ミューンの森~Forest of Mune~

ミューンの森~Forest of Mune~

Dolls・2



「 Dolls 」


2.



( ......た・す・け・て......。)

 何とかしたいのに何も出来無い事への焦燥と、このまま訪れるかもしれない死への恐怖。それら諸々の感情でパニックになりそうなラスティアの目の前で、おかしくて嬉しくてたまらない、と云った表情を浮かべる女。
 思うままに等なりたくない。このまま此処でこの人の快楽の元に等なって堪る物か!ラスティアは余りの苦しさに意識を手放しそうになるのを、その気持ちだけで必死で踏み留まらせていた。

 不意に。

 あまりに唐突に、ぎりぎりと身体と精神をしぼり尽くそうとしていた禍々しい力が無くなって、ラスティアは崩れる様にその場に倒れ込んだ。
 その耳に、アーギルシャイアの乾いた声が微かに聞こえてきた。

「...誰かくる。無粋な。」

 小指一本動かせない程に力を失って、俯せに地面にへたり込んだラスティアの身体を、アーギルシャイアは無造作に爪先で仰向けに転がした。そうしてラスティアの顔を一瞬見つめてから微笑んだ。

「...でもいいわ。今度邪魔の入らない所でゆっくりと殺してあげるから。......ラスティア。......その名前、覚えておくわ。」

 僅かばかりに残った気力だけでその女性を睨みつけていたラスティアだったが、底知れない冷たさの瞳の色を残像の様に残してその人が姿を消した時には、糸が切れた様にその意識を手放した。


***********


「大変だ!タルテゥバが来るぞ!みんな隠れるんだ!」

 意識を失っていたのは一瞬の事だったのかもしれない。

 いきなり頭上で響いた声にはっとして目を開けると、ラスティアの身体の上を越えて行く大きな影が見えた。それが先程耳に入った叫び声を発した青年であると気づいたのは、その大きな身体が真っすぐに近くの民家へ駆け込んだ後だった。
 一体何が起こるのか?ラスティアは、とにかく立ち上がらなければと気力を振り絞った。タルテゥバって一体誰?という素朴な疑問と,この場から離れなければという思いとが空回りする。何度か倒れ込みながらも上体を起こしたその時だった。

「早く!うちへお入り!」

 震える身体を必死で支えているラスティアの腕を一人の女性が掴んだ。必死の形相で思い切りラスティアを引っ張り上げて立たせたその女性は、そのまま先程青年が飛び込んだ家へと、ラスティアを引きずる様にして駆け込んだ。

 部屋に入ると同時に肩に担いでいたラスティアを離して女性がドアに閂を通す。腰から下に全く力の入らないラスティアは,そのまま床に倒れ込んだ。
 その時、通りの方から数人の男達の怒鳴り声が響いて来た。

「来た!タルテゥバだ!また人狩りに来やがったんだ!」

 狭い家の床に座り込んだ状態でラスティアが声の方に顔を向けると、先ほどの青年が部屋の隅で青い顔をして震えているのが見えた。その側には4、5歳くらいの小さな女の子が大きな丸い目を見開いて佇んでいる。きっとおびえているであろう女の子に,ラスティアは何とか微笑んでみせた。その笑顔にほっとするように女の子は小さく微笑み返した。可憐な,少女だった。

「私はラスティア、というの。あなたは?」

「......ハンナ。」

 小さな声で答えた少女の名前に、ラスティアはギルドにあった張り紙の事を思い出した。

「お姉ちゃんは、ぼうけんしゃ、なの?」

 そう問いかけた少女を、ラスティアを家に助け入れた女性がさっと抱き上げて、自分の身体で守るように抱きしめた。

「タルテゥバはこの街の貴族の中でも最低の奴だ。俺たちが何も抵抗出来ないのを良い事にやりたい放題だ!」

 自分の恐怖を誤摩化す為だろうか,青年は誰に言うともなしにタルテゥバという貴族の悪行を語り続けた。数々の悪行の中でも最悪なのがこの人狩りで、この貴族は自分に気に入らないことが起こるたびにスラムへとやって来て,手当たり次第住民を嬲り殺しにすると言う。

「私たちに出来る事と言えば、こうして家の中に閉じこもって,ひたすら息を殺している事だけなんです。」

 幼い女の子を抱きしめながら,母親は苦しげに顔を歪めた。

通りから聞こえてくる男の声は狂気じみていて,ラスティアはわき上がってくる怒りを抑えるのに必死だった。人っ子一人居ない静まり返った通り。嬲る相手の見つからないタルテゥバは,増々声を荒げて行く。

