星の国から星の街へ(旧 ヴァン・ノアール)

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2021.09.22
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 日本のバブル経済真っ盛りの時は地方都市でも規模の大きい「絵画展」が開催されていました。地方都市の百貨店で開催された「ユトリロ展」でも60点のユトリロの絵が展示されました。

​​​​​その中の一点「雪のラパン・アジール」だと今でも思っているのですが、この絵の前で釘付けになったのは淡いピンク色の絵の具が少し剥がれ落ちそうになっていたからです。後にも先にも絵の具の剝がれがある絵を見たのはこの1枚だけで、私にとっては忘れられない絵になり、それがきっかけでユトリロの人生について調べたりしました。

 画家のモデルを務めながら自らも画家として才能を開花させ、私生児としてユトリロを生んだ母「シュザンヌ・ヴァラドン」の人生の謎には今も大きな興味があります。

 バブルが弾けた後の2003年5月に別の百貨店でユトリロ生誕120年記念として再度「ユトリロ展」が開催されましたが、その時は仕事を辞めてシンガポールで働くための面接を東京で受ける準備とか全てに余裕がなく見に行くのを諦めました。


「モンマルトル美術館」入り口   中庭

 そしてその3年後にまさかユトリロと母シュザンヌ・ヴァラドンの絵画も多く展示されている「モンマルトル美術館」を訪問することになるとは思ってもいませんでした。

 館内は撮影禁止で「今この美術館にいる」という自己満足感に浸り、展示の絵画のメモも取らなかったため実はどんな絵を見たのか良く覚えていません。

 改めて美術館を調べてみると2014年に改装されて「ユトリロのアトリエ」が館内に復元されているそうです。これは是非見てみたいものです。



 美術館から徒歩圏内で多くの画家達が描いた「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」や「ラパン・アジル」そしてピカソが恋人のフェルナンド・オリビエと暮らしていた「Le Bateau Lavoir(洗濯船)」の掲示板もあります(実際の建物は焼失)


「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」    「ラパン・アジル」

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「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」 ​はレストランとして「ラパン・アジル」は夜間のみカフェとして営業しているようでした。「夜のモンマルトルはあまり安全ではないですよ」と注意を受けていて残念ながらラパン・アジルは諦めました。

 オフシーズンの2月は歩いている人もまばらでしばしタイムスリップしたように画家達の姿を思い浮かべました。もう一度訪れてみたい界隈です。


「縞模様の上掛けのある裸婦像」 シュザンヌ・ヴァラドン 1922年 「パリ市立近代美術館蔵」



 ユトリロ展で購入した「図録」と2003年5月の「ユトリロ展案内」は今でも手元にあります。「案内」には「静かなる哀愁と、激しい葛藤の狭間にて。」と書かれています。








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最終更新日  2022.05.04 16:37:55
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