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畑や庭仕事に没頭していると、 身近に父や祖父母の影を感じる。 子供の頃に遊んだ庭や畑はすべて形が変わっていて、 その移り変わりを覚えているのは自分しかいないと思うと、 ますます寂しくなる。 写真も残っていない幼児のころの屋敷の風景は 私の記憶に残っているものを絵として書き上げないかぎり、 言葉では難しい。 だから、絵が描けたらどんなにいいことか・・。 下手でもいいから、 歩けなくなるようになってからの慰みにしたいものだ。 あれもこれもと、求めすぎて、 何もものにならないで今まできているが、 所詮何もかも素人でおわるのが落ちだ。 今できることを楽しみながら一生を終えたい。 人生を祖父母、父、叔父などの死に逝く姿で感じ取れるようになった。 命に限りがある、との思いが強くなって、 先ず始められたのが 断酒 で、 どうしても飲みたいと思う気持ちが和らいできている。 すでに、普通の人の一生分は飲んだと思うし、 酔って感じる幸福感は所詮、 夢のようなもので、 醒めたら消えてしまう。 消えるのが怖くて又飲むのくりかえし・・・・。 死期を早めるのがもったいなくなった。 何か一つでも、家族や近所の人に思い出してもらえるような 仕事を残しておきたいと思った。 また、こどもに恥をかかせること、 先祖の顔をよごすことも避けたいとおもった。 本気になって、 死ぬ気になったら怖くないというから、 早死にしたくなかったら、 健康が一番。 精神的にも肉体的にも。 欲張らず、あせらずに今の生活を続けていけるならば、 10年後には、与論の風土にあった屋敷林の形、が できてくるだろう。 人生訓「孔子の一生」を目安に死と向き合いたい。 明日から新しい月が始まる。 ここのところ充実した日々を過ごしている。 しっかりと足元を見つめていこう。 いっぽ 一歩 それを大切に。
2017年01月31日
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新しい画像があるとブログが書きやすい。 どうしたことか 昨日までは画像の取り込みができない日が続いていた。 昨日の映像の取り込みを試している。 潮が満ちてくるときの 渚における岩と砂利と砂浜の移動の様子を写真で記録している。 平成19年度に完成した人口ビーチの砂が移動して 砂浜が小さくなったので、 その修復ののために再工事を計画しているとのことで、 事前説明会があった。 完成当時はこの岩が砂で覆われていたという説明で、 浜砂が波にさらわれ、 砂が海に引き込まれて浅くなったこと、 細かい砂が強風で吹き飛ばされて、 後背地に溜まっているので浜に戻したいとのこと。 アップで 私がこの浜で、砂の移動を観察していることを報告した。そして、渚の突堤建設には待ったをかけた。離岸堤の工事を先にしてもらって、様子を見ながら判断しようということで、住民説明会が開かれることになった。 私が一年がかりで波と遊んだ石拾いと石罪(積み)の仕事がこれである。大きい石を後方にして次第に小さい石、砂利、砂の順番で浜が出来上がっていくことがわかってきた。その様子を証明したかった。 東の浜では7年前から海岸植生に挑戦して 一応、いい評価を受けていると思う。 一年前から西側にも行動範囲を広げて、目立たないようにやってきたが、 工事説明会の後からは、 目立つようにやってみることにしている。 一年間育てたソテツの苗木を、 自己アピールに植えてみた。 今年の夏に台風が来て波にさらわれるかも知れない。 そして 笑われるかもしれない。 波が笑うか 私が笑うか 渚のセニョリータ・・・・。 この浜(イチョーキ未来長浜)の近くに孫の家がやがて完成する。 子供たちの遊び場になってくれること期待し 植栽を続けたい。
2017年01月30日
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若い時なら失敗の一つや二つはあっても やり直しがきくが、 65歳を目の前にして 野望(起業する)を持つのは 無謀だ。 どのくらいなら許せるかとなれば 自分で責任をとれる範囲内であれば由としよう。 自分の趣味を分かち合える相棒と組めれば 事は上手く運ぶだろうと思って、 運を天に任せて船を漕いできた。 漂着を想定して廃船処理したグラスボートの舳先がみえるところまで、 片づけを進めてきている。 環境係をしていたので、 グラスボート発着所前の公共用地に放置された廃船をクレーン車を雇って 移動した。廃船処理場がなかったので、 畑に持ち込んで、水タンクとして利用する傍ら、 日陰を作って、船の上でビールを飲もうと思ったのだった。 廃船処理の第一号だったと思う。 担当が身を削るべきだと思った。 リサイクル担当でもあったので、有料制度を軌道に乗せるため 自動車リサイクルのマニュフエストも作った。 二業者を育成した。 ゴミ収集の苦情もうけることなく、上手く運用に載せることができたが、 その時の、ゴミ処理の説明会に一緒についてくれた先輩がなくなり、 もう一方も亡くなってしまった。 リサイクルセンターを軌道に乗せることができた。 やがて完成する新しい清掃センターを目にするとき、 先輩方の苦労のおかげで これまでのゴミ処理が問題もなく行われてきていることを知ってもらいたい。 みなさん 物を大切に! 暮らしの手帳 花森 安治 の思い出より。
