この世の果てのカラマーゾフ

この世の果てのカラマーゾフ

“コミュニケーションする精神”について




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「人の心は空(くう)で、実体としては何も無い」と仮定して、此処を出発点として考えていく。

心を“器”か“入れ物”のように考えてみる。

中身を入れ替える手段として、会話/対話やコミュニケーションがあるんだよね。(読書とか映画鑑賞なんかも)

 コミュニケーションとは、“情報交換”のこと(=“中身を入れ替えること”)

その手段の一つである言語は、苫米地氏によると、“脳への直接的な情報入力メディア”。

ありふれてるけど、かなり強力。


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“心は空であるが、器のように様々な情報を入れることができる”(テーゼ)

そのとき、心の中の情報は、いくつかの“階層”にわかれる。

心の奥底にある、深い階層におさまった情報は、容易には交換されない。

反対に、心の浅い部分、上の階層にある情報は、簡単に交換されるし、

書き換えることにも、デリートすることにも、たいした労力はいらない。

 (もしかしたら、分子運動の激しさの尺度である“温度”ともリンクして考えられそうなことだけど…)

成功哲学の本で語られることが多い“信念”というコトバは、深い階層にある情報のことを指している。

 信念というのは、その人の、“根本的な世界観”のことで、“こうあることが望ましい”とか、“こうあるべきだ”といったものに答える。

 心の奥底から信じているので、本人はそれを“あたりまえ”だと思っているし、それと意識せずに行動する。

 c.f.) “信念は自分の神経系統に、直接の指令を送る。”by後藤よしのり@『女と男の恋愛学習プログラム』p16


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心は器であるから、その中に容れられる情報の“量”は、決まっている。

もちろん個人差があって、自分のなかにたくさんの情報を納められる人が、

“器の大きい”人である。

この、心の中に入っている情報が、“透明”であることや、“濁りがない”ことが、

いまの僕が求めていること。

“汚れた情報”は、心の外に掃きだしていくこと。


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