「虫けらども!......虫けらのくせにこのタルテゥバ様の呼び出しにも応えないとはどう云う了見だ?」

 手下の男達を使って手当り次第に辺りを粗捜ししているらしい様子が聞こえてくる。思わず動かない身体に鞭打って立ち上がろうとするラスティアを、青年が押しとどめた。

「あんた一体何があったんだ?真っ青な顔をして...身体だってまともじゃないぞ。」

「一体通りで何が起こっているの?」

「じっとしてろ。...見た所あんた冒険者の様だけど,そんな身体で何かしようったって無理だ。」

 確かに青年の言う通り,未だのろのろとしか動けないラスティアが怒りに駆られて出て行ったからといって、事態は何も好転しないだろう。いや,それどころか,この家に隠れていた事が知れれば,逆にあいつ等が力任せに乗り込んでこないとも限らない。 
 ラスティアはぐっと唇を噛みながら踏みとどまった。

「それに、仮にあんたが出て行った所で、あいつ等に敵いっこ無いさ。......どうせ虫けらの様に殺されるだけだ。命は大事にした方がいい。」

 通りを睨みつけながら呟いた青年の言葉にラスティアは唇を噛んだ。
 ただでさえ頼りないラスティアだが、今の状態は確かに最悪だ。

「......だからってこうしてじっと耐えているだけだなんて...。」

 ラスティアの呟きに、青年は苦しげに小さく笑った。それは、何も出来ずこうして隠れているだけの彼自身に向けられた嘲笑の様だった。

 どれくらいの時間、タルテゥバの罵声を聞いていただろうか。その間にラスティアの身体はやっと自分自身の力で立っていられる程に迄回復していた。

  いつもならある程度暴れれば気が済んで立ち去って行くらしいタルテゥバだが,今日はとんでもなく虫の居所が悪いらしく、増々その奇声は大きくなるばかりだ。

「よおし,お前らがそういう態度を決め込むならそれも良い。......おい、あれを連れてこい!」

 イライラも頂点に達したらしいタルテゥバの言葉に、手下達が何やら散って行く気配がした。

「いいか,よく聞け!...今日は俺様からお前らに良いものをくれてやる。俺様に従わなかった事を後悔するが良い!」

 けたたましい笑い声に,一同が思わず窓に駆け寄り,通りに目を向けた。

「ああっ!なんて事を!!」

 母親の悲痛な叫び声に,ラスティアは通りに目をやった。そこには,数人の手下に先導されこちらにやってくる異様な物体があった。

 テラテラとぬめるそれは,ナメクジを巨大にしたような吐き気を催す姿の怪物だった。

「あ、あんなのに暴れられたら、このスラムなんてひとたまりも無いぜ...。」

 ラスティアの身体は、少しづつ回復して来ているとはいえ、未だ一人で立っているのがやっとといった具合だ。あんなに巨大な怪物に立ち向かう事は無謀を通り越して無駄死に以外の何者でもない。それは自分が一番解っている。しかし...。


「こんな時にゼネテスさんが居てくれたら......。」

 絞り出すように母親の口をついて出た名前に、ラスティアの身体がビクン、と反応した。

(こんな時に、ゼネテスさんが居てくれたら......。)


 そうだ、もしここにゼネテスが居たら一体どうしているだろう。自分のように唇を噛みながら身を潜めているなんて事は絶対にあり得ないだろう。

 青年たちが止めるのを無視して、ラスティアは重い身体で通りへと向かった。
 あの怪物が暴れだしたら、こうして家の中に隠れていた所でどうせやられる。
 それならば。自分にやれるだけの事をしたいと思った。自分に後悔が無い様に。

 ゼネテスに恥ずかしくない様に。

 勿論自分と彼とでは天と地程力の差がある事は判っている。今の自分には到底あの怪物を止めるだけの力等無い事も良くわかっていた。だがもうこれ以上ここで絶えている事はラスティアには出来なかった。