2017年01月29日
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今年はまだ書初めをしていない。旧正月を迎えたのでそろそろ今年の目標を定めてみたいが、「花王・みんなの森づくり」活動の応募をしたのでその結果を待ちながらあれこれとやりたいことの順番を練っている。 やらなければならないことを進めていけば、おのずとことが成っていくのも確実な進め方だと思う。昨日、三度目、年一度だから三年目に入る遊休農地の解消依頼をしてきた。複雑な事情が分かるので、無理にはできないが、本人も気がかりであるとのこと、私も本腰をいれることで、腹をくくって話した。お墓の話に発展したので、いよいよ行動を起こすときになった。 年度内に話しを詰めていきたい。集落代表の責任を持って事に当たれば、できないことではないと思っている。この件は個人的にも、私がかかわらなければ解決できないとも思った。このぐらいのことを延ばし伸ばししていては自治公民館長に立候補したことが恥になる。 旧正月を記念して 決意を新たにしよう。今年中にやり遂げて見せたい。 さて、決意の表明に ソテツを植えよう。集落をまとめるのが私の今一番の仕事である。次が家庭、そして自分のこと。 断酒を続けていけば きっとできる。叶う。
2017年01月28日
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福祉協議会の案内をうけて説明会に参加した。2040年を見越した「地域の介護人材戦略」とは、高齢者を支える世代人口がへっていくので、要介護の程度の年齢をあげるとか、基準をたかくしていかなければ、現在の介護保険がたちゆかない現状を説明、地域で支えあっていこうということだった。 それで、古里地区では何ができるかを考えて、対策をとっていきたいとのことである。全国一斉にスタートして行く事業なので、先取りして進めていきたいが、誰がやるのかが問題だ。中心になってやる地域のリーダーは誰なのか。 集落の代表の私が考えなければならない。率先してやっていこうと思っているが、福祉に関心のある人材のリストアップから始めることにした。幸い組織の環境部長が福祉のことに力を入れたいと言っていたので相談してみよう。やっぱしやってくれる人、お願いできる人が地域で活躍できる環境を作っていかなければならない。高齢者のサロンを利用して昔のことを語ってもらって記録を執って集落誌の資料としたい。あと5年もしたら、私の屋敷にも高齢者用のサロンを月一回は開けるようにしたいものだ。
2017年01月26日
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またやっちまった。 なかなか本音を言えなくて書きたいことをかけなくて溜めてたのに本音を書いて興奮していて」間違ったキイを押してしまって消えてしまった。 しまったブログ。チャンスがまたいつかに伸ばそう。今は書くべき時期ではないのだろう。 アグリルネッサンス会議。 自分でやってみること・・・、 新規開田の 水田 転作を担当していた時のことを 遺跡調査しながら思い出した。 其処の近くに 集落は形成されてきたことを。
2017年01月24日
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呉屋先生が「においがする」とおっしゃったので、私もその「においがする」場所を探そうと努めてみた。だんだんとその気になってきて遺物を見つける、探し出すコツがわかってきたころ、夕暮れになった。 蝶や鳥、虫を探すとき、案内するとき、私もにおいを探して歩き回っていたのである。 人が住む場所は動植物とのかかわりが深いところだとのことが分かっている。私は植物が好きだから、森の跡や植物と人間がかかわった場所を目印にして探していた。呉屋先生に「竹さんも分かったようですね・・・」と言われほっとした。屋敷林のフクギであった。あたりまえのことではあるが、案外簡単なこと忘れてしまっている。その点と点をつなぐ 道が私のやってきた旧道であるからこれが今回も為になった。私の目の付け所は正しかった。沖縄の研究誌「宿道」で確信を得たのであった。これで与論島全体の江戸時代後期あとの住居跡地が分かった。どの時代まで遡れるかの調査は埋物を探さないといけないと思う。 拾った物を根拠にするのは危ない。私はネズミと猫と同居しているが、髭剃り用の石鹸をネズミに3回取られたので、今度は石鹸を固定して置いているが、運べないので、かじって食べているようだ。アテモヤをウーファーに食べてもらおうと置いていたら早速やられてしまった。 猫は御菓子を袋ごと持ち去っていく。怒るに怒れないのは 自分の後始末の悪さである。 町誌追録が終盤になって次の楽しみがでてきたのは嬉しいが、年度末にかけての仕事の追い込みが怖くなっている。 健康であることが 何よりです。 宇宙創造の神様に 感謝! ありがとうございます。
