ミューンの森~Forest of Mune~

ミューンの森~Forest of Mune~

制 服







 寮の電話の呼び出しに慌てて一階へ降りた私は、受話器から聞こえて来た懐かしい声に一瞬言葉を失った。

「よお!美耶胡。元気か?」

 受話器の向こうから流れて来る、少しだけ低めの柔らかい声。それは高校時代顔を会わせばふざけ合っていたあの頃と何も変わらず、一瞬私は今自分がいる場所が何処であるのか判らなくなる感覚を味わった。

「つくるじゃない...!どうしたの?電話してくるなんて。どうして此処の番号知ってるの?今東京なんでしょ?」

 矢継ぎ早に口をついて出る質問。
 電話の向こうの友人は、神名 創太といった。私達は何時も「つくる」「美耶胡」と呼び合っていたとても仲の良い友人同士だった。
 それなのに卒業の時、お互いに連絡先を交わす事をしなかった。如何しなかったのか、いくら思い出そうとしても判らなかった。でも彼が東京の大学に合格していた事は知っていた。

「いや、俺結構側にいるんだぜ。」

「結構側って、いったい......。」

「俺、結局二次志望だった大阪の大学の方に進学したんだ。」

「なんで!!」

 思わず発した私のもの凄い大声に、電話の向こうで瞬間受話器を耳から離しているのだろう様子が感じられた。

「......何でって、まあ、こっちの方が俺に合ってるかなあ、って考え直したんだ。」

 考え直したって、だって...。つくるは東京の大学に受かった時、本当に本当に嬉しそうだった。あたしはその顔を側で見ていたから知ってるんだ。それなのにどうして?

「......とまあ、そう言う訳なんでさ、明日お前俺と会わない?」

「はあ??」

「はあ?じゃ無くて、『ええ、喜んで♪』だろうが。」

「ちょっと、何でそこで♪が付くのよ...。」

「とにかく、明日土曜だしお前も授業は無いんだろ?」

「それは、無いけど...。」

「じゃあ、お前の大学のすぐ側の阪急の駅で10時な。」

「えっ?」

「だから、下手なとこで待ち合わせしたらお前絶対迷うだろ。だからそこで。ああ、改札口の所な。俺がそこ迄行くから、お前はうろうろせずにじっと待ってろ。」

「えっ?」

「じゃあなっ!」

「えっ?」


 受話器の向こうでは既にツーツー、という電子音が流れていた。

 私は未だ疑問符で一杯の頭を抱えながら、寮の自室へと戻っていった。
 自室、とは言っても一回生の部屋は4人部屋だ。
 古い寮の部屋はおよそ世間が抱く女子大生のイメージからはほど遠く、その上部屋に戻った私に『おっ帰り~』と声をかけてくれた市ノ瀬優里などはジャージに半纏という出で立ちだ。
 夕食とお風呂を終えた私達にする事と言ったら、他愛も無いお喋りに花を咲かすか、気の合う仲間と何処かの大学とのコンパの計画を立てるか、さっさと自分のベッドのスペースに籠って一人の世界に浸るか位しか無い。
 私は窓際に配置されている一列の勉強スペースに腰を下ろしながら、ブラインドの降りた窓に向かって溜息をついた。

 つくるは一体何を考えているんだろう。

 私とつくるは高校一年の時からの友人だった。お互いに男女の意識などした事も無かった。何故か不思議に気が合い、何を話しても楽しかった。
 でも卒業を間近に控えた頃から少しづつ会う機会が少なくなり、卒業式の当日には一言も言葉を交わす事無く学び舎を後にしてしまったのだった。

 それを残念に思わなかった訳ではなかった。

 ただ、お互いに自宅の住所も電話番号も知っているのだから、いつでも会いたければ会えるだろう、という安心感はあった、と思う。

 あいつは東京の大学で。
 私は大阪の大学で。
 お互いに新しい人生をスタートさせるのだと。

 そのつくるが大阪にいる。 

 高校時代から余り考えている事が判らない奴ではあった。
 いきなり電話して来て、明日会おうと言う。
 会えばいいじゃないの。何を気にしているの?と自分に聞いてみる。
 高校時代も殆ど毎日の様に会っていたじゃないか、と。
 それを意識する自分の方が可笑しいのだと言い聞かせて、私はやっと少し落ち着く事が出来たのだった。


 その日の私はかなり緊張していた様に思う。
 朝起きてから、着ていく服を決める迄に4回も着替え直した。
 毎日の様に会っていた友人なのに、余りお洒落するのは変だ。だからってT-シャツとGパンってのはいくら何でも...。いや、だからってこのミニスカートじゃあ、ちょっと、かなあ。

 思い出してみると、私はつくると制服以外の姿であった事など一度も無かったのだ。
 私の知るあいつの姿も何時も学生服か白いワイシャツ姿だった。

 あんなに一緒の時間を過ごしたと思っていたけれど、学校と下校の時間だけの付き合いだったのだ。

 その事実に、今初めて思い当たった。

 結局私は悩んだ末に、一番無難な膝上丈のタイトスカートにVネックのニットのアンサンブルを選んだ。

 卒業と同時に緩くパーマをかけた長い髪が気恥ずかしく、ざっくりと三つ編みに編んだ。
 軽く、ほんの少しだけ化粧をした自分の顔を鏡で確認してから、私は寮を出て、歩いて一キロ程の駅へと向かった。


 改札からわざと離れて待っていた私は電車が到着するたびにそこから吐き出されてくる人の波を見つめていた。
 老若男女、背の高い人、低い人。

 つくると最後に会ったのはあの卒業式の日だった。
 あれから二ヶ月と少し。私の記憶の中の彼の最後の姿は、群がる下級生達にボタンを取られてしまった黒の学生服を肩にかけて、眼鏡の奥で少し寂し気に微笑んでいる物だった。

 まさか今日のつくるが学生服で来る訳でも無いのに、時折視界に入る学生服の男の子に、あの時の姿を重ねてしまってどきっとしてしまう。

 いきなり吹いて来た春の強い風に視界が煙ったその時。

 ひと際背の高い青年が改札から姿を現した。
 その青年は一二度あたりを見回して、一瞬私の上に視線を止めた後、真っすぐ私に向かって近づいて来た。

 ああ、つくるなんだ、と思った。

 学生の頃と変わらぬ印象の白の綿シャツに黒のGパンというラフな出で立ちが、細身の身体に似合っていた。182センチの身長は学生時代から変わっていないだろうに一層背が高く見える気がした。
 近づいて来た彼は、卒業の日と同じ笑顔を浮かべていた。

「美耶胡......。一瞬判らなかった。」

 つくるは暫く私を見つめてから、ボソっと呟く様にそう言った。

「...あ、髪...。少し変えたし。」

 目の前にやって来たつくるを見上げた私は、その懐かしい視線の角度に思わず微笑んだ。その私に小さく微笑み返しながら、つくるは眼鏡を人差し指で押し上げた。何時も見ていた彼の、照れた時の仕草。

「制服じゃない、ね。」

「お互いね。」

 そのつくるの台詞で、彼がきっと私と同じ様に学生時代を振り返ったのだと言う事が判った。

 私達は暫くお互いを見つめ合った。高校時代と殆ど変わらない筈の相手なのに、まるで初めて会う人の様で、こんなに緊張してつくるに会う日が来るなんて想像した事も無かったと、思った。

「綺麗になってて......ドキドキした。」

 独り言の様に呟いたつくるの台詞が耳元で聞こえてはっとしたその時、左手にほわんとした温もりを感じた。

「行こう。」

 左手を見ると、つくるの大きな手に包まれる様に握られていた。
 暖かい、大きな手。
 つくるは、男の子だったんだ、と思った。
 初めて繋いだ掌。
 そう意識した途端、私の胸の奥が どくん と大きく跳ねた。 

 生まれて初めて感じた、苦しさだった。
 息が詰まりそうになって思わずつくるの顔を見上げると、彼のほんの少し上気した頬と耳たぶが目に入って、それから逃げる様に私は視線を下ろした。

「行こうか。...取り敢えず梅田迄出よう。」

 繋いだ手に軽く引っ張られる様にして、先程つくるが姿を現した改札を今度は二人で通った。
 ホームへと続く階段を上る間も、二人の掌は繋がれたままだった。


~~Fin~~
2004. 3.12  UP
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何故かとちくるって載せてしまいました。
璃玖の書いた小説です。
一応恋愛小説に分類されるかと......。
今日璃玖の住むマンションの近くで卒業式が行われていました。
毎年この季節にはほんのりと甘い痛みと共に思い出す記憶があります。
その記憶達に翼をつけて、時々飛ばしてみたいと思っています。





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