 間近で見るモンスターはかなり巨大だ。

「今頃のこのこと出て来て何のつもりだ。......命乞いでもするつもりか?......ふん。むざむざこいつの餌食になりに来たか。馬鹿がっ!」

ラスティアを見たタルテゥバはただでさえ気味の悪い顔に嬉々とした表情を浮かべた。

「見ればなかなかの美女ではないか。ただ殺すには惜しいが...」

 下媚たタルテゥバの声に吐きそうになるのをこらえながら、ラスティアは剣を抜いた。

「俺に逆らった罰だ!こいつに食われて死ねぇ!」

 タルテゥバの言葉を待っていたかのように、モンスターはラスティアの方へ向きを変え、障気を発しながら近づいて来た。
 背中を冷たいものが流れて行く。
 タルテゥバの狂気じみた笑い声が響き渡る。

 剣を持つ腕は小刻みに震えている。
 ラスティアは気力を振り絞り間合いを計って渾身の力を込めて切り掛かった。

 粘液質のモンスターの身体は剣の威力を吸収してしまい、斬りつけたものの殆ど打撃を与える事は出来なかった。それでも目の前で蠢く塊に向かい何度も剣を振り下ろした。今ラスティアに出来る事はそれしか無かったから。

(どうして”今”なの?あの女にやられた後でさえ無ければ、もう少し何とか出来たかもしれないのに!)

 ラスティアの身体が悲鳴を上げている。悔しさに身体が燃え上がりそうだった。

 その時、モンスターの触覚が無造作にラスティアの身体を投げ飛ばした。
 もの凄い衝撃を胸に受けて近くの家の壁に激突したラスティアは、その凄まじい痛みで朦朧とする意識をかろうじて押しとどめていた。

「ヒャーッヒャッヒャ。」

 タルテゥバの笑い声が響く。

 怪物がゆっくりと目の前に迫ってくる。剣を支えに何とか立ち上がろうとするのだが、このままでは間に合いそうも無い。とうとうラスティアの目前迄やって来たモンスターがグッとその巨大な身体を持ち上げた。日の光を背にモンスターの濡れた身体がきらっと光った。

 今度こそ本当にもう駄目なのか...?そう思った時ラスティアの脳裏に、ふいにゼネテスの暢気な笑顔が浮かんだ。......暖かい笑顔だった。
 ラスティアの金の髪をくしゃくしゃっとかき回したゼネテスの大きな掌の感触を思い出す。ほんの少し、諦めかけていた心を熱い物が満たして行く。

(ここで死ぬ訳にはいかないわ。......私は未だ......!)

 モンスターがラスティアめがけてその触手を大きく振り下ろした瞬間。ラスティアは踞ったまま真っすぐ剣をモンスターめがけて突き立てた。


 もの凄い咆哮。のたうち回るモンスターの姿。
 火花のようなものがモンスターを包み込む。

(一体、何が起こったの......?)

 霞む目をこすって、目を凝らす。
 ラスティアの放った剣は決して致命傷を与えるような物ではなかった筈だった。だとするとこの事態の意味する所な何なのか......?

 バチバチと轟音をたてて、モンスターは身をくねらせながら蒸発するかのようにその場から姿を消した。残された霧の様な気体が、今起こった事が夢ではないと告げているようだった。

 先程迄モンスターが居た筈の場所。

 蜃気楼の様に霞むその場所に、大きなシルエットが浮かび上がった。

 霧が晴れるに従って、その姿は次第にはっきりと形をなして行く。
 やがてラスティアの前に姿を現したのは、大きな剣を肩に担いで、方頬を上げた不敵な笑みをたたえた大柄な男の姿だった。

「よお、ラスティア。大丈夫かい?......カッコよかったぜ、お前さん。」

 予想もしなかった展開に目を見開いていたラスティアだったが、その暢気な口調に思わず顔がほころんだ。

 まさか此処で、この状況で、逢えるとは思っていなかった......。

 二人の視線が絡み合う。ラスティアは体中を暖かい気が流れて行くのを感じていた。 
 生きている...。自分は生きて、この人に逢っている。


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2004.2.29 up
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 やっと続きを上げました...。なんだかもう少しかかりそうですね~。
 それにしても私、妄想炸裂しまくってますね。勝手にラスティアちゃんぼろぼろにしちゃってます。
 やっとの事でゼネさん登場ですが、さてこれからどういった展開になるのでしょう。何しろあの人勝手に動くから......。  
 ラスティアちゃん死にそうになってるのに、「カッコ良かったぜ」は無いと思うのは私だけだろうか......。いや、これも彼なりのポーズで、内心はもうおろおろパニックになってるんじゃあないだろうか。でも男の美学でそんなのを彼女には意地でも見せたくない、と。
  ......いや、やっぱ天然か...?


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