2017年01月23日
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与論町誌に与論島の遺跡の場所が八か所記されていて、その中に古里遺跡とある。地図の場所からすると集落内にあるのは間違いないが、そのあたりを探してみてももちろん案内板もみかけないが、それらしき様子も感じられない。農業基盤整備のためにつぶされてしまったのだろうとあきらめていた。 ところがどっこい、昨日の呉屋先生との出会いで場所を教えてもらって納得した。残念ながら、教えてくださった畑も基盤整備されていたが、近くの屋敷は残されているのでまだ遺物が見つかるかも知れない。 私の集落には宝物がいっぱいあることが分かった。頑張ろう。
2017年01月22日
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とうとう待ちに待っていた出会いが実現した。急告 のチラシが玄関に置いてあった。郷土研究会の勉強会の案内講師:沖縄県史跡研究家 呉屋先生 与論島の史跡調査をされ、今回再度の調査で 正サークラやターヤ半田で、一千年前、800年前の遺物発見かとの朗報も! ご期待ください。残念なことに島外出張、しかも無断欠席した。帰ってきてから言い訳と別件の報告に会長に会ってきたら、呉屋先生の講演と現地説明の内容を教えてもらい、チャンスを失したことを悔やんだ。次の機会が予定されていることを知らされたので、その足で教育委員会に立ち寄り資料の一部をもらって帰った。遺物の散布地の位地図をもらっただけでも気分はわくわくしていた。新しい何かが始まる予感がした。 シニグサークラのできた年代の証明をするにはどうしても遺物が必要なので発掘調査をしてもらえる専門家に来てもらいたかった。こちらから依頼する前にすでに調査が始まっており、図らずも向こうからやってきてくれた。 久しぶりにウーファーを迎える準備のため頭を切り替えて、昼食を弁当を買ってきて一緒に食べるつもりで、時間つぶしのためでもあった。弁当はいつもの鵜木商店のみちこ弁当を買うために、マラソンコースのハイビナ墓地を過ぎた左手の牛小屋の東、牧草畑の穴の前にしゃがんでいる風貌が変人に見える中年の男を見かけながら通り過ぎようとして、車を止めて振り返ってみるとリュックを担いでいるので、何かの調査をしていることが感じられた。降りて探し物は何ですかと」と尋ねたら、これです」と手のひらにくすんだレンガ色の破片を取り出して、そちらの河口でみつけました。00年まえのですね。まさか呉屋先生ではないですか。はい呉屋です。先生は沖縄に帰ったのでないですか?独りで調査を続けることにしたとのことでしたので、案内を申し出たらお墓の場所を確認したいことなどを話しされたので、それは私の得意分野です。宿屋を聞いて、明日の9時の約束で分かれた。小雨が本降りに変ったので、宿におくるつもりで引き返したら、まるでキジムナーのように先生の姿が消えてしまった。夢のような不思議な出会いに驚きながらも弁当を二人分買って、船を迎えに行った。待てどもウーファーらしい外人は降りてきてくれず、迎えは空振りに終わった。日本語が書けないこと、携帯をもっていないとのことだったので、沖縄から19日の船でとのこと、連絡はメールでしていた。その日は夜の8時の船便もあることがわかって、夜の時間にも会合を抜け出して迎えに行ったがまたもやから振りで、昼間の不思議な出会いを差し引く気分が落ち込んだがメールを着信で、船の乗り方がわからなくて来れなかったことが分かった。 つづく。
2017年01月21日
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名瀬の行きつけの止まり木(やどりぐわー)に立ち寄った。酒井卯作先生のことが話題になって、二年に一回店に立ち寄ってくださるので、是非あってもらいたい。紹介したいとも言ってくれた。きっとお会いできるだろう。力がもらえそうだと確信した。 南島研究冊子を3冊と西日本文化No462 黒潮道の島々に収められている弓削政己「奄美諸島への視点」を途中まで読んで眠くなって本を閉じて眠ってしまった。ちょっと寝たのか、起きてたら幻覚がみえている。脳細胞の血管の中なのか、網の目のようなものとマットが重なっている中に粒上の層もみえてきた。鮮やかな黄色に対して暗い緑、線や輪郭がはっきりと見える。消えたり現れたり、右から左に流れたりするので夢なのか幻覚なのかを確かめるために起きることにした。起きたら 色彩は消えているが、それらしき幻覚が残っている。夢だったらもう一度続きを見てやろうと横になったら先ほどの模様がまた表れたので、もっと詳しくみて、映像が何なのかを確かめてみようとするのだが、何かの一部の映像、かなり拡大された部分らしいことまではわかったが視た物体の記憶がない。面白い現象なので記録することにした。訓練すると過去の体験を夢で見ることも可能な気がする。あの世が近くなっているのか不思議な体験であるがユタの世界に陥りそうな気配を感じる。そのうち 憑依現象も体験するかもしれない。薬物なしに起きたら凄いことだ。
2017年01月19日
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大きな幹に挑戦なんとか 切り取ることができた。
2017年01月16日
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与論町が苗木の半額助成を行って、 耕地防風林と緑化の推進をしている。 町の単独事業で始めたこの補助事業は昭和59年ごろから町木に指定した島クロキの苗を育苗したことにさかのぼる。喜村議員さんに、猿渡家のクロキの種を採取して届けて、苗を作ってもらった。最初のころは、いい苗がなかなかできないこともあり、その以前から育苗していた野口秀吉さんにお願いしたこともあった。町木として島クロキを指定した経緯は省くが、町誌に定めてあるから町民に知らせるために取った施策が入学・出生記念として植えてもらうことであった。 入学記念の予算は教育委員会に組んであった。産業課のほうでは出生記念木として予算を獲得することができた。私が林務を担当するようになってから、それを耕地防風林の半額助成とすることを提案し現在に至っている。 今、その恩恵を私がうけるようになった。種から育てた島クロキの樹が今は親木になって、その種を採取して苗木を作っている。現在5銭本ぐらいの鉢物(13センチ)を育ているが、3年かけて”0~30センチ鉢にする。一本が2千円ぐらいに育てると植えた木は必ず育つ。小さな苗木は大切にされないので枯らすものも多い。苗木でちゃんと育てて植えてもらうのが苗木屋としての心構えである。ここまで来るのに5年以上をかけている。もう大丈夫だ。これでも食っていけそうな気がしている。
2017年01月15日
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365日のゴミ拾い(習慣として) 美ら島をつくるプロジェクトの呼びかけで、 ゴミ拾いを習慣としている」つもり。 時々、思い出したように参加していた。 一年続けて、二年目に入ったころから 少し考えるようになった。 私にはもっとやることがある。 習慣としてやるのだったら、 海岸でなくてもいいではないか・・・、 要は 続けること、 習慣にすることなのだということだ。 呼ビかけた人が一生 浜でゴミ拾いを続けるのを見るのは忍びないと思った。 若いのに まだやらなければいけないことがいっぱいある・・・、 彼のおかげで、 習慣としてのゴミ拾いが定着してきつつあるようだ。 役場の先輩も同じようなことやっていたことを知っていた。 品覇海岸で定年退職を契機に始めていた。 退職したら真似をしようと思っていたのでやってみた。 三か月しているうちに馬鹿げたことをしてると思って、 木を植えることにした。 植えた木が育ったと喜んでいたら 台風の波でさらわれてしまった。 もうちょっと上の浜に植えてみることにした。 三年続けて、試作植物は成功した。 同時に石垣も積んでみた。 60年ぶりという台風がやってきて 跡形もなくなってしまった。 私の続けるコツは 遊びごころでやること。 もう一つは エネールギー(時間も含めて)を有効に使うこと。 ゴミを拾いに移動する時間がもったいない」と考えたことから みんなについて回るのを止める言い訳にした。 ガソリン代、 移動時間の自分の労働@を考えた。 楽しみや、生きがいのことを思うと、 ゴミを拾うよりも 樹を植えるほうが楽しいから 習慣として(一日一本を植える目標を立てた)植えよう。 やってみたら ゴミを拾うよりも楽しい。 自分で植えた木が育っていくのが見れるからだ。 場所を決めて エリアの緑化計画をたててやると、 もっと楽しいことが分かった。 一年続けたら 目に見えてきた。 同時進行でやってきたことに 砂浜のゴミではなく 石ころや持ち上げられる程度の石を拾って 防波堤を作ることを考えてみた。 波と遊びながらである。 ゴミも生かすことを考えた。 木切れや プラスチックの浮きなどは 砂に埋め 防波堤の材料に使ってみている。 去年は台風が来てないので、 今年の夏が来るのを待っている。 石垣は残るだろうか。 それでも 習慣だから 私は浜で石を拾い 樹を植える。 昨日掃除機を買ってきたので 部屋の掃除をしよう。 庭ほうきも買ったので、 井戸端も 習慣としたい。 心を磨くために・・・・。 そして 達成感! 仲間が何処かで 続けている。
