星の国から星の街へ(旧 ヴァン・ノアール)

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2024.03.17
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カテゴリ: 読書 原田マハ
 今読んでいる「原田マハの印象派物語」のエピソード4は「ルノワール(1841-1919)の物語」です。このエピソードもまた今まで何となく持っていた画家のイメージを良い意味で覆す文章で始まっています。

 「ジャンは小ぶりのカンヴァスとパレット、それに絵筆を寝室に持ってきた。指を開くことすらできない父の右手に厚手の包帯を巻き、親指と人差し指の間に絵筆を挟む。もう何年ものあいだ、ルノワールはそうやって絵筆を手にして描いていた。父の右手にとって絵筆は分かち難い分身のようなものだった。ジャンの目にふいに涙があふれた・・・」



 このような状況で1915年に描いた「薔薇(カンヴァス 27x30m)」について原田マハ氏は「最も好んだ薔薇をはじめ、生涯で300点ほどの花の絵を残した。不自由な手で描いた晩年の絵はますます明るく温かく、画面に悦びが溢れている。」と解説しています。

 そして病床にあるルノワールの体調を気遣いクリスマス・ローズと温かいメッセージカードを贈るピカソ、若い頃に「筆触分割」と呼ばれる新しい描法を共に生み出したモネとの挑戦、印象派を世に知らしめた画商「 デュラン リュエル(1831-1922)」との関わりも紹介されています。

デュラン リュエルの存在と偉業は3年前にシンガポールのアリアンス・フランセーズで上映したドキュメンタリー映画で初めて知りましたが、実際に彼の存在が無ければ印象派の絵画が脚光を浴びるのにはもっと長い時間がかかっていたのではと想像します。

 デュラン リュエル は1872年、ルノワール31歳の時に初めて作品を購入しています(この絵を調べてみましたが未だ見つけられません)「シャルパンテ エ夫人と子どもたち」がやっとサロンに入選して肖像画の注文が殺到する7年前の事です。そして1883年、ルノワール42歳の時に デュラン リュエルの画廊で初の大規模個展を開催しています。



 2人の絵画を通しての絆は 「舟遊びをする人々の昼食(1876年)」をポール・デュランが亡くなった翌年の1923年にアメリカ人の「ダンカン・フィリップス」に12万5千ドルでやっと売却したこと、いくつかの作品は最後まで手元に置いておきたかったという事にも表れているのかなぁと・・もっとルノワールの絵を見てみたいという気持ちにさせてくれるエピソード4でした。














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最終更新日  2024.03.17 13:01:15
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