は落ち着きを取り戻していった。
 だが、電話のベルの音だけはどうしても聞き取れなかった。何度も電話を架けても出ないから、心中でもしているのではないかと心配して、育子の母親の房江が訪ねて来たことがあった。
「これでは人間が住むところではありませんよ。これでは製鉄会社の薄板の工場の中に住んでいるようではありませんか。二人の仕事が静かなところがいいと思ってなにも言わなかったけれど、この歳では、ここまでの坂はボストンマラソンで言う心臓破りの丘ですよ。私のことを考えてくれるのなら、この山を下りてくださいな。もっと環境のいい平地がありましょうに。この機に考えてくださいな。お金のことはどうにかしてあげますから。それとも、私の家にいらっしゃいますか」
 育子の母を、逢沢の義母の老後面倒を見ると言うことが、育子との結婚の条件だったのだ。育子は一人子の一人娘だったから。そのことを義母は言ったのだった。
 義母は幸いなことに、八十がこようとしているのに腰も曲がらず元気であった。今でも婦人会の地区の会長として頑張っていた。大正、昭和をかけて教育者として生きたのであった。
 逢沢は、両親を送ってもう八年になる。
 兄は特攻で戦死をし、弟は東京で交響楽団の指揮をとっていた。逢沢は父親の後を継いで民話の研究に携わったのだった。父親は戦争中軍の関係の仕事をしていた。終戦をしてごろごろとしていた父親の元に、MPのジープが来て父親を連行して行った。C級戦犯と言う汚名を着せられたのだった。後で父親から聞いた話だと人間魚雷を制作するのに参加したと言うことだった。父親は、巣鴨で何年かを過ごし出てきた。帰ってきてからは気が抜けたビールのようになんの味もない人間になっていた。毎日毎日庭を眺めて過ごしていた。母親は世間の中傷から父親を庇うために何度も引っ越しをした。戦犯と言えばどこも買い物の付けはして暮れなかった。それに、心ない人達が何時までも白い眼を向けた。その度に引っ越しをしなければならなかった。そんな父親が民話に興味を持ち研究を始めたのだった。どのような契機でそうなったのかは知らないが、そのとき、父親の元気になった姿に涙が出たものであった。

「おい、近ごろ、少し音が高くなったのではないか」
「ええ・・・」
「私の耳の所為かな」
「そう言えば・・・」
 育子は思い当たることがあるらしく、一瞬驚いたと言う仕草をした。
「どうしたんだ」
「あのね、お隣さん、うちが防音工事をしたことを知ったみたいなのよ」
「どうせ、おまえが言ったのだろう」
 逢沢はうんざりするように言った。
「それがね・・・。あのね、つい先だって、庭で奥さんにばったり出会ったのよ。あちらさんがいつもも喧しくてすいませんと、それは丁寧に言い頭を下げるものですから、なんだか、こちらが悪い事でもしているような錯覚を起こして、ついつい・・・」
「おまえさんはなんて奴だ・・・」
 逢沢は空いた口がふさがらなかった。
「分かるのよ、私」
 育子は辛そうに言った。花が枯れたような雰囲気だった。その育子を見ると何も言えなくなった。逢沢には育子が何を言いたいのか凡その見当がついていた。
「あの夫婦に子供でもいれば、出来ていれば、あんな病気にもならなかっただろうし・・・」
「病気とは関係ないだろう」
「いいえ、子供が一番のストレス解消になるのですって。そう先生に言われたと、奥さん肩を落としてしみじみ、子供でも居てくれたらねと・・・」
「それでは、うちはどうなのだ」
「それは、私達は話を集めたり、童話を書いたり・・・。それが、子供のように手が掛かるでしょう・・・。でも、あの夫婦には何もする事がないのですもの」
 育子は理路整然とした答弁をした。
 逢沢は育子の言葉には一理も二理もあると思うが、感情移入をし過ぎていて、工事のことについての軽薄な発言は許せないと思うのだった。それは、こちらの生活権を放棄したに等しいではないか。双方がして、遠慮迷惑と言う事が社会の営みのうえにあってはならないのだ。 だが、隣は迷惑がかからないとカラオケのボリュームを上げたと言う事実は嘗めないことなのだ。
「迫力が違うんだな。音が身体の中に飛び込んで来て血が騒ぎ筋肉が痺れるんだな。この感覚はやったものでなくては分かりっこないと思うがね。酔うんだな。陶酔。中毒になっちゃうのだよ。それ何とか中毒って奴さ」
 逢沢は同僚で家に何百万も掛けたオーデォマニアの男に聞いたことがあった。
 逢沢と育子は、書斎で耳栓をして机に向かわなくてはならなくなった。育子は自分が蒔いた種だけに何も言わずに黙々と原稿用紙の桝目を埋めていた。
「おい、義母さんの言うように引っ越そうか」
 逢沢は弱音を吐いた。それ程逢沢には応えるものであった。低音が頭の芯にズキンズキンと響いてきた。高くなったと言う気がそうさせていたのかも知れない。
「もう一度、お隣と掛け合いましょうよ。今度はあなたが言ってね」
「それが嫌だから言っているのだ」
 逢沢の声は少し荒っぽかった。
「せっかく住み慣れた家なのに」
 育子は未練げに言った。
「お隣さんも、ストレス解消だとは言え、幾ら治療と言え、毎夜毎夜よく続くものだね」
 逢沢は遂に皮肉が口をついて出た。
「ねえ、辛抱が出来るだけ辛抱しましょうよ。今出て行くと、お隣さんにあてつけた形になるわよ」
「ふふん」
 逢沢はそう言う考えもあるのかと思った。
 七時から十一時までの仕事を昼に回し、十一時まで耳栓をして睡眠をとる。十一時からテープの採話を原稿におこすと言う生活が二箇月ほど続いた。
 育子が身体の変調を訴え始めたのはこの頃であった。
「おい、医者に診てもらえよ」
「へいき、平気」
 育子は逢沢の心配をどこ吹く風と聞き流した。

 逢沢が大学から帰りドアを開けると、里子がきちんと正座をして出迎えた。
「お帰りなさいませ。だんなさま」
 何と三つ指を付いて言ったのだった。
「おいおい、何と言うことをするのだ。明日から出雲地方へ行くのに嵐になるではないか」
「そう、嵐になればいいのだわ」
「何かあったのか」
「あのね、あなた大変よ。あなたはパパになるのよ」
 育子は顔を皺くちゃにして言ったのだ
「なに!パパ!」
 逢沢はホカンとしていた。
 どうも、隣の騒音は意外な影響を与えたようだ。
 大変だ。高齢出産と言う言葉が頭の中でエコーのように響いていた。








© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: