ソウル生活〜

ソウル生活〜

デビュー前夜




1998年6月3日、日本語教師として韓国にきた。


1年だけのつもりで。


まさか、チュンチョンで私の人生に深く関わる人に出会うとは夢にも思わず。



ちょうど国会議員の選挙で、韓国は連休に入る前だった。

下見に来たとき、泊めてくれた第2の女が、キンポ空港まで車で迎えに来てくれた。


チュンチョンは田舎で何もないから、ソウルで遊んで日曜日に自分が車で送ってやると言ったが、初めての日本語教師。


緊張し、授業の準備もしたいからと親切を跳ね返し、彼女が車で荷物と私をチュンチョンまで送ってくれた。



チュンチョンに着いたら、夜の学院の授業がはじまっていた。
前任の先生が私を見つけ、授業中の教室へ引っ張っていった。学生は一人だけ。

さみしいなーーー、最後の授業なのに。



その後、事務室で学院長とその前任者は大喧嘩。
前任者は日本大使館へ訴えてやる、といきまいていた。
学院長は勝手にしろ!と言い放つ。
私はそれをみて、はげしく後悔。ひどい所へ来たみたい。涙。涙。涙。



悪い環境だとは思っていたが、ここまでとは思っていなかったので。


しかし、初めがこれだったから、大きな期待はせず、自分の仕事だけ一生懸命やろうと、決心できて逆によかった。



その夜、第2の女はチュンチョンに来たからにはタッカルビを食べなきゃいけないといって、夜の11時ごろ、春川ミョンドンまで連れて行かれ、タッカルビとやらを食べさせられた。

真っ赤に染まった鶏肉!!
辛い料理は全く食べられない私。
水で洗いながら、食べた。また、涙。涙。涙・・・



翌日、第2の女はソウルへ帰った。


一人残った私は、授業の準備。
前任者から引き継いだ教科書、学生の特徴を書いてもらった学生名簿を見ながら、一人あやしげーーな旅館で勉強。



その後、私の人生に関わることになる学生の特徴は6年たった今でもはっきりと覚えている。



「顔は恐面だけど、ナイスキャラクター。アニメがきっかけで日本語の勉強をはじめた」


後で本人に話したら

「えーっ、私の顔が○×△?何それ?」



説明を聞いたら

「えーっ、わたしはかわいいでしょう?おさなくてかわいいわたし^^」←おまえはアホか???



ご飯を食べに外に出ても、ハングルが読めないので、食堂にはいれない。


写真があるうどん、のり巻きの店があったので、そこで写真を指差しのり巻きを食べた。毎日。


連休の二日間?、三日間?、同じ店で同じものを指差し、同じものを食べた。涙涙涙の韓国生活初日だった。

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