2017年01月10日
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樹を植えることばかり焦っている。 植えても枯らしていてはどうしようもない。 最初から 植えなかったほうがましである。 もう一つ 無駄なことをしていると思うことがある。 沿道の美化作業を割り当てて賃金を払っている。 始めのころは、 雇用の創出のためにいいことを考えたと思ったが、 作業の仕方を見ていて 担当箇所にムラがあることに気が付いている。 必要以上に草が取られているエリアもあるし、 きちんと取ってほしい場所もある。 景観にたいする考え方、 植物の育て方に関する基本的知識もなく、 ただ単に 草を取っているだけに思われる。 行政として もっと考えてもらいたいのは、 一般財源の持ち出しでないやり方があるのではないかと思う。 任意団体やNPO法人を指導して 財団法人からの援助を受けるようにすれば、 点から線、線から面を広げることができる。 町単独事業の持ち出しを一律カットする方法が 私の現役時代から取られてきた。 能無しのやることだと思う。 私は町単独事業を沢山立ち上げてきたから言える。 私が立ち上げ効果を出した成功事例が まだ続いているのをみていると、 もういい加減止めてほしい。 新しいのを創出してよ! なんで 単独事業なのか。 県の単独事業の採択基準に満たないものと、 与論にしかない」 単独の事業を県や国の採択基準にしてもらうための発想との 違いが 分かっていない。 昨日 私の最近加入したNPO団体から 補助金カットに対する陳情書を読ませてもらって 考えたのだ。 NPO法人のサポートが足りない。 町役場の担当が もうちょっと身をいれれば 活動資金は得ることができる。 私が やって見せているのに 気が付かないのか やりたくないのか ぼんやりすぎる。 指摘したら いやいやながらとりかかることだろう。 私も 片づけをしながら やらくては・・・・・。 辛口になりました。
2017年01月09日
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ワニスブック PLUS 親書 光り輝く未来が、 沖永良部島にあった! 石田秀輝 著作 東北大学名誉教授/合同会社地球村研究室代表社員 離島に住んで考えた、 持続可能で 心豊かな暮らし 喜界島からの帰りの船の中で買ったので、 読み始めてから20日あまりかかっている。 この人は2040年を目標にしてか語っているので 23年後のことである。 私が88歳まで生きれるとしたら…、実現しているか 確かめられる。 そうそう、 私は88歳まで生きることを考えていたんだ。 兄弟島 沖永良部におくれをとってはならない。 勉強しに行こう。 今年度中に。
2017年01月07日
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始める前に 約束したことが守れているかを 点検してみよう。 私の欠点は 新しいことを思いついたら 約束や、誓いを立てたことを忘れて すぐに 次のことを始めてしまうことだ。 今年度になすべきことが山ほどたまっているので 新年の抱負は ちょっとお預けして 中途半端な約束事を拾い出してみて、 年度末までに片づけられるものを早く済ませて、 新年度の抱負を立てることにする。 先ずは 実施中のNPO関係の事業の実績をとりまとめから済ませたい。 目途は今月中に事業を完了し 来月中に報告書を作成したい。
2017年01月03日
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石田秀輝 著 「輝く未来が、沖永良部島にあった!」ワニスブックを 半分まで読んだ。 昼寝の時間に読むので 2ページぐらいで眠ってしまうので、 なかなか読み進まないが、 私が目指しているパーマカルチャーの暮らしに似ている。 1953年生まれ、 私より一つ下なので 教科書も似ているだろう。 同じ教育をうけているから、 負けてはいられない。 (競争の意味ではなので・・・・。) 今年度中にお会いできたら 与論にお招きして 仲間と交流したいものだ。 うんぱる遊び隊に名称を変更して、エコツーリズム実践する。 あとがきから先に読んだ。 元旦そうそう 希望に燃えている。
2017年01月